椿峰のまち

所沢・椿峰ニュータウンでのまちから見えてくるものをお伝えするブログです。

5月29日のまち 新井薬師前駅から その4

2018-06-05 12:34:58 | 歴史あれこれ
新井薬師のすぐ近くに北野神社がありました。
所沢・北野天神の近くに住んでいることもあって立ち寄ることにしました。




神社の片隅にかつて中野刑務所に置かれたものを移築したものだという稲荷社がありました。
中野刑務所には、大杉栄とか亀井勝一郎などのような思想犯が入っていたのだとか。




そういう由来を知ると、そばにある倉庫までが曰くありげに見えたりします。


ただ、それだけではない哀しみのようなものを感じてしまったのですが・・・・・
帰ってから調べたところによると、この辺りでは、かつて15世紀に江古田原合戦というというものがあったのだとか。
→ こちら

戦いがあったから寺社ができたのか、寺社中心に陣地が置かれたのか。
大きな戦ではかなりの食料が必要であったでしょうから、貯蔵場所として寺社が先にあった?

太田道灌は関東のあちこちで戦いをしていたんですね。
この北野神社は新井天神とも称されるようです。
太田資長ではなく法名の道灌が使われるのは、菅原道真との関連なのでしょうか?

このころの関東では
享徳の乱 → こちら  
長尾景春の乱 → こちら
長享の乱 → こちら
といった長い戦が続いていたようです。その中で太田道灌は目立つ存在となっています。

ふと17世紀ヨーロッパの30年戦争でヴァレンシュタインという人物を思い出しました。 → こちら
最期などが太田道灌と似ています。

30年戦争は宗教が絡んでいた戦争のようですが、もしかして、これらの関東の乱は宗教も絡んでいる?
一向一揆は こちら

長い間の戦でさぞ大変だったろうと思うのですが
道興准后なる人物が1486年に所沢を訪れていて こちら
のどかな感じなんですよね・・・・・

もしかして北野天神のご利益 ? 菅原道真(+平将門の祟り)を恐れたとか?

ひょっとして、14世紀に小手指原の戦いがあった所沢では、15世紀には猛者ぞろいで敬遠されたとか? 


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3 コメント

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Unknown (藤村眞樹子)
2018-06-06 07:38:46
17世紀のヨーロッパに興味を持ってあれこれ調べたことがありました。
例えばバロック文化は、日光の東照宮よりも後で不思議・・・・
と思っていたのですが、16世紀から17世紀にかけて日本ブームがあったらしいのです。
宣教師たちが本やら劇やらで日本の紹介に努めたとのこと。
もしかしたら、16世紀の日本のことは
17世紀のヨーロッパでわかるかもしれない、などと思ったりします。
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Unknown (藤村眞樹子)
2018-06-10 09:28:18
所沢には、木曽義仲の子孫だという大石氏の支配下の時期があのったようですが、大石氏という氏名の由来がはっきりしないようです。
しかし、その意図は感じられたりします。
返信する
Unknown (藤村眞樹子)
2018-06-10 14:04:00
多摩湖・狭山湖およびその周辺は
不思議な雰囲気があると思います。
想像力をかきたてられるというか・・・・・

各地の寺社にも同じような雰囲気というものがありますね。
これは、独りでその場に立ってみないとわからないものかもしれません。

自分の中にあるDNAとの対話
みたいなことなんでしょうか?
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