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citron voice

詩人・そらしといろのブログ~お仕事のお知らせから二次創作&BL詩歌まで~

サイレン(ト)

2009-05-31 22:55:55 | つくりばなし
駅。
人。

改札。
人間。

プラットホーム。
ホモサピエンス。

ベンチ。
ヒト。

電車。
人類。

線路。
……。

朝、乗るべき電車を乗りはぐってから、駅のホームにあるサビの浮いたベンチに座ってキジバトと一緒に、上り下りを問わず電車を見送っている。
初夏を通り越して、目玉焼きも破裂しそうな陽射しが、線路の果てを揺らしている。
瑞々しさよりも鬱陶しさが目立つ雑木林を背負った小さな駅でも、利用者が絶える時間はまだ、今のところ来ない。

キジバトは、工事現場のドリルみたいに忙しなく地面を掘削している、もとい、四六時中、飯の最中のようである。
コイツの充血した目が、家を出る前に覗いた鏡に映った自分の眼と似ている事に気が付いて、何故だか苛つく。
こんな、こんな四六時中地面を食べているような鳥類と似た容姿をしているだなんて、人類である自分には、受け入れがたい事実だ。

自分が座るベンチの隣に、ハトが座った。
ベンチを軽い足でひっかく音が、非常に耳障りだ。
手で払う真似をしても、こっちをじっと見てくる、なんという奴だ。

――ふぁーん……――

間延びした、電車のやって来る音が遠くで鳴る。
日に何回も聞いていると、段々、ふあん、フアン、不安と聞こえてきた。
ハトはまた地面を食べている。

そのハトを蹴散らすように、ホームの先端に走り寄る。
バサバサと慌ててハトが飛び上がるのを背中に感じる。
線路を食べるように電車が近付いてくる。

ホームの先端は、真っ白い夏の初めを切り取った陽射しの広場だった。
サビ付いたベンチは、高校時代の野球部の部室を思い出させた。
ハトは、いつでもどこでも地面を食べていた。

線路にドサッと落ちる、人、人間、ホモサピエンス、ヒト、人類の、浅ましい影。

また、電車を見送った。
線路が日差しの中で歪む。
ホームには、ハトと自分だけが取り残されている。

太陽が沈むまでの間、あと何回、線路に影を落とし、電車に食われれば気が済むのか、自分。
とうとう、ハトも夏の始まりの中へ飛んでいった。
――ふぁーん……ファーン……不安……――――

今度こそ、君に、貴方に、あの人に…

2009-02-15 17:50:52 | つくりばなし
いつからだったか覚えていないが、ずっと喉の調子がおかしく、喉の奥がちくちく痛み、声がしゃがれている。
それが今朝、大学のゼミ仲間からかかってきた携帯電話に出ようとしたら、とうとう声が出ない。
慌てて、電話の用件をメールで返事するのと一緒に、今日は自主休講することを伝える。
熱っぽさは感じないから、流行のやっかいな病気とは違うだろう。

健康だけは自慢で、小中高と皆勤賞こそ取っているが、成績はそれに比例するわけではない。
昨日までは大学に入学して以来、一度たりとも授業を休んだ事がなく、更に、一人暮らしを始めたこの土地の病院に行くのは初めてだ。
だから何処其処の病院が良いだとか悪いだとか、ご近所の評判を知らないまま、はて、こんなところに病院なんてあったかしらと、僕は一軒のそれと思しき建物の前に辿り着いた。

毎日のように通っている道なのに、ずっと見落としていたのだろう。
近代的で規格化されたような変わり映えしない家が立ち並ぶ住宅街に、平屋でスレート屋根に板壁という姿は、時の流れがそこだけ逆流したかのようだ。
玄関のインターホンの上には、たしかに“病院ですよ”と訴えかけるように木製の、墨で書かれた看板がかけられている。

引き戸をがらがらと開けてみたら、玄関の右手に受付があった。その後ろは、クリーム色のつい立で仕切られているが、診察室のようだ。
「おはようございます、今日はどうなさいましたか?」
僕の母親くらいの年だと思われる女性が、白い看護師の服に紺色のカーディガンを羽織って受付にいる。
僕は持ってきたメモ帳に雑な字で症状を書き、その看護師に渡した。
待合室には僕のほかに誰もおらず、茶色い革張りのソファーに腰掛け周りを見渡すが、これと言っておかしな部分もなく、普通の、ちょっと古めかしい病院らしい。

診察室のドアが開いて、中へ入るよう受付の看護師に促された。
中に居たこの病院の長であろう男性の医者は、意外にも若そうで、30代後半くらいに見える。
「声が出ないそうですね。早速喉を見てみましょう。」
口を開けて、と言われるがままに大口をぽっかり開けた。こんな体勢、何年ぶりだろう。
医者はペンライトも使って喉の奥を照らして見ている。そんなにやっかいな事になっているのだろうか。
「あぁ…棘があるので、それが炎症を起こしているようです。」
棘?鯖定食なら昨日、学食で昼休みに食べたが、別段、骨が刺さった記憶はない。
しかも、医者は“骨”ではなく“棘”と言っている。
「今から棘を抜いて消毒します。」
口を開けっ放しにするのも少々疲れてきた。
炎症を起こしている部分にミントのような消毒液の感覚が心地いい。
銀色の小さなトレーの上に置かれていく、僕から声を奪った棘。
「全部取れました。声は出そうですか?」
「ん…あ、どうにか、出せそうです。」
思わず喉元に手を当ててみた。しゃがれている上にとても小さいが、これは声だ。

「いや、しかしこれは珍しい。」
棘を観察しているらしい、医者が顕微鏡を覗きながら言う。
「貴方、いつだったか、言えなかった言葉がありませんでしたか?」
「言葉、ですか?」
「えぇ、貴方が言えなかった、言いそびれた言葉です。それが棘になって生えてしまったのです。」
とても真面目そうで、細い黒縁の眼鏡をかけた医者のらしくない発言に、僕は医者の身分を怪しむ。
「、そんなこと」
「では、これを覗いて御覧なさい。見えるでしょう?」
医者に代わって顕微鏡を覗く。

見えたのは、“ありがとう”と“ごめん”と、あともう一つの言葉。

こんな事があるのかと呆然とする僕を知ってか知らずか、医者は黙々とカルテに書き込み、処方箋を作っている。
「炎症を抑えるトローチを出しておきますから、1日3粒を目安に舐めてください。」
「あ、ありがとうございます。」
「この症状は、過去にある思い当たる節に、その言葉をちゃんと相手の心へ届けなかった事で発症します。大事な時の言葉ほど、棘になりやすいですから、以後気をつけてください。」
優しげな眼差しと、その説明は胡散臭いことこの上ないが、まぁ声は出るようになったし、トローチも処方してもらえたなら良いか、と半ば自己暗示にかけるように納得した。

診察室を出て暫くしたら名前を呼ばれ、会計を済ませて例の薬をもらった。
「こちらは3日分のトローチになります。どうぞ、お大事に。」
何だか妙に懐かしいような病院の雰囲気に惑わされているようだ。
会釈をしてから一歩二歩と玄関の外へ出て、早速、もらったトローチを一つ舐めてみる。
天気は一足早い春の心地、どこからか梅の花の匂いが漂ってきた。
何気なく病院を振り返ってみたが、それは確かにそこにまだある。
トローチの、甘くて透き通ったミントが喉を通り抜けて、体中を巡る。
さっき、顕微鏡に映し出された言葉の記憶が蘇って、体中を巡る。

授業中、居眠りをしていた僕の分までプリントを取っておいてくれた時のこと。
ゼミ仲間と予定していたバーベキューを断って、小さな嘘をついた時のこと。
この前、チョコレートをもらった時のこと。

雲一つない大きな一枚板のような青空に、自分の器の小ささや、情けなさを感じる。

誰も通らない、午前11時過ぎの住宅街の道。
何にもない空中に、言えなかった言葉を好きな歌に変えて歌ってみる。
名前も知らない小鳥だけが、コーラスをしてくれた。

冬が楽しみになった

2009-01-06 12:18:03 | つくりばなし
思わぬ人から届いた年賀状の返事を出しに行こうと思って今、家を出た。
就活が本格化してきて少々焦っている大学3年生の今、すでに年賀状だけのやり取りとなった友人も多い。
ごく近所の親友でさえ、中学が別れてしまってからは2~3年に一度、会うか会わないかだ。
再会のチャンスだった成人式は、僕が流行の風邪をこじらせて出られず、その前に会ったのはいつだったか朧気だ。
近くのポストまでの道沿いに、君の家はある。いたずら盛りだった頃にはよく、家の裏に広がる畑で一緒に遊んだ。

無事にポストに投函して、帰り道、再び君の家をちらりと見上げる。
たしか、道路沿いの2階、窓がある部屋が君の部屋だったはずだ、もう十何年前の話だが。

「「あれ、」」

僕の声と、何年ぶりかに聞く君の声が重なる。
「ちょっと待ってて、下りるから」
「おう、」
どたどたと階段を駆け下りる音が聞こえる。そんなに慌てなくても、と思ったところで、君の慌て癖がそのままなのにホッとした。
「まだ冬休みだったのか」
「今日までなんだよ、明日には寮に帰る」
「そうか、ちょうどいいタイミングだったな」
「全くだよ、一体、何年ぶりだ?ちゃんと会ったの」
他県にある大学に大学寮から通って、地元に帰って来るのは長期休暇の時くらいの君だけど、話しながら足は自然と、相変わらずな畑へ向かう。

収穫されなかった冬野菜が肥大して転がっている。霜柱が溶けて柔らかくなった土に滑りそうになる。
小さい納屋と温室が以前と同じままに建っている。傍にある腰掛け用の切り株もそのままだ。
「そういえば、お前、食べた事あるっけ?」
「何を?」
「これ、覚えてる?」
君が指差した、金柑の木。金色の実が、新年の陽光に眩しいくらいだ。
「あぁ…もしかして、あの時の?」
「そうだよ、立派なもんだろう、ちゃんと食えるんだぜ」
金の実をひょいと渡される。手の中でひんやりと冷たく、甘酸っぱい香が鼻腔をくすぐる。
そうだ、これは僕達が小学校を卒業した日に、こっそり、ここの温室にある植木鉢に植えた金柑の種が育ったものだ。
「温室で芽が出たあと、苗木くらいに育ったところでここに植えたんだ」
「今まですっかり忘れてた、」
「うわ、ひでぇな、こっちはちゃんと育てていたのに」
「でも色々思い出した、っていうか、どう見てもおじさんが手入れしてるだろ、これ」
「ばれたか、」
口の中に種が残る。手の平に吐き出して、過ぎた年月を金柑の木に見た。

「なぁ、お前ん家、庭、あったよな?」
「あるけど、小さいよ」
「金柑てちゃんと枝を切れば小さくまとまるからさ、」
そう言って、君は温室にずかずか入って空の植木鉢に温室の横に積んである土を適当に入れて、よこす。
「種、そこの井戸で洗ってきて、肥料探してくる」
「う、うん」
君に言われるがまま、押されっぱなしなの僕も変わらない。
新たに種まきを終えた植木鉢に、名札がついた。小学生の植物観察を思い出す。
「2~3ヶ月したら苗木くらいに育つはずだから、就活が落ち着いたら取りに来いよ、親父に言っとくから」
「その頃に落ち着いていればいいけれどな」
苦笑いする僕の肩を君は遠慮なく叩きながら
「大丈夫だって、それで庭に植えて、また俺達が会ったときには実をつけてるだろうさ」
「そうだな、正月に実家に帰って来れる会社、探さなきゃだ」
「そうそう、俺も流石に、就職は都会にしたい」
未来を語る君が眩しい。
「その頃には金柑でジャムでも作ってくれるような彼女、欲しいよな」
「本当だよ、お互いに」
「ま、俺にはいるけどな」
「将来明るすぎるだろ、」

あの頃は広いジャングルに見えた温室も、今は僕達が入るとジャングルを見下ろしているような感じだ。
温室から出てみると、冬の陽射しは早くも西へ傾いて、影が濃くなる。
特に互いに引き止める事もなく、いつも通り手を振って別れる。
次に会う約束はしないけれど、会うべき時は来る。
きっといつかの冬に、今度は君が僕の家を通りかかった時に、金柑が眩しい午後に。
家に着いて僕は手帳を引っ張り出し、4月のページを開いて欄外に“金柑を植える”と書いた。
まだ真っ白な手帳が、少しだけ眩しく見えた。

絡まるカラメル

2008-09-16 17:40:56 | つくりばなし
――…上白糖は、純粋に甘い。
白くさらさら零れて、幼いような可憐さは、誰もがとりこ。
カラメルは、ほろ苦い。
茶色く煮詰まって、妬みや憎しみを少し含んで、大人の味。

プディングの甘さに惑わされた後のカラメルソースほど苦いものはないのよ、分かる?
でもね、これを苦いと思っていられる間は、まだ子ども。
苦いだけじゃないのよ、カラメルだって素は砂糖なんだから。
どろどろしていて、確かに苦い…けれど甘さも隠れているの。
スプーンで最後の一滴までソースを味わえたら、もう大人の仲間入り…――



夏のバケーションを利用して帰省している姉さんの相手はなかなか疲れる。
私が珍しく蒸しプリンを作った事だけが原因ではないはず。
プリンをつっつきながら姉さんは独白のようなおしゃべりを続けていた。



ところで、お味はいかが?
            ちょっと甘すぎじゃない?

そうかなぁ、砂糖もちゃんと量って入れたよ。
                     じゃあ、あとはアレが足りないだけね。

足りないって、砂糖じゃないでしょ?
                 まさか、これ以上甘くしたらとても食べきれないわ。

だから、何が足りないのよ。
             さぁて、なんでしょう?

いじわるしないで、教えて!
             早い話が…

姉さんがアイスティーをグラスに注ぎ足した。
午後のお茶の時間、テラスを吹き抜ける風に湿気は少ない。
それでもグラスは結露して、テーブルの色を濃くする。
向かい合っている姉さんは、目を細めながら笑う。
笑いながら、プリンをスプーンに乗せて、私へ突き出す。

――…私やママじゃない、プリンを一緒に食べてくれる人が必要なのよ、分かる?



D.C.

2008-08-07 11:40:42 | つくりばなし
君が弾くその弦楽器の音が僕の思考を停止させる。
にやりと笑いたくなる口元を慌てて隠して、僕は譜面をにらみつけるふりをしよう。
溺れるのは譜面の中だけで充分だ、五線譜の海は穏やかなようで気性が激しい。
れ、み、ふぁ…と優しげな波のようで、いきなりオクターブに飛び、高波となって奏者を襲う。
てっきり、君も弾きはぐったかのような不安定な音を出したのかと思ったけど。
しかし、それは完全なるビブラートだったから、だから僕の思考を停止させる。
まったく困ったものだ…譜面をすっかり見失ってしまった。
いったいあと何度譜面の海に溺れたら僕は救われるのか…あえて誰にとは言わないけれど。
そんなどうでもいい事を考えていたら、#を一つ落としてしまった。
うしろから響いてくる音の波が、今日も僕を海原へ突き落とす。

piu mosso

2008-06-14 23:46:02 | つくりばなし
前に走るのは人一倍遅くて
逃げ足だけは人一倍速くて

愛想笑いは秀逸で
素直な笑顔は大の苦手で

難解な言葉は流暢に使えるのに
簡単な言葉は喉の奥にひっかかる。

せめて隣に並びたいと息せき切って走り出したけれど
その背中を見つめているうちに、気付いてしまった。

ふと、走るのをやめてみた。
走ってきた道を振り返る。
まだ、後戻りは出来る。

ふと、前を向いてみた。
背中は随分と遠くにある。
遠くにあるように、見える。

逃げ足だけは人一倍速くて
愛想笑いは秀逸で
難解な言葉は流暢に使えるけれど

今はその武器を全て捨てて

前に走るのは人一倍遅いけれど
素直な笑顔は大の苦手でも
簡単な言葉は喉の奥にたくさん、たくさん。

共に目指す地は同じだから
何がどうなっても、そこを目指すことを約束するよ。
何年かかるか分からないけれど
いつか同じあの場所で会えることを願って
今日を精一杯、走って、走って、走って。

いつか、健全なる空と緑の中で~image music 杜の鼓動Ⅰ~欅の風景~

2008-05-09 23:24:06 | つくりばなし
…――人類が地球を離れてXX年。
今日、我々がシャトルでこのような営みを送れるのも、過去の人々が――…

学校の歴史の先生はいつも授業の冒頭でこのくだりを口にする。生徒にとっては短いながらも貴重な睡眠時間になる。
いつものように、我々がシャトルで生活できる事に対して過去への感謝と未来への希望を語り、前回の授業のおさらいが終わると、授業の5分の1が消化されているのだ。

と、授業に関して少々の不満はあるものの、授業の内容そのものは、嫌いではない。
今日は、西暦2XXX年頃の自然環境についてを学んだ。
ちょうどその頃から、地球のバランスが本格的におかしくなり、シャトルへの移住計画が練られ始めたと言う。
立体映像で教室の真ん中に映し出された風景は、2XXX年にまだ健全なる大地が残っていたある国の、森の姿だった。

本物のそれらを見たことも触ったこともないけれど、緑色の葉っぱが痛々しい紫外線を含んだ太陽光線に健気にもキラリキラリ輝いているのを見て、何故だか懐かしかった。
すでに病んでいる空は、皮肉にもこれ以上ない透明さを誇り、果てがない青色だ。
風が吹いて木々が揺れ、病の中でも生きている、生命の強さを感じる。
音声までは再生されないけれど、立体映像からは、ざわざわという葉が擦れる音、朝露がころころと滴り落ちる音、森の命の音が聞こえた気がした。



…――寝る前にふと、そんな懐かしい時代を思い出した。
シャトルの中には広大な植物園がある。が、自然・植物の研究に携わる学者や研究生しか入れない。
自分が学園の生徒だった頃、植物園の事を知り、初めてというくらいに勉強に没頭し、今はとある研究所で助手として働いている。
勿論、植物学にも興味があったのだが、まだまだ幼い思考回路だった生徒時代に見た1つの立体映像が、今日の自分を構成していて、明日の自分へ繋がっている。

あの日、教室の真ん中に浮かんだ小高い丘の上にある一本の大きな木と、丘の下で呼吸をしている森を、自分で、シャトルの何処かに再現しようと心密かに決めた――…

千夜一夜

2007-11-09 11:59:30 | つくりばなし
まあるい小さな日向に散らばるトランプ。
とうに過ぎた温かい日々は幾何学模様のカードに刻まれた皺や折り目であって、そっと触れる度にきらきらと蘇るのだ。



異国土産のビスケットと甘く香るココアを囲んで、いくつかの夜長を、テーブルをはさんで過ごした。
アルコールランプの、まあるい小さな灯りの下。まだ新しいトランプが幾何学模様に並んでいた。
カードをめくる指は、ホワイトショコラを思い出させる。その指先を彩るのは、チェリーキャンディに似た色の儚げな爪だ。

ただ数字と絵柄を合わせていくだけのゲームなのに、何度でも繰り返してしまう。
だから、あの日は一枚だけカードを隠して、ゲームを始めた。
枚数が少なくなって、奇数枚だけ残ったのを疑いの目で見つめながら、カードがなければ出会えない、そう吐息のように呟いたのを聞いた。



出会えなかったハートの女王は、ホワイトショコラの指に包まれて異国へ旅立った。
未だ隠し持っているスペードの女王は、ランプの下で一人待ち惚け。

いくつもの夜長が過ぎて朝を迎えても、ゲームは終わらない。
日向に散らばるトランプに落ちた、シクラメンの葉の影。皮肉なほど形の良いハート形していて、あるはずのない幻影に手を伸ばした。
また夜が来る。

その背が霧に消えてもずっと

2007-10-03 23:08:45 | つくりばなし
貴方の何に惹かれたのか、数えあげればきりがない。
方角のように多方面において、どうしようもなく惹かれている。
だけど、貴方は日に日に遠ざかる。
けむりのように、気配や薫りを残しながら、ゆっくりと遠ざかる。
にこやかな表情は少ないから、よく覚えている。
はにかみながら交わした会話を、時々思い出す。

忘れたくない、叶わないけれども、離れたくない、傍にいたい。
れっきとした信頼が築けただろうか。
らんらんと光る、夜の線路に浮かぶ皮肉っぽいテールランプを見送る日が、近付く。
れっきとした敬愛を示せただろうか。
たくさんの思い出があるとは言えないけれど、どれもはっきりと記憶している。
くだらない、本当にちっぽけな事ですら、忘れたくないが故に、覚えている。
なの花が揺れる頃に貴方と出会ってから半年、色づく木々から高い空に舞う葉が一枚。
いってらっしゃいと貴方に笑顔で手を振る為に、まずは銀杏を見送った。

畳、よしず、瓜の花

2007-08-11 21:46:45 | つくりばなし
日焼けした畳の上に、右半身を下にして横向きに寝転がる。
たまにこの部屋へ上がり込む、野良猫とお揃いの格好をしてみた。
開け放しの障子から涼風は入らず、暑さがじっと動かない。
代わりに、夏の午後のぼんやりした陽射しが、畳を一層黄色く染めている。
朝からずっと風鈴は黙ったままで、何種類もの蝉は短い宴会に明け暮れている。

僕はふてくされていた。
夏休みの宿題をちゃんと進めているのに、外で遊び過ぎだと言われた。
誰に言われたかは、想像がつくだろう。
おまけに留守番を押し付けられしまった。
弟と共有する、この八畳間。黒光りする廊下をはさんで縁側がある。
毎年よしずを立てかけては何かしら這わせていて、去年は胡瓜、今年は苦瓜だ。
黄色い花がやたらに眩しい。僕は胡瓜の方が好きだ。
よしずの影が廊下を越えて八畳間に伸びてくるまで、まだ時間がかかる。
畳は少し擦り切れていて、寝転がると汗ばんだ肌に細かないぐさが貼り付いた。
別に気にもせず、僕は寝転んでいる。

今日は川で釣りをして、そのまま夕方を待って、蛍を見ようと思っていた。
目を閉じれば川辺の景色が浮かぶから、何だか悔しい。
蝉の鳴き声に含まれた熱が、直射日光よりも暑く感じさせる。
畳に置かれた盆の上には、飲みかけの麦茶が温くなっている。
グラスを突き抜けた琥珀の光も動かない。
向日葵みたいな色ばかりで、僕は腕を精一杯伸ばして箪笥の一番下の引出しを開けた。ちりめんの小さな巾着を引っ張り出す。
袋をひっくり返せば、赤や青や緑のビー玉が零れる。
手の平で転がすと、硝子の丸い冷たさが心地良い。
蛍がこんな風に色とりどりに光れば、面白い。

よしずの影が八畳間を包みこむ頃、僕は夢の中で宝石みたいな蛍を追いかけて、天の川を泳いでいた。