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詩人・そらしといろのブログ~お仕事のお知らせから二次創作&BL詩歌まで~

野川朗読会の中止のお知らせ

2020-05-15 13:03:44 | 日記
毎年、7月に行われている野川朗読会が、今年は中止となりました。
新型コロナウイルスの終息の目途が立っておらず、また、毎年たくさんのお客様が集まるイベントのため、感染者を出さないために中止となったようです。
私も楽しみにしていた朗読会なので、中止は残念ですが、現在も油断は出来ない状態です。
来年、無事に開催されることを願うばかりです。
一日も早く、コロナが終息しますように。

こんなときだし、蒜山目賀田個展「憶測の温床(virtual)」を鑑賞しませんか?

2020-04-17 14:23:25 | 日記
あっという間に4月です。
もうすぐふらんす堂さんから刊行される拙詩集『もうずっと静かな嵐だ』の、装画を描いてくださった、蒜山目賀田(ひるぜん・めがた)さんが個展を開催されています。
が!新型コロナウイルスの関係で、会場となる高円寺のギャラリーのpockeさんは、会期中も入場ができない状態です。
それでもめげない、蒜山さん。
個展の会場へ直接行けないなら、個展の様子をWebで公開してみたら良いんじゃないの!?ということをお考えになりました。

蒜山目賀田個展
「憶測の温床(virtual)」

※上記の個展タイトルに、ヴァーチャル会場へのリンクが貼ってあります。

会期・2020年4月2日~4月20日(火、水曜日アクセス不可)
サイトオープン時間帯・12:00~20:00
※また展覧会のブックレットの通信販売も、ヴァーチャル会場にて行っています。

さっそく、「憶測の温床(virtual)」を鑑賞してきました。
現在、鑑賞できる作品は次の4つでした。

展示1週目
1・「WELCOME TO WARP ZONE!」アニメーション作品
2・「もちてのほん」
3・「路上での拾得物」
4・「ユア・ホーム・タウン」※ダイジェスト版 映像作品

展示2週目
1・「ユア・ホーム・タウン」映像約8分×3本 ほか地図など
2・「新宿音声案内」
3・「テキスト」

展示3週目
1・「WELCOME TO WARP ZONE!」アニメーション作品
2・「もちてのほん」
3・「路上での拾得物」
4・「ユア・ホーム・タウン」※ダイジェスト版 映像作品
5・「新宿音声案内」
6・「テキスト」
7・「Ground / Replacement」写真 89×127 mm  (1枚あたり)

ぜひ、会期中にWebで蒜山さんの御作品の数々をご覧くださいませ!

また、個展開催初日ですが、それぞれの作品について、感想文のようなものを書いてみたいと思います。
まだ感想文は見たくないよ!という方は、ここより下の画面は見ずにそっと、この記事の窓を閉じてくださいませ。
(4/13・展示2週目の感想文を追記)
(4/17・展示3週目の感想文を追記)









展示1週目
1・「WELCOME TO WARP ZONE!」アニメーション作品
私はいわゆる、ファミコンなどのゲーム機で遊ばずに育った。これは家庭の方針だったと思うが、そんな訳でゲームに詳しくない。
ゲームは友達の家でプレイ動画を見せてもらうもの、という感じだった。
そんな私でもわかる、これは某ゲームをパロディにしたアニメーション作品だ。
BGMには、おそらく誰もが耳にしたことのある、郷愁を誘う音楽が流れている。
ゲーム機があれば、コントローラーを操作して飛び込みたい煙突?が生えていたり、台?が浮かんだりしている。
私は子どもの頃の、友達がコントローラーを操作するゲームの世界を見ているような気持ちになった。
だが、コントローラーを操作する友達はここにはいない。
ひたすらにまっすぐ、主人公らしき存在は進む。
主人公らしき存在にとって、ここがすでにワープした場所で、可能ならば煙突に入ったり、台に乗ったりするのだろうけど、それができない世界へワープしてきてしまった、ような気がする。
BGMに時々ノイズが混じるのも、もうここではなにか変化をもたらすことは不可能な場所で、朽ちるのを待つだけの場所かもしれない。
だけど平原のような場所の果てを見つけるべく歩くことはできる。
ひたすら歩くことによる地道なワープ。
蒜山さんのアニメーション作品を拝見するのはこれが初めてだ。
いつもは絵画作品を拝見させていただいているので、新鮮に感じられつつ、絵画作品に表れる光と影の淡いの世界のようなものが、不確かだけどふんわりと存在するなにか、をこのアニメーション作品からも感じた。

2・「もちてのほん」
これは、以前の個展「ほどよい陰謀」にて発売された「もちてのほん」という、小さな本の写真や解説ページなどが見られる。
え、こんなものに持ち手を付けるの!?という、発想がすでに面白い作品集だが、持ち手があると、それそのものに触れなくても、間接的に”握る”という行為で繋がることもできる。
作品をご覧になった方なら分かると思うが、カタツムリに持ち手を付けたことで、私はたぶん、カタツムリと間接的に繋がることができると思う。
ちょっと距離感を持ってなにかと繋がるには、持ち手があると心は安心できるのかもしれない。
また純粋に、持ち手がないと不便なものもあるだろう。
こんなところに持ち手が!という驚きは、こんなところにこそ持ち手を!という閃きを得られそうだ。

3・「路上での拾得物」
作品ページにとくにタイトルの記載が無かったため、ヴァーチャル会場の「pockeの様子」にある会場設営図にあった、「路上での拾得物」をタイトルにしておく。
まず、思う。それを、拾うのか。そして、持ち帰るのか……?
最近、私が見つけた落し物はなんだっただろう。父が拾ってきた、女性もののチープなアクセサリーくらいだろうか。
ちなみに、父は拾ったアクセサリーを透明なビニール袋に入れて拾った現場へ戻し、「落とし物のアクセサリーです」というような張り紙をしていた。
のちに、そのアクセサリーは誰かによって拾われた。落とした本人かどうかはわからない。
今回の展示にそのアクセサリーはなかったので、蒜山さんが拾ったわけではなさそう(そりゃそうだ)。
落とし物を目の前にして、それを拾って届けるでもなく、多くの人に見られる可能性がある場所へ掲示するかのように表現すること。
私は、この展示を見て、「試みとしては面白く感じてしまうけれど、それは落とし物だし、元の持ち主はどう思うだろう?」と感じてしまう部分もある。
見れば愛らしい塗り絵や、言葉の綴られた手紙たち。持ち主のもとを離れてしまったけれど、ここに存在するよ、安心して、とも思う。
私が拾わなかった落とし物の塗り絵や手紙は、雨に濡れて破れたり、人に踏まれて汚れて原形がわからなくなったりして、本当に朽ちてしまうだろう。
でも、蒜山さんは落とし物を拾う。ご本人がどうお考えかは分からないけれど、拾うことでそのかすかな存在を救出したのだとも思う。

4・「ユア・ホーム・タウン」※ダイジェスト版 映像作品
行ったことのない町を故郷に見立てて街歩きする、という試みの映像作品。
本来はもっと長い映像作品のようだが、今回はダイジェスト版ということで約5分程度で作品の雰囲気を味わえる。
これが、面白いのだ。
え、あなたはこの町を知らないんでしょう?なのに、そこが田んぼや畑だったと言い、具体的な作物名を口ずさむ。
駄菓子屋があって、ヨーグルト味のあの懐かしい駄菓子をよく食べたんだよね、とか言うのだ、知らない町で。
これは、知らない町にあったかもしれない過去を作る、二次創作のような感じがする。
この映像作品には、台本があるのだろうか、とくに台本がないようであれば、登場人物たちの豊かな想像力に脱帽する。
登場人物たちは嘘を、かつてあったように、人によってははっきりと、人によってはぼやかして語る。
その嘘は、本当に嘘なのだろうか。
本当は、自分の”ホーム・タウン”にあった過去の景色を重ねているのではないだろうか。
私がこの映像作品に参加していたら、まっさきに自分の”ホーム・タウン”にまつわる景色を話してしまう気がする。
登場人物たちは、本気の嘘をついているのか、それとも嘘のような本当にあった過去を語っているのか。
あれこれと考えたくなる映像作品だった。

展示2週目
1・「ユア・ホーム・タウン」映像約8分×3本
先週とは展示方法が少し変わっていた。
展示についての説明文が新たに加わり、映像作品もそれぞれ独立して8分程度にまとめられたものが3本用意された。
前回の「ユア・ホーム・タウン」の感想文で、私は”行ったことのない町を故郷に見立てて街歩きする、という試みの映像作品。(略)本当は自分の”ホーム・タウン”にあった過去の景色を重ねているのではないだろうか。”と書いた。
この憶測は当たっていたようで、展示についての説明文は次のように記されている。

「ここがあなたの生まれ育った町だと仮定して、あなたの思い出の土地の案内をしてください。」
出演者は、本人の出自とは関係のない町を出身地と見立て、自分自身の地元での思い出を語っていく

予想していたことが当たるという面白さ、個展のタイトルである「憶測の温床」にぴったりな作品だと感じられる。
しかし、予想していたことが当たるということは、必ずしも面白いことではない。
悪い予感、憶測だって存在するのだ。
「憶測の温床」……何かしらの憶測を呼ぶ状況にあり、その憶測の結果が生じやすい環境を意図的に作っているのではないか。

2・「新宿音声案内」映像11分53秒
展示の説明文にはこうある。

「この町<新宿>についてのエピソードを奪い、語りなおす。」

動画、静止画で新宿らしい町が構成されている映像と音声の作品。
私自身、あまり新宿に詳しくない。せいぜい、紀伊國屋書店があり、歌舞伎町があり、という雑なイメージしかない。
この作品は、「ユア・ホーム・タウン」のように字幕が出ず、「新宿音声案内」のタイトル通り、男性の声で新宿の町の思い出、エピソードが語られる。
おそらく語り手は一人だけど、語り口調がちょっと変わって、次から次へと新宿でのエピソードが矢のように語られてゆく。
展示の説明文にある「この町<新宿>についてのエピソードを奪い、語りなおす。」ということが、いまいち、見えてこない。
新宿の町のエピソードを奪う、とはこの作品ではどう描かれているのか、読み取れなかった。
男性が語る新宿の町というのは、私がなんとなく知っている新宿のイメージが続いており、語り直す、という点まで到達しているのだろうか。
「新宿音声案内」というタイトルから、あえて音声だけを聴いて想像してみる。
私自身、あまり新宿に詳しくない。音声からだけでは、新宿の町並みを想像することが難しい。
音声だけで語られる新宿は、町並みを奪われていると言えるかもしれない。
また、映像作品だけど音声案内ということで字幕がないことに、深く意味があると思う。
聴くことに集中して、町の有様を思い出したり、新たに描きだしたりする。
私のなかで憶測の新宿が誕生する。

3・「テキスト」
私は多くの本を読んでいない。非常に不勉強なまま、この時代を生きている。
この個展のカタログテキストを一部、公開したのが、「テキスト」だ。
そこには、一見すると美術とは関係のないような、哲学的な要素が見られる文章が続く。
哲学的な思考や文章が苦手な私だが、蒜山さんが書かれたこの「テキスト」は、まぁまぁ読みやすく、興味を持てる。
美術・芸術は、その分野のなかだけで語られるのではなく、外側にある世界ともリンクしなければ、美術・芸術は生きてゆけない。
それは、私が書いている詩にも言える。詩の世界だけでなく、詩の外側にある世界との繋がりをもつための、言葉がほしい。
世界をひらいてゆくことばが、この「テキスト」には詰まっているのだと思う。

展示3週目
0・ヴァーチャル会場であるwebサイトの作りが複雑になっていた!
展示物が表示される【WORKS】のリンク先が、アクセスするたびに変わる仕組み、のようだ。
最初、サイトにアクセスして【WORKS】のリンク先が次々に変わったときは、(蒜山さん、これリンクが壊れているのでは?!)と思ったほどだった。
クリックした【WORKS】のリンク先によって、展示物が変わる。
見たいと思った展示物を、自分の意思によって見ることができない、ある種の不自由さ、面白さがある。
何度か【WORKS】をクリックして、トップページに戻ると、【WORKS】のページが増えたり減ったりする。
さて、新作はあるだろうかと、サイトを探検するようにクリックしていくと、見つかったのが「Ground / Replacement」だった。
それ以外の展示物は、展示1週目と2週目で公開されたものが、運が良ければリンク先で見られる、という感じだ。
あとは、隠しページのように無題のリンク先があった。
これはリンクを見つけた方のお楽しみということで、内緒にしておく。

1・「Ground / Replacement」写真 89×127 mm  (1枚あたり)
グラウンドとして使われた場所の風景写真と、池のようなものが映り込んだ風景写真が、おそらくは交互に、かつ、自動的に表示が切り替わってゆく。
「Ground / Replacement」というタイトルは、一般的には運動場を指す「グラウンド」と、「元へ戻すこと」という意味でとらえていいのだろうか。
無限ループのように同じ配列で写真が延々と流れていく。同じものを見ているのに、写真の表示時間が短いためか、どの写真がどの写真と繋がりを持つのかが、混乱する。
はっきりとグラウンドとわかる写真もあれば、かつてグラウンドとして使われたらしい、雑草が生い茂る空き地のような写真もある。
池が映り込んだ写真は、池の大きさが大きくなったり、小さくなったりしているように見えた。
「Ground / Replacement」。「グラウンド/元へ戻すこと」。
グラウンドの写真は同じ場所を映したものはなさそうに見える。
池の写真は撮影している場所が変わっているのか、定点ではなさそうに見える。
それぞれの写真が、時間や空白を埋めるように表示が繰り返されてゆく。
けれど、頭のなかでは時間や空白が埋まったように感じない、常に新しい情報として入ってくる感覚がある。
見た写真たちを脳内で、撮影された季節や時間どおりに繋げて「元へ戻すこと」へ執着しようとすればするほど、元へは戻らないのだろうな、と思った。

【第30回】文学フリマ東京・中止のお知らせ【 #文学フリマ 】

2020-03-27 16:46:49 | 日記
2020年5月6日(水・祝)に開催予定だった、第30回文学フリマ東京は、新型コロナウイルスの影響で中止が決定となりました。
私はいつもお世話になっている、稀人舎さんのブースで手作り本や新詩集を置かせていただく予定でしたが、文学フリマ東京そのものの中止によって、今回は参加できなくなりました。
新型コロナウイルスがいつになったら収まってくれるか、今はまだ目途が立たず、とても不安です。
それでもいつか、この状況が落ち着いたら、改めてイベント参加を考えております。
そのときには、新詩集もお披露目できますので、少しでも楽しみにお待ちいただけましたら幸いです。

手書きの原稿

2019-03-25 13:04:41 | 日記
一月に今年の抱負でも書けたら良かったのですが、熱を出したり、精神的に落ち込んでいたりしていました。
そんな間に、お相撲を観戦しに行けて、初めて両国国技館に行きました。土俵で踏ん張る力士から元気をもらいました。
そして気付けば季節はもう春、三月も終わりです。

来年の晩春から初夏頃に、新しい詩集が出せたらと思い、その準備をしています。
そのための原稿は、青い扉の小さなノートにボールペンで書き溜めていて、それを推敲しながら大学ノートにシャープペンで書き写して、最後はWordに打ち込んで、打ち込みながら微調整して、という感じで手直ししています。
詩のかたちがコンパクトなため、数が集まらないとページ数が稼げない感じですが、90ページ前後でまとまるような、さらりと読める一冊を目指しています。
二月の終わりから原稿の書き直しを始めて、約一カ月が経ちました。
まだ自分のなかでしか、具体的にはなっていません。そろそろ、出版社様と相談しなければと思っています。
こればかりは、自分がどすこい!と頑張るしかないので……。

次は5月の文学フリマ東京について、お知らせの更新になるかと思います。
フリーペーパーの新刊が出せる予定です。
こちらも手作業でコピーとホチキス止めを、どすこい頑張ります。


こぞことし・2018

2018-12-28 18:53:34 | 日記
今年も残りわずかとなりました。
なので、思い出せる限りでの振り返りをしたいと思います。

ご縁があって参加させていただいたイベントが、今年は多かったような気がします。
2月には「Support Your Local Poet 番外編 川口晴美と、詩と遊ぶ」がありました。
こちらは、雑誌『現代詩手帖』で川口晴美さんが企画された、あるシチュエーションで詩歌句を書く試みでした。
その朗読会では、言葉が肉声になって瞬間的に消えていく感覚が、提示されたシチュエーションのほとんどに共通している儚さとマッチしていると感じました。

4月には「読書会『さくら、うるわし』を読む」がありました。
長野まゆみさんが主催された初めての読書会に、司会役としてお話しさせていただきました。
主に、『さくら、うるわし』を読んで疑問に思ったことを長野さんに質問して回答をいただく形式だったかと思います。
戌年にふさわしい、犬づくしの一冊を、桜蔵君の季節でもある春に、読書会として開催されたことは、一ファンとしても嬉しかったです。

7月には毎年恒例の『野川朗読会・9』がありました。
トークテーマは、「『銀河鉄道の夜』のケンタウル祭りをケルト的に読む」的なものでした。
12月に発売された、長野まゆみさんのご著書『カムパネルラ版 銀河鉄道の夜』にまつわるトークにもなっていました。
ジョバンニではなく、カムパネルラを主人公として『銀河鉄道の夜』を読み解く試みがなされています。
今までとは違った角度から『銀河鉄道の夜』が浮かび上がってきます。ぜひ、ご覧ください。

12月は「ポエトリー・イン・ダンジョン 直角はありません」が、5日間にわたって開催されました。
画家の蒜山目賀田さんとのコラボレーションは刺激的で、でも絵と詩を組み合わせたときには静謐な感じが漂っていて、面白かったです。
私はこの展覧会のために作った詩を朗読させていただきました。地下室での朗読はマイクがいらないほど声が響いて驚きました。

寄稿させていただいた同人誌では、とくに共有結晶さんの『共有結晶vol.4』が印象的でした。
短歌は大学の授業で少し習ったのですが、そのときの先生も、57577の世界で自由に詠むことの楽しさを教えてくださいました。
私にとってBL短歌は「BLとして短歌を感じたり詠んだりしていいんだ!」と、そのぽつんと開いていた入り口と出会ったのはもう数年前になりますが、未だに楽しい遊び場であり、思考の場です。
解凍詩はvol.3で寄稿しましたが、まさか自分が、『共有結晶』に短歌作品を寄せる日が来るとは思っていなかったので、本のなかに私のBL短歌が収められていることがとても嬉しいです。
共有結晶さんいわく、区切りの号になるそうですが、時間を置いて再出発される日が来ることを望んでいます。

文学フリマ東京には、春と秋に稀人舎さんのブースで参加させていただきました。
秋には新刊「BL詩歌集 兄の器」を作ることができました。
これは、第一詩集の『フラット』で試みた尾崎放哉の句から広げた詩を書くことにも繋がりますし、共有結晶さんたちのBL短歌と解凍作品の関係性から触発された部分もあります。
やりたいことを詰め込んだ薄い本です(笑)

来年のことを言うと鬼が笑うと言いますが、実はすでに美術家さんとのコラボレーション企画に参加させていただいており、その展覧会が2019年の9月頃を予定しています。
出来上がった作品もあり、まだ打ち合わせが必要な作品も準備していたりと、そんな状況です。
また春と秋には、文学フリマ東京に参加すると思われます。
来年も小さな新刊が用意できたら良いなと思いつつ、今は徐々に近づく締切の文章を書くのに試行錯誤の日々です。
あとは、大きな詩集の準備も細々と続けて、いつか良い形にもっていけるよう頑張りたいです。

生活環境が大きく変わった一年でもありました。
来年の抱負としては、時間の使い方を考えなおし、できる時にできることと向き合う、当たり前だけどなかなかできない、自分の時間やペース配分を作っていくことが、来年にはもっとできたら良いなと思います。

今年もよくここまで生きてこられた自分を褒めつつ。
来年も生きることを苦しく思わない程度に生きたいです。

秋から冬への予定らしきもの

2018-10-17 12:00:09 | 日記
3カ月ほどブログの更新が途絶えていましたが、私はそこそこ元気です。
猛暑が過ぎて、ようやっと秋らしい気温に、逆に服は何を着たら良いか迷う季節になりました。
秋ものの洋服は、何枚重ねて着たら良いか迷いませんか?

さて、季節は秋から冬へ、この年内には2つのイベントに参加する予定です。

1つ目は、11月25日(日)に開かれる第27回文学フリマ東京です。
今回も稀人舎さんのブースでお世話になる予定です。
既刊の詩集、万年詩に加えて、新刊「BL詩歌集 兄の器」が出る予定です。
自分で作ったBL短歌をBL詩に書きおろし、さらには電子詩集『『モブキャラ生徒Aが彩る高校青春グラフィティ』も3期に突入な件。』で、表紙イラストを描いてくれた友人のChikoが、イラストを描き下ろしてくれました。
内容は、とある兄弟が、兄が兄であること、弟が弟であることに疑問を持ち、立場がやんわりと逆転するのかしないのか、という感じの揺らぎや、兄という立場の複雑さについて書いてみました。
編集・製本は稀人舎さんにお願いしています。
手作り本のため、何部作ろうか、価格はどうしようか考え中です。
製本が終わり次第、改めてお知らせいたします。

また、BL短歌 共有結晶の皆さんが作られた同人誌「共有結晶vol.4」に、BL短歌5首と、BL短歌を解凍したBL詩を寄稿させていただきました。
こちらはおなじく、11月25日(日)開催の第27回文学フリマ東京にて、共有結晶さんのブースでの頒布となります。
創刊号から7年目の一区切りの号だそうです。ボリュームのある1冊、読むのが楽しみな1冊です。

2つ目は、12月上旬に行われる展覧会「ポエトリー・イン・ダンジョン」(仮称)への参加です。
展覧会は、アートスタジオDungeonで開催されます。
開催日は、2018年12月1日(土)&2日(日)、12月7日(金)&8日(土)&9日(日)です。
展示内容は、美術家の作品と詩人の詩作品がコラボレーションした作品になります。
私は、絵を描かれる美術家の蒜山目賀田さんとコラボレーションすることになりました。
開催期間の土日の夕方は、パフォーマンスのイベントが行われる予定です。
こちらも詳細が決まり次第、改めてお知らせいたします。

今はこの2つのイベントに向けて、書いたり削ったりペンを握ったり段ボールを切ったりしています。
この秋は雨が多かったような気もしますが、ブログを書いている今日は久々に晴れて陽がさしています。
朝晩の冷え込みに冬用の布団を出すほどには、秋の深まりを感じる今日この頃です。

黒松は育たぬ・3

2017-06-15 15:49:26 | 日記
4月から始まった黒松日記でしたが、今回をもって終了です。
発芽したすべての芽が枯れてしまいました。私に緑の指の才能はなかったのでした……。
くろ介、まつ彦、の順番に枯れてゆき、3番目に出た芽の「くま乃」も、ダメでした。
出たばかりの芽の若々しい緑色は、今も目に焼き付いています。
名付けたがゆえに愛着を持ってしまい、枯れてゆくたびにけっこうな喪失感を味わいました。
黒松は育たなかったけれど、そのあと、育ち過ぎた「十二の爪」という多肉植物の株分けをしたり、ゴーヤーを種から発芽させてみたりと、個人的に、植物を相手になにかしてみたい時期のようです。

そんなこんなで、今は植物園に心が惹かれています。
今が見頃の染谷しょうぶ園へ行ってきました。
約200種類のしょうぶの花が、様々な形や色に咲いていてとても綺麗です。








ほどよい広さでゆっくりと散歩していると、もみじの木に種が付いていて思わず観察してしまいました。
また、ひと足先にシオカラトンボが飛んでいました。
6月中は開園しているようです。

黒松を育てる・2

2017-04-27 18:05:40 | 日記
種まきから23日目にして、発芽した!



そうだ種まきしよう!と勢いだけで種まきをしたため、種をいくつ蒔いたか記憶があやふやだが、6個くらい蒔いた気がする。
中心に1つ、その周りに5個という感じに植えたはずだから、もしかするとあと4つくらい、芽が出るかもしれない。
さっそく出た芽には、「くろ介」と「まつ彦」という名前をつけて呼んでいる。

芽が出たので、定期的に日記を書けることが嬉しい。
月に一度、写真を載せて成長記録をつけていこうと思う。
大袈裟かもしれないが、自分が自分以外に対してきちんと世話ができて、既に達成感がある。
ここからどのように成長するのか、本やネットの情報を見ながら育ててみよう。


黒松を育てる

2017-04-05 16:35:30 | 日記
昨年のクリスマスに友達からもらった、黒松の栽培キットを今日から育てることにした。
黒松の種は気温が15度から20度くらいの時期に発芽すると、説明書に書いてあった。
4月に入ってからようやく、気温が15度前後の日が続くようになったので、種まきをした。黒松の種は、こげ茶の松の実のようだった。
種から草花を育てることは、小学生のときに何度か経験したけれど、木を育てるのは初めてだ。ここ最近は植物の管理をしていないから、不安も多い。

第二詩集『暁を踏み割ってゆく』の表紙イラストをお願いした青井秋先生が挿画を描いている、三浦しをんさんの小説『愛なき世界』(読売新聞で連載中)は、植物の研究をする大学の研究室が舞台の小説だ。私自身、三浦しをんさんの小説が好きで、そこへ青井秋先生のイラストが加わり、読むのも眺めるのも楽しみな作品が、毎日更新されて嬉しいかぎり。
物語の主人公で、研究室に所属する本村さんという女性は、植物が好きだけれど育てるのには向いていないという設定で、自宅で世話をしているポインセチアの葉を赤くできない。それでも、植物が好きで地道に研究を続けている。
本村さんの研究室には植物を育てることが上手い研究者が何人かいて、そういう人を“緑の指”の持ち主と呼んでいる。

魔法のように植物を育てる“緑の指”の持ち主がいるんだろうな、と思う他所のお庭を、出かける途中につい眺めてしまう。花の時期は小鳥がよく集まるから、立ち止まる時間が長くなる。
その庭がずっとあればいいのにな、と思う。そうして、すでに記憶のなかにしかない庭をいくつか思い出す。

黒松の芽が出たら、また日記を書こうと思う。


ライブ「星座にまつわる夜伽」を聴いて

2017-03-24 19:56:56 | 日記
3月22日、池袋のライブハウス「鈴ん小屋」にて、にしやまひろかずさんの企画「星座にまつわる夜伽」を聴いてきました。
にしやまさんはクラシックギターを奏でながら歌う方です。このブログで拙詩の感想を書いてくださったことで知り合いました。今では、にしやまさんの作曲と、私の詩をコラボさせた歌もいくつかあります。
そんな縁で、にしやまさんが東京でライブを開くお知らせをいただき、聴いて行きました。
出演者は次の4名。

【ライブ「星座にまつわる夜伽」出演者】(敬称略)
にしやまひろかず(おひつじ座)
赤い靴(水瓶座)
アカリノート(スコーピオン)
山田庵巳(天秤座)

出演の順番に感想を。

・にしやまひろかずさん
3回ほどライブを聞きに行ったり、音源を聴いたりしているので、耳なじみのある始まりホッとする。珍しく、アップテンポな曲も歌っていて新鮮でした。
私が詩を書いた「春の挨拶」と「歌枕」を歌ってくださり、歌い慣れた感じがあって嬉しかったです。

・アカリノートさん
鹿児島出身とおっしゃっていて、鹿児島をテーマにした歌を歌われていた。
心に残ったのは、1曲目に歌われた歌(タイトルを失念!すいません)と、ビールの歌です。
力づよさと広さを感じる歌声とギターの音色から、アカリノートさんの故郷の雄大な自然を感じました。

・赤い靴さん
普段は福岡で活躍しているそうで、とにかくパワフルな歌とギターに圧倒される!
今の時代に、それぞれが抱えているモヤモヤを代弁してくれるような歌詞が、ふと、自分の第一詩集と重なる感じがあって、親近感がわきました。昭和歌謡っぽい曲もあれば、今のポップスっぽい曲も。トークも独特の味わいがありました(笑)。

・山田庵巳さん
山田さんの歌を聴くのは二度目。一昨年くらいの夏に、江古田のライブハウスで聴いた以来です。突き抜けるような綺麗な高音の歌声と、巧みなギターテクニックに目が釘付けでした。
山田さんがトークの際に、「人は別れから歌を作るのかな」というようなことをおっしゃっていて、本当にそうだなぁと。語るような歌い方は、一つの演劇を見るような心地です。

こう、言葉が音楽の節に乗ると、途端に口ずさみやすくなるのが、詩を書いているものとしては羨ましいところで。
音楽の節がつくと、言葉は言葉を解放される感覚がある、というのを、このライブを聴いて思いました。言葉が、もっと純粋な音になっていく感じです。
言葉が音にほどけていくことが、歌うことや歌を聴くことの心地よさなのかもしれない。
私が個人的に詩の朗読をするのが難しいと感じるのは、言葉を保ちたいのか、音にしたいのか、迷う部分があるからだと思う。活字で読むときは言葉を保ちたいし、朗読するときは音を重視したい。
そんなことを考えた3月22日の夜でした。