病院で一晩を過ごし、警察から事情を聞かれ、朝の回診を受け終わったところで透は退院を許可された。
夕べ医者から手当てを受けたときには内部の傷はほとんど塞がっていて、弾も身体の中には残っていなかった。
医者も首を傾げるような妙な回復の仕方ではあるけれども、皮膚表面の傷を塞げばわざわざ切開するような手術の必要性は無いだろうということで胸側と背中側の傷口を縫うだけに終わった。
ちょっとやり過ぎたか…と雅人は思ったが、医者の口は堅いし医者から状況を聞いているのは藤宮と繋がりのある刑事たちだ。
問題はあるまい…。
透は史朗の車で帰途につき、雅人は店に寄って店長に挨拶し透の車を引き取って帰宅した。
母屋の玄関先についたとき透は深呼吸した。
あれほど油断するなと言ったのに…と修に叱られる前に心の準備をしとかなきゃ…ね。
相伝を終えてからの修は透に対してかなり厳しく接するようになった。
次期宗主としての自覚を促すため、透が関わっているときには他の者の失敗についての責任をも透に問うようになった。
特に雅人の先走りや隆平の優柔不断に因って起る失敗についてはだいたいにおいて透も一枚かんでいることが多く当のふたりより激しく叱られた。
西野とはるの出迎えを受けた透は、西野の様子から宗主のご機嫌がすこぶる悪いということを察知して天を仰いだ。
史朗と雅人はその姿を見て思わずくすっと笑った。
心配して居間で夜を明かした隆平と城崎が三人の声を聞きつけて飛び出てきた。
透が元気そうなのを見て城崎は心からほっとした。
夕べ宗主から、これは城崎に対する罠だから絶対に引っかかったりしないようにと釘をさされ、紫峰家を出ることを思いとどまったけれども透には本当に申し訳ないと思った。
修は部屋にいるらしく透はひとりで修の部屋に向かった。
声をかけて部屋へ入ると修はパソコンに向かって仕事をしていた。
「痛むか…? 」
透の方を見ようとはせず、忙しそうに手を動かしながら修は訊いた。
「今はそんなに…ご心配をおかけしました。 」
透は申し訳なさそうに答えた。
「雅人がすぐ傍にいてよかったな…。 」
修がそう言ったとき透の脳裏に冬樹の顔が浮かんだ。
修が護りきれなかったもうひとりの息子…。
悲しいんだ…機嫌が悪いんじゃない…悲しくて…誰にも何も言えないんだ…。
透は修の肩をそっと抱いた。
「お父さん…ごめんね。 心配かけてごめん…。 」
修は手を止めて自分の肩を抱いている透の手に自分の手を重ねた。
「おまえまで死なせたら僕はあの世で豊穂さんになんてお詫びしたらいいんだ?
豊穂さんの怒りが恐ろしくて死ぬこともできないじゃないか…。 」
そう言って修は寂しそうに笑った。
「いつものように叱ってよ…お父さん。 おまえが油断したからだって…。 」
透はそうせがんだが修は首を横に振るだけだった。
「言ってるだろ…お父さんと呼ぶな。 おまえのお父さんは黒田だけだ。」
だって…と透は思った。
この家で僕が生まれたときからずっと面倒を見てくれたのは…育ててくれたのはあなたじゃないか…。
そりゃあ黒田は好き好んで僕を手放したわけではない。
事情があって紫峰家に無理やり奪われたようなものだけれど…。
何もかも犠牲にして僕と冬樹を護ってくれたのは黒田じゃなくて修さんだ。
それが分かっているから黒田は未だに親戚の小父さんを名乗ってるんじゃないか。
「笙子さんが赤ちゃん産むまでは…僕だけのお父さんだよ。
でも…それから先だってずっとずっと修さんが僕のお父さんだってことには変わりないんだ。
僕…別に黒田のこと嫌ったりしてないよ。
時々会いに行ってるし、ちゃんと親父って呼んでるし…。
年取ったらちゃんと面倒も見るよ。
でも修さんがどんなに僕を黒田に返そうとしても僕の心までは返せない。
それだけは誰にもできないよ…。 」
透は修の心を見透かしたように言った。
透の身を案じて亡くなった透の母親豊穂のために、育ての親である自分の心を殺してまでも実の父親黒田に透の心を返してやりたいと修は思っているに違いない。
けれどもこの二十年近くの年月を消してしまうことなんてできない。
修の背に負われ腕に抱かれて育った歳月を忘れたりはしない。
僕は昨日今日あなたの傍に来たわけじゃない。
「おまえにお父さんと呼ばれるほど僕はオジサンじゃないんだけどね。 」
修はわざと憮然とした表情をした。
「ふふん…。 10近くも離れてりゃ立派にオジサンです。 」
透は鼻先で笑った。
修の肩から…透の腕から…お互いに伝わる肌の温もりは紛れもなくこの歳月が育んだ想いの証で、どう断ち切ろうとしても断ち切れない親子の絆だった。
できることならこのままずっとこの背中に負われていたかったけれど、僕はあなたより大きくなってしまったし…だから約束しておくよ…今はまだ大きいばかりで頼りない背中だけど…いつか必ず背負ってあげる…あなたとあなたの背負ってきた悲しみのすべてを…。
そう胸の中で呟いた。
史朗がこのまま出勤するというので雅人は駐車場まで送ってきた。
夕べの雪は何処へやら全く積もった様子もなく、ただ肌を刺す外気だけがやたら冷たかった。
「ごめんね…史朗さん。 忙しい時に夜中に駆けつけてもらって…迷惑かけて。
ほんと有難う。 」
忙しくはあるけれど史朗はそれを迷惑とは思っていなかった。
雅人が時々史朗を頼ってくれるのは何となく嬉しかった。
「いいよ。 当たり前のことだもの。
ちょっと落ち込んでたから…頼ってもらえてかえって有り難かったよ。 」
雅人はじっと史朗を見つめた。
「マンションのことでしょ…。 気にしてるんじゃないかと思ってた。
史朗さんのこと強引に同居させちゃったもんね。
あのさ…はっきり言っちゃった方がいいよ。 誰の束縛も支配も受けないって。
史朗さんは史朗さんの思うままに生きたいんだって。
修さんは本当に思いやりのある人だけれど時々ピントずれるから…。
でも話せば分かる人だよ。 」
史朗は驚いたように雅人を見た。
「いつもながらその洞察力には感心するね。
きみは強いし何でも話せていいなあ。 僕はあの人に物を言う勇気はないもんな。
大恩人だし…。 」
そう言ってやるせなさそうに俯いた。
「何言ってんのさ。 愛は平等…立場は対等。
これでなくっちゃやってられないよ。 これから先が長いんだから。 」
それを聞いて思わず史朗は噴出した。
雅人と話しているとなんだか自分の方が子どもになったみたいで可笑しかった。
「きみと話していると楽しいよ。 またいつでも遊びにきてよ。
毎日笙子さんとふたりっきりじゃなんかこう落ち着かなくてさ。
身の置き場がないというか…。
今までだって通ってはいたけど…その方がずっと気が楽だった。 」
大きくひとつ溜息をつくと史朗は車に乗り込んで出社していった。
後を見送りながらこのままじゃいけないな…と雅人は思った。
年末に入って街中の慌しさが本格化してきた。
透の怪我はあっという間に癒え、疑われるのを避けるために3~4日おとなしくはしていたが、早々にバイトに復帰して店の仲間を驚かせた。
ただ当分傷跡を消してはいけないと忠告されていたので、ご希望者にはその生々しい傷跡を見せてやったりもした。
きみのせいじゃないよ…透は笑いながら何度も城崎に言ってくれた。
それはとても有り難いことだったのだが、こうした事態を招いたそもそもの原因が城崎にあることは明らかで、いつ何時また犠牲者が出るかと思うと城崎の心は穏やかではいられなかった。
「こういう時にこそ焦りは禁物だ。 判断を誤ってはいけない。
きみの身代わりになった者たちはきみが無事でいてこそ割が合うというものだ。 きみがもし愚かにもここを出て行くようなまねをして命を落しでもしたら、何のために痛い思いをしたのかわからなくなるではないか。 」
長老一左にそう窘められて納得はしたものの申し訳なさが先に立つ城崎だった。
「きみはかなり巧く力を使えるようになってきた。
だが使えるだけでは話にならない。 どう使うかが今後の課題だよ。
まあいずれにせよ年明けには宗主からいい話が聞けるだろう。 」
仏さまのような笑みを浮かべて一左は満足げに言った。
バスルームから寝室に戻ってきた修はベッドの上のどでかい物体を見て思わず肩を竦めて天を仰いだ。
「また人のベッドに潜り込んで…今度は何のおねだりだ? 」
掛け布団の中からにゅっと首を出して雅人はにやりと笑った。
「史朗さんのことだよ。 すごく悩んでる。 」
えっ…?というような顔をして修は雅人を見た。
「新しいマンションのことだよ。 修さんが強引に引越しさせたから…。」
「気に入らないのか? いい部屋だと思ったんだが…。 」
また頓珍漢なことを…と雅人は思った。
「違うよ…男のプライドが傷ついたんだ。
あれじゃ札束で横っ面叩いて囲い者にしようってのと変わりないじゃないさ。
史朗さんは曲がりなりにも副社長さんだよ。
裕福じゃないけれどちゃんと自立してる人なんだから。 」
当然じゃないか…と修は言った。
「僕は史朗を囲った覚えはないよ。
あのマンションの一部は笙子の持分だし、子どもが生まれた場合の便宜性を考えただけのことだ。
史朗も気にすることは無いのに…。 」
「そりゃ気になるだろう。 笙子さんと同居すれば修さんが嫉妬するんじゃないかって…それが一番恐怖かもよ。
それにあんな高級マンションを買い与えられたんじゃ、史朗さん遠慮の方が先に立って言いたいことも言えなくなるよ。
史朗さんはマンションなんか本当は欲しくないんだ。あなたの心さえあれば…。」
感情的になってはいけないとは思ったがついつい厳しい口調になってしまった。
修はふっと溜息をつくと寂しそうに微笑んだ。
「分かったよ。 本当のことを言うよ。
だけど史朗本人が気付くまで…時が来るまで口外しないと約束してくれ。 」
雅人は一瞬驚いたような顔をしたが、それでも分かったと言うように頷いた。
それから修が雅人に語った計画はさらに驚くべきものだった。
遠く史朗の将来を見据えての修なりの愛情の証であるのかもしれない。
それは史朗への仕打ちに憤慨していた雅人にも十分納得のいくものだった…。
次回へ
夕べ医者から手当てを受けたときには内部の傷はほとんど塞がっていて、弾も身体の中には残っていなかった。
医者も首を傾げるような妙な回復の仕方ではあるけれども、皮膚表面の傷を塞げばわざわざ切開するような手術の必要性は無いだろうということで胸側と背中側の傷口を縫うだけに終わった。
ちょっとやり過ぎたか…と雅人は思ったが、医者の口は堅いし医者から状況を聞いているのは藤宮と繋がりのある刑事たちだ。
問題はあるまい…。
透は史朗の車で帰途につき、雅人は店に寄って店長に挨拶し透の車を引き取って帰宅した。
母屋の玄関先についたとき透は深呼吸した。
あれほど油断するなと言ったのに…と修に叱られる前に心の準備をしとかなきゃ…ね。
相伝を終えてからの修は透に対してかなり厳しく接するようになった。
次期宗主としての自覚を促すため、透が関わっているときには他の者の失敗についての責任をも透に問うようになった。
特に雅人の先走りや隆平の優柔不断に因って起る失敗についてはだいたいにおいて透も一枚かんでいることが多く当のふたりより激しく叱られた。
西野とはるの出迎えを受けた透は、西野の様子から宗主のご機嫌がすこぶる悪いということを察知して天を仰いだ。
史朗と雅人はその姿を見て思わずくすっと笑った。
心配して居間で夜を明かした隆平と城崎が三人の声を聞きつけて飛び出てきた。
透が元気そうなのを見て城崎は心からほっとした。
夕べ宗主から、これは城崎に対する罠だから絶対に引っかかったりしないようにと釘をさされ、紫峰家を出ることを思いとどまったけれども透には本当に申し訳ないと思った。
修は部屋にいるらしく透はひとりで修の部屋に向かった。
声をかけて部屋へ入ると修はパソコンに向かって仕事をしていた。
「痛むか…? 」
透の方を見ようとはせず、忙しそうに手を動かしながら修は訊いた。
「今はそんなに…ご心配をおかけしました。 」
透は申し訳なさそうに答えた。
「雅人がすぐ傍にいてよかったな…。 」
修がそう言ったとき透の脳裏に冬樹の顔が浮かんだ。
修が護りきれなかったもうひとりの息子…。
悲しいんだ…機嫌が悪いんじゃない…悲しくて…誰にも何も言えないんだ…。
透は修の肩をそっと抱いた。
「お父さん…ごめんね。 心配かけてごめん…。 」
修は手を止めて自分の肩を抱いている透の手に自分の手を重ねた。
「おまえまで死なせたら僕はあの世で豊穂さんになんてお詫びしたらいいんだ?
豊穂さんの怒りが恐ろしくて死ぬこともできないじゃないか…。 」
そう言って修は寂しそうに笑った。
「いつものように叱ってよ…お父さん。 おまえが油断したからだって…。 」
透はそうせがんだが修は首を横に振るだけだった。
「言ってるだろ…お父さんと呼ぶな。 おまえのお父さんは黒田だけだ。」
だって…と透は思った。
この家で僕が生まれたときからずっと面倒を見てくれたのは…育ててくれたのはあなたじゃないか…。
そりゃあ黒田は好き好んで僕を手放したわけではない。
事情があって紫峰家に無理やり奪われたようなものだけれど…。
何もかも犠牲にして僕と冬樹を護ってくれたのは黒田じゃなくて修さんだ。
それが分かっているから黒田は未だに親戚の小父さんを名乗ってるんじゃないか。
「笙子さんが赤ちゃん産むまでは…僕だけのお父さんだよ。
でも…それから先だってずっとずっと修さんが僕のお父さんだってことには変わりないんだ。
僕…別に黒田のこと嫌ったりしてないよ。
時々会いに行ってるし、ちゃんと親父って呼んでるし…。
年取ったらちゃんと面倒も見るよ。
でも修さんがどんなに僕を黒田に返そうとしても僕の心までは返せない。
それだけは誰にもできないよ…。 」
透は修の心を見透かしたように言った。
透の身を案じて亡くなった透の母親豊穂のために、育ての親である自分の心を殺してまでも実の父親黒田に透の心を返してやりたいと修は思っているに違いない。
けれどもこの二十年近くの年月を消してしまうことなんてできない。
修の背に負われ腕に抱かれて育った歳月を忘れたりはしない。
僕は昨日今日あなたの傍に来たわけじゃない。
「おまえにお父さんと呼ばれるほど僕はオジサンじゃないんだけどね。 」
修はわざと憮然とした表情をした。
「ふふん…。 10近くも離れてりゃ立派にオジサンです。 」
透は鼻先で笑った。
修の肩から…透の腕から…お互いに伝わる肌の温もりは紛れもなくこの歳月が育んだ想いの証で、どう断ち切ろうとしても断ち切れない親子の絆だった。
できることならこのままずっとこの背中に負われていたかったけれど、僕はあなたより大きくなってしまったし…だから約束しておくよ…今はまだ大きいばかりで頼りない背中だけど…いつか必ず背負ってあげる…あなたとあなたの背負ってきた悲しみのすべてを…。
そう胸の中で呟いた。
史朗がこのまま出勤するというので雅人は駐車場まで送ってきた。
夕べの雪は何処へやら全く積もった様子もなく、ただ肌を刺す外気だけがやたら冷たかった。
「ごめんね…史朗さん。 忙しい時に夜中に駆けつけてもらって…迷惑かけて。
ほんと有難う。 」
忙しくはあるけれど史朗はそれを迷惑とは思っていなかった。
雅人が時々史朗を頼ってくれるのは何となく嬉しかった。
「いいよ。 当たり前のことだもの。
ちょっと落ち込んでたから…頼ってもらえてかえって有り難かったよ。 」
雅人はじっと史朗を見つめた。
「マンションのことでしょ…。 気にしてるんじゃないかと思ってた。
史朗さんのこと強引に同居させちゃったもんね。
あのさ…はっきり言っちゃった方がいいよ。 誰の束縛も支配も受けないって。
史朗さんは史朗さんの思うままに生きたいんだって。
修さんは本当に思いやりのある人だけれど時々ピントずれるから…。
でも話せば分かる人だよ。 」
史朗は驚いたように雅人を見た。
「いつもながらその洞察力には感心するね。
きみは強いし何でも話せていいなあ。 僕はあの人に物を言う勇気はないもんな。
大恩人だし…。 」
そう言ってやるせなさそうに俯いた。
「何言ってんのさ。 愛は平等…立場は対等。
これでなくっちゃやってられないよ。 これから先が長いんだから。 」
それを聞いて思わず史朗は噴出した。
雅人と話しているとなんだか自分の方が子どもになったみたいで可笑しかった。
「きみと話していると楽しいよ。 またいつでも遊びにきてよ。
毎日笙子さんとふたりっきりじゃなんかこう落ち着かなくてさ。
身の置き場がないというか…。
今までだって通ってはいたけど…その方がずっと気が楽だった。 」
大きくひとつ溜息をつくと史朗は車に乗り込んで出社していった。
後を見送りながらこのままじゃいけないな…と雅人は思った。
年末に入って街中の慌しさが本格化してきた。
透の怪我はあっという間に癒え、疑われるのを避けるために3~4日おとなしくはしていたが、早々にバイトに復帰して店の仲間を驚かせた。
ただ当分傷跡を消してはいけないと忠告されていたので、ご希望者にはその生々しい傷跡を見せてやったりもした。
きみのせいじゃないよ…透は笑いながら何度も城崎に言ってくれた。
それはとても有り難いことだったのだが、こうした事態を招いたそもそもの原因が城崎にあることは明らかで、いつ何時また犠牲者が出るかと思うと城崎の心は穏やかではいられなかった。
「こういう時にこそ焦りは禁物だ。 判断を誤ってはいけない。
きみの身代わりになった者たちはきみが無事でいてこそ割が合うというものだ。 きみがもし愚かにもここを出て行くようなまねをして命を落しでもしたら、何のために痛い思いをしたのかわからなくなるではないか。 」
長老一左にそう窘められて納得はしたものの申し訳なさが先に立つ城崎だった。
「きみはかなり巧く力を使えるようになってきた。
だが使えるだけでは話にならない。 どう使うかが今後の課題だよ。
まあいずれにせよ年明けには宗主からいい話が聞けるだろう。 」
仏さまのような笑みを浮かべて一左は満足げに言った。
バスルームから寝室に戻ってきた修はベッドの上のどでかい物体を見て思わず肩を竦めて天を仰いだ。
「また人のベッドに潜り込んで…今度は何のおねだりだ? 」
掛け布団の中からにゅっと首を出して雅人はにやりと笑った。
「史朗さんのことだよ。 すごく悩んでる。 」
えっ…?というような顔をして修は雅人を見た。
「新しいマンションのことだよ。 修さんが強引に引越しさせたから…。」
「気に入らないのか? いい部屋だと思ったんだが…。 」
また頓珍漢なことを…と雅人は思った。
「違うよ…男のプライドが傷ついたんだ。
あれじゃ札束で横っ面叩いて囲い者にしようってのと変わりないじゃないさ。
史朗さんは曲がりなりにも副社長さんだよ。
裕福じゃないけれどちゃんと自立してる人なんだから。 」
当然じゃないか…と修は言った。
「僕は史朗を囲った覚えはないよ。
あのマンションの一部は笙子の持分だし、子どもが生まれた場合の便宜性を考えただけのことだ。
史朗も気にすることは無いのに…。 」
「そりゃ気になるだろう。 笙子さんと同居すれば修さんが嫉妬するんじゃないかって…それが一番恐怖かもよ。
それにあんな高級マンションを買い与えられたんじゃ、史朗さん遠慮の方が先に立って言いたいことも言えなくなるよ。
史朗さんはマンションなんか本当は欲しくないんだ。あなたの心さえあれば…。」
感情的になってはいけないとは思ったがついつい厳しい口調になってしまった。
修はふっと溜息をつくと寂しそうに微笑んだ。
「分かったよ。 本当のことを言うよ。
だけど史朗本人が気付くまで…時が来るまで口外しないと約束してくれ。 」
雅人は一瞬驚いたような顔をしたが、それでも分かったと言うように頷いた。
それから修が雅人に語った計画はさらに驚くべきものだった。
遠く史朗の将来を見据えての修なりの愛情の証であるのかもしれない。
それは史朗への仕打ちに憤慨していた雅人にも十分納得のいくものだった…。
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