三島由紀夫の死の数日前、『男の死』の出版契約を交わした後のタクシー車中だったか、企画者である薔薇十字社の社主内藤三津子さんは三島がフと洩らした「右翼の奴ら見ていろ」というような言葉を聴いている。内藤さんは「三島さんは右翼なんじゃないの?」と思ったそうである。三島は世間に楯の会の活動が玩具の軍隊などと揶揄され笑われている事は充分承知していた。それがあの衝撃の死によって世間は動揺した。当時の週刊誌、新聞、出来るだけ集めて読んでみて衝撃が相当な物だった事が判る。私は予期していた、なんて評論家もいるが狂気の沙汰、という政治家や、見当違いな論調ばかりで微動だにしなかったのは澁澤龍彦くらいである。ところが私は三島がその後さらにもう一つオチ?を用意していたのが『男の死』の出版だったと考えている。あの死の直後に、世間をあざ笑うように魚屋に扮した三島が腹に出刃包丁腹に刺して魚をぶちまけていたり、ヤクザがリンチで殺されている姿を見るのである。この“二の矢”のために三島は自決の数日前まで撮影していた。私は石塚版『男の死』を制作しながら未刊に終わった三島の無念を想った。そして『仮面の告白』の中で幼い三島が“彼になりたい”と願った糞尿配達人の青年に三島をならせ、肥桶の糞尿ならぬ血液をぶちまけ死んでいる場面やドラゴンに噛み砕かれているシーンは『これは御本人がやる訳にはいかないでしょ?』と制作した。 ところで、昨日ブログに載せた226の青年将校に扮した作品は映画『憂国』撮影中「血が足りないもっと!」といった三島のためにこれでもか、と血みどろにしたのだが、久しぶりに観て、いくらリアルにやろうと、光と影のあるこの世に在るかのように制作していては、とどかない、あるいは達成できない物がある。と改めて感じた。
※8月31日まで谷中『全生庵』円朝旧蔵の幽霊画を公開中。それに伴い三遊亭円朝像を出品中。
※深川江戸資料館11月まで九代目市川團十郎像を展示。
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