五十路男の失敗日記

生涯独身男の青春の挽歌

鬱病と青空と

2013年12月03日 | 雑記
気晴らしに行った古物店で投げ売り状態のほむらさん保護。
しかし、心の中はどんよりと曇って…

以下、弱音・愚痴注意



今日は、父上を心療内科に連れて行きました。
ワシがかかってる医院ではなく、別の。

ほぼ毎日、とくに夕方に精神的と思われる不調を訴える父上。
言葉では表現できない、居ても立ってもいられない不安と不調。
最近は、呼吸が苦しいなどと言い出していて、このままでは家族全員参ってしまうと思っていました。

ワシのお世話になっている薬剤師さんに相談してみると、どうも鬱状態なのではないかと。
癌患者さんは、こういう不調を訴える方が多いのだそうです。

本人には言いませんが、はっきり言ってもう疲れた。
ストーマ交換だの通院だの、全部ワシが背負っていて、さらに心療内科の通院という事態。
(お見舞いのお返しを、IY堂のギフトコーナーへ行って送って来てくれとか雑用くらいはしょうがない)

投げたらアカンと思うし、ワシしかオヤジを助けられないと思うし、これまで苦労をかけすぎた
自責の念もあるし。頑張るしかないと、強がってはいますが…

たった3ヵ月やそこらで音を上げるなど、片腹痛いわ!と思われそうだけど。
ときどき、もうどうでもいいやって思うことがあるのです。

資金援助のため、一生懸命働いてる兄夫婦には、こんなこと言えないよなぁ。。

心療内科医は、ワシと父上の話を聞いて
「鬱状態です。鬱「病」とまでいっているかどうかはわかりませんが」と診断。
抗不安薬(レキソタンのジェネリック)と、抗鬱剤が処方されましたが、薬を飲んだからといって
劇的に改善するとは思えません。鬱病はそんなに甘くないと思いますので。

幸い、大変優しい感じの若い医師だったので、ここなら父上を任せられると思いました。

「頑張って」が禁句なのは有名ですが、他にも気を遣うことだらけでしょうな。。
今日も夕方、早速とんぷくの抗不安薬のお世話になる始末。
薬の飲み方を、監視していないといけないな。。

昔の、あの強かった父上はもう戻らないのだろうか。


1988(昭和63)年春、懐かしいですなぁ。
中学を卒業させてもらったはいいけど高校進学など出来ず、でも鬱にはならなかった15の春。
5月には、母上を病院に担ぎ込む事態に。
瀕死の糖尿病でした。あれから25年以上、病気と戦ってる母上が、我が家では一番強いです。

母上が入院していた8月下旬までに、ワシが信じられないような成長を遂げた…と思われました。
しかし定時制入学2年目の1991年夏、ワシもまた倒れ、母上の入院していた病院に1ヵ月入院、
その後も数回、入退院を繰り返す地獄を見ることに…
あれから不安障害が治らないワシ自身に対する嫌気も、さしてきているのかもしれません。

今回も、あの二の舞を演じなければ良いのですが。
火事場の馬鹿力など、何年も持たないことはわかっているはずなのに。