Bottle/Exercise/Cypher:vol.1、行ってきました。
普段、活字になった詩と名前でしか知らない詩人の声を生で聴けたのは、とても面白かったです。顔が見えて、何となく個性や歴史?がにじみ出ていて、良い意味で異様な空間でした。
大学の友人と行きましたが、詩ってなんだろうと帰り際、駅のホームで話してました。
全ての作品にメッセージがあるのか、と問われたら、私は、全ての作品にメッセージがあるとは言い切れません。
私が書いているモノは、物語的で完結したモノ、私小説的で問いかけを含んだモノ、二種類に分けられるかも、と思いました。
物語的で完結したモノは、スケッチ、絵コンテ、私の眼が見た景色を言葉に置き換えた感じです。誰かと景色を共有して、脳内で再生して、見えるモノはそれぞれにあって。
私小説的で問いかけを含んだモノは、私自身が何か言いたくて、だけどストレートには言いづらい、でも伝えたい、それは例えばこんな、海みたいな感じです、という風に書いています。
何かしらテーマを持って書いていますが、テーマはメッセージに直通しないです、個人的に。
書きたい欲求があって書いていて、書いたモノを誰かと何か共有して、ひっそり背負っている不安要素を軽くしたい、お互いに軽く出来たら良いなと思っている部分はあります。
過去の詩人の作品をほとんど読まないまま、ここまではとにかく勢いで来れてしまった感たっぷりです。
唯一、尾崎放哉の俳句は愛読しています。
Bottle/Exercise/Cypher、やはり野外の方が合ってると感じました、鼓膜や触覚で。
屋内は胎内的で、色んなエネルギーをいっぺんに抱えきれず、無理矢理な核分裂というか、野菜と果物と魚と肉と歯磨き粉をミキサーにかけてしまったというか。
屋外の方が、もっと自由なエネルギー活動がありそうだなと。
と、今回は聴衆に徹していたので、朗読の輪に入ったらどうなるか、どう感じるのかわかりませんが。
朗読とオープンマイクの切り替わりが曖昧すぎて、でもそういうものなのかもしれない……。
さて、俳句の宿題をどうしようか。
普段、活字になった詩と名前でしか知らない詩人の声を生で聴けたのは、とても面白かったです。顔が見えて、何となく個性や歴史?がにじみ出ていて、良い意味で異様な空間でした。
大学の友人と行きましたが、詩ってなんだろうと帰り際、駅のホームで話してました。
全ての作品にメッセージがあるのか、と問われたら、私は、全ての作品にメッセージがあるとは言い切れません。
私が書いているモノは、物語的で完結したモノ、私小説的で問いかけを含んだモノ、二種類に分けられるかも、と思いました。
物語的で完結したモノは、スケッチ、絵コンテ、私の眼が見た景色を言葉に置き換えた感じです。誰かと景色を共有して、脳内で再生して、見えるモノはそれぞれにあって。
私小説的で問いかけを含んだモノは、私自身が何か言いたくて、だけどストレートには言いづらい、でも伝えたい、それは例えばこんな、海みたいな感じです、という風に書いています。
何かしらテーマを持って書いていますが、テーマはメッセージに直通しないです、個人的に。
書きたい欲求があって書いていて、書いたモノを誰かと何か共有して、ひっそり背負っている不安要素を軽くしたい、お互いに軽く出来たら良いなと思っている部分はあります。
過去の詩人の作品をほとんど読まないまま、ここまではとにかく勢いで来れてしまった感たっぷりです。
唯一、尾崎放哉の俳句は愛読しています。
Bottle/Exercise/Cypher、やはり野外の方が合ってると感じました、鼓膜や触覚で。
屋内は胎内的で、色んなエネルギーをいっぺんに抱えきれず、無理矢理な核分裂というか、野菜と果物と魚と肉と歯磨き粉をミキサーにかけてしまったというか。
屋外の方が、もっと自由なエネルギー活動がありそうだなと。
と、今回は聴衆に徹していたので、朗読の輪に入ったらどうなるか、どう感じるのかわかりませんが。
朗読とオープンマイクの切り替わりが曖昧すぎて、でもそういうものなのかもしれない……。
さて、俳句の宿題をどうしようか。