明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



三島由紀夫は死の1週間前まで魚屋が腹に包丁刺して死んでいたり、体操選手が吊り輪にぶら下がって射殺されていたり三島の趣味炸裂の状態を演じ、篠山紀信に撮らせ、自決直後に薔薇十字社から『男の死』は出版されるはずだったが、奥さんの意向により出版されなかった。私はそれを知らず三島の様々な死に様を作ったら三島にウケるだろう、と考えた。『男の死』の企画者元薔薇十字社社主内藤三津子さんに許可をいただいて三島が言及した、もしくは作中の人物になって死んでいるという個展を開いた。 実は私の当初のイメージは、江戸川乱歩や三島など“その筋”の人達が愛した月岡芳年の『英名二十八衆句』いわゆる血みどろ絵、無惨絵として知られる物であった。しかし“身も蓋もない”写真という方法ではとても表現できない。たとえば切腹シーンを制作した時、映画『憂国』で三島がやったように豚の臓物を使用したが、三島本人が映画でやるなら、また絵ならいいだろうが、写真になると身も蓋もなく、暗くして誤摩化した。すでにあの頃から写真というものの不自由さに私は苛立っていた。板東妻三郎の『雄呂血』の一場面のように、三島がざんばら髪で捕り的に囲まれ、梯子やさす又などで血だらけで取り押さえられているところなど、絶対三島にウケるぜ、と思ったが写真で描くのは無理と断念した。しかし陰影のない、あの世界に持ち込めれば、可能ではないか、と考えている。

ああ身も蓋もない。これじゃ本物の血じゃないですか。後の掃除が大変だったよ(噓)


※8月31日まで谷中『全生庵』円朝旧蔵の幽霊画を公開中。それに伴い三遊亭円朝像を出品中。
※深川江戸資料館11月まで九代目市川團十郎像を展示。



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