昨日、無事に「
野川朗読会7」が終わりました。
今年も満員御礼で、たくさんのお客様がいらしてくださいました。
梅雨の晴れ間の暑いなか、ご来場くださり有難うございました!
今回は事前にお知らせしていた出演者の、相沢正一郎さんと北爪満喜さんが急遽ご欠席となり、当日に少しプログラムが変更となりました。
それでも、出演者皆さんの迫力ある刺激的な朗読は、野川の野鳥にまで届いたかと思われます。
野川朗読会では毎回、朗読前に一言を発するのですが、
今年のテーマは「私の名前~私はみんなにこう呼ばれたい~」でした。
出演者それぞれの「私の名前」をまとめておきます。(敬称略)
一色真理・「しんちゃん」
伊藤浩子・「ザロペチョ」
生野毅・「名なしのクイ」
渡辺めぐみ・「みよじ」
そらしといろ・「そらいろ」
三角みづ紀・「海」
長野まゆみ・「なが°のさん」
田野倉康一・「たのくらくん」
新井高子・「子蛸ちゃん」
樋口良澄・「松の木屋」
杉本真維子・「真維太郎」
岡島弘子・「ろこ」
トークテーマの"名前"にちなんだ詩を朗読された方が多かったようでした!
私はそこをあまり意識していなかったのですが、書き下ろした詩にたまたま、"名前"という言葉が入っていることに、実は朗読の最中に気づきました。
今年の野川トークは、
企画展の共同主催者である
三角みづ紀さんも加わりました。
トークテーマは、
「宮沢賢治と稲垣足穂が好んだ美術のちがい」という感じでしょうか。
今年は宮沢賢治の生誕120周年記念です。(宮沢賢治は1896年生まれ。)
宮沢賢治が大好きな長野さんはふと、稲垣足穂が1900年生まれで、賢治と同年代であったことに気づきます。
賢治も足穂も、"鉱石"や"天体"という共通点が作品に見られるのに、二人が好んだ美術はまるで性質の違うものでした。
(美術の年代はそらしが調べたものなので、正確なものではない可能性もあります!)
【賢治が好んだ美術】
・イギリスのヴィクトリア朝……1837~1901年頃
・ラファエル前派……1850年頃
・ウィリアム・モリス商会……1860年頃
・印象派……1869年頃
・後期印象派……1870年頃
【足穂が好んだ美術】
・キュビズム……1909年頃
・ダダイズム……1915年頃
・シュルレアリスム……1924年頃
賢治が好んだ美術は、賢治が生まれる以前の時代に流行ったもので、人物と風景を描いた絵画作品が中心です。
足穂が好んだ美術は、足穂が思春期から青年期にかけて流行ったもので、オブジェや抽象画が中心です。
ちなみに、二人とも実家は裕福な家庭です。
トークの内容で印象的だった部分を、会話っぽく記しておきます。(敬称略)
長野 「たぶん賢治さんは、デュシャンの【泉】を賢治は受け入れられなかったと思う。」
田野倉「賢治は盲目的に好きになる部分があるから、情報通でもダダなどは目に入らなかったのかもしれない。」
長野 「『銀河鉄道の夜』は西洋的な風景が細かく描かれていますね。」
三角 「どこを想像で書いたのか、身近な素材を使ったのか……。」
そらし「生き物の描き方はかなり飛躍しているから、これは想像だと思う。」
田野倉「投稿の詩作品のように捉えれば、どこが想像でどこがネタ元があるか、なんとなく分かると思う。」
三角 「そう言われると、見分けが付けられそうです!」
長野 「じゃあ、これらの景色は画集や写真を見て描いた可能性も?」
田野倉「画集や写真を見た可能性もあるけれど、賢治はどちらかといえば、言葉から更なる妄想を膨らませるタイプかと。」
そらし「今回、二人の好んだ美術を比べてみると、賢治は絵画作品にも、人物を欲したのだと思います。春画収集をしていたから、ヴィクトリア朝のヌード作品の肉体美にも興味があったのかと。」
長野 「(ヴィクトリア朝のヌードは女性だけでなく)男性のヌード作品もありました。」
そらし「!!でも、足穂にはちょっと、肉肉しい絵だったから、ダダやシュルレアリスムに行ったのかと。」
長野 「足穂さんはおしりは好きなんだけれどね。」