かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

馬場あき子の外国詠297(トルコ)

2016年05月08日 | 短歌一首鑑賞

 馬場あき子旅の歌40(11年6月) 【夕日】『飛種』(1996年刊)P132
       参加者:N・I、鈴木良明、曽我亮子、藤本満須子、H・T、渡部慧子、鹿取未放
       レポーター:藤本満須子
       司会とまとめ:鹿取 未放


297 晩年の浪費のごとくエーゲ海の夕日しづかに沈むまで見る

     (まとめ)
 レポーターが言うように「心を苛んでいる」とは思わない。「沈むまで見る」のだから、かなり長い時間、見ほれていたのだろう。そしてその景は作者の心を充たし豊かな気分になったのだろう。その喜びがあまりに大きかったので「晩年の浪費のごとく」と形容したのだろう。エーゲ海の夕日を讃えた文章は無数にあるだろうが、たまたま手元にある本から見る位置は違うが引用しておく。
     (鹿取)

私はパルテノン神殿の巨大な大理石の円柱のかげに立ち、エーゲ海にまっさかさまに落ちて行く太陽を望見した。息づまる美しさとは、あのような美しさを言うのであろう。美しさを通りこして、それは荘厳であり崇高でさえあった。太陽が姿を消すと同時に急速に寒さが加わってきたが、私は身じろぎ一つしないで、残照の空と海を見比べていた。(小田実『何でも見てやろう』)
  

       (レポート)
 エーゲ海と聞けばトルコを代表する高級リゾート地、港には数多くのクルーザーが係留され、真っ白い家並みが丘の斜面にまぶしく光る。紺碧のエーゲ海の深い色合い。どこかの城塞か、丘か、どこから眺めているのか分からないが、それは問題ではない。美しいエーゲ海に夕日が沈んでいく景をじっと見つめている作者、その沈んでゆく夕日を見ている行為は、作者の晩年をまるで浪費しているように心を苛んでいる。1、2句の「晩年の浪費のごとく」に思いが込められている。 (藤本)


      (当日意見)
★世界の人々が浪費していることを自分に引きつけて歌った。(慧子)



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