五十路男の失敗日記

生涯独身男の青春の挽歌

エンジンが笑っても

2006年04月11日 | 雑記
昨日は夕方から急に忙しくなった。
電話はくるし、FAXはくる、てんてこ舞いだった。

その反動か、今日はまるっきり暇であった。
暇だと、いろいろ考えてしまう。良くない傾向だ。

先日、映画「タイムマシン」を観たせいだろうか、いろいろな出来事が
頭の中を駈け巡っていった。

思い出は、大学を何とか卒業した99年から始まった。
20代も後半で、人生に目的もなく、放心状態だったあの頃・・・。
まだ病気の恐怖に支配されていた。

人生の転機は、02年にやって来た。
ほんのちょっとしたきっかけだったのだが、あの年を境に現在の三十路が
いる。何があったのか・・・は、恥ずかしくて書けない(何だよ
ただ、今思うとあの年がひとつの転機だったことは間違いない。
そう、昨日書いたような「考え方の変化」が現れた。

あれから4年が経つ。
毎年、転機を繰り返して今日まで生きてきた。
毎年なら転機やないやんか、と言われそうだが、三十路にとっては確かに
転機だった。
良いことも、悪いこともあったが・・・。

・・・・・・

良いこと・・・かぁ。
人生、山あり谷ありと言うけれど、三十路の人生は谷ばかりだったように
思う。それは感じ方の問題で、本当は良いことも沢山あったに違いないの
だが。
そんな事を繰り返しながら、少しずつ成長しているのかもしれない。

この4年間は、それ以前の自分から見れば「○○(本名)、正気か?!」
と思ってしまうほど、思い切った事をしてきた。
思い切った事をするたび、泣き、笑い・・・。
ずいぶん危険な橋を渡ってきたものだと思う。

危険な橋を渡っている感覚は、今でも変わらない。
思い切った作戦が成功して喜んでいても、いつまた奈落の底に転落するか
わからない不安は、いつも抱えている。
今でこそ、こうして好きなことを言っていられるが、その背後では
「恐怖」という怪物が、真っ赤な口をガッと開いて自分を飲み込もうと
しているのがわかる。
もしもその事実を忘れたならば、一飲みにされてしまうだろう。
痛い思い出は、忘れてはならないのだ。

一方で、危険な橋を渡らなければ「新しい世界」をみることが不可能だ
ということもまた、事実だ。
06年も、大きな転機が訪れるような気がする。良くも悪くも。
苦痛をともなうかもしれない。だが、それを乗り越えられなければ「怪物」
に飲み込まれてしまう。

「そんなにリキむなよ」と心のエンジンが笑ってる。

とにかく、闘いは始まっている。
もう、後戻りはできない。前進あるのみだ。
この気概を、いつまで保つことが出来るだろうか・・・
元々が打たれ弱い三十路だから、非常に心配である。