かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

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ブログ版 渡辺松男の一首鑑賞 『泡宇宙の蛙』ミトコンドリア・イブ一連について

2018年08月02日 | 短歌の鑑賞
  ブログ版渡辺松男研究2の12(2018年6月実施)
    【ミトコンドリア・イブ】『泡宇宙の蛙』(1999年)P60~
     参加者:泉真帆、K・O(紙上参加)、T・S、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:泉真帆 司会と記録:鹿取未放


 ※この「ミトコンドリア・イブ」の一連は話題になった問題歌で、この回では川野里子氏の評
  論【文中ではAと略記】、鶴岡善久氏の評論【文中ではBと略記】、坂井修一氏の評論【文中
  ではDと略記】を参考にさせていただき、それぞれから多大なご教示をいただいた。お礼申し
  上げます。なお、川野氏の評論はご本人の承認を得てHP「川野里子の短歌とエッセイ」  
   (http://kawano-satoko.com/ja/173/)から引用させていただきました。
   また、「かりん」掲載の鹿取の評論【文中ではCと略記】を引用した。さらに、会員のK・
   Oさんの紙上参加の文章【文中ではEと略記】も掲載した。K・Oさん、ありがとう。
    ただしAは「ミトコンドリア・イブ」一連に焦点を当てた論、Bは『泡宇宙の蛙』の歌集
   評で「ミトコンドリア・イブ」の占める位置は小さく、Dは「汎生命と人間」という観点か
   ら「ミトコンドリア・イブ」の一首に触れており、Cは「渡辺松男の死の歌」がテーマで、死
   の観点から「ミトコンドリア・イブ」一連にも触れている。このようにそれぞれの書き手によ
   ってスタンスの違いがあるのでお断りしておく。
 
  A 川野里子 〈おばあちゃん〉を連れて——渡辺松男と現代
                        (「かりん」1999年11月号)
  B 鶴岡善久 森、または透視と脱臼——渡辺松男歌集『泡宇宙の蛙』を読む——
                (「かりん」2000年2月号)
  C 鹿取未放 渡辺松男の〈死〉の歌 批評用語からこぼれるもの
               (「かりん」25周年評論特集2003年5月号)
  D 坂井修一 汎生命と人間   (「かりん」渡辺松男の軌跡特集2010年11月号)
        
  E K・O 紙上参加


 ※A、C、Eのうち、ミトコンドリア・イブ一連全体にわたって触れているものを個々の歌の
  鑑賞に先立ってここに挙げておく。

  ○(A)渡辺の「ミトコンドリア・イブ」一連は近年の短歌を見慣れた者にとって強いイン
   パクトを持つ一連だ。モチーフにおばあちゃんを選ぶということがまず驚きであるし、その
   おばあちゃんの視線に自らの視線を合わせようとする試みもまず見当たらないものだ。しか
   しこれは安易な弱者への思いやりやヒューマニズムなどから発想されてはいない。むしろ
   〈おばあちゃん〉の呼びかけにこもる微かな毒が読み取られるべきだろう。
   (略)この一連の〈おばあちゃん〉という呼びかけはあくまでも優しいが、なにか落ち着か
   ない気分にさせる過剰なものを含んでいる。浅薄なヒューマニティが感じさせるのとは全く
   異質な居心地の悪さである。〈おばあちゃん〉と語りかけることで閉じ込めてきた時間に触
   れ、過去というパンドラの箱をあえて開くようなザラつき、〈おばあちゃん〉が繰り返され
   るたびに、〈おばあちゃん〉から生まれた私たちのなかに消せない時間と過去とが頭をもた
   げるのだ。〈おばあちゃん〉は呼びかけられるたびに無用者として田んぼの畦に居ながら私
   たちに痛みを呼び覚ますことになる。〈おばあちゃん〉は忘れられてきたゆえに奇妙に木霊
   し、乱反射しながら私達の背後を問い、忘れられた共同体を浮かび上がらせる呼びかけなの
   だ。(川野)

  ○(C)(……)ミトコンドリア・イブの一連は読み手の心をざらつかせる。たぶんわれわれ
   が避けて通りたい、あまり正面から見たくないものを見せられるからだろう。ミトコンドリ
   ア・イブ一連から受けるざらつき感は、人間の実存という今では古びきってしまった感のあ
   るテーマに深く根ざしているせいのように思われる。また、時代や戦争の影が色濃く滲んで
   いることにもよろう。その上、仕掛けとしての「おばあちゃん」という呼びかけの、知から
   遠いぞんざいさが読み手のこころを妙にいらだたせるのだ。(鹿取)
  ○(E)「ミトコンドリア・イブ」のエピソードからインスパイアされた、物語。どこか子供
   の目が入った、話言葉から浮かびあがる思考。おばあちゃんの姿、おばあちゃんと僕の姿、
   時間の長さ、景色の映像が見えてくるような一連です。
   渡辺松男さんにしか出せない独特のリズムは、おばあちゃんの個人史を通り越して、もっと
   源である、命の起源につながるところ、原初の土地の感触すら彷彿させる、独特のリズムで、
   物語が浮かびあがってきます。人類史の中で繰返し起こる 戦争、はここで外せないでしょ 
   う。(K・O)




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