上野 国立西洋美術館 の ラファエロ展に行って来ました。
平日にかかわらず、チケット売り場はこの行列でした。
ラファエロのネームバリューと集客力は、フェルメールの比ではないのだとびっくりしました。
中に入ると更に驚愕の光景が。
新宿駅のプラットホームかと思いました。
さて、内容ですが、ラファエロ・サンティ どこがいいのでしょうか?
1.まず、ルネッサンスの画家ですから、題材は教会に依頼された宗教画と、パトロンから頼まれた肖像画が主なのですが、元来無宗教の私にとっては、まったく内容が理解できず、面白みが分かりません。また、肖像画も確かに内面まで描き出すような、その時代では先進的だったのかも知れませんが、みんなラファエロ自身に似ていて、同じ絵を見ているようでした。
無口な女
2、では、絵の技術が感動的かというと、感動できたのは、今回の目玉「大公の聖母」だけでした。
確かにこれは、色彩といい、聖母の表情といい、傑作だということはうなずけます。
が、この他の作品は、ラファエロも研究したというダビンチやミケランジェロに比べると、非常に見劣りする技巧に感じられます。
前2者のような人間の技能を超越した、神ががかったものがまったく感じられないのです。
自画像
そこで、結論、
ラファエロは、「大公の聖母」(あと、「アテナイの学堂」)だけの、ルネッサンスの1発屋だ(ゲッツだ、そんなの関係ね~だ)。
あとは、教皇へ取り入り方や工房の経営(従業員が50人もいた、異例の大きさだそうです)などに長けていただけなのではないかという気がしました。
宗教と日常生活が密接に結びついている西洋人からすれば、ラファエロの宗教画を見て「最高の画家であり他者の追随を許さない」という評価になるのでしょうが、無宗教の私が見ても、ダビンチの「受胎告知」はラファエロにないものを訴えかけてくるのですが?
あんなに大勢詰め掛けた観客たちは、本当に感動して帰ったのでしょうか。読売新聞や日本テレビの宣伝に踊らされていないでしょうか?