たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

廣瀬中佐の像

2015年05月22日 | 日記

同窓会で久しぶりに郷里飛騨高山を観光バスで2日間回ったところ、売り家、貸家、貸店舗の看板が懸っている空き家とか、立派な家なのに表札を外した後もクッキリ残り、郵便受けに目張りしてある家などが目についた。
「結構空き家が目につくナ」と、口に出すと前の席にいた地元在住の女性同級生は「空き家にするとネズミの巣になるんやサ」と言った。
そうか高山の町は狭い街で、長屋つづきの街並みで家々の間に隙間がないので、まだネズミが居るのかもしれぬと思った。ネズミは子供の頃はたくさんいて夜の2階など運動会をやっているほど多かったが、最近とんとお目にかかっていない。ネズミの糞さえ見ることはない。

次回同窓会は80歳傘寿を迎える3年後開催と決まった。主幹事は昨日もブログコメントをくれた級友が引き受けてくれた。彼の妹さんが奥飛騨温泉で旅館を経営されている由、そこでやってくれるようお願いした。

さて、3年後に私は健在で参加できるだろうかと、心底懸念する。私は彼らより2歳年上なので。中学卒業後すぐ臨時雇いで働き、というより見習いみたいな2年間を過ごし、現場の老いた先輩の方が夜間高校を勧めてくれ2年遅れの入学だった。
定時制高校の4年間は「人生であの4年間が一番充実して、輝いていた」と、級友の一人が述懐したが、私もそう思います。
それなのに今は、不登校の小中学生は20年近く10万人を超えつづけていると、5月20日の朝日は報道した。不登校の子たちが通うフリースクールや家庭など、小中学校以外の学びを義務教育の制度内に位置づける法案を、超党派の議員立法で、今国会で提案をめざすという。
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さて、昨日の朝日社長挨拶の記事でコメントをいただいた。つけ加えると、具体策として、
・読者のみなさまの質問に記者がお答えするコーナー「Re:お答えします」を設けた。
・4月からは、朝日新聞への反論や異論を含む多様な意見を載せる「オピニオン&フォーラム面」を設けた。
・池上彰さんの「新聞ななめ読み」を1月末に再開した。
パンフにある「再生の理念」では
・公正な姿勢で事実に向き合います---社外からの指摘に耳を傾けつづけます、事前・事後のチェック体制構築と、間違いは直ちにただす姿勢を徹底する。
・多様な言論を尊重します-----今まで以上に複眼的な見方を意識した記事を増やす。
・課題の解決策をともに探ります-----問題の指摘だけにとどまらず、課題を読者と共有し、多角的な視点でともに解決策を探るメディアへと進化させる。などの決意が述べられていた。

唱歌 広瀬中佐

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3 コメント

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広瀬中佐の像 (茉那)
2015-05-22 15:08:13
高山へは何度も行きましたけれど広瀬中佐の像がどこにあるのか知りません。
彼と高山との結びつきも不思議に思っていたほどです。

私のブログに広瀬中佐にまつわる思い出を取り上げさせていただきました。
ありがとうございました。
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また、お出でください (corona404)
2015-05-23 01:59:50
茉那さま
あら!まあ、高山観光に何度もいらしゃったことがおありですか。
わたしは故郷でありながら、廣瀬中佐の高山との縁も、胸像も知りませんでした。

場所は城山公園、御母衣(みほろ)ダム建設で移築された重文「照蓮寺」の前の斜面を少し登った中佐平にあります。
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高山の思い出 (茉那)
2015-05-23 11:45:13
高山祭に秋は2度、春は1度行きました。
春の高山祭には’11年の春でしたから震災の後で非常に寂しい祭りでした。

今思い出しただけでも「清瀧」「グリーンホテル」「田辺」それにもう一軒駅前のホテルに泊まった記憶があります。

また’13年に予てから行きたかった濁河温泉「御岳」に1人旅しました。
高山駅までホテルのマイクロが迎えに来てくれましたがバスのお客は私一人で申し訳なく思ったことを思い出しています。2泊しましたが帰りも1人高山まで送ってくれました。

駅から少し離れたところに有名なパン屋さんがあるというのでタクシーで買いに行きました。不確かですが「トラン・ブルー」というお店だったと思います。

高山へはまた行きたいと思っています。
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