かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

馬場あき子の外国詠349(スイス)

2014年11月29日 | 短歌一首鑑賞

 馬場あき子旅の歌 (2011年12月)【氷河鉄道で行く】『太鼓の空間』(2008年刊)168頁 
                 参加者:K・I、N・I、崎尾廣子、曽我亮子、たみ、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
                 レポーター:崎尾 廣子
                 司会とまとめ:鹿取 未放


337 美しく遠く思ひのとどかざるアルプスの雪ゆめならず見る

      (まとめ)(2011年12月)
 「とどかざる」は現在形だから、あこがれていた以前に届かなかったのはもちろん、実際に眺めている今も思いは届かないというのだろう。もし現実に見て思いが届いたのなら、ここは「届かざりし」と過去形になるはずだ。だから「遠く」は物理的な遠さのみではなく、精神的な距離を含んでいるのだろう。憧れていたアルプスにやってきて、夢ではなく目の前にその雪山を見ている。しかしその余りにも美しいアルプスの崇高さにはとても思いは届かない。人間には触れることを許さないような圧倒的な神々しさがそこに在ったのだろう。「とどかざる」と人間の思いを拒絶することで、賛美を際だたせている。(鹿取)


     (レポート)(2011年12月)
 この1首は5・7・5・7・7の音で詠まれた正統な歌である。眺めている場がよく分からないが展望台からであろう。マッターホルン、アイガー、メンヒ、ユングフラウなどの名峰の連なるアルプス。だが作者は峰峰の雪に目を向けている。標準的な表現がかえってそのアルプスの雪の美しさを彷彿させる。短歌のみがもちえる世界のたおやかな表現の力を感じる。
 「かりん」の11月号で中津昌子さんが先生の「ず」について述べているが、この歌の結句の「ず」もまた意味深い。この1音がこの歌の全てを成り立たせている。「ず」あっての1首であると思う。また「見る」の「る」にも目を向けたい。現実にアルプスの雪を見ている作者の今を感じる。思いがかなった喜びであろうか、想像するのみである。胸に沁みる美しい歌であると思う。(崎尾)


    (意見)(2011年12月)
★一連でみると、眺めているのは、ユングフラウ・ヨッホの展望台ではなさそうですね。ところで、
 「遠く思ひのとどかざる」をレポーターはどう解釈されますか。(鹿取)
★自然とは意識の疎通ができないことを言っている。(崎尾)
★憧れていたアルプスを現実に見た喜びがよく表されている。(N・I)
★遠かったが実際に来ているアルプス全体を現在形で詠っている。しかし、見ているけれど一体化
 はできない。(藤本)
★さっきの336の歌もそうだったけど、レポーターが歌の中の一音にだけ拘るのは違和感があり
 ます。「ず」は打ち消しの助動詞だから独立しているといえばいえるけど「ゆめならず」って慣
 用的に使いますからひとまとまりの語感があります。それにこの歌が「ず」1音でもっていると
 はとうてい思えません。また、動詞の「見る」は活用語の終止形で一語だから「る」だけに注目
 するってありえないです。音に敏感になるのは大切なことですけど、品詞をまずは理解して基本
 をおさえた上で考えないとまずいです。この部分なら、まずは「ず」は打ち消しの助動詞である
 という点を踏まえてから先を考えてほしいです。(鹿取)



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