大森駅のホーム上には
「日本考古学発祥の地」の碑が建っている。
もちろん、これはエドワード・モースが発見し発掘調査をした
大森貝塚に由来するものである。
彼の大森貝塚の発見は1877年。
当時、諸外国ではフランスのオギュスト・マリエットなどは
既にエジプトで発掘調査はども行っていて
大きな成果をあげているわけで
日本は遺跡と同居しつつ暮らしていながら
この頃まで「考古学」という認識を持たずに暮らしてきた。
もっとも、古くからの「塚」に対しては
それを信仰の対象として寺社や祠を建てて
集落の中心としたりしていたことから
まったく無関心だったわけではないのだろうけれど
モースが車窓から発見した貝塚こそが
それまで「歴史学」だけだった日本の過去に
「考古学」が生まれた場所だったのである。
「日本考古学発祥の地」の碑が建っている。
もちろん、これはエドワード・モースが発見し発掘調査をした
大森貝塚に由来するものである。
彼の大森貝塚の発見は1877年。
当時、諸外国ではフランスのオギュスト・マリエットなどは
既にエジプトで発掘調査はども行っていて
大きな成果をあげているわけで
日本は遺跡と同居しつつ暮らしていながら
この頃まで「考古学」という認識を持たずに暮らしてきた。
もっとも、古くからの「塚」に対しては
それを信仰の対象として寺社や祠を建てて
集落の中心としたりしていたことから
まったく無関心だったわけではないのだろうけれど
モースが車窓から発見した貝塚こそが
それまで「歴史学」だけだった日本の過去に
「考古学」が生まれた場所だったのである。