BOXING観戦日記

WOWOWエキサイトマッチなどの観戦記

ガッツ石松を見てTVについて考えた

2009-02-26 20:39:00 | Boxing
モクスペで過去のドッキリ特集を見たが、不愉快な映像ばかりだ。
警察の許可が必要な道路の占有行為や、猥褻物陳列罪を構成するような内容で、
すべて仕込みがなされているとしか思えない。
そんな中でガッツ石松が猛り狂ったのは痛快だったし、大いに評価できる。

痛快だと言うのはなにもガッツが椅子をぶん投げたり、マイクを壊したり、
仕込みの若者を平手で打ったからではない。
芸能人であるように見えても、ガッツがボクサーのspiritを持っていたからだ。

ドッキリそのものは低俗なユーモアとして価値があるので否定しない。
問題はそれを仕掛ける相手だ。
わけの分からん喋りで面白い元世界チャンピオンをからかってやろう、
というのはボクシングファンからすると面白くもなんともない。
あれはガッツのKYとしか言えない素の反応と、
TV側が想定したリアクションとの間のギャップが面白いのであって、
ドッキリにはまったガッツが面白いわけではない。

亀田戦以降、メディアに引っ張りだこの内藤にしても似たようなところがある。
世間がボクサーに対して持っているイメージを良い意味で破壊しているのが
内藤の功績で、問題はボクサー内藤像がそこに見えないことだろう。
それが見えないということは内藤が見せていないか、
TV側が編集しているかのどちらかで、
いずれにしろ、世間一般の視聴者がボクサーに求めるキャラが何であるか、
ここから分かる気がする。

ボクシングがTVというメディアにどう収まるべきか、
視聴者がボクサー(≠ボクシング)にどのようなキャラクターを求めるのか。
小堀の天然ボケっぷりが強調されたり、西岡の家族愛に焦点が当てられたり、
坂田の地味さとひたむきさをけれんみなく映したりするのは良い。
内藤は、あれはあれでウケているからいいのだろう。
亀田一家について語るのはまた気が向いたときにでも。
長谷川をおちょくるような番組があれば局にクレームの電話を入れまくるぜ。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿