青森市福祉増進センターという建物が気にかかって・・・・
この建物は、青森市公会堂の跡地に1997年(平成9年)に建てられたものであるけれども
青森市公会堂の面影が前面にデザインされたものだとか。
青森市公会堂は1927年(昭和2年)5月21日に秋田雨雀と片岡鉄兵の講演会が行われたときに、芥川龍之介が北海道の講演旅行の帰途青森に立ち寄っていたため、出演を依頼され、急遽登壇したのだとか。その2か月後に芥川龍之介は自殺してしまいました。
太宰治は旧制弘前高等学校の1年生でしたが、このときに講演を聞いたのかどうかはよくわからないようです。
ただし、太宰治は7月11日から20日ごろまで上京していたそうなので芥川龍之介と会っていたかもしれません。
もし会っていたなら、芥川龍之介は太宰治の文才とともに情報収集力といった資質を見抜いたのではないでしょうか。
また、1937年(昭和12年)にはヘレン・ケラー女史がこの公会堂で講演したのだとか。
「ここは快い潮・・・・磯の香りがして海辺のすんだ空気の街であることが、と伝わってきます。」と青森の印象を話したそうです。
この講演会も芥川が少しだけ登壇した文学講演会も超満員だったとか。
戦前の青森は物心ともけっこう豊かであったのかもしれません。
昨年などはクルーズ船がたくさん寄港して、これからの観光に希望を持っていた青森は、コロナ禍の影響を多く受け、ねぶた祭りも中止となりました。
粘り強い青森の人たちは、じっと我慢の日々です。
早く幸せと思える時間を取り戻せますように。
っていうか、青森が放射性廃棄物の国際的な集積地になってしまったらなどとあるとき妄想を持ってしまったためなのか・・・・・
テレビのニュース番組などは首都圏のほうがかなり多いように感じます。
良し悪しということもありますけれどもね・