たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

人道の丘公園・杉原千畝記念館

2021年10月12日 | その他

岐阜県八百津町の木曽川「蘇水狭」北側の、高い山道の県道418号線沿いに「人道の丘公園と杉原千畝記念館」があります。

杉原千畝は(1900~1986・明治33年~昭和61年) 元外交官だった人で、ユダヤ人約6千人の命を救ったといわれます。「杉原千畝記念館」は当時リトアニア領事だった頃の執務室と、八百津の町を見下ろす展望棟(2階)で構成されています。

パンフから)1940年(昭和15年)、千畝にある決断が迫られる出来事が起こります。ナチスドイツの目を盗んで逃げてきたユダヤ人たちが日本の通過ビザを求め、領事館に押しかけてきたのです。

千畝の生涯の解説をきれいなパネルと写真などで展示してあり、千畝がサインした査証(命のビザ)とか、敦賀へ上陸したユダヤ人が、腕時計を売ってお金に換えた際の腕時計や、少年がさしあげたというリンゴなども展示してありました。写真撮影は禁止です。

下、八百津町パンフから)

昔行ったことはありますが、何十年振りかで再訪しました。周辺を「人道の丘公園」に整備され、幼児用遊具もあり賑わっていました。3つの鐘の塔があり3つとも3回ずつ、綱を引いて鳴らしました。
昔の記念館はもっと崖のような場所で、建物も今の記念館とは違うように思います。

下、屋外の記念モニュメントの写真で、左2人が千畝の子孫、中2人がユダヤ人、右が八百津町長です。

八百津町や川辺町を見下ろす眺望がすばらしい。

人道の丘公園は梶原拓知事の時代に2億6千万円をかけて整備したとブログにあります。
看護士の元祖 フローレンス・ナイチンゲール

アフリカ人の病気を救ったアルベルト・シュヴァイツァー

付近には飲食店や木曽川入漁券販売所など、きれいで立派な民家も並んでいます。

近くに満州開拓団慰霊碑もありました。

困ったことに最近杉原千畝は八百津町生まれではない、という説が報じられ世界遺産登録も頓挫しているようです。
記念館の受付で問うと「美濃市で誕生という仮説ですが、千畝の母親が八百津町出身の人で、実家で千畝を出産した。生誕地であることに間違いはない」と言われました。
参考)CBC 「イッポウ」番組審議会の答申ある方のブログ
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いづれにしても岐阜県出身であることに変わりなく、八百津町がその顕彰記念館を整備したことは素晴しい。県民は先人を誇りにしています。