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citron voice

詩人・そらしといろのブログ~お仕事のお知らせから二次創作&BL詩歌まで~

小春ソーダ

2006-10-27 23:06:11 | つくりばなし
「クリームソーダ、」
「なに?」
「クリームソーダを飲みたい」
僕の隣に座る彼が言う。
不規則なリズムで揺れる電車内。学校からの下校途中で、乗客はそれほど多くない。
明るく穏やかな午後とは言っても、あと1時間もすれば濃い闇迫る夕暮れ。
今はまだのんびりとした秋の空に薄雲が滲んでいる。

今日は何だか春みたいに暖かい。
彼がクリームソーダを飲みたいと言う気持ちも、分からなくはない。
「次の駅で降りよう」
「あぁ、あそこにならメニューにあるはずだ」
間もなく電車が駅に着いた。
目指す場所は僕等の行きつけの喫茶店。
手ごろな値段で美味しい飲み物やお菓子を食べられる上に、お洒落で綺麗な喫茶店だ。
改札を出て、すぐ右に曲がる。いくつか店が立ち並んだ先にある小さな路地を行く。
そこに喫茶店はある。
こげ茶の扉を手前に引くと、扉に下がっているカウベルが鳴る。
僕等は空いている席に適当に腰掛けて、メニューを開いた。
「あった、マスター」
彼はすばやくマスターを呼んだ。マスターはいつも真っ白いシャツと真っ黒い腰巻エプロン姿。
「久しぶりだね、ご注文は」
「僕はクリームソーダと、この南瓜パイ」
君は?と彼に聞かれるまで僕は自分が何を注文するか決めていなかった。
「えっと、じゃあ僕も同じので」
あれこれ迷うよりも、彼と同じものを食べたい衝動に駆られた。
マスターは厨房に入って行った。

「ところで、どうしてクリームソーダなの」
「だって、ほら」
彼は窓に視線を移す。隣にあるビルのせいで窓から見える空は狭かった。
「今日の空はクリームソーダみたいじゃないか、甘そうで冷たそうで…」
時々、彼は夢みたいな話をする。最初は変な奴だなと思っていたけれど、今ではとても面白い考えを持っている僕の大切な友達だ。

「お待たせしました」
マスターが運んできたクリームソーダと南瓜パイ。
うっすらと青く色づいているソーダに浮かぶ、マスター特製のバニラアイス。
南瓜パイはオレンジ色。シナモンの香りがする。
「もう収穫祭だね」
「明日明後日からは露店が並ぶだろうな、一緒に行こうよ」
冷たいソーダと甘いクリームと温かい南瓜の味に、早くも僕はお祭り気分。
だから彼の意見を反対する理由なんてどこにもない。
「じゃあさ、露店が並ぶ所から見ていようか」
「珍しいね、君からその言葉を聞くなんて思っていなかった」
「たまには良いかなって、どうする」
僕はストローでソーダをかき混ぜる。アイスがどんどん溶けていく。
彼の言う事はあながち夢ばかりではない。
確かに今日の空はこんな色をしているのだ。
「そしたら、朝の9時にいつもの場所」
「決まりだね」
明日は金曜日。僕等だけの3連休。
露店は今年もたくさん並ぶだろう。ハーブクッキーを売る露店は毎年長い行列を作るから、今年は先頭に並んで待ってみたい。一番乗りで買ってみたい。
他にも色んなものが集まってくる。慎重に良い物だけを選ぶ作業が楽しい。
あれこれ迷いながら、彼と同じ視点で物を見てみたい衝動に駆られた。

ソーダを飲む彼と南瓜パイを頬張る僕。
何故だか分からないけれど、もう少し子どもでいたいなって思った。

午前零時の走馬灯

2006-10-17 21:32:29 | つくりばなし
もう長いことずっと、待っている。

小さい頃に父の手に引かれて辿り着いたのは、立派なお屋敷だった。
そこに住んでいるのは今も昔も変わらない裕福な家族。
父と手を離した時、その手のひらの温度がスッと消えていったのを鮮明に覚えている。
不思議に思って己の手のひらを見つめる私に、父はこう言ったのだ。

「迎えに来るまで、いい子にして待っていなさい。」

木枯らしの吹く季節だった。

あの日から私はこのお屋敷で働いている。
かれこれ十数年、私は大人と呼べる年齢になった。
幼かった頃の私は父が迎えに来る日を心待ちにしていた。
段々物事を知るようになって、ある日から真夜中にこっそり寝台を抜け出して、お屋敷の近くにある小さな教会に通っていた。
祈りの仕方は未だに知らない。けれど、何でも祈れば何処かに届くような気がしたのだ。
父が迎えになど来ないことを知っても、その教会に通っていたのには訳がある。

満月の夜、月光は教会のステンドグラスを照らし、私はその光に包まれながら祈る。
教会に祀られている神様ではなく、父の低い手のひらの温度に似た光に捧げていたのだ。

その教会も老朽化という理由で壊され、跡形もない。

この記憶もおぼろげになっていた今日この頃。
用事を頼まれて向かった町でたまたま開いていた骨董市。
帰りのバスの時間まで暇つぶしに漠然と眺めていた。
どう見てもまがい物の品から、これはという一品まで様々。
気がつけば間もなくバスがやってくる時間。
急ぎ足でバス停まで戻ろうとした時、私の目に留まった物があった。
赤、青、黄色、緑、白と色とりどりのステンドグラス。
店の主人に聞けばアルコールランプだと言う。
財布の中身は空になったけれど、代わりにずっしりと重たいランプを抱えて今、それは私の部屋の片隅に存在している。

真夜中、シンと静まった頃。
マッチを擦ってアルコールランプに明りを灯す。
光がにじむステンドグラスと、時折ゆれる炎にあの教会を、父を、重ねている。
そして、また祈っている。
迎えに来なくとも、いつか何処かで会いたいという気持ちは変わっていない。
出来ることならばあの手のひらの温度をもう一度、確かめたい。
両の手をしっかり組んで、光を見つめた。

もう長いことずっと、待っている。
これからもずっと、待っている。
その日が来ることを密かに、密かに。。。

citron voice

2006-10-08 18:40:23 | つくりばなし
一週間、ずっと降ったり止んだりの天気だった。
おかげで洗濯物は室内干しで、部屋中に生乾きの臭いが染み付いた。
ようやく晴れた今日、日曜日。
アクリル絵の具に似た青空、風は少々強め。
掃除・洗濯にはうってつけの天気だ。
早速、窓を開け放って空気の入れ替えから始める。

このアパートの2階を借りて半年が過ぎた。
地方から出てきて、都会の学校に通うために現在一人暮らし中。
家賃はバイトを掛け持ちしてどうにか払えている。
どうしてもバス・トイレ付が良かったから、まぁしょうがない。
学校はいたって普通の人文系。
将来の夢は、夢といって馬鹿にするつもりはないけれど、人に言うのは何となく恥ずかしい。
そんな、いたって普通の学生だ。

脱水し終わった洗濯物を小さなベランダに運ぶ。
干すスペースが少ないから、こんな日の洗濯は2回に分けている。
衣替えした秋ものの服から干すことにした。
ハンガーにかけていくのは長袖のYシャツ。
紫とオレンジの細いチェック柄が気に入って去年、衝動買いした。
全部干し終わると、狭い空間に洗濯物の群れが出来た。
ふと見上げた空、雲の流れが異常に速い。
木々の揺れる音が大きくなった。
突然、瞬間最大風速何メートルか分からない、強風が吹いた。
風の強さと眩しさに、思わず目をつぶった。

バサ…

いやな音がした。洗濯物の数を数える。
手持ちのハンガーは12本。全部を使ったから12本あれば大丈夫。
しかし、数字に弱い僕が数えても、11本しかない。
しかも、気に入ったシャツが見当たらない。
慌てて洗濯物を掻き分けて、階下を覗く。
偶然にも、女の人が僕のシャツを手に持っている。
風の音に僕の声は負けそうだったけれど、ベランダからその人に話しかけた。
「すいません、それ、僕のものです」
その人は髪を抑えながら僕を見上げる。

「届けましょうか」

風の音にその人の声は紛れることもなく、僕の耳の奥へ届いた。
「取りに行きます、ちょっと待っていてください」
急いで部屋を飛び出して、階段を下りる。
アパートの玄関にその人はいた。
「ありがとうございます、」
「素敵な色のシャツですね」
その人は笑って僕に言う。
「あの、」
「何でしょう、」
「…きれいな声ですね」
初対面の人に、一体自分は何を言っているのだろう。
ハンガーを握りしめる。シャツに皺がよるのがわかった。
「私にとって、最高の褒め言葉です」
その人は笑って僕に言う。
「それでは、また」
自然な流れの中で、その人は風の中へ消えて行った。

今までに聞いたことのない、きれいな声だった。
将来の夢は、夢といって馬鹿にするつもりはないけれど、人に言うのは何となく恥ずかしい。
けれど、その人の声を例えるなら…
僕は部屋に戻って、冷蔵庫を開けた。

気まぐれに買ったシトロンの瓶が入っている。
グラスに注いで一口飲んだ。
透明に発泡して、甘酸っぱく爽やかに香る。
思ったとおり、その人の声を例えるなら間違いなくシトロンだ。
何故か心が騒ぐ。僕は原稿用紙を取り出して、文字を連ね始めた。

数年後。
シトロンの声をもったその人は、世界的に有名なオペラ歌手になっていた。
僕の方も、夢が叶いつつある。
初めて出した小説の売れ行きは思った以上に好調だった。
タイトルは『citron voice』

遥かの地にて~image music 茶色と水色 

2006-10-04 21:51:41 | つくりばなし
赤土の大地に緑は少なく。
碧瑠璃の天空に雲は少なく。

少年のまとう衣の色は大地の茶色に染まり。
少女の髪を彩る花は天空の水色に染まる。

元来、水に恵まれない土地だ。
この世界に残り少なくなった、手付かずの自然がある。
元来、この土地にある色は赤土と天空の二色。
作物は年によって実りが違うものの、十分に生活できる。
空気は何処までも透明で、遥か彼方の異国をも包むのだ。

毎年来るはずの雨季が遅れていた。
数少ない井戸は人々の生命線。
それが、涸れかけている。
水が無くなれば土地を離れるか、土地と共に絶えるか。
どちらも避けなければならない状況。

彼等に出来ることは。

少年は太鼓を鳴らし、飛び跳ねる。
少女は鈴を振り、舞いながら歌う。
古来より伝わる雨乞いの儀式。
雨雲を呼び寄せる音楽と舞を捧げる。
乾いた大地に、磨かれた空に。

一昼夜、音楽と舞は絶えることなく続く。
夜がもうすぐ明ける。
しかし、朝日に輝きはない。
突然、荒れ狂った突風が大地を疾走した。
一層激しくなるのは、太鼓と鈴と歌声。

ようやく風向きが変った。

遥か上空で鳥が空を切るように叫ぶ。
祈りが届いた、吉兆の印。
呪術師が笛の音で答える。

最初の一滴が天空から降り注いだ時。

人々の歓喜の声で大地が揺れた。

秋桜心中

2006-09-30 17:37:17 | つくりばなし
全速力で駆け抜ける。

学校、菓子屋、郵便局に神社。
目の端に映ったのもよく分からないくらいに、速く。
神社の先、暗い林を突き抜ければそこは。

期間限定の秘密の花園。

先週の台風のせいで、折角咲いたコスモスが横倒しになっている。
それでも花は散らないで、益々天に向かって咲き誇っていて。
強い花だ。今の私は、なんて弱いことか。

秋の真ん中で引っ越す彼の気持ちはどんなものだったのだろう。
転校先の学校はここからとても遠い処で、教科書や制服は変わったりするのだろうか。
でも彼なら大丈夫。絶対、陸上部に入って活躍するから。
彼の走っている姿に、女の子たちはきっと釘付けになるだろう。
多分、風が走ったら彼の姿に重なるのだ。

私は風に恋をした。

そう、きっと彼は風だったのだ。今だって優しく吹いているではないか。
私の前髪を揺らしてくれているではないか。
コスモスがそよそよ流れる。
白や薄紫の花の海へ私は飛び込んだ。
黒い土の香りと、草の爽やか過ぎる香りに眩暈がする。

私の足がもっと速かったら、風になれたのに。
でも、もう遅いのだ。バスは彼をとうに乗せて行ってしまったのだから。
優しい風のそよ吹く今日。

飛び込んだ花の海、心中の真似事、縁起でもないのは承知しているけれど。
こうでもしなければ気が狂いそうなほど。
私は風に恋をした。

。・*。・*。・*

貨物便り。

2006-09-24 22:48:00 | つくりばなし
空は眠たげな灰色、太陽の光はまだ届かない。
湿った土の匂い、軋むのは三輪車のタイヤ。
珍しく、濃い霧が当たり一面を包み込んでいる。
ペダルをゆっくりと踏む。バスケットの中でジャムの瓶が小さく騒いだ。

もうすぐ線路が見えるはずだ。
踏み切りのない線路は、こんな霧の日、渡るのが少し怖い。
貨物列車がたくさん通る線路の向こう側に、市場がある。
その市場に行って、ジャムを売るのが僕の仕事。
父さんと母さんは一足先に、トラックで果物を売りに行った。
妹は、家でまだ寝ている。祖母は朝ごはんの仕度を始めていた。

線路を東に進むと首都へ繋がっている。
貨物列車は荷物を載せると、首都に向かうのだ。
朝、採れたての野菜や新鮮な牛乳、卵、肉なんかを市場で仕入れている。
それは首都の人たちの大事な食料だ。
首都に土はないという。
僕の住むこの地域は山の幸をたくさん、首都に届けているのだ。
首都を越えると、港町がある。そちらは首都に海の幸を届けているらしい。

ペダルを止めた。列車の車輪が線路を滑り、地面に伝わる。
霧の奥から、紺色の車体があぶり出しのように見えてきた。
首都の風を引き連れて(首都の風は、病院やアルミニウムの匂いに似ている)、
列車が目の前を通過する。

じっと耳を澄ます。

列車が通った後、線路が何か呟いている。
ひゅう、ひゅう、ひゅう。
いつでも哀しそうな声で何か言っている。

列車が西へ消えたのを確認して、線路を渡った。
霧が晴れる頃にはたくさん山の幸を積んで、列車は首都へ帰るはずだ。
きっと僕のジャムも載っていく。
だからバスケットの中で、ジャムは嬉しそうに騒いでいる。
首都の人の食卓に並ぶことを、ヨーグルトの上に飾られることを楽しみにして待っているのだ。
賑やかな市場まで、もう少し。

箱が一つ。

2006-09-15 19:06:23 | つくりばなし
箱が一つ、彼の前にあった。
さいころ型で、一辺が15cmほど。
色は青のグラデーションだ。

色鮮やかな箱が一つ、彼の前にあった。
蓋はすっぽりと被せる形。
素材はひんやりしたプラスチック。

何が入っているか分からない箱が一つ、彼の前にあった。
近くに持ち主はいないようだ。
今あの場所にいるのは、彼と、敢えて言えば、箱。

見た目は軽そうな箱が一つ、彼の前にあった。
そっと、彼がゆっくり持ち上げる。
予想以上に軽いらしい、片手に乗せられるほど。

中身はもしかしたら空っぽかもしれない箱が一つ、彼の前にあった。
彼はとうとう気になって仕方がなかった蓋を、開けた。
途端に響きだす、サイレンと強風の吹き荒れる音。

凄まじいサイレンと風の音が響きだした箱が一つ、彼の前にあった。
驚いた彼は蓋を閉めようと、箱の上に蓋をかざす。
すると。。。?

美しくて、中途半端な大きさでやたら軽く、轟音を出す箱は。
グラデーションを切り取った箱の蓋は。
彼を飲み込んで、ようやく静かになった。

この様子を僕等以外に、ただじっと眺めていた人がいる。
そこの、ほら、窓の下、リノリウムの廊下を歩いている人。
君にも見えるだろう、ブラックホールみたいな礼装をしている人。

ここに来る、よく見て、箱を大事に抱えている。
何処から来たのかな。
何処へ行くのかな。

あ。

こっちに気がついたみたいだ、笑っている。
新しい箱を取り出した、一体どこから。
あの人は鞄を持っていないのに。

赤いグラデーションの綺麗な箱だ。
同じように床に置いている。
さっきのより少し大きいみたいだね。

僕たちを捕まえるため?
まさか。
ね?

箱にはどうぞご注意ください。
がらんとした空間に置き去りにされている、
一つだけ奇妙に配置された箱には。
つまり、君の真後ろに置き去りにされた、その箱のことです。
。。。■。。。◇。。。◆。。。□。。。

小さな抽象画家

2006-09-10 23:28:55 | つくりばなし
夜空に浮かんだうろこ雲を魚型に切り取って、海へ泳がせてみたいとか。
古いレコードをかけながら、イチジクのジャムを作ってみたいとか。
学校の屋上、真昼の空の下で、星座早見表を眺めていたいとか。

そろそろマフラーを新調したいと思って、寂れた商店街を歩いてみたり。
木々の葉の枯れかけた様子を、紅葉といって美しさを際立たせたり。
眠る前に大人の真似をして、ワインをほんの少し飲んでみたり。

そろそろ一年も終わりだね、なんて話しながら。
まだまだ冬までは遠いなんて、思いながら。
隣で笑う友の唇が切れて血の滲むのを見ながら。

坂道に倒れている長い影。
訳もなく寂しい気がして。
世界が消えた幻覚をみた。

そんな夢をみた、放課後の、誰もいない教室で。

憂鬱なターコイズ

2006-08-31 23:03:03 | つくりばなし
ターコイズカラーの少々派手なヘルメットを頭に押し付けられた。
兄のバイクは無機質なシルバーの塊だ。マシンは熱くなるのに、乗っている間は全く熱を感じない。とは言っても、まだ数える程度しか乗ったことがない。
僕はリュックを背負いなおして、兄の背中にしがみついた。

まったく、来年は中等部の生徒だろ。いつまでも甘えるな。
昨日は新学期の準備をしていたんだ。だから、
だからじゃない。言い訳なんてするな。毎年毎年、うんざりだ。

毎年恒例の言い争いをして、バイクは走り出す。
兄は現在、大学の3年生だ。バイクの運転免許は高等部に進学したときに取った。
その時僕は初等部の1年生で、その年からずっと、夏休み明けの第二学期初日だけはこうしてバイクで学校へ送ってもらっている。今年で6年目だ。
理由は単純。二学期初日の朝までは、僕の体内時計が夏休みのままだからだ。
起きた時点で、徒歩とバスでのいつもの登校スタイルでは始業時間に間に合わない。
とにかく、顔を洗い歯を磨いて制服を着つつ、兄に懇願するのだ。
初等部の6年間、毎年この日だけは兄のバイクで登校している。

耳元で風が叫んでいる。いつもの街並みはすぐに後方へ流れて、混雑している道路の間を器用にすり抜けながら学校へと近づいて行く。
疾走するシルバーの塊は、周りから見たら水銀のように見えるかもしれない。

おい、後ろで寝るなよ。
起きてるよ。大丈夫。
お前な、本当に来年からは出来ないんだぞ、分かってるか?
分かってるよ、分かってるから。

そう。兄の通う大学では4年生になると、この街よりもっと都会にあるキャンパスに通うのだ。来年からは、兄はその都会で学生寮に入るらしい。
だから、本当に今年で最後なのだ。
来年からは、ちゃんと目覚まし時計で起きなければならない。

兄の背中にしがみつく。
向かい風がシルバーの塊にぶつかり、マシンの振動が眠っていた身体を目覚めさせる。

こんな風に僕の体内で夏が去り秋へ移っていくのも、本当に今年で最後なのだ。
上り坂の途中、校舎が見えてくる。
何故か、水色の屋根が空に溶けていた。




赤の風景

2006-08-29 19:32:17 | つくりばなし
立ち枯れした向日葵と、真っ赤な夕焼けのコントラスト。
真綿を伸ばしたように雲がたなびき、沈む陽がじわりと染みていた。
若い蕾をつけたコスモスの群れは、細い葉が赤い風にそよいでいた。
砂利道には夕べ降った雨の名残、水溜りすら忘れられた氷イチゴみたいだ。

夕焼けの向こうから、少年が歩いてくる。
虫取り網を握り、虫かごを揺らして満足そうな様子だ。
突然、少年が倒れた。砂利に滑ったらしい。

その拍子に、スッと空を切る赤蜻蛉。

少年は立ち上がった。土埃をはらい、泣くのをこらえている。
投げ出された虫取り網と、壊れた虫かごのコントラスト。
空っぽの両方を拾い、また歩き出す。
左足を引きずっていた。膝は熟れた柘榴色だった。

少年とすれ違った。
痛みをこらえているのか、取り逃がした赤蜻蛉を悔やんでいるのかは分からない。
くぐもった嗚咽が聞こえた。麦藁帽子が寂しく揺れている。

夕焼け、蜻蛉、熱い血潮。
染まる赤は生きている色だ。
温かく、時に痛み、感覚を与えてくれる生きている色だ。

遠くで踏切が鳴る。夕陽が沈む音に聞こえた。