BOXING観戦日記

WOWOWエキサイトマッチなどの観戦記

Sバンタム級ノンタイトルマッチ

2009-06-30 19:50:15 | Boxing
下田昭文 VS マウリシオ・ベセリル

下田 1ラウンドTKO勝利

やっと勝ったか。
まあ、これは帝拳流の復帰の花道。
西岡と同じようなフィニッシュシーンだったが、
インパクトでは数段劣る。
下田の真骨頂は一発強打よりも出入りのスピードとメリハリのきいた連打だ。
相手は気概を見せたが、やはり負け役だった。
今後はまた日本ランカーとの連戦をきっちりクリアして、
そこから世界ランカー戦に臨む必要がある。

IBFフライ級タイトルマッチ

2009-06-30 19:45:14 | Boxing
王者 ノニト・ドネア VS 挑戦者 ラウル・マルチネス

ドネア 4ラウンドTKO勝利

考察 ~ドネア~

パンチとは良い角度と良いタイミングでナックルを当てることだ、
という哲学があるかのようなボクシングだ。
左フックは左の足首、膝、大転子から腸骨までを無理なくスピンさせ、
その運動モーメントが左肩、左肘、ナックルまで閃光の速さで伝わる。
といっても、元々が左利きなのだからこれができるのもある意味だ。
見るべきは左肘の開きの角度で、これを約135度で振るうが、
相手は自分より身長が低く、左ジャブでは入ってこないが、
右で潜り込んでくる。
その際の相手の頭の位置を瞬時に知覚し、ベストの軌道で左フック、
または左アッパーを叩き込むのは溢れるセンスと豊富な練習の両方を物語る。
長谷川がウィラポンを再戦で右フックに斬って落としたが、
その際に伸ばした左は肘をを180度まで開いており、
またパッキャオがハットン沈めた際の左フックも、
伏線の右は肘を伸ばし切っている。
ドネアの場合は右を必要最低限度だけ伸ばしながらも、
左フックとアッパーをベストのタイミングで超速で叩き込む。
これは体幹の使い方の非凡さを雄弁に物語っている。
この試合では右ストレートと右アッパーに新境地を見せ、
フライ級では敵はまさに己の体重とモチベーションだけとなる。

それにしてもこの男がアルセ、モンティエル、ミハレスと絡めなかったのは
様々な事情があったとはいえ軽量級ボクシングの損失だ。
亀田興毅も正体不明選手と意味不明な試合をするぐらいなら、
さっさと日本を飛び出してドネアに乾坤一擲の勝負を挑んでみてはどうか。
相手が減量苦であれ何であれ、勝てれば西岡に並ぶよ。

考察 ~マルチネス~

4ラウンド経過するまでに4回ダウンでは、
たとえ余力が残っていても、ストップにケチはつけられない。
アメリカで育った無敗のフライ級とはいえ、
そのボクシングは特徴に乏しく、高いガードはメキシカンを思わせるが、
ドネアにはいとも簡単に間を破られ、あるいは吹き飛ばされた。
無敗とはいえ、キャリアを構築できるような相手との対戦に欠けていたのだろう。
日本のフライ級ランカーでも楽々勝てる相手に思えるが、
世界ランクをゲットするために呼び寄せるのも、
こちらから乗り込むのも得策ではなかろう。
すでにこの敗戦でランクも価値も暴落している。

IBF・WBO世界ヘビー級タイトルマッチ

2009-06-23 21:50:52 | Boxing
王者 ウラディミール・クリチコ VS 挑戦者 ルスラン・チャガエフ

クリチコ 10ラウンド開始時点TKO勝利

考察 ~クリチコ~

ジャブとストレートだけで組み立てるボクシングだったが
決してdullではなかった。
というよりも、これほどsystematicなbeatingは
かつてラリー・ホームズが復帰してきたモハメド・アリに喰らわせて以来
ヘビー級では無かったのではないか。
2ラウンドに奪ったダウンはその軌道や威力よりも引きの速さに驚かされた。
パンチの引きの速さというとちと語弊があるが、
左ジャブにつなげる右ストレートに右の蹴り出しが乗っていると同時に、
その体重移動で生じたトルクの原理を左膝、左腰、左肩で受け止めることにより
右の打ち終わりに体が流れることもなく、かと言って威力を失うこともない。
この身長、このリーチの持ち主にこういうストレートを撃ち込んでこられては
白旗を揚げるしかなくなる。
事実、相手は無条件降伏せざるを得なかった。

それにしてもこれがあのイブラギモフのジャブとスピードを
必要以上に警戒し過ぎてチョッピングに終始したあのウラディミールか。
ヘビー級選手が王座に就いてから劇的な成長あるいは変貌を見せることはあまりなく、
だからこそかつてのヘビー級は絶対王者と超新星の衝突が永く繰り広げられたきた。
今は超新星がなかなか生まれてこないが、超新星自体が超新星に見えないの時代なのかもしれない。
クルーザー上がりでスピードと強打を併せ持つD・ヘイを想定していながら、
いきなりタイプも左右も異なるチャガエフ相手に完璧な試合運びを見せるあたり、
やはりもうビタリとの直接対決しか残っていない。
クリチコ兄弟に席巻されるヘビー級、それもいいかもしれない。

考察 ~チャガエフ~

ワルーエフ戦のアップセット以降、ブランクと微妙な相手との微妙な防衛を
繰り返してきたが、ボクシング勘自体の衰えは見せず、アキレス腱の怪我も
自身のボクシングを微調整することでTop Contentionを生き延びてきたが、
今回はファイトスタイル以前に相手が悪すぎた。
細かいウィービングでパンチを外し、ストレート系のパンチに自身の左を
まっすぐカウンターでぶつけ、懐でフックを連打することでワルーエフは攻略できたが、
ワルーエフがスローモーに振り回しながら前進してきたのに対し、
クリチコの場合はジャブで距離測定または牽制しながら正確なストレートを
撃ち込んでくるのだから、そもそもカウンターを取ろうにも距離が違い過ぎて機能しない。
ならばこの試合で見せたように、中間距離で機を窺うしかないが、
そこでは自身の右ジャブが全く活きなかった。
9ラウンドのラスト1分でジャブが2発しか出せなかったが、
何故セコンドはあそこでタオルを投入しなかったのか。
休養王者に意地もプライドもないだろう。
多くのファンはそう思っている。

IBF世界L・ヘビー級タイトルマッチ

2009-06-23 21:50:13 | Boxing
王者 チャド・ドーソン VS 挑戦者 アントニオ・ターバー

ドーソン 判定勝利

考察 ~ドーソン~

前後に幅広く取ったスタンスは攻撃と防御、
どちらにも素早く移行できる体勢を構築しており、
ジャブを2、3発バシバシとまとめてからのコンビネーションは
上下への打ち分け、回転ともにキマっており、
見栄えの良さでは今年のボクシングの中では最高だったかもしれない。
再戦で負けなしのターバーを相手にここまで自信を持って
手数を出していけるのは、自身の中で何らかの革命があったからか、
それとも見栄えの良さでの判定勝ちを狙っていたからなのか。
4ラウンド2分過ぎの左カウンターで一気呵成に攻め込まなかったのは
安全運転志向だったからではないかと思う。
見栄えがいいということは一発に欠ける傾向を表すことがある。
カルザゲ、ホプキンスとも互角以上に渡り合えそうな予感がするが、
そういった試合が組まれる気配さえないということは、
ビジネス的に美味しくない相手だと見られているということ。
商品価値を上げるにはグレン・ジョンソンをセンセーショナルに
ノックアウトするしかない。
古兵(ふるつわもの)にまたも若さを暴露する可能性もあるが。

考察 ~ターバー~

サウスポー対決は右リードの使い方に優る方が有利と、
毎回浜さんが言うが(今回は言わなかったな)、まさにそのとおり。
中間距離ではハンドスピードに優る相手のジャブに後手に回らざるを得ず、
さらに相手のフットワークを追い切れず、近距離では硬いブロックに阻まれ、
打つ場所を見つけそこなっていたように見えた。
ジョーンズJrを失神させた左の打ち下ろしは相手が気圧されている、
あるいは退がっている時には有効だが、若き王者のメンタルとスピードが
それを許すことは12ラウンド通じて一切なかった。
逆に言えば、相手に攻め込ませないだけのポテンシャルを左の一撃が宿しているということか。
7ラウンドの回転を効かせた左ショートフックで一瞬相手をdefensiveに追いやったが、
相手を退かせるには至らなかった。
伸びる左以外はさほど怖くないことが露呈された今、
戦い続ければ新鋭の踏み台にされる運命が待っている。
かといって引退するのは馬鹿げたoptionだ。

This Time, Boxing Has Adapted to Globalization

2009-06-21 15:50:50 | Translated Boxing News
原文は以下URLを参照のこと:http://www.boxingscene.com/?m=show&id=19549

ブレント・マテオ・アンダーソン氏の許可のもと、日本語版をお送りします。この記事もボクシングというスポーツが持つ歴史とその特殊性を分かりやすく、かつ刺激的に紹介しているという点で日本のボクシングファンにも読まれるべきだと判断しました。訳文中の誤記、語訳の類はすべて「涼しい木星」の文責に帰します。

“ボクシング、グローバリゼーションに順応す”

1950年代のリング・マガジンを取り出してパラパラとめくっていると、ボクシングというスポーツが滅びつつあるという趣旨の記事に出くわした。私が思うに、いつの時代でも同じことが囁かれているのだ。というのもボクシングの死は18世紀以来、定期的に予言されてきており、しかもそれはことごとく誤っていたからだ。表面的には負の面ばかりが目につくが、ボクシングは今後も変わらず存在し続けるだろう。

あなたがた読者がボクシングというスポーツについてどのような印象を抱いていようと、ボクシングは常に予想以上に社会のトレンドや変化に敏感だったのである。営利目的で制作された史上初の映像はボクシングの試合だったし、史上初のスポーツのラジオ放送もボクシングの試合だったし、メジャーなプロスポーツで史上初めて黒人アスリートとして世界の頂点に立ったのはジャック・ジョンソンだったのである。ここでUCLAの4大スポーツで代表入りし野球殿堂入りをも果たした名選手を貶めようとしているわけではないことをご了承頂きたいが、かのジャッキー・ロビンソンが大リーグでプレーできたのは1947年になってからで、これはジャック・ジョンソンの没後1年後のことなのである。

ことほどさようにボクシングが社会構造の変化に素早く対応できる理由の一つとして、ボクシング界には中心的な権威が存在しないことがあげられる。そこには官僚主義的機構がないので、変化を妨げる要因も必然的に少なくなる。アルファベット3文字承認団体やそれぞれ異なる体育協会が存在していても、ボクシングというスポーツの最も基本的な段階を本質的に構成するのは、報酬を得るためにパンチだけの戦闘に従事する2人のボクサーとそこから利益を上げようとする経済的支援者なのである。

今日のアメリカではボクシングはあまり健全な状態にあるとは言えない。だが、それでもボクシングは生き延び、繁栄し続けるだろう。ボクシング界における出来事は常により大きな規模で進行しつつある事象の縮図なのだ。ジョン・L・サリヴァンはプロスポーツの分野を切り開いたのと同時に社会的にもメディアの寵児として活躍した。ジャック・デンプシーは激動の1920年代を体現したし、モハメド・アリは1960年代という社会的動乱の時代を象徴していた。

ごく最近でもオスカー・デラホーヤの第一線への進出はヒスパニック系移民社会がアメリカ社会へ融和したことを象徴的に表していたし、このことはまたアメリカという国家の自己同一性の獲得過程が過去20年の間に劇的な変貌を遂げたことも物語っている。

ボクシングは女性の参加を許容していただけでなく積極的に奨励してきたという意味でもプロスポーツの新時代を開拓する最前線に立っていた。大衆はこの流れに乗って1996年に編成されたのサッカーとバスケットボールのチームをその好例だと称賛するが、同年にスポーツ・イラストレイテッドの表紙を飾り、タイソン×ブルーノIIの前座で猛々しい戦いを見せ、全世界数百万の視聴者に畏敬の念を起こさせたのはクリスティ・マーティンだったのである。

だが、考えてみればこれも当然だったのではないか?マーティンが披露した戦いは逆説だった。というのも、彼女の試合はその夜の全ての対戦カードの中で最も野性味に溢れており、それを目撃したファンに「女性が正々堂々のボクシングの試合でこれほどファンを魅了することができるのなら、他のスポーツでも女性が活躍できないはずはない」と思わせたからである。マーティンの祝賀パーティーの一ヶ月後にNBAはWNBAを一年後のシーズンから開始するための予備契約を交わしたのだが、これは蓋し当然の成り行きであった。

そして今日、ボクシングはまたも他のプロスポーツに一歩先駆けて今後の人類を永遠に変えるであろう新たな傾向に順応した。その傾向とはグローバリゼーションである。

1980年代後半と1990年代前半の大英帝国のミドル級がマイケル・ワトソン、ナイジェル・ベン、クリス・ユーバンクを擁して成功を収め、そこにレノックス・ルイスが加わることで英国は爆発的に復活し、ジョー・カルザゲとリッキー・ハットンの比類なき業績によってその人気はさらに沸騰している。

イギリスは近代ボクシング発祥の地であり、その人気が今も続いていることは驚くには値しない。驚くべきはその他の多くの国でボクシングの人気が高まっていることだ。

現在のドイツのボクシング人気は過去最高と言えるかもしれない。1988年の五輪金メダリスト、ヘンリー・マスケはベルリンの壁崩壊以降、国民の注目を集めた初めてのボクサーとなり、ドイツボクシングの黄金時代を切り開き、東西統一ドイツはボクシングのメッカの一つとして世界地図に刻みつけられることになった。

今日ではボクシング界最高の選手たちの中にも伝統的・慣習的とも言えるアメリカでの試合を拒み、ラインラントでボクサーとしての名声と富を得ようとしている者もいるのだ。

旧ソビエト連邦構成国だったスラヴ系国家は目を瞠るようなペースで世界レベルのヘビー級を輩出し、同階級を飲み込みつつある。ワルーエフ、クリチコ兄弟、イブラギモフ、ポベトキン、そして台頭しつつあるディミトレンコはいずれも世界の一線級のヘビー級ボクサーたちである。

フィリピンとインドネシアではマニー・パッキャオとクリス・ジョンがボクシングの地位を向上させ、それらの地域ではボクシングは今後も安泰であろうと思わせるほどの人気を確立した。ラテンアメリカでは、メキシコ、プエルトリコ、パナマで定期的に世界王者が誕生し、ボクシングの繁栄が続いている。

オーストラリアのボクシングでは悪漢アンソニー・マンディンと地に足のついたダニー・グリーンの活躍で会場への入場者数記録が次々に破られ、日本とタイでもボクシング人気は健在である。

アルツール・アブラハムやバネス・マルティロージャンのようなボクサーたちが成功を収めていることで、世界のアルメニア人コミュニティではボクシングは人気抜群のスポーツとなっている。

アメリカでのスポーツのファン層が転換あるいは減少しつつあり、リアリティTVジャンキーとiポッド中毒者世代によりボクシングも勢いを失いつつあるように見えるが、ボクシングはまたも粘り強さと時代への順応性の高さを見せ、地球規模での立場を明確にし、来るべき時代を支える全世界的なファン層を創出したのである。

スリラー・イン・マニラ モハメド・アリ VS ジョー・フレイジャー

2009-06-21 00:10:01 | Boxing
アリ 14ラウンド終了TKO勝利

NHK-BSHiで特集番組が放送されたが、
このおかげで当時の情勢をつぶさに知ることができた。
ボクシングは娯楽でありスポーツでありながら、
同時に宗教、経済、政治、戦争の象徴でもあったのだとあらためて知る。
Smoking Joeのタフネスには恐れ入った。
フィジカルとメンタルの両面で、だ。
幕ノ内一歩がヘビー級になるとああなるのかな。
アリのシャープなmaneuverにも目を奪われたが、
このラバーマッチの当時の一番の見所は”どちらが勝つのか”だったのだろう。
ボクシング(に限らず)はスポーツは勝敗が物を言うが、
ボクシングほどその点を注目されるスポーツもないだろう。
というのは、ボクシングは複雑な社会情勢を反映しやすいスポーツだからだ。
アリの良心的兵役拒否、試合前のパフォーマンス、人種差別問題、友情と憎悪などの
諸々の要素がこの試合に込められていたからだ。
日本では徳山昌守がその高い技術が称賛されず、地味な試合運びと国籍問題だけで
不当な評価を受けていたのはその悪い例だと言えよう。
過去には白井義男が日本人初の世界王者となった時に、
「日本でもアメリカに勝てるのだ」という良い意味での光明が社会に与えられた。
プロ野球は「アメリカに勝つ」をお題目に発足し、それが正式に成し遂げられたのは
80年以上も経過しての第一回WBC大会(この名称は何とか…なるわけないか)。
サッカー日本代表がW杯で優勝するのにもおそらく同程度の星霜が必要だろう。
いかにボクシングが夢を託しやすい、または夢を与えられやすい競技であるか分かる気がする。
日本のボクシング人気は一部を除いて芳しくないが、
ボクサーはそこにボクシングがある限り生まれ続ける。

20世紀最高のスポーツ選手は?と問われればモハメド・アリを挙げる人も多いだろう。
私が選ぶなら、モハメド・アリ、マイク・タイソン、マイケル・ジョーダン、
ベーブ・ルース、マルチナ・ナブラチロワ、ジョン・マッケンローあたりかな。
それでもスポーツという枠を超越して世界に影響を及ぼしたのはモハメド・アリだけか。
親父は今でもアリをカシアス・クレイと呼び続けている。
そういうある意味で頑固なファンが存在し続けていることのポイントも高い。

そうそう、マニラでのインタビュー場面でRonnie Nathanielszが登場してた。
ちょっと前までこの人と丁々発止のやり取りをしてたと思うと感慨深かったな。
残念ながら(?)、今は少し記事の論調が丸くなってしまったが。

WBO世界Lフライ級タイトルマッチ

2009-06-16 22:22:04 | Boxing
王者 イバン・カルデロン VS 挑戦者 ロデル・マヨール

カルデロン 負傷判定引き分けで防衛成功 

考察 ~カルデロン~

サウスポーの利点を活かしているというよりも、
自身のフィジカル(身長、リーチなど)の制約から構築されたスタイルが
サウスポースタイルに資するところ大という感じ。
パンチを相手より先に届かせるというより、
自分だけがパンチをヒットさせられるタイミングを常に探っている。
見ている分にはヘナチョコな戦い方に見えるが、
自身から攻撃を仕掛ける際には常にカウンターを浴びる危険性があり、
それをかいくぐれるのはキャリアに裏付けされた技術ゆえだ。
この日は相手の右の重さに左のキレに序盤こそナーバスになったが、
あのカットがなければ、カサレス戦と同じく、ラン&ガンならぬ
ラン&ピストルといった感じで判定勝ちしていたことだろう。
しかし、この階級では厳しい。
クイックネスとディフェンスマインド次第で無敗は継続できても、
ドネアのようなハイレベルなカウンターパンチャー(現Lフライにそんな選手はいないが)には、
深刻なダメージを与えられそうな予感も漂う。
WBOということで日本人は絡めないが、興毅には勝ちそう。
しかし、大毅には押し潰されそうだ。
ソーサやソリス、ビロリアらとの対戦が見たいが、
おそらくキリの良い防衛回数を達成したら引退か。

考察 ~マヨール~

序盤で一気呵成に攻め込まないと勝てないよ。
カルデロンのようなランナーは「いつか捕まえられる」ではなく、
「ここでいきなり仕留めてやる」ぐらいでないと捕まらない。
長丁場に付き合うなら、KOされる心配はないのだから、
顔面に3発入れられる間にボディにメリッと一発ずつ入れていかないと。
または強いジャブ正確に打ち続けて釘付けにするか、
入り際にドネア級の左フックで威嚇するかしないと、
ズルズルとポイントを奪われてしまう。
世界を争うのならボクサー同士の力量に大きな差はあまりない。
畢竟、勝敗を分けるのはゲームプランなのだ。
スポーツ選手がよく言う「自分の持ち味を出せれば…」というのは、
球技という運の要素が強いゲームには当てはまっても、
ボクシングという競技には当てはまらないことが多い。

WBO世界ウェルター級タイトルマッチ

2009-06-16 20:50:35 | Boxing
王者 ミゲール・コット VS 挑戦者 ジョシュア・クロッティ

コット スプリットディシジョンで防衛成功

考察 ~コット~

管理人採点では114-113でコット。
しかし、これは非常に採点が難しい試合だった。
地元判定以上、疑惑判定未満というところか。
左右の連打の回転力は素晴らしく、フックでたたみかけながら
右ストレートを織り交ぜ、そのヒッティングを基点にポーンと
バックステップするのは完全にアウトボクサーのムーブ。
問題はそれがハマっていないことだ。
手数と的中率でもわずかに相手の後塵を拝したと見るが、
試合運びの上手さでは若干上回った…のか?
左アッパーでクラウチングが崩された時の見栄えの悪さを最後まで修正できず、
モズリー戦終盤で見せた安全運転をまたも披露した。
左眉のカットは深刻だったが、それを差し引いてもちと不満が残る出来だった。
勝っているうちはいいが、真の実力者と相対した時にこれをやると
今度こそ商品価値が暴落することになる。
やはりマルガリート戦の後遺症があるか?
これについてはその後の相手のスキャンダルに救われた格好になったが、
パッキャオ戦またはメイウェザー戦が実現した際には
正真正銘のメンタルタフネスが要求されるだろう。

考察 ~クロッティ~

初回と終盤の支配運びが悔やまれる。
ディフェンス力は互角、打たれ強さは上、
パンチ力は互角、試合運びはやや下、
お互い脚と左眼に問題を抱え、条件面では五分五分だったと言える。
この選手の特徴は堅いガードと硬質なパンチ。
これらは長所にも短所にもなり得る。
ガードが堅いゆえにダメージを負うことは少ないが、
必然的に手数も減り、リズムを構築しにくい。
パンチが硬いゆえに、コンビネーションをあまり出さず、
ディフェンシブな相手ではポイントアピールがしづらい。
ジュダー相手には有効に作用するスタイルが、
コット相手では有効に作用しなかったということ。
だが、敗因はもっと明確だ。
メンタルの弱さ、これに尽きる。
露骨に減点を訴えるようではローカルなスター止まりだ。
ウェルターという花形階級の一角を占めることの意味を
もっと自覚してほしい。
ダイレクトリマッチの機運があるのが救いか。

A Farewell To Our Dorm

2009-06-14 01:39:42 | Private
6月12日(金)、新大阪発19:13のひかりに乗る。
22:40に東京のJR武蔵境駅に到着。
タクシーで母校へ向かう。
4年間を過ごした学生寮がついに閉寮、来月末には取り壊しとなる。
13日には閉寮記念パーティーが開催されるということで、
熱心な(元)ボクシングファンの後輩に誘われ、
是が非でも出席しなくてはならないと思ったのだ。
寮は50年以上の歴史を持ち、かのヴォーリズの設計によるらしいが、
歴史があるとはつまり、古いということだ。
耐震構造上の問題もあるし、老朽化も著しい。
何よりも時代のニーズ(個室によるプライバシー確保etc)に応えられない。
そうしたこともあり遂にその姿をこの世から消すことになった。

思えば貴重な体験をしたものだ。
それほど広くもない部屋にベッド、机、タンスなどを詰め込み、
2~3人部屋として使い、人種や国籍もバラバラだった。
アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、スペイン、オランダ、ロシア、
オーストラリア、中国、フィリピン、タイ、ブラジル人などなどと、
部屋だけではなくキッチン、風呂、トイレまでが共同だった。
異常な4年間を過ごしたと言ってもいいかもしれない。
そこには友情があり、対立があり、涙があり、笑顔があった。
勉強に生きる者、スポーツに励む者、恋に溺れる者、バイトに精を出す者と、
まさに a jewel of a time to have graced だった。
今でも忘れられないのがアルゼンチン人とインドネシア人と韓国人の女の子たち3人。
いずれも実らない恋だったが、今では sweet memories だったと懐かしく思い出せる。

先輩、後輩、同期との再会。
変わらぬ先輩方に良い意味でも悪い意味でも変わってしまった先輩方。
40歳以上も年長の方々までがいらっしゃたのには正直度肝を抜かれた。
相変わらず頼もしい後輩たち。
自分たちの世代に比べてよっぽど勉強しているし、青春を謳歌している。
その一瞬一瞬がかけがえのない宝物であると実感しているものが
果たしてどれだけいるのだろうか。
我が同期には何故かこういう集まりに姿を見せない者が多い。
何故だ?
論語に”有朋自遠方来不亦楽乎”というが、
そのような場を提供してくれる寮があとわずかで消えていくと思うと
涙がこぼれそうになった。

出馬に向けて地元で着々と準備中の先輩とは政治を語り、
まだ結婚(または離婚)していないのかと同期と冷やかし合い、
幹事を努めた後輩とはボクシング談義に花を咲かせた。
ボクシングは自分にとって趣味であり、娯楽であり、
思い出であり、人生訓でもある。
そして私にとっての大学生活とは寮生活とほぼ同義語であり、
そこでの経験は自分の人生観、価値観、人格形成に多大な影響を及ぼしている。
今は自分という人間の両輪の片方を喪失したような気分だ。
しかし脱線が人生であるように、別離もまた人生。
ボクサーが無傷で歩めない険しい道を敢えて選ぶように、、
自分も不条理なこの時代に地雷原さながらの二十代を手傷を負いながらも、
何とか生き延び、今も生きている。

自室に帰ってきたのが13日の22:00頃。
Rod Stewart の When We Were The New Boys を口ずさみつつ、
今だけは日常から逃避し、しばし思い出の世界に遊んでいる。

ダイナミックグローブ前座

2009-06-09 21:19:30 | Boxing
ミニマム級8回戦
島崎博文 VS 田中教仁

田中 3ラウンドTKO

ミニマムでも面構えと好戦的なスタイルで十分楽しめることを
証明した好個の一例とも言える試合。
リーチや身長はボクシングにおいて重要なファクターだが、
パンチの威力と当て勘はそれらに優る。
ボクシングは体重をそろえて戦う競技で、
身長や体格は勝負を決める副次的な要素に過ぎないこともあるのだ。
あのタイミングならそりゃ殴るわな。
厳密には反則だが、田中のあの脊髄反射的なパンチは買い。


フライ級8回戦
八巻裕一 VS 林徹麿

林 判定勝利

セコンドにセレス?
解説とセコンドの二足のわらじか。
八巻は左足のつま先をもう少しスクウェアにできないのか?
フック系を警戒しているのかもしれないが、
そこは右ガードとスウェー、ダックでかわすのが
サウスポーのかっこよさの見せ場だというのは西岡が示してくれたはずだ。

PS.
興毅も日本ランク当落線上選手とスパーするぐらいなら
清水、久高、翁長、中広と練習(っていうか試合)してくれ。

それにしても前座やその他の試合をもう少し見せてくれても・・・
後藤とか金子とか細野とか露出少なすぎ。
S.X.B.の前座的な、前座特有のあの雰囲気がいいんじゃないか。