王者 亀田大毅 VS 挑戦者 坂田健史
亀田 ユナニマスディシジョンで勝利
考察 ~亀田~
116は許容範囲。
117は疑問、118は考えにくい。
ただそれは坂田の試合をある程度見慣れた人間の感想なのかもしれない。
結末予想こそ外したが、鍵となると見た右ストレートもそれなりにヒットした。
事実、序盤から中盤までは親父(でしょ?)がしきりに
「ダイキーッ、ジャブに右かぶせ、右!!」と絶叫しまくってたからね。
フィジカルの強さはフライ級では出色で、坂田を下がらせるには至らなかったものの、
どんなパンチをもらっても効いた素振りすら見せず、それがくさいラウンドを引き寄せたかな。
ジャブの強さで挑戦者を上回り、右ボディと右ストレートは格段の進歩を見せた。
ただ技術的に優れているという印象を与えないのは、
パンチの多くがカウンターではなく相撃ちだからか。
(アレはカウンターとは認めたくない)
絶対的なアゴとボディの耐久力を誇るがゆえだが、
たとえば先日河野を破ったロハスのようなテクニシャン相手に勝負できるのだろうか。
河野には比較的楽に勝ちそうだが……
大毅の勝因を端的に挙げるならば
1.クリンチの際に先に打った、もしくは打ち続けた
2.ジャブの精度で上回った
3.相手に明白にダメージを与える瞬間を4度作った
となる。
正直なところ、微妙なラウンドは一つもなく、
坂田
9 9 9 10 10 10 10 10 9 9 9 9
亀田
10 10 10 9 9 9 9 9 10 10 10 10
管理人の採点は以上のように綺麗に序盤、中盤、終盤と分かれた。
スコア自体に疑義は生じても、勝敗にケチはつけられまい。
大毅の完勝である。
返上を示唆していたが、コンセプションも僅差判定で退けられると思うよ。
それにしても実況・解説のこれでもかというヨイショとは対照的に
入場時のブーイング、勝者コール時の静寂が物悲しかった。
興毅や親父はどこまでいっても認めがたいが、
大毅は確実にかつての過ちのイメージを払拭しつつある。
考察 ~坂田~
残酷な言い方をすれば年齢や歴戦のダメージによる衰えが敗因なのではなく、
ボクシングセンスの欠如をどうしてもカバーできない段階にキャリアが達した、
ということなのだろうな。
そしてそれが自らの哲学と他者からの期待に沿うものであったがために
この敗北という結末も不可避のものだったにちがいない。
大毅にボクシングセンスがあると言っているわけではないので誤解なきよう。
今宵は技術や戦術分析ではなく、
日本人のボクシング観をものしてみるとしますか。
なぜ日本人は前進を美徳とするのか。
以下に述べるのはあくまで私見であり、確たる根拠を持つわけではないのでご了承を。
このあたりについて明快な意見をお持ちの方はコメント欄でご教授をお願いしたい。
まずは別の国、別のスポーツをヒントに考えてみよう。
なぜアメリカ人はサッカーを好まないのか。
答えは簡単、滅多に点が入らないからだ。
バスケ、ホッケー、野球、アメフトはポンポン点が入り、
そこがアメリカ人の心を掴んでいる。
ボクシングでも派手なファイターが好まれ、地味なテクニシャンがウケないのはこの辺にある。
日本人がバスケ、ホッケー、アメフトをさほど好まず、
野球をことのほか愛し、サッカーを気に入り、
ボクシングでは勇猛邁進するボクサーを称賛するは何故か。
アメリカ人と嗜好の軌を一にするわけではなかろう。
バスケやホッケーやアメフトは究極的にはボールの行き来に分析される。
サッカー人気はフィールドの広さという錯覚と
世界的な熱気に飲まれて(流されて?)のことだろう。
思うに日本人は前進ではなく、継続の意思と反復の姿勢が好きなのだ。
スポーツ以外でも日本人は江戸時代から続く老舗の料亭や旅館が好きではないか。
伝統芸能を形式において頑なに守り抜こうとするではないか。
天皇制の虚構(その歴史性ではなく神話性)を支持するのも、
日本で最も長く継続と反復を経ている制度だからではないだろうか。
そう考えれば日本人の野球好きは説明されよう。
あれは継続と反復だけで構成されるスポーツだ。
前進型ファイターを好むのもこの延長線上の見方ではないだろうか?
そしてそれを象徴するのが最近では河野や坂田、川嶋ではなかったか。
そろそろこういう視点を脱却しても良い頃合いではないかと思う。
おそらくこの試合も勝敗ではなくスコアが議論の対象になるのだろうが、
その喧噪は亀田家絡みだからというだけではなく、
ボクシング観戦の視点の違いが理由の半分を占めているものと思われる。
PS.
実況は最低レベル、解説(特に鬼塚)は最悪レベルだった。
亀田 ユナニマスディシジョンで勝利
考察 ~亀田~
116は許容範囲。
117は疑問、118は考えにくい。
ただそれは坂田の試合をある程度見慣れた人間の感想なのかもしれない。
結末予想こそ外したが、鍵となると見た右ストレートもそれなりにヒットした。
事実、序盤から中盤までは親父(でしょ?)がしきりに
「ダイキーッ、ジャブに右かぶせ、右!!」と絶叫しまくってたからね。
フィジカルの強さはフライ級では出色で、坂田を下がらせるには至らなかったものの、
どんなパンチをもらっても効いた素振りすら見せず、それがくさいラウンドを引き寄せたかな。
ジャブの強さで挑戦者を上回り、右ボディと右ストレートは格段の進歩を見せた。
ただ技術的に優れているという印象を与えないのは、
パンチの多くがカウンターではなく相撃ちだからか。
(アレはカウンターとは認めたくない)
絶対的なアゴとボディの耐久力を誇るがゆえだが、
たとえば先日河野を破ったロハスのようなテクニシャン相手に勝負できるのだろうか。
河野には比較的楽に勝ちそうだが……
大毅の勝因を端的に挙げるならば
1.クリンチの際に先に打った、もしくは打ち続けた
2.ジャブの精度で上回った
3.相手に明白にダメージを与える瞬間を4度作った
となる。
正直なところ、微妙なラウンドは一つもなく、
坂田
9 9 9 10 10 10 10 10 9 9 9 9
亀田
10 10 10 9 9 9 9 9 10 10 10 10
管理人の採点は以上のように綺麗に序盤、中盤、終盤と分かれた。
スコア自体に疑義は生じても、勝敗にケチはつけられまい。
大毅の完勝である。
返上を示唆していたが、コンセプションも僅差判定で退けられると思うよ。
それにしても実況・解説のこれでもかというヨイショとは対照的に
入場時のブーイング、勝者コール時の静寂が物悲しかった。
興毅や親父はどこまでいっても認めがたいが、
大毅は確実にかつての過ちのイメージを払拭しつつある。
考察 ~坂田~
残酷な言い方をすれば年齢や歴戦のダメージによる衰えが敗因なのではなく、
ボクシングセンスの欠如をどうしてもカバーできない段階にキャリアが達した、
ということなのだろうな。
そしてそれが自らの哲学と他者からの期待に沿うものであったがために
この敗北という結末も不可避のものだったにちがいない。
大毅にボクシングセンスがあると言っているわけではないので誤解なきよう。
今宵は技術や戦術分析ではなく、
日本人のボクシング観をものしてみるとしますか。
なぜ日本人は前進を美徳とするのか。
以下に述べるのはあくまで私見であり、確たる根拠を持つわけではないのでご了承を。
このあたりについて明快な意見をお持ちの方はコメント欄でご教授をお願いしたい。
まずは別の国、別のスポーツをヒントに考えてみよう。
なぜアメリカ人はサッカーを好まないのか。
答えは簡単、滅多に点が入らないからだ。
バスケ、ホッケー、野球、アメフトはポンポン点が入り、
そこがアメリカ人の心を掴んでいる。
ボクシングでも派手なファイターが好まれ、地味なテクニシャンがウケないのはこの辺にある。
日本人がバスケ、ホッケー、アメフトをさほど好まず、
野球をことのほか愛し、サッカーを気に入り、
ボクシングでは勇猛邁進するボクサーを称賛するは何故か。
アメリカ人と嗜好の軌を一にするわけではなかろう。
バスケやホッケーやアメフトは究極的にはボールの行き来に分析される。
サッカー人気はフィールドの広さという錯覚と
世界的な熱気に飲まれて(流されて?)のことだろう。
思うに日本人は前進ではなく、継続の意思と反復の姿勢が好きなのだ。
スポーツ以外でも日本人は江戸時代から続く老舗の料亭や旅館が好きではないか。
伝統芸能を形式において頑なに守り抜こうとするではないか。
天皇制の虚構(その歴史性ではなく神話性)を支持するのも、
日本で最も長く継続と反復を経ている制度だからではないだろうか。
そう考えれば日本人の野球好きは説明されよう。
あれは継続と反復だけで構成されるスポーツだ。
前進型ファイターを好むのもこの延長線上の見方ではないだろうか?
そしてそれを象徴するのが最近では河野や坂田、川嶋ではなかったか。
そろそろこういう視点を脱却しても良い頃合いではないかと思う。
おそらくこの試合も勝敗ではなくスコアが議論の対象になるのだろうが、
その喧噪は亀田家絡みだからというだけではなく、
ボクシング観戦の視点の違いが理由の半分を占めているものと思われる。
PS.
実況は最低レベル、解説(特に鬼塚)は最悪レベルだった。