…――人類が地球を離れてXX年。
今日、我々がシャトルでこのような営みを送れるのも、過去の人々が――…
学校の歴史の先生はいつも授業の冒頭でこのくだりを口にする。生徒にとっては短いながらも貴重な睡眠時間になる。
いつものように、我々がシャトルで生活できる事に対して過去への感謝と未来への希望を語り、前回の授業のおさらいが終わると、授業の5分の1が消化されているのだ。
と、授業に関して少々の不満はあるものの、授業の内容そのものは、嫌いではない。
今日は、西暦2XXX年頃の自然環境についてを学んだ。
ちょうどその頃から、地球のバランスが本格的におかしくなり、シャトルへの移住計画が練られ始めたと言う。
立体映像で教室の真ん中に映し出された風景は、2XXX年にまだ健全なる大地が残っていたある国の、森の姿だった。
本物のそれらを見たことも触ったこともないけれど、緑色の葉っぱが痛々しい紫外線を含んだ太陽光線に健気にもキラリキラリ輝いているのを見て、何故だか懐かしかった。
すでに病んでいる空は、皮肉にもこれ以上ない透明さを誇り、果てがない青色だ。
風が吹いて木々が揺れ、病の中でも生きている、生命の強さを感じる。
音声までは再生されないけれど、立体映像からは、ざわざわという葉が擦れる音、朝露がころころと滴り落ちる音、森の命の音が聞こえた気がした。
…――寝る前にふと、そんな懐かしい時代を思い出した。
シャトルの中には広大な植物園がある。が、自然・植物の研究に携わる学者や研究生しか入れない。
自分が学園の生徒だった頃、植物園の事を知り、初めてというくらいに勉強に没頭し、今はとある研究所で助手として働いている。
勿論、植物学にも興味があったのだが、まだまだ幼い思考回路だった生徒時代に見た1つの立体映像が、今日の自分を構成していて、明日の自分へ繋がっている。
あの日、教室の真ん中に浮かんだ小高い丘の上にある一本の大きな木と、丘の下で呼吸をしている森を、自分で、シャトルの何処かに再現しようと心密かに決めた――…
今日、我々がシャトルでこのような営みを送れるのも、過去の人々が――…
学校の歴史の先生はいつも授業の冒頭でこのくだりを口にする。生徒にとっては短いながらも貴重な睡眠時間になる。
いつものように、我々がシャトルで生活できる事に対して過去への感謝と未来への希望を語り、前回の授業のおさらいが終わると、授業の5分の1が消化されているのだ。
と、授業に関して少々の不満はあるものの、授業の内容そのものは、嫌いではない。
今日は、西暦2XXX年頃の自然環境についてを学んだ。
ちょうどその頃から、地球のバランスが本格的におかしくなり、シャトルへの移住計画が練られ始めたと言う。
立体映像で教室の真ん中に映し出された風景は、2XXX年にまだ健全なる大地が残っていたある国の、森の姿だった。
本物のそれらを見たことも触ったこともないけれど、緑色の葉っぱが痛々しい紫外線を含んだ太陽光線に健気にもキラリキラリ輝いているのを見て、何故だか懐かしかった。
すでに病んでいる空は、皮肉にもこれ以上ない透明さを誇り、果てがない青色だ。
風が吹いて木々が揺れ、病の中でも生きている、生命の強さを感じる。
音声までは再生されないけれど、立体映像からは、ざわざわという葉が擦れる音、朝露がころころと滴り落ちる音、森の命の音が聞こえた気がした。
…――寝る前にふと、そんな懐かしい時代を思い出した。
シャトルの中には広大な植物園がある。が、自然・植物の研究に携わる学者や研究生しか入れない。
自分が学園の生徒だった頃、植物園の事を知り、初めてというくらいに勉強に没頭し、今はとある研究所で助手として働いている。
勿論、植物学にも興味があったのだが、まだまだ幼い思考回路だった生徒時代に見た1つの立体映像が、今日の自分を構成していて、明日の自分へ繋がっている。
あの日、教室の真ん中に浮かんだ小高い丘の上にある一本の大きな木と、丘の下で呼吸をしている森を、自分で、シャトルの何処かに再現しようと心密かに決めた――…