風のない穏やかな晴天の立春翌日です。朝、5時半頃配達されて新聞を斜めに読んでまた寝込む。7時半頃またオシッコに起きて、温風ヒーターを点けてまた3度寝する。この時の熟睡度が夢を見るが誠に快適です。9時頃起き出て着替えする。顔は昔から洗わない。
木曜日は喫茶店休業日、天気もいいしいし20キロ弱のホームコースへ打ち放しに行って、練習できるか聞いてOKの返事を貰って、そのときハンドバッグ忘れに気づいた。また出直すとフロントへ行きツケではダメか聞くと、昔は融通が利いたが駄目だった。
その先へ少し行くとツケでもOKの練習場はあるが、免許証不携帯であっちこっちへ行くのははばかられ直線帰宅した。最近こういうヘマが多くなったように思う。
事故のないよう自覚すべきだ。往復の道中でいくつもの店が閉店したことに改めて気づく。世の中が大きく変わったのと、商売屋さんも後継者と高齢化に直面するのだろう。もう何年も前から外科病院が廃業され入口がガードフェンスで閉ざされたままだ。
今日の新聞、裁判員裁判の死刑判決を2審が無期懲役に減刑したことの妥当性を争われた2件の強盗殺人事件の上告審で、最高裁は3日付けで、いずれも死刑を求めた検察側の上告を棄却する決定をした。極悪非道な犯罪で市民感覚を裁判に生かそうと導入された裁判員裁判が、これでは骨抜きになってしまい意味がないではないか。被害者が1人なら死刑回避などと永山基準などというのを決め、プロ裁判官の身内同士の勝手な内輪の基準からはみ出すからという理由だ。こんな阿呆な判決では殺された被害者や遺族は浮かばれない。
市民感覚が裁判に生かせないなら、裁判員裁判制度はもう止めてもいいのではないか。
「使命感あったが蛮勇」自民党の高村副総裁がイスラム過激派組織「イスラム国」に殺害された後藤さんの行動に対するコメントは真っ当な意見だと思う。言われたように「個人では責任をとり得ないこともあるのだ」。この事件で海外の在留邦人の危険性が増したことは事実だ。日本人学校の児童の誘拐に神経を研ぐ必要が増したとも言われる。
外遊先で「2億ドル演説」してエエカッコした安倍首相の判断も同罪だろう。