五十路男の失敗日記

生涯独身男の青春の挽歌

初恋の有楽町線

2005年12月17日 | 雑記
こんにちは、またネタがありません(爆

まあ、三十路の初恋のお話でもしますか(え?読みたくない?)。

三十路が16歳の3月、浪人年目突入の頃のことです。
新宿で買物をし、帰りに営団(当時)有楽町線に市ヶ谷から乗りました。電車が到着して乗り込むとき、三十路よりも一歩先に乗り込んだ少女がいました。
どこかの学校の制服を着ている、長い黒髪の色白な少女でした。年は14歳か15歳か・・。とにかく背が低く華奢で、小学生みたいでした。
彼女に興味を持った三十路は、彼女が座った席の向い側に座りました。本を読んでいるふりをして、観察開始。
なにか荷物を持っています。その手の色の白いことといったら。静脈がハッキリと透けて見えました(いやらしい・・・)。

彼女は眠そうにしながら、中吊り広告を見ていました。やがて電車が有楽町に着き、多くの乗客が降りて行きました。三十路は彼女が降りてしまったかもしれないと思い、ハッとして彼女が座っていた席を見ました。
彼女は座っていました。しかも、こちらを見て目を細めていたのです。三十路はドギマギして目を本に戻しました(まぶしかっただけだろう・・・)。観察続行です。

それからは変わった事もなく、電車は30分で終点の新木場駅に着きました。乗客はどんどん降りて行くのに、彼女はなかなか降りません。三十路は「京葉線に乗り換えるに違いない」と思い、大急ぎで駅の階段を上りました。エスカレーターの下の方を覗き込むと、彼女が上ってきます。三十路は急いで京葉線の切符を買いに行きました。買っている間に、彼女が改札を通るのが見えました。
切符を買った時にはもう、彼女の姿は見えなくなっていました。三十路は急いで京葉線に乗り込みました。が、彼女はいません。

三十路の家の最寄り駅まで、停車する度に降りる乗客をチェックしましたが、結局彼女は確認出来ませんでした。
家に帰ってから、もう二度と彼女に会うことはない、という事実に気づき、心に絶望がわいたのです(それが恋というものだ、みそじ)。その時に見た春の夕日は、とても悲しそうに見えました。

それから辛い日々が始まりました。彼女を思い出してはため息をついていました。諦めきれない三十路は、もう一度、ひと目会うだけでいいと思い、新木場駅に通いました。三十路は自分が高校に行っていない事を後ろめたく思っていましたから、声をかけるような勇気はなかったのですが。でも、でも・・。
もしかして新木場駅からバスに乗ったのではないかとも思い、南砂町や東陽町のあたりを当てもなく彷徨ったものでした。今思うと、ただのストーカーですね(笑:笑い事じゃねぇ・・・)。
結局、二度と彼女に会うことは出来ませんでした。
たった30分の出会いでしたが、これが三十路の初恋でした。それまで女の子にそのような感情を抱いた事はなかったのです。

その出会いも、無駄ではありませんでした。翌春のため、精力的に勉強に取り組むようになったのです。彼女に会っても恥ずかしくない人間になるために。
無事にに合格しても、頭の片隅には彼女の思い出が常にありました。
会えなくて、良かったのだと今は思います。思い出は美しいままの方が良いのですから・・・。三十路は今でも彼女の事を時々思い出します。あの思春期のせつない気持ちを。彼女は今頃、どうしているだろうか・・・。30歳はすぎているだろう・・結婚してお母さんになっているか、それともバリバリのキャリア・ウーマンか・・・。
きっと幸せに暮らしているでしょう。

余談ですが、初恋の数日前に、父親の勤めていた会社のバイトで新築高層マンションに消火器取り付けに行きました。まだ誰も住んでいないマンション群の中に、物がありました。こんなところにが・・・。そのこそ、それから年後に三十路が入学するあることなど、そのときは夢にも思いませんでした。

以上、三十路の思春期の「割と美しい部分」のお話でした。本当はもっと・・・(ご想像におまかせします)。