7月12日(火)、ジュンク堂書店池袋本店にて、詩人の吉増剛造さんと、小説家の長野まゆみさんによるトークイベントが開催されました。
吉増さんの御本『
GOZOノート』全3巻が刊行された記念のトークイベントです。
長野さんが『GOZOノート2 航海日誌』へ解説を書かれたので、トークテーマは<旅する詩人と小説家>でした。
トークがとても興味深く面白いものだったので、私なりにメモしたものを記事にしておこうと思います。
箇条書きですが、かなり長いです!
トークを聴きながらのメモなので、空耳情報があるかもしれません。雰囲気を楽しんでいただけたら嬉しいです。
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トークテーマ
<旅する詩人と小説家>
トーク
詩人・吉増剛造さん×小説家・長野まゆみさん
★地名から始まる妄想
長野さんは、吉増さんの詩に登場する地名から妄想が始まる、とお話しされる。
吉増さんは長野さんの妄想を、体内のどこか深いところから沸き上がるもの、「タイナイソウ」という風に呼ぶ。
体内の、生きた皮膚の、という言葉も出ていたので、「体内(胎内)想」や「体内(胎内)層」のような漢字を当てるのかもしれない。
★裸のメモについて
吉増さんが書かれる【裸のメモ】と呼ばれる作品は、普通は1週間から10日ほどで書き上げる。
しかし、企画展のために書いてくださった、長野さんへの【裸のメモ】は20日ほどかかった。
メモの制作には、20本くらいの万年筆を用意する。おそらく、インクがそれぞれ違う色で、万年筆を変えるタイミングで何かが切り替わるそうだ。
長野さんへの【裸のメモ】は日付印が押してあり、それを押したのがとても良かったと、吉増さんのご感想。
★驚きが向かう方向
吉増さんが長野さんの小説『あのころのデパート』を読んで、「関西の人がカレーライスに生卵を落とすことに、長野さんが驚いている。」と指摘して、また『フランダースの帽子』収録の「ポンペイのとなり」で、冒頭の階段を上る描写や、ふいにメジャーが巻き戻る描写をお話ししながら、玉子と同様に垂直方向・縦方向の動きに注目されていた。
長野さんの初期作品では、ロケットがよく登場する。ロケットもやはり垂直の動きで、それがもっと身近なものになると、玉子や階段というものになるのだろう。
★洗面器と流線形に対するこだわり
吉増さんも長野さんも、洗面器というアイテムがお好きだという。
吉増さん……幼い頃に洗面器と強烈な出会いがあったよう。今朝、洗面器に顔をつけながら、河童の頭のお皿も洗面器かもしれない、と思った。洗面器から流線形を知ったように思う。
長野さん……昔の、琺瑯びきの洗面器に、ボタンや小石が落ちる音がとても印象的で忘れられない。自分の知らない、何かとても大きな、宇宙のようなものの音と感じた。
★ミルフィーユとデイジー
吉増さんが長野さんの小説『冥途あり』の「まるせい湯」にある、牡蠣殻がミルフィーユのような層をなしている描写に注目された。
牡蠣が船のように移動して繁殖し、死んで、また新たな命が育まれる。小さな生き物への思いやりと、層へのこだわりが感じられる文章だ。
ところで、吉増さんと付き合いが深かった芸術家に、彫刻家の若林奮さんがいる。若林さんの彫刻作品に「DAISY」というものがある。
吉増さんは“デイジー”というタイトルを、映画『2001年宇宙の旅』に出てきた「コンピュータHAL」が壊れかけたときに歌う歌の“デイジー”だと思っているそうだ。
というのも、若林さんとその映画の話題になったときに若林さんが「3回も見た。」とおっしゃっていたそう。
彫刻作品「DAISY」は鉄製の作品で、大部分が地中に埋まっている。設置場所は
府中市美術館。
実際に鑑賞ができるのは、地上にわずか数センチのみ出ている、鉄でデイジーの花を象った部分だ。
長野さんは地中に深く埋まった部分に注目して、鉄の作品が東京の地層の一部になっていくことを想った。
吉増さんは、長野さんが若林さんの「DAISY」に対して、地層に対する視点を持ったことに、とても感心されていた。牡蠣殻の層から、地層への妄想と連想。
ちなみに、この“デイジー”は、長野さんが雑誌『三田文学』に書き下ろされた短編小説「耳つきの書物」に、“ひな菊”と翻訳された言葉として登場することになる。
★言葉の層を透かし見る
長野さんは、吉増さんの詩作品に出てくる言葉を、層のように捉えている。
吉増さんが作中に「タ タ」と書いたら、そこから“死”という漢字を見る。繰り返して「白」が登場するときは、骨を連想する。
詩の表面の文字のみではなく、その下に吉増さんが刻んだものを見ているようだ。
★田老と津波、そして龍泉洞
旅というテーマなので、長野さんが震災後に岩手県田老町を訪れたときの話題が出た。
今は平穏な港に見えて、当時の津波のイメージが結びつかなかったそうだ。ただ、防潮堤にいやらしさを感じたとおっしゃっていた。
また、見えない津波のイメージを抱えて、龍泉洞へもぐったという。
★声のガウディ建築をしたかった
トークの終盤、吉増さんが忘れられない音についてお話しされた。第二次世界大戦の最中に、吉増さんが聞いた放送【東部軍管区情報 はるか沖合より敵機侵入しつつあり】。
吉増さんは、この言葉と声を「はるかなものの声を聞きました。」とおっしゃった。
現在、竹橋にある
東京国立近代美術館(=近美)で吉増さんの展覧会が開催されているが、かつて竹橋に、その放送に関わる軍の施設があったことを、つい最近知ったそうだ。
少年時代に遭遇した衝撃的な言葉の地へ戻ってきてしまったのだ。
長野さんもこのような経験があるようで、「追いかけた背中がうしろにある感覚。」とおっしゃっていた。
質疑応答の際に、私は吉増さんに「吉増さんの好きな音、嫌いな音について教えてください。」とお伺いした。
吉増さんは、幼い頃から音にとても敏感に反応してしまう体質だという。「音との付き合いの77年だった。」という言葉が印象的だった。
だからこそなのか、吉増さんはたくさんの音をカセットテープに録音して集めた。
近美の学芸員さんが、吉増さんの自宅に眠っていたカセットテープの山を見て、なにか直感的にこれを展示するべきだと思ったらしい。
そうして、実際に美術館で1000本ものカセットテープが展示されている。
声ノートと呼ばれる、吉増さんの声を録音したものは300本ほどあるそうだ。
吉増さんはこんなこともおっしゃっていた。
「ノートするっ大事な言葉。」
「声のガウディ建築をしたかった。」