かなり衝撃的な内容の記事です。
熱心なファンならすでに勘付いていたことでしょうけれども、
ここまであけすけに書かれてはこちらも認めざるを得なくなります。
ビッグネームによるメガマッチが主流のアメリカならでは、という気もしますが、
世界王座の権威を守るためという題目でIBFとWBOに加盟しようとしない
どこかの島国の方針は正しいのか、それとも間違っているのか。
それは個々人が判断すべきなのでしょう。
原文は以下のURLを参照ください。
http://www.boxingscene.com/?m=show&id=19592
アルファベット団体に文句を言うのはやめよう、無視すればいい
Quit Complaining About Alphabets, Just Ignore Them
By Jake Donovan
ジェイク・ドノヴァン氏による記事
いつもこうだ。承認団体がプロモーターの「これこれの試合にタイトルを懸けてほしい」という要求を
呑んだ瞬間に、マスコミの誰かがすぐにそれを嗅ぎつけ、アルファベット団体がどれだけ我々の愛する
このスポーツを駄目にしているかについて怒り心頭に発して書き立てるのだ。
プロモーター、ボクサー、マネージャー、PR担当はなぜかそういう記事では批判の対象とはならない。
少なくとも記者の怒りの焦点ではない。
最近の承認団体がタイトルに対して重要性を付与しているどうか疑わしいが、ともかくタイトルには意味があり、
それをもてはやし、プロモートしているという点では実際は上に挙げた者たち全員も等しく有罪なのだ。だが、
もしも銃殺が執行されるなら、照準はメジャー四団体のトップの頭部となろう。
理論的に言えば、人であふれかえる部屋にチンパンジーが発砲しても、責められるべきはチンパンジーではなく、
そもそもチンパンジーに銃火器を与えた人間ということになるのと同じことである。
承認されたイベントにおいてさえボクサーおよび陣営が犠牲者として描かれることが多いのは、こうした理由
による。
もしもメディアに書かれたあらゆる言葉を信じるならば、ボクサーの周辺がタイトルが懸けられるようにロビー
活動に精を出すのも、そのようなタイトル戦のために承認料を支払うのも、あるいは正当な世界王者という呼称
を得ても、それらは何ら責められるべきことではない。たとえ同一階級に複数の他団体の世界王者が存在
(最近では同一団体内で複数の世界王者がいるが)し、自分たちの方が上だという主張はしないまでも、
同じような世界王者という肩書を主張するにしても、だ。
全ての批難はそもそも承認団体なるものが存在することそれ自体の根底にあるのである。
ことほどさように承認団体にまつわる問題の根は深く、メディアのルーティンワークである試合後の総括も、
有害なAだかBだかCだかの団体の最新の動向に焦点が行ってしまい、試合の最も重要な面、つまりボクサー
自身に費やされる時間はこれに比して断然短いのだ。ユリオルキス・ガンボアがホセ・ロハスに勝利したが、
手に入れたのは張り子のタイトルに過ぎない、と繰り返し報じた記事は2、3かそれより少し多いぐらいしか
見かけなかった。真に焦点を当てるべきは、ガンボアがプロキャリアの中で本物のフェザー級エリートになる
ためまた一歩前進したということなのだ。
全て、とまではいかずともほとんどのアルファベット団体はモラルに欠けている。言うまでもないことだ。
だからここから先はそのことを指摘せずに論を進めていくことにしよう。
物書きならば様々な暫定ベルトやスーパー王者や正規王者についてへとへとになるまで書き続けることができる。
最近のボクサーが「正当な理由無し」にタイトルを剥奪されること、あるいは凡庸なボクサーが勝ち取ったわけ
でもないのに高すぎるランクを与えられることに立腹し不平不満をを述べる。
だが我々ジャーナリストの啓蒙対象は誰なのだ?
ボクサーたちは最近の傾向についてすでによく知っている。馬鹿馬鹿しい政治的な駆け引きに囚われた者も2、3
いないわけではないが、その数は少ない。どんなタイトルでも挑戦者決定戦でもいい、それらを戦ったことがある
者ならば誰でもファイトマネーから3%(統一戦ならもっと)引かれていることに気付いたことだろう。
お分かりいただけただろうか?彼らは今でも承認料を支払っているのだ。少なくとも陣営の関係者を集めて勘定を
しているというわけだ。彼らは文字通り支払うべき額を知っているし、夜の終わりに安物細工のベルトを頭上に
高々と掲げるチャンスが得られるならば、諾々と支払いに応じるのだ。
ファンも最近の傾向についてはよく知っている。わざわざ各種アルファベット団体の動向を追跡している好事家
ならずともランキング見直しのタイミングは知っているだろうし、一階級あたりに複数の王者が存在することも
周知の事実だ。
我々メディアは複数王者制と統一戦の少なさがボクシング界にダメージを与えているとの声を上げ続けている。
だが、このことを証明する材料はほとんどない。1990年代のウェルター級はタレントの宝庫で、多くの
ボクシングファンの関心を刺激した。しかし、実現した統一戦は一試合だけ。フェリックス・トリニダードが
僅差の、疑惑を呼ぶ判定勝ちでオスカー・デラホーヤを下した試合だけだった。
この試合はヘビー級ではないメインイベントの当時としての最高のペイパービューの購買件数記録を樹立した。
このイベントを購入した140万人のファン、そして友人宅やバーで、あるいは無料の再放送で観戦した数百万
の人々のうち、一体どれほどの人数が2つの世界タイトル(世界でなくとも)が懸かっていることにこだわった
ていたのだろうか。
同じ観客のうち、もうひとつの世界のベルトがどこかにあって、フェリックス・トリニダードはジェームズ・ペイジ
(当時のメジャー団体のベルト保持者)を倒して世界最高のウェルター級との認知されなくてはならない、と
考えたファンがはたしてどれだけいたのだろうか。
翻って現代、同じ観客のうち、疑問の残る採点や判定読み上げまでのアクションに乏しい12ラウンドに、いったい
どれだけの人間が気分を害されているのだろうか。
ああ、なんとなく話の結論が見えてきたようだ。
プロモーターも最近の傾向についてはよく知っている。彼らの二枚舌に騙されてはいけない。彼らは言葉巧みに
自分のところのボクサーがいつの日かABC・XYZ世界チャンピオンになると言い、その次の日にはリング・
マガジンのベルトこそが偉大さの真の基準で、唯一の価値ある王座だと言うからだ。彼らの言葉が気まぐれで、
そこには自らのプロモート業を推進する以外の目的などありはしないのだ。
信じられないと?両方のグループに直接関与している個人を例に挙げよう。
ネート・キャンベルがもはや135lbを作れないと決断した瞬間に、ペンディングとなっていたファン・マヌエル・
マルケスとファン・ディアスの試合は公式に地球上で最高の2人のライト級選手による試合となった。マルケスはすでに
リニアル(前海外記事の註参照)なライト級王者だったが、マルケスVSディアスの勝者はどう考えても疑問の余地なく
地球上で最凶(baddest)のライト級ボクサーとして認知されるはずだった。
この試合ではタイトルが懸けられる必要などなかった。ファンはすでにこのイベントをありのままに認識していた―
つまり、とても良い試合(a damn good fight)だと捉えていたからで、事実とても素晴らしい試合(a damn great fight)
になったわけで、現時点では2009年の最高試合だと言える。ファンの関心は最初から高く、テキサス州ヒューストン
のトヨタセンターには15000人を超えるファンが、すでに死んだと思われていたボクシング景気の最中に押し寄せた
のだ。
では何故ゴールデン・ボーイ・プロモーションはこの試合に一本ではなく二本のベルトが懸けられるように働きかける
必要があると感じたのか?
これは2007年の後半にリング・マガジンを買収したあの同じゴールデン・ボーイ・プロモーション、リング・マガジン
の製品をあらゆる興行で安売りし、ここ10年の最初の5年で再生し、改革された世界王者の認定方針を支えていくと主張
したあの同じゴールデン・ボーイ・プロモーションのなのである。
にもかかわらず、この特定のイベントでリング・マガジンは驚いたことにWBA、WBO、IBOに次ぐ4番目として
この夜のタイトル認定の列に名を連ねたのだ。
どういうわけか批判されたのは複数タイトルを懸けられるようにした承認団体に落ち着いた。なかにはゴールデン・ボーイも
乗り遅れまいとリング・マガジンを使って一枚かむべきではなかったという者もいた。
ゴールデン・ボーイも?端的に言ってあの会社こそが責められるべきだったのだ。彼らは手に帽子(と現金)を携え、対戦
者同士の名前だけでチケットが売れる試合に承認料を支払うことで喜々としてベルトをもう一本懸けたのだ。
ここでは何も一プロモーション会社だけを取り上げようとしているのではない。全てのプロモーターを批判の対象としている
のである。というのも、ある試合にベルトを懸けることで実際以上に偽装し、興行が売れるというのなら、空位のタイトルを
つかみ取りにいこうとしないプロモーターなど一人としていないからである。
良心の何たるかを知っているプロモーターを紹介してほしい。そうすれば、私は水面下でスクープを追跡しないマスコミを
紹介しよう。
プロモーターはしばしば密室で不特定の団体幹部に明細不明の現金を叩きつけているのだ。その狙いは自らのプロモートする
試合に何がしかの金物ベルトを懸けること。安手の装飾品がそこに手配されれば、後は広報担当、ボクサー、そして往々にして
プロモーター自身の口から世間に対して欺瞞が語られる。
ミートボールの早食い王者か何か程度としか思われない2人のコンテンダーの間で戦われる試合の、一対どこにセックスアピール
があるというのか?
単に手元にある資金を有効活用しているだけだと考えて彼らにゴーサインを出すのはやめよう。もしも承認団体が試合を
承認しなければ(彼らも良心をもって試合を承認しないこともある)、その時は紛い物の州タイトルが懸けられるのだ。
あるジャーナリストが2人の地方出身ボクサーによって争われたニューヨーク州タイトルマッチの舞台裏について語ったこと
がある。読者はそのようなタイトルがどのようにして懸けられるかご存知だろうか?文字通り自費でベルトを購入するのだ。
そうすればタイトルマッチの出来上がりというわけだ。わいろを贈る人間などいない。承認料が徴収されることもない。
買ってきたベルトを持っていけばそれで即席タイトルマッチが行えるのである。
なぜこのようなことがまかり通るのか?なぜなら2人のボクサーをリングに呼び込むにはこの方法しかない場合が多いからだ。
メディアは現行タイトルの削減と一階級一王者制度への回帰を推進し続けている。これを推進すること自体に間違いはない。
しかし業界のキーマンたち(ボクサー、マネージャー、プロモーター)がこれに着手する気がなければ、この推進運動は
労多くして実り少ないものとなる。
一方で、承認団体が旧来のやり方を踏襲するたびに警告を発するのは、業界における団体の存在そのものと影響力を認めることに
つながる行為である。団体の欠点ばかりをあげつらい、長所について目をつぶるばかりでは、言動に均衡を欠くとの誹りを
免れないだろう。
誰もがすでにこのような様々なアルファベット団体と不可分のナンセンスを知っているのだから、彼らのカネ集めに協力するのは
そろそろやめようではないか。自らの説くところを実践し、既存のベルトは正当なボクサーまたは試合によって証明されない限り、
無価値なものだという事実に目を向けようではないか。
そうすれば、真にして唯一の対象、つまりリングの中のアクションに我々の視点は回帰するはずだ。
*アルファベット団体:言わずと知れたメジャー四団体のWBA、WBC、IBF、WBO。
WBAを筆頭とする近年の無軌道ぶりにA、C、F、Oなどと区別せず、
単にアルファベットと表記することで四団体どれもたいして差はないと揶揄している。