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日本文化のユニークさ04:牧畜文化を知らなかった

2010年05月05日 | 遊牧・牧畜と無縁な日本
今回は、三つの論点のうち(2)を取り上げる。

(2)ユーラシアの穀物・牧畜文化にたいして、日本は穀物・魚貝型とで言うべき文化を形成し、それが大陸とは違うユニークさを生み出した。

日本文化のユニークさの背景に、日本人が牧畜生活を知らず、また遊牧民との接触がほとんどなかったことがあると指摘する論者は何人かいる。(『日本人とユダヤ人 (角川文庫ソフィア)』、『日本人はなぜ日本を愛せないのか (新潮選書)』、『アーロン収容所 (中公文庫)』など)

日本には、牧畜・遊牧文化の影響がほとんどない。日本に家畜を去勢する習慣がなく、したがって人の去勢たる宦官がいなかったのもそのためである。ユーラシア大陸のどの地域にも宦官は存在したのである。また人の家畜化である奴隷制度も根付かなかった。奴隷制度が根付かなかったのは、世界的にはむしろ例外に属するようだ。

ヨーロッパの牧畜文化が、その思考法や価値観にどのような影響を与えたかを考察することによって、日本人の思考法や価値観との違いを浮き上がらせたのが、鯖田豊之の『肉食の思想―ヨーロッパ精神の再発見 (中公文庫)』である。

旧約聖書の中には、人間と他の動物を明確に区別する考え方がはっきりと表現されている。

「神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女に創造された。‥‥神はいわれた、『生めよ、ふえよ、地に満ちよ。地のすべての獣、空のすべての鳥、地に這うすべてのもの、海のすべての魚は恐れおののいて、あなたがたの支配に服し、すべて生きて動くものはあなたがたの食物となるであろう。』」(創世記)

旧約聖書を生んだヘブライ人は、もちろん牧畜・遊牧の民であった。ヨーロッパでもまた牧畜は、生きるために欠かせなかった。農耕と牧畜で生活を営む人々にとって家畜を飼育し、群れとして管理し、繁殖させ、食べるために解体するという一連の作業は、あまりに身近な日常的なものであった。それは家畜を心を尽くして世話すると同時に、最後には自らの手で殺すという、正反対ともいえる二つのことを繰り返して行うことだった。愛護と虐殺の同居といってもよい。その互いに相反する営みを自らに納得させる方法は、人間をあらゆる生き物の上位におき、人間と他の生物との違いを極端に強調することだった。

ユダヤ教もキリスト教も、このような牧畜民の生活を多かれ少なかれ反映している。たとえば、放牧された家畜の発情期の混乱があまりに身近であるため、そのような動物との違いを明確にする必要があった。その結果が、一夫一婦制や離婚禁止という制度だったのかも知れない。

「肉食」という食生活そのものよりも、農耕とともに牧畜が不可欠で、つねに家畜の群れを管理し殺すことで食糧を得たという生活の基盤そのものが、牧畜を知らない日本人の生活基盤とのいちばん大きな違いをなしていたのではないか。

日本人が、ヨーロッパ人の言動に違和感を感じるとき、よく「バタッくさい」という言葉をつかったが、これはまさに牧畜文明に対する馴染みにくさを直感的に表現していたのかも知れない。キリスト教の中にも同じような馴染みにくさを感じるからこそ、日本にキリスト教が定着しなかったのではないだろうか。

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