永野宏三のデザイン館&童画館  アート日和のできごと

イスラエル国立美術館、ミュンヘン国立応用美術館、国立国会図書館、武蔵野美術大学美術館図書館他に永野宏三の主な作品が収蔵。

夢であいましょう。

2008-02-23 15:29:06 | 日記・エッセイ・コラム
1964年は東京で第18回オリンピックが開催されましたね。そのころの町の様子といえば通りには商店がずらり並んで、木工所や板金屋さんなかも通りで商いをしていて、職人がもくもく仕事をしていましたよね。通りでは車は多くないから、子どもたちは通りで上半身裸になって重量挙げの真似なんかしていました。三宅義信選手がまぶしく見えました。TVから流れるオリンピックのプラカードを持つ防衛大学の学生のスラッとしたスタイルがかっこよく見えました。「パンパァ~パパン♪パパンパン♪(音の様子がよくつかめないと思いますが)」ファンファーレの音に始まり、「ジャンジャジャンジャジャ~ン♪(音の様子がよくつかめないと思いますが)」颯爽とした行進曲で始まりましたね。なんだか、スカッとした青晴れをイメージした祭典のように感じました。そうそう開幕式は日本晴でしたよね。そうそうオリンピック記録映画の市川昆さんが最近なくなれましたね、僕は子どもながらに市川さんの映像を観て、凄くデザイン的な映像を撮られる方だなと思っていました。数年後、氏の後のエッセイを読むと、デザイナーの故亀倉雄作さんなどとデザイン界の交遊があったようで、なるほど思いました。僕は市川昆さんのファンです。日本人の持つシャイな部分とヨーロッパなどな負けないモダンな構成美が見事に融合された世界は鳥肌がたちます。とにかく映像が綺麗です。
当時は現実にも夢がありましたよね。そう言えば、TVのバラエテイ番組「夢であいましょう」がありましたよね。ザ・ピーナツの甘~い声がダブッて響きのある歌い方に、それこそ夢を感じました。東京オリンピックの3年後に軽自動車『スバル360』が発売されました。いよいよ世間は大衆が夢を求めて、いいか悪いかガムシャラに働くようになりました。それから、41年後の現在、成熟してしまった日本。あまり夢がないような現実的で醒めた時代になってしまいました。写真は、ちょっとピンボケ(一応芸術写真風に撮っているのですが)ですが、夢をみながら走っているスバル360です。Rimg0032