BOXING観戦日記

WOWOWエキサイトマッチなどの観戦記

Why One Champ Per Division Will Never Again Work

2009-11-22 00:36:57 | Translated Boxing News
毎度おなじみのJake Donovan氏の記事です。日本は世界的に見てもAとCしか承認していないという珍しいボクシング国です。海外と日本の温度差、ボクシング界の今後を考えてみるために格好の記事であると思い、翻訳の上、お届けします。原文はhttp://www.boxingscene.com/?m=show&id=22993を参照のこと。事実の誤認や誤記、誤訳の類はすべて管理人である「涼しい木星」の文責に帰します。

“なぜ一階級一王者制は今後機能しないのか”

我々がより前に進もうとするほど、より多くのファンが古き良き時代への回帰を要求する。

ボクシング界にはチャンピオンがあまりにも多すぎる。聞き飽きた指摘である。世界的潮流を過去のあるべき姿に戻そうとするならば、一階級に一人のチャンピオンだけが存在していた時代へと回帰する必要があろう。現代では本物のチャンピオンが誰であるか、もはや誰にも分からない。なぜならば、チャンピオンたちばかりでなく、彼らの母親までもがベルトを腰に巻いているように思われるからだ。

複数王者制が大規模な混乱のもとになっているという主張には多くの真実が含まれているが、これまで顧みられなかった点というのは、一階級一王者制度に我々が立ちかえった時、ボクシング界はどのように流れていくのかということである。

今年を例にとって考えてみれば、一階級一王者制度はボクシング史家や次世代の専門家の卵たちがかくあるべしと説くような紋切り型の解決策ではないことに得心していただけるものと思う。

完全無欠の制度などあり得ない。論ずるまでもないことだ。そして理論的に言えば、一人を宣してチャンピオンとする方が、3~4人の人間に「俺が王様なんだ」と吹聴して回らせるよりも遥かに道理が通っている。だが、衆目が一致して“チャンピオンと認める男”が相当の期間にわたってリングに上がることができないとすればどうなるのだ?

2009年へようこそ。

統一ミドル級チャンピオンのケリー・パブリックが、君臨は長く防衛は少ないという在位においてまたもや撤退の憂き目に遭った。ブドウ球菌感染のため複数階級を股にかけて戦うポール・ウィリアムスとの防衛戦予定が延期となったのだ。幾度となく調整と協議を繰り返した末の二度目の延期である。両者は当初、10月3日に相見える予定だったが、その後12月5日に日付をずらすこととなった。この予定が今回またも延期。中止とならなかったことをどう受け取るべきか。

パブリックは注目に値しない相手選手を相手にこれまでわずか2度の防衛、9月の後半に2年間の在位を数えるようになってしまった。

パブリックのタイトル防衛路線が信じられないほど落胆させられるものである一方で、階級の先頭に立っていながら、どういうわけか先陣を切っていこうとしない(divisional leaders failing to… well, lead)のはパブリックだけではないのである。

現在、真に正当な王座を保持していると主張できる8名のボクサーがいる。ウラディミール・クリチコ(ヘビー級)、トマス・アダメク(クルーザー級)、ゾルト・エルデイ(ライトヘビー級)、ケリー・パブリック(ミドル級)、マニー・パッキャオ(スーパーライト級)、ファン・マヌエル・マルケス(ライト級)、内藤大助(フライ級)、そしてイバン・カルデロン(ライトフライ級)である

パブリックを含む8人のうち、誰もがパウンド・フォー・パウンドのリストに記載するのはパッキャオとマルケスだけである。パッキャオはトップの座か、それに非常に近い位置に、マルケスは上位5位以内のどこかである。両者ともに長きにわたって挑んで来るもの全てと戦い、また複数の階級を股にかけて戦ったことでそれだけの名声を得るに至ったのだ。

唯一の問題は、彼らへの挑戦者たちのほとんど全員がもといた階級を飛び越えて挑戦してきたことだ。

オッズ通りの結果となるならば、11月14日はマニー・パッキャオに7つ目の階級でのベルトをもたらすことになるだろう。7階級のうち継承(lineal)王座は4つである。これほどの偉業はボクシング史を遡るとともに歴史に新たな一ページを書き加えていくという点で驚異的でもある。

パッキャオの打ちたてた数々の金字塔はどれも素晴らしいが、それだけでは証明できていないものもある。特定階級での覇権を明確に示す在位である。彼は階級最高のボクサー―またはその階級のチャンピオン―を倒す力を証明してみせた。だが、彼が王者として挑戦者たちを迎え撃ったことはこの数年間ない。

マルケスは現ライト級王者としての在位を含め、3階級制覇チャンピオンである。ホエル・カサマヨルを熱闘の末に倒し、ベルトを獲得した5ヶ月後の初防衛戦は桁外れの打撃戦となった。トップコンテンダーのファン・ディアスを打ちつ打たれつの壮絶な試合の末に打ち倒し、現代ボクシングの名勝負を作り上げたのだ。

次なる挑戦者の浮上を待つ間に、マルケス陣営の頭脳は引退を撤回してきたフロイド・メイウェザーJrに2階級を飛び越えて挑戦するのが賢明だと判断した。ファイトマネーは申し分なしの400万ドル。プロモーターの取り分80万ドルが差し引かれたが、メイウェザーの契約キャッチウェートの超過により臨時ボーナスを得ることになった。

しかしながら、報酬が常にリスクを上回るとは限らない。マルケスは本来の自分のボクシングをさせてもらえず、実質的な完封負けを喫することとなった。結果として、主だったボクシング誌のPFPランキングの降格を味わうことになってしまったのだ。

マルケスの今後については現時点では不透明である。待ち受けるは指名挑戦者のマイケル・カチディス。ただし、マルケスの将来に関する議論で急浮上してきた名前ではない。

リッキー・ハットンとの一大決戦についての交渉も最近では報じられている。実現するとなれば、間違いなく140lbかそれ以上のウェートでとなろう。また、パッキャオとのラバー・マッチの可能性もささやかれている。

ライト級ではマルケスは今でも階級全体を引っ張っていくべきリーダーと考えられているが、マルケス本人はそのことにさほど執心ではないようだ。

デビッド・ヘイの去ったクルーザー級が同様の運命を辿ることになるかどうかは、トマス・アダメクがどれだけ上手くヘビー級の肉体を作れるかにかかっていると言っても過言ではない。

アンドリュー・ゴロタとのポーランド全土を巻き込む同国人対決が済めば、同級の絵図はより鮮明になるだろう。とはいうものの、現クルーザー級のリーダーは、クリチコ兄弟のいずれかとの激突を来年今頃までに実現したいと考えているようだ。

昨年12月、2008年の年間最高試合の一つで、アダメクが3度のダウンを記録した末に継承王座を奪取したスティーブ・カニンガムとの再戦の提案もなされているが、アダメク自身からはこれに関して何のコメントも出されていない。

リターンマッチは不自然でも何でもない。ただメイン・イベント社だけがテレビ局の関心を得ることに腐心したに過ぎない。ビジネスの観点から、アダメクがヘビー級の水に合うかどうかをテストすることを批判することはたやすい。名勝負間違いなしの再戦がテレビ局の経営陣の関心をわずかなりとも得られないというならば、確かにクルーザー級に留まる意味はどこにもない。

だが、クルーザー級でのアダメクの今後はしばらく保留となる。アダメク自身はヘビー級でも好調だというが、望ましい条件が提示されれば、勇んでクルーザー級に復帰してくると見られている。

自分の階級のあらゆる挑戦者と戦うという気概に満ちた男であるとは言えまい。

ゾルト・エルデイやイバン・カルデロンといったチャンピオンたちにしてみれば、そのようなことへの関心はほとんど存在しないも同然のようだ。

エルデイの理解に苦しむライトヘビー級での王座在位は来月ようやく終結するかもしれない。たとえそれが不戦敗だとしてもだ。目指すはクルーザー級への進出。アルファベットタイトル獲得を目論み、ジャコベ・フラゴメニに挑戦する予定である。

予定されているこの試合は継承ライトヘビー級王者としての5年以上の在位において経験したどの試合よりも厳しいものとなろう。なぜならライトヘビー級では彼は下位ランカーを好餌とし、敬意を払うに足る世界ランカーたちとの対戦を避けるばかりだったからである。

カルデロンはその小さな体にベルトを巻くこと実に6年以上。過去2年はジュニアフライ級のリーダーとして過ごしてきた。

その間の防衛5度。タイトルを奪った相手であるウーゴ・カサレスへの連勝も含んでいる。メキシカンのライバルとのリターンマッチは、偶然のバッティングによって生じた傷のため突然の試合終了となり、このパターンはなんと3試合連続で起きている。

エドガル・ソーサやブライアン・ビロリアとの統一戦の噂はささやかれ続けているが、そのつど噂止まりである。一方で、彼も35歳の誕生日を間近に控えており、階級のリーダーたるとの評価にあぐらをかくというよりは、実戦でもってそれを証明できるような試合を戦う時間が残されていないのだろう。

現時点では、内藤大助のフライ級王座への君臨について非難すべき点はあまり見当たらない。今年7月に在位2周年を数えたが、2007年7月に内藤はフライ級史上最長防衛記録保持者にして長年の宿敵ポンサクレック・ウォンジョンカムを王座から引き摺り下ろしたのである。昨年の3月には前王者相手にドロー防衛も果たしている。

次なる防衛戦は11月の日本人対決。ワイルドな人気者、元ジュニアフライ級世界王者にしてトップ10の世界ランカーである亀田興毅との一大決戦である。

内藤が継承王座を真に守り続けている数少ない王者の一人であるというのは皮肉なことだ。なぜなら、フライ級には4人の世界王者が存在するが、統一戦は滅多に挙行されず。統一戦の可能性が真剣に検討されることすら稀なのだから。それでもフライ級は全てのチャンピオンたち―継承か否かを問わず―が自らのホームで築き上げた戦績を根拠に我こそは王者なりと主張できる階級なのである。

ウラディミール・クリチコはボクシング界の継承王者の中では最も最近その地位を得た。今年の夏前半の対ルスラン・チャガエフ戦の一方的な9ラウンドTKOの功績である。この勝利によりヘビー級の頂上にぽっかりと空いていた穴が埋まったのだ。2004年のレノックス・ルイスの引退表明以降、ヘビー級の頂点は負の螺旋に陥っていたのである。

彼のヘビー級の継承王座獲得はヘビー級に安定をもたらすはずだった。だが、クリチコが2009年の残りを休養に当てるということで、一人ならず二人のヘビー級トップコンテンダーのキャリアが前進の機を失い、肩の手術を行うということもあり、2010年のうちの数か月も彼の肩が回復するまではヘビー級の停滞は続くものと思われる。

2010年の3月に復帰してくるというのが本当ならば、試合間隔は実に9カ月以上に及ぶことになる。過去の栄光のほんのわずかな光明にすらすでに餓えている階級にあって、最高のボクサーが無為に日々を傍観するというのはどう考えても良いことであるとは言えない。

ボクシングファンがウラディミールとその兄ビタリが双頭の怪物であると不平を言い続けている一方で、ビタリがウラディミールが対戦できない相手と諾々と戦っているというその事実そのものがヘビー級のトップを活発にしているというのは何と皮肉なことか。ウラディミールは2009年に1試合を戦っただけと記録にされるであろう一方で、12月12日はビタリの年内3度目-直近14か月というスパンでは4度目-の防衛戦を行う予定で、そのべてが正当な1桁世界ランカー(サミュエル・ピーター、ファン・カルロス・ゴメス、クリス・アレオラ、ケビン・ジョンソン)相手なのである。

もしもビタリの腰にアルファベット承認団体のベルトが巻かれていなければ、ヘビー級のトップランカー達とのこれほどの連戦は起こらないだろう。今日のような時代にはなおさらのことである。

複数のアルファベット承認団体という選択肢がなくなれば、残された最高のボクサーたち(the rest of the best)は最高の中の最高(the very best)を目指して互いに戦うだろう。歴史家なれば当然そう言いたくもなる。しかし、一階級複数王者は過去20年のボクシング界の格付けや成功にとって不利益となるものではなかった。

一階級に二人以上のチャンピオンが存在することの唯一の問題は、チャンピオン同士が決して互いに戦おうとしない、そしてチャンピオンを王座から引き摺り下ろそうと目論む有力なコンテンダーにその機会が与えられないということだけなのである。さよう、これでは確かに誰が最高の中の最高なのかという混乱につながるばかりである。しかし、少なくともその謎を解き明かす道に至る可能性は存在している。

可能性はあくまで可能性である。だが、階級のリーダーとしてその階級をリードしていくことを放棄したリーダーよりもこちらの可能性の方が期待できる。王を名乗れるのは1階級に一人のみ。だが、ほとんど全ての階級のリーダーたちはもはやリーダーたりえていない。これが我々ボクシングファンを取り巻く現状なのである。

リナレス陥落その他の海外記事

2009-10-25 00:12:29 | Translated Boxing News
お馴染みMr. Jake Donovanの記事です。氏の手によるBoxingScene.comの記事は
今後自由に翻訳しても良いとの許可を頂きました。やや時期を逸した訳ですが、
示唆に富むものと判断したのでお届けします。
ここでいう示唆に富むとは、ものの見方の可能性の話であって、
私が記者氏の見解のすべてに無条件に賛成しているわけではありませんので。
ちなみにこの記事では今後のWOWOWの放送予定試合の結果を含んでいますので、
それを知りたくないという方は読み飛ばされることをお勧めします。
原文はhttp://www.boxingscene.com/?m=show&opt=printable&id=22852を参照のこと。
誤訳の類はすべて管理人「涼しい木星」の文責に帰します。

The Difference Between What we’re Told and What We See
”耳に入ってくる評価とこの目で見ての評価の違い”

目にするものの半分を信じよ。そして耳にするもの一切を信じるな。

人生におけるシンプルすぎる教訓である。もしもあなたが幸運にも幼い頃に折り目正しく育てられたのであれば、
この教訓は年少時に教わったであろう。人は言いたいことを言えるものである。だが百聞は一見に如かず、だ。
実際に一見したとしても、そこにはさらなる観察眼が求められる。

さる10月10日月曜日はコロンブス・デーであった。我々の大半にとってはもはや馴染み深い記念日ではない。
教えられなくてはそうとは気付かないぐらいだ。ほとんどの人は会社へと出勤し、多くの子どもは学校へ行く日なのだ。

コロンブスが「1492年に蒼き海を渡った男」という英雄として称揚された時代と現代の記念日の在り方には相当の
隔たりがある。彼はアメリカを発見した。我々は過去数世紀にわたってそう教えられてきた。だが実際によくよく調べてみると
事実はそうではないことが明らかになった。彼の名誉を祝う記念日としてのコロンブス・デーの重要性の何たるかを
我々は知ったわけだ。

より多くの観客を会場に呼び込み、より多くの視聴者をテレビ画面にくぎ付けにさせるためとあらば、
ボクシングほど臆面なく話を大袈裟に語るものはない。

暫定ベルトが絡む試合はすべて世界タイトルマッチであると我々は教えられてきた。
そしてそれに出場するまあまあのレベルのボクサーは奇貨であるとも。なぜならそのボクサーは
いまだ黒星を喫していないからである。テレビ放送でたびたびスポットライトを浴びているボクサーは
スーパースターへの階段を駆け上がっているのだ、と我々は信じ込まされていることは言うまでもない。

心の奥底では我々はそれがナンセンスだと気付いている。だがいつの間にかファンは自分の頭で考えることを
止めてしまったのだ。プロモーターがボクシングメディアとボクシングファンに「ボクシング界のためにネガティブな
面についてあれこれ考え続けるのはやめよう。それよりポジティブな部分に集中しようではないか」と呼びかけている
現状が今の事態を招いたのかもしれない。

なにかを鵜呑みに信じてしまう。我々がそうなってしまった瞬間から本当の負の面があらわになったのだ。
我々は浮かされ踊らされていたと気付いた時には、ボクシング界の暗躍者たちは次に本物として売り出すべき
ボクサーをすでに用意しているのだ。

現代ボクシングはスターを育てようというビジネスではなく、むしろスターの装束が最も似合う男からスターを
作り上げようというビジネスに変化してしまっているのだ。

近い将来、そして今後数年の長きにわたってボクシング界の主役となるであろうと語られてきた2人のボクサーが
10月第2週の週末、試合を戦った。ファン・マヌエル・ロペスとホルヘ・リナレスである。

両者とも土曜日にそれぞれ別々のタイトルマッチに別々の大陸と島国でリングに登場したが、わずか16時間足らずの
間に両者のいずれもが自身の戦績に不釣り合いとも言うべき結果を出すこととなった。

ロペスは過去最強の相手と戦い、僅差の、しかし十分に勝利と見なせるに足る判定をロジャース・ムタグワ相手に得た。
試合は誰から見ても名勝負であり、確実に年間最高試合候補であった。

未知数だったロペスの精神力がこの試合でチェックできたと見るか、それともこれほど僅差の試合になること自体おかしいと見るか。
いずれにせよ、プエルトリカンは無敗を守り、突如として魅力的な報酬を得られる選択肢に恵まれた周辺階級では今もビッグネームである。

それでも、下位ランカー相手に僅差の判定を強いられたことで、ボクシングファンはこのプエルトリカンの戦績を詳細に
吟味するようになった。この男は本当にラベリング通りの強さを持っているのだろうか、と。

ダニエル・ポンセ・デ・レオンを初回KOに葬ってアルファベットタイトルを獲得した出世試合では、
彼は確かに戦績に見合うだけの強さは見せた。

それ以来、我々はポンセ・デ・レオン戦という彼が大差で勝利するとは予想されなかった唯一の夜の幻想から
抜け出せていなかったようだ。負け役ばかりを相手にした一連の防衛戦は彼の戦績を本当の意味で前進させる
ことはなかったし、HBOのBoxing After Darkシリーズ登場という貴重な機会をもたらしはしたものの、
Sバンタムまで上がってきたジェリー・ペニャロサを一方的に叩きのめしたからといってキャリアの
上積みになったわけでもない。書類上の成績からはそう判断するしかない。

それでも彼は今もって無敗であり、タイトル保持者であり、スター選手としての力量は疑問視されたものの
試合には勝利した。

同様のことがホルヘ・リナレスに当てはまるというわけではない。同日のより早い時間帯に、彼はすでに
無敗の、そしてその時点まで真の強豪との試合経験のないファン・カルロス・サルガドに衝撃的な敗北を
喫したからである。

リナレスがカルトレベル以上のボクシング視聴者の目に最初にふれたのは2年と少し前のバーナード・ホプキンス
がウィンキー・ライトに勝利したHBOのペイ・パー・ビューの露払いとしてであった。ベネズエラの天才児は
暫定世界タイトルマッチと銘打たれた試合で、すでに衰えの見えていた元王者オスカー・ラリオスとの対戦に臨んだのだ。

10ラウンドTKO勝利は若き天才がそこから獲得したタイトルの一つ目をもたらした。フェザー級王者としての
旅路は2試合だけ、ラリオス戦の勝利とガマリエル・ディアス戦の防衛成功でブレイクイヤーとなった2007年
の試合活動を締めくくるも、度重なる負傷2008年の大半を戦うことなく無為に過ごすことを余儀なくされた。

復帰後のリナレスに待っていたのはSフェザー級の暫定アルファベット王座の決定戦。対戦相手は世界挑戦資格が
疑問視されたワイベル・ガルシアで、昨年11月にリナレスはこれを5ラウンドで降し、2つ目の空位のタイトルを
奪取した。

アルファベット承認団体があらゆる局面でますます信用を失いつつあるこの時代においてさえ、
リナレスは二階級制覇王者として身に余る称賛を浴びた。それほどの称賛を浴びるほどの地位に
いかしにて辿り着いたのかという疑問の声は称賛にかき消された。

それでも彼の戦いぶりは素晴らしかったし、対戦が相手が誰であるかを考えさせないほどのパフォーマンスを
多くのファンに見せつけたのだ。

少なくとも日本の東京で行われた土曜日の試合までは。テンプルにもらった左フックは彼の王座への在位と無敗記録の
終わりの始まりをマークしたのだ。

24歳という年齢なら、リナレスにとって状況を好転させ、自らがかつて浴した天才という大仰なラベルに
真に見合うだけの実力者であると証明する時間はたっぷりとある。証明する、という言葉に重点を置かれたい。
なぜならば有望株の売買取引に最も熱を上げるような人間は、今でも彼を見逃すべからざるスーパースターと
見なす愚を犯す恐れなしとしないからである。

リナレスは予定されていた栄光への極みに到達するまで墜落炎上した誇大広告ファイター(the first hyped up fighter
to crash and burn *fighterはボクサーと戦闘機、両方の意味を持つ)の先鞭では決してない。2009年はそのクラスで
最高だと聞かされていたボクサーたちが次から次へと弱点をあらわにした、あるいは我々が自分自身の目で見て百聞は一見に
如かずを思い知った年であった。彼らがどう巻き返すかは今後次第であり、まだ今年は終わっていないが、現時点ではともかく
そうだと判断せざるを得ない。

ビタリ・クリチコへの敗北は、ヘビー級の頂上に陣取る旧東側ブロックの一角を打ち壊すことを期待された直近のアメリカ人ボクサー、
クリストバル・アレオラにとってはこの上もない学習経験になるかもしれない。当時無敗だったこのカリフォルニアっ子はアドバイザーの
アル・ヘイモンとのコネによってテレビ放映のメインを何度も飾ったが、トップクラスの選手に対してゴーサインが出せるような
対戦相手はそこにはいなかった。

9月26日は彼がまったく理想の自分に届いていなかったことを証明した。クリチコ兄にほぼ毎ラウンドポイントを取られ、
11ラウンド開始後にスツールから立つことを許可されなかったのだ。敗北は肉体的なダメージと同等のダメージを精神にも
与えた。ストップ直後にアレオラは泣き崩れた。その夜クリチコのパンチを300発以上浴びた顔面は醜く腫れ上がっていたが、
そんなことはお構いなしに彼は涙に暮れた。

3か月前、同会場のステープルズ・センターではもう一人の若きカリフォルニア出身選手が崩れ落ちていた。Sライト級世界ランカー、
ビクトル・オルティスがマルコス・マイダナとのノックダウン応酬の大激戦で、5ラウンド終盤に捕まり、6ラウンド開始早々に
ギブアップ(quitting)したのだ。

余計な口を叩かなければ、オルティスと関係者はその夜の戦いを肉体的なダメージをもって得た教訓だと素直に心にしまいこむことも
できたはずだった(*オルティスは「俺はquitterじゃない」と発言し、メディアの批判を倍加させてしまった)。先に3度のダウンを
奪ったことでスコアカードの上ではリードしていたが、その後の相手の攻撃を捌き切ることに失敗し、最後は笑ってしまうほど強烈な
パンチを浴びてしまった。

良い教訓になったと発言するかわりに、彼は大きな怪我なく現役を終えたいという意向を明らかにした。もしそれがマイダナ相手に
早々とギブアップしてしまったということの理由ならば、こちらとしては「そうか、それは仕方がなかったな」と言うしかない。

売り出し中の選手を買うか否かを決断する前にさらなる確証が必要なのではないかという時点で、ボクシングファンはこれまでに
何度も大損をしている。そのことに気付くのに、上の例で述べたようないくつかの屈辱的な敗北が常に必要だとは限らないのだ。

いまだ無敗でアルファベット承認団体のベルトを保持しているにもかかわらず、アンドレ・ベルトはウェルター級の将来を担う選手だと
今でも信じ込んでいる者は業界にはほとんど見当たらない。

サイズで劣る負け役相手に連続防衛記録を築くということはそのボクサーが保護されていることを意味する。可もなく不可もない
ウェルター級世界ランカーのルイス・コラーゾにカミソリの刃一枚の差の論議を呼ぶ判定勝利は、ベルトは標準以上のウェルター級
にはなれないということを示しているように思われる。ベルトに必要なのは自らの価値を証明することだ。あれだけのファイトマネーを
要求するからにはそれも当然のことである。

2010年1月開催が提案されているシェーン・モズリー戦に勝利すれば、売り出し文句どおりの逸材であることを正当に証明する
長き道程の第一歩を踏み出すこととなろう。現時点ではベルトの大差勝利を予想する者はほとんどいないのだが。

言い換えれば、ファンは信じんが為に目撃せねばならないということだ。

アンドレの名を持つもう2人の元オリンピック出場選手たちは似たような状況に置かれている。だが見方を変えれば、彼らは自らの
力を証明する絶好のポジションについているとも言えるし、自らの手に余る難しいポジションについているとも言える。

アンドレ・ウォードとアンドレ・ダーレルは2004年の合衆国ボクシング代表のチームメイトで、両者ともメダルを本国に持ち帰る
ことに成功した。ダーレルは銅メダルを入手し、ウォードは五輪金を獲得。ウォードは現役アメリカ人ボクサーでは唯一この偉業を
誇れるボクサーである。

両者の華々しいアマキャリアは米国のプレミアCATVネットワークShowtimeで頻繁に放送されるに足るものだった。

だがそれを以てしてボクシングファンは彼らのどちらもが本物であると納得することはできないし、プロとして今日まで築き上げた
戦績もまた然りである。

今後18か月にわたって健全な量のリアリティチェックが行われることとなろう。彼ら2人は来たるSUPER SIX Sミドル級トーナメント
に参加することが決定しているからである。

全勝すれば前評判を完全に覆すことになるだろう。彼らは2人ともトーナメント制覇者予想から最も遠いところにいるからだ。事実、
彼らは2人とも予選ラウンド初戦の勝利すらも期待されていない。ダーレルは敵地イングランドのノッティンガムでフロッチと対戦し、
ウォードは来月故郷のオークランドでトーナメント開催前の下馬評ナンバーワンのミッケル・ケスラーと対戦する。

2人とも、あるいはどちらか一方でも勝利、もしくは強さを見せての敗北となれば、彼らが本物か紛い物かの判断を決断を迫るための
動かぬ証拠をファンに与えることとなろう。どれだけプレスリリースを開催してもプレビュー映像を流しても役には立たない。
リング内で残した結果だけが結論となるのだ。

これはボクシング業界全体がとっくの昔に学んでいてしかるべき教訓である。だが今さらとは言うまい。何事にも遅すぎるということは
ないのだ。近年の期待はずれのホープたち、真に頂上へと登りつめるスターの不在は、我々が次代の大物という言葉を耳にした時に
まずはその目で見るまで信じるな式のアプローチを採用せよとの警告をようやく大衆に届かせたのである。

デンカオセーンVS大毅 海外記事

2009-10-12 02:47:46 | Translated Boxing News
Daiki Kameda Falls to Kaovichit In Second Failed Title Bid
by Jake Donovan

お馴染み北米メディアの反応です。アップするのを忘れていました。ちょっと王者に甘過ぎ、かつ、挑戦者に厳しすぎのような気もしますが、日本以外の国のジャーナリストが日本注目の試合をどのように見たのかを知るのは決して悪いことではないでしょう。ドノヴァン氏からは快く翻訳と掲載の許可をいただきました。my gratitude to Jake!原文はhttp://www.boxingscene.com/?m=show&opt=printable&id=22643を参照のこと。翻訳ミスは涼しい木星の文責に帰します。



「亀田大毅、2度目の世界挑戦もカオウィチットに屈す」

3度目の挑戦は魅力的な試合になるかもしれない。もし3度目が今後起こるのであればの話だが。

亀田大毅はタイのデンカオセーン・カオウィチットに0-2判定負けでフライ級での世界挑戦で0勝2敗となった。試合は日本の大阪、大阪市中央体育館で火曜日夜(現地時間)に開催された。

ジャッジのレヴィ・マルチネスとシルベストレ・アルバインザのスコアは115-113で現王者を支持、その一方でセルヒオ・カイーズは114-114のドローという驚くべきスコアを提出した。

試合は世界タイトルマッチとしては審美眼に耐え得るものでは決してなかった。というのも試合後半には現王者の過度のクリンチで膠着状態に陥ったからだ。カオウィチットは前半飛び出し、コンビネーションブローで亀田の攻撃を封じ込め、前半でポイントをリードした。

試合が進行するにつれ、亀田はボディ攻撃に活路を見出したが、その時点ですでにスコアに差をつけられ、挽回のためのラウンドも使い果たしつつあった。日本人挑戦者が近距離へ潜り込もうとするたびにベテランのカオウィチットはキャリアに裏打ちされた誤魔化しのテクニックでクリンチに持ち込み、後半の追い上げの攻撃を無効化した。

公式採点は実際以上に接戦を物語っているようにこれは事実ではない。敵地に訪れたチャンピオンはタイトルを手放してしまうような危険な状況に陥ることは見た限りではなかったからだ。

穴の多い王者として見られているが、カオウィチットは今後も戦い続ける。33歳の王者は母国タイを離れての4戦目にして、日出づる国へ出向いての3戦目で48勝1敗1分(20KO)と戦績を伸ばした。

王者の先の2回の日本のリングへの登場は坂田健史を相手にしてのものだった。2007年11月の初戦では論議を呼ぶ判定でドローとなり、13ヶ月後に再び日本の地を踏んだ王者は坂田を2ラウンドで片付けた。そこから現在まで2度の防衛に成功している。

カオウィチットの唯一の黒星は今からおよそ7年前の彼の唯一の渡米にまで遡る。Showtimeが放送したタイトルマッチで、11ラウンドでエリック・モレルに屈したの喫した一敗のみである。

亀田はこれで15勝2敗(11KO)となり、連勝は5でストップした。

この試合は約2年前の亀田の世界フライ級王者内藤大助に対する気品のかけらもない戦い以来の世界戦であった。当時18歳だった亀田は初の敗北を判定で喫するとともに汚い戦術を繰り返したかどで1年の謹慎を申し渡された。

彼は順調に復帰した。10か月足らずで5連勝を積み上げたが、結局、10月6日火曜日のマッチアップではそもそも噛み砕けないものを呑みこむという失態を演じてしまった。

勝利していれば、兄の興毅次第では同一階級で兄弟同時にメジャータイトルホルダーとして活躍するという、ボクシングの歴史においても数少ない兄弟になれるチャンスが生まれていたはずだ。

興毅は来月末に真の世界フライ級チャンピオンの称号を懸けて内藤に挑戦する。しかし当然のことだが、大毅がベルトを保持していないという状況では、日本は埼玉で行われるファン待望のタイトルマッチでは弟の守役という役どころを演じる必要があろう。

もし兄の興毅が勝者となれば、大毅も翌年復帰し、兄の勝者の輪に加わろうと頑張れるはずだ。大毅はまだまだ若いのだ。

だが、大毅の選ぶことのできる選択肢は僅かしかない。日本はWBCとWBAのみを世界タイトルと認定している。つまり、それ以外のベルトに挑戦するということは、敵地へ乗り込むことが要求されるのだ。プロとして4年、日本でだけ戦ってきた大毅にはまだその経験がない。

プロデビューから4年足らずでまだ20歳という年齢からすれば、キャリアはまだまだ続くと考えるのが普通だ。しかし、亀田大毅はフライ級のトップレベルに属していると証明するためのチャンスをすでに使い果たしたと考えることもまた無理からぬことなのである。

Nashiro - Cazares : The Post-Fight Report Card

2009-10-03 00:35:14 | Translated Boxing News
名城信男 vs ウーゴ・カサレス:試合後の総括

クリフ・ロルド氏の記事をまたまた翻訳の上お届けします。
北米地域でのこの試合の評価は日本のコアなボクシングファンなら
興味がおありだと思いますので。
語訳その他の事実との齟齬は翻訳者の涼しい木星の文責に帰します。
原文はhttp://www.boxingscene.com/?m=show&id=22561を参照のこと。


スポーツには勝者と敗者が存在する。

そうではないケースもまれにある。

引き分けとは自分の妹にキスするようなものだと言い伝えられているが、今週水曜日、日本は大阪の地で
両者が血と汗を弾けさせながら壮絶に打ち合った死闘の後に、WBAのSフライ級「正規」王者の名城信男
(13勝1敗1分8KO)と挑戦者にして元世界Lフライ級王者のウーゴ・カサレス(30勝6敗2分22KO)
のどちらが妹にキスしたかなど論じられそうにない。

引き分けは好ましい結果ではないが、引き分けこそが次につながる最も公正な道となることも時にある。この試合が
それだ。全ラウンドの映像を求めてYouTubeを検索してみたが、1~8、最終12ラウンドのみフルで視聴でき、
9~11ラウンドはハイライトでしか観戦できなかった。ゆえにここでは試合の採点はしない。しかし、ハイライト映像と
殿堂入りも果たしたジョー小泉によるFightNews寄稿の素晴らしいレポートから分かるように、引き分けという結果はいかなる
論議にも利さない。

全ラウンド視聴可能な部分を観る限り、再戦のメリットはある。今年2月のファン・マヌエル・マルケス対ファン・ディアスの
桁外れのライト級王座頂上決戦には及ばないものの、名城vsカサレスはものすごい試合で今年の最高の試合の一つに位置づけられる。

両者の総括をしてみよう。
試合前の戦力比較                   試合後の戦力比較 
スピード:  名城 B+  ; カサレス B  /  名城 B+ ; カサレス B+
パワー:   名城 B   ; カサレス B+ /  名城 B+ ; カサレス B+
ディフェンス:名城 B   ; カサレス C+ /  名城 B  ; カサレス B
精神力:   名城 B   ; カサレス B+ /  名城 A  ; カサレス A

カサレスは108lbでの対イヴァン・カルデロンとの二戦では減量で消耗しきっていたように見えたが、今では
115lbに完全に順応しており、スピードと構えにシャープさを増している。サウスポーの基本に忠実に戦いながらも、
リング中央での打ち合いにも長時間にわたって応じ、アップライトのスタンスから時にカウンターパンチャーに、
時に侵略者の如く攻め込み、試合の前半を戦ったカサレスは、最初の2ラウンドで名城を手ごわい相手だと悟った。
大きな右のパンチを数発もらい、インサイドでは印象的な左フックも2発ほど被弾した。3ラウンドまで名城のラッシュの
タイミングを測り、そこで一瞬王者にたたらを踏ませる場面も訪れたが、またもラッシュを止める努力を強いられた。
名城は第4ラウンドをきわどく押さえたが、カサレスはラフなアタックで5、6ラウンドを連取、試合をイーブンに戻した。

カサレスの勢いは7、8ラウンドにも持ちこされ、そして第8ラウンドに突入。アドレナリンの分泌にかけては今年最高の
3分間の一つとなったラウンドだ。左をリードにカサレスが切り込んでいくと死闘が幕を開け、両者互いに打ちつ打たれつ
を演じる。残り30秒でカサレスがスリップダウンをするが、これさえなければラウンドの流れからして年間最高ラウンド
だった。

いずれにせよ仮定の話である。9~11ラウンドのハイライトを見る限りでは優勢だったのは名城だった。より勢いのある
連打を繰り出し、クリーンなパンチを当てたのは名城だったからだ。だがカサレスも常に反撃していた。最終ラウンドには
名城が右の大砲2発をコーナー近くで命中させ、カサレスをぐらつかせた。メキシカンは判断を誤らずクリンチし、脚を動かし、
再び応戦したが、日本人王者は断固たる決意をいささかも緩めることなく戦い切った。

この試合が観衆が支払った円に見合う価値のあるものだったことは確実である。

パワー面では両者とも相手をぐらつかせたが、根性と顎のタフさ、そして両者とも一発KOアーチストではなかったという
幸運で耐えしのいだ。体格の割には両者ともハードパンチを振るったが、パンチのハードさはKOには至らず、
互いのグローブが交錯し続けるという展開にとどまった。ディフェンスでは名城が若干上回っており、腕と肩で相手の左を
何度も受け流したが、カサレスも主導権は握っていたものの、ショートレンジでは名城のパンチをもらってしまった。

両者を称えるならば、二人ともトレーニングでは得られない部分で最高点をマークしたと言える。両者とも精神力、プライド、
意志の力でラウンドを重ねるごとに激しさを増す試合を戦い抜いたのだから。また、緊張感が極限まで高まり、熱気がいや増すなか、
両者ともに屈することを最後まで拒んだのだから。

今後の展望

プロ5戦目でベテランの本田秀伸を打ち負かして以来、これまでに対戦してきた相手の質の高さを考えると
名城がこれでプロ14戦目を終えたばかりだというのは驚天動地だ。そこから足掛け11戦での対戦相手の成績を
合計すると260勝56敗5分、これには傑出した王者のマーティン・カステイーリョやアレクサンデル・ムニョスも
含まれている。そこへもってきて今度はカサレスである。

カサレスとは再戦が行われなくてはならない。

両者ともに自分が勝ったと興奮するに足る理由を数多く持っていたが、実際は誰の腕も勝者として高々と掲げられることはなかった。
再戦があるとすれば、より幅広い層、つまり我々アメリカ人にも視聴可能であることを願おうではないか。両者とも同階級に
三人のタイトルホルダーを認めているWBAとか言う団体の、いくら頭をかきむしって考えても釈然としない論理の元でリングに
上がったのだ。ヴィック・ダルチニャン(32勝2敗1分26KO)が同階級の本当の世界王者で、「スーパー王者」の称号を持つ
一方で、ノニト・ドネア(22勝1敗14KO)が「暫定」王者だという。不自然極まりないかもしれないが、ダルチニャンvsドネアⅡに
名城vsカサレスⅡもセットにしたカードはボクシングにとって最高の一夜となろう。

そのカードの勝者同士が激突するというのは論理的にも可能性の面からも大いに見込みがある話だ。

今でもボクシング界のプレミア階級の一つであるSフライ級の今後に希望を抱き続けようではないか。

追記
FightNewsのジョー小泉の記事に目を通してみたが、この人の英語は凄いね。
不自然なまでにナチュラルな英語になっている。
仕事以外でもかなりの英語の読み書きをしているのだろう。
英語に自信のある人はこの記事の原文とジョー小泉の記事、
両方を読んでみてください。
ボクシング記事かくあるべしという格好の見本になっている。
ボクビー、ボクマガの記者もこれだけのpassionとfashionで記事を書いてほしいものだ。

Naito-Kameda: Why Networks Should Care (But Won’t)

2009-08-23 01:38:15 | Translated Boxing News
boxingscene.comでおなじみの辣腕記者Jake Donovan氏の許可のもと、当ブログ管理人の「涼しい木星」の文責において翻訳版をお届けします。アメリカ人記者が内藤対亀田をどのように見ているのか、それを知る貴重な手がかりになればと思うと同時に、日本という国のスポーツジャーナリズムを見直してみる良い機会にもなると思います(私はDonovan氏の見方に全面的に賛成しているわけではありません、念のため)。事実の誤認などがあれば、訳者の責任とお考えください。原文はhttp://www.boxingscene.com/?m=show&id=21712を参照のこと。

内藤vs亀田:アメリカのTV局が何故注目すべきなのか(そしておそらく注目しないのか)
2009年8月21日 ジェイク・ドノヴァン記

アメリカに本拠を構える他のプロスポーツがアメリカ国内だけに金を払って、滅多に国境線を超えないとすると、それらのスポーツはどうなるのか。ふと立ち止まってこういうことを考えた経験がおありだろうか?

おそらくだが、それらのスポーツは我々が愛するボクシングというゲームと肩を並べることになるだろう。

ここで主張しておきたいのは、我々は時代を超えるような秋のシーズンに目を向けているということだ。すべてが順調であれば、スケジュールがいっぱいになっていることに疑問の余地はない―はずだった。

スケジュールの中で最も注目されていた試合が早くもなくなってしまったのである。ケリー・パブリックがポール・ウィリアムスを相手にミドル級タイトルの防衛戦を行うはずが延期となり、試合そのものが中止されるのではないかという懸念も捲き起こっている。

もしこの試合が実現すれば、同一階級の最高の選手同士の対戦、あるいは2人のパウンド・フォー・パウンド候補が特定体重(所謂キャッチウェート、契約体重。別のケース、たとえばパブリックvsウィリアムスの場合は一方のボクサーがもう片方のボクサーの階級へと上げる)で戦うという最近の流行の試合の一つになることだろう。

上の記述に当てはまりながら、アメリカのどの放送局の経営上層部のレーダーにも捉えられていない特定のカードがある。注目されてしかるべき試合である。というのも、そこには拳二つで夢と金を掴むという最高レベルのプライズファイティングにあるべき要素の全てが込められているからだ。

掘り下げた視線で見れば、内藤大助が自身のフライ級リニアル王座をワイルドな人気者、亀田興毅を相手に防衛するというファン待望の一戦に当てはまる作為的アングルなどありえないということに気付くだろう。

だがインターネットで時折見かける報道を別にすれば、日本ボクシング史上最大のイベントの一つになるであろう一大興行をアメリカの主要放送局が購入・放送してくれるのを固唾を飲んで見守るのはやめたほうがいい。

試合は東京で11月29日に行われることが内定しており、日本中が関心を寄せている。それもボクシング界の悪童(=boxing bad boy)亀田興毅(20勝無敗13KO)のセレブ的地位によるところが大だからだ。

18歳を前にしてプロ入りし、20歳の誕生日を待たずしてライトフライ級の世界王者に上り詰めた興毅のボクシング人生は常に早熟の天才との評価とともにあった。興毅が14歳で元ジュニアフライ級世界王者でボクシング殿堂入りも期待される井岡弘樹(当時年齢差17歳)との2ラウンドのエキシビションへの参加を打診された頃から亀田家はTVドキュメンタリの題材だった。

興毅は20歳まで三か月という時点で初めての(そして現時点で唯一の)世界王座を、判定に関して疑義が沸騰したものの獲得した。興毅が2006年8月にファン・ホセ・ランダエタを相手に勝利をプレゼントされたと感じたファンの数は少なくなかった。同時に日本のスポーツファンでこの試合を観戦した者の数も少なくなかった。なぜならこの試合は五千万人という途轍もない視聴者を生み出したからだ。

4ヶ月後のリターンマッチで戻ってきた視聴者は実に三千万人、興毅はそこで文句無しの判定勝ちを収め、王座を返上しフライ級へと照準を向けた。

対決の萌芽はここに始まった。

当時のリニアル王者は内藤ではなく、内藤に黒星を与えた唯一の存在にしてフライ級の防衛記録を17にまで積み上げていたポンサクレック・ウォンジョンカムだった。連勝記録は他ならぬ内藤(35勝2敗3分22KO)によって終わりを迎えた。初回KO負けと7ラウンド負傷判定負けという過去の対戦成績を乗り越え、2007年7月についに宿敵に判定勝ちを収めたのである。
だが、内藤は日本で育ち、日本国外で試合も経験している(その点では興毅も同じ)が、今秋ようやく実現しそうな両者の対決をファン垂涎のカードたらしめるのは内藤が単に王座を獲得したからというわけではない。内藤の初防衛戦で明るみに出た亀田家の汚点によるものなのだ。

ポンサクレックからタイトルを奪取してからわずか三か月足らずで、内藤は興毅の弟、大毅を挑戦者に迎えた。試合は見るに堪えない反則三昧となり、大毅がボクサーからレスラーに変身し、王者をボディスラムでキャンバスに叩きつけたところで頂点を極めた。

幸いにも内藤は重篤な怪我を負うことなく、勝者として高々と両手を掲げ、大差の判定勝利でもってベルトを持ち帰ったのだった。亀田の次男は試合中に故意に犯した数々の反則のためにコミッションから謹慎を言い渡され、底浅いキャリアで喫した初の敗北を挽回する機会もなくそれから一年間を無為に過ごす羽目に陥った。

興毅もまたその夜に弟の「手段を厭わず勝つ」というメンタリティに一役買ったかどで厳しい批判にさらされた。テレビのマイクは、兄が弟に王者の目の上の傷をさらに広げるために「肘でもいいから目に入れろ」という耳を疑うようなアドバイスを与えていたのを拾っていたのだ。

内藤の人生は一転して順風満帆となった。ポンサクレックとの4戦目の12ラウンド引き分けを含む4度の防衛をそこから積み重ねた。当今では前代未聞の第5戦も視野に入っていたが、内藤が今年5月の熊朝忠戦で負ったまぶたの負傷のためその予定は未定となっている。

ポンサクレックは升田貴久を挑戦者に某承認団体の暫定世界王座を来週に防衛予定である。勝者は30年前にまでさかのぼるリニアル王者の称号(註:ミゲール・カント由来か)を懸けて内藤と戦うこととなろう。

興毅もまた弟の遺恨試合を年内に内藤と戦うに先立って試合が予定されている。目前に控えるははるか格下のメキシコのジャーニーマン、ウンベルト・プールを迎えての9月初旬の東京での調整試合である。

全ての役者が勝った時、11月29日のタイトルマッチには単なる『正当な』世界戦ということ以上のストーリーが生まれる。

この試合は2009年のHBOとShowtimeの全対戦カードを合計するよりも多くの視聴者を引き付けることが期待される。

チャンピオンとチャレンジャーの間には紛い物ではない本物の敵対関係が存在する。両者を隔てる14という年齢差が作り出すベテランと新鋭の交錯という究極のシナリオがそこに加わるのは言わずもがなだ。

勝者を待ち受けるのは同階級の最多防衛記録保持者のポンサクレックとなろう。そしてそこから3ポンド上の階級ではアメリカの視聴者にも馴染みのビック・ダルチニヤンやノニト・ドネアも待ち構えている。

NBAやメジャーリーグを前面に押し立てるアメリカの放送局の経営陣が、そもそもの始まりから世界的であり続けてきたボクシングをグローバルスポーツとして視聴者に披露するまたとない機会が整っている。

だが我々アメリカ人は皆知っているのだ。世界のこちら側のボクシングはどれほど国内の人気が縮小し続けようとも新鮮な才能を求めて北米地域を出ることは滅多になく、結局は旧弊に固執するしかないのだということを。

Remembering Arturo Gatti

2009-07-13 23:11:47 | Translated Boxing News
下手な追悼文は私には書けない。David P. Greisman氏の記事を日本語に訳すことで哀悼の意を表明したい。原文はhttp://www.boxingscene.com/?m=show&id=20975を参照のこと。

「ボクシングの言葉」ガッティの記憶よ永遠なれ

最初の別れでは心臓を切り裂かれるような痛みを覚えた。最後の別れは彼の心臓が止まってしまったからだった。

アルツロ・ガッティが土曜の早朝、ブラジルのホテルの一室で死亡しているのが発見された。享年37歳。同ホテルには妻と幼い息子とともに滞在中であった。

今日から約2年前、我々は彼の最後の試合となったアルフォンソ・ゴメスへのKO負けに際して、彼に別れの言葉を贈った。ほろ苦い別離だった。我々は彼がこれ以上ダメージを受けるのを見るに忍びなかったのだ。それでも彼がダメージを受けながらも反撃するその様こそ、我々が彼の試合を愛してやまなかった理由でもあったのだが。

我々の心に彼が残る理由、それが何なのかを思い出すことがガッティにとって最高の称賛となろう。

それは彼のハートの強さだった。

2年前、もうこれでリングの上の彼も見納めかと感慨に耽った瞬間が思い出されてならない。今日この瞬間、もう二度と彼をこの目にすることはないと知った時、我々の心臓は鼓動が止まってしまうのではないかと思うほど締め付けられる。彼の雄姿を我々は忘れない。
安らかに眠ってほしい。

“A Requiem for Arturo Gatti,” originally published July 15, 2007.

“ガッティに捧ぐ鎮魂歌”2007年7月15日の記事より

“ヒューマン・ハイライト・フィルム”を締めくくる数々のエンドクレジットがある。

49戦。40勝。31KO。2階級制覇。20回以上におよぶHBOでの放送。4度の年間最高試合。

彼が呼び起した興奮は数え切れるものではない。

アルツロ・ガッティは全力で戦い決してあきらめないことで名声を得た。彼はパンチを効かされても即座に無尽蔵の根性で打ち返し、奇跡を起こそうとした。

リングサイド・ドクターを「まだ眼は見えてるぜ」と2度にわたって説得し、コーナーの椅子から立ち上がり、ウィルソン・ロドリゲスを5ラウンドにボディブローでノックダウンし、続く6ラウンドにまたもダウンを奪い、10カウントを聞かせたあのガッティ。ガブリエル・ルエラスのアッパーカットで頭を激しく上下に揺らされ、左眼下からは血が滴り落ちながらも、電光石火の左フックで試合を終わらせたガッティ。ファンはガッティの試合には大挙して押しかけ、ガッティがこれでもかというほどパンチを浴びるのを、彼の顔が腫れ上がるのを、試合前のオッズにも段々と開きが出るようになったことにも慣れていった。

だが、我々がヒューマン・ハイライト・フィルムと耳にして思い出すのはこれらの名シーンではないのだ。

フロイド・メイウェザーJrによる外科手術さながらの6ラウンドに及ぶ攻撃の後、ドランカーのごとき足取りでコーナーに帰っていくガッティ。当時のトレーナー、バディ・マクガートはガッティに試合を止めると告げる。ガッティのプライドはそれを許さない。「もう1ラウンドだけ戦わせてくれ!」だが、彼が椅子から立ち上がることはなかった。マクガートが彼の頭を両腕でひしと抱えていたからだ。だがこれも違う。

カルロス・バルドミールとの試合の第9ラウンド。左フックを浴びてふらふらと前のめりにキャンバスに倒れ込むガッティ。ロープを掴んで立ち上がるも、2度目のノックダウンでは仰向けでリングで大の字になり、動けない。消耗しきっている。完敗を喫したのだ。だがこれも違う。

土曜のアルフォンソ・ゴメス戦のガッティ。脚はよく動いたもののパンチが出せなかった。復帰戦を飾ろうと必死に強打を振るう場面はほとんどと言っていいほど訪れなかった。ニュージャージー州の体育管理委員長のラリー・ハザードSr本人がリングに上がり、流血試合を止めねばならないほどだった。ハザードの取った処置により、地元の人気者、アトランティックシティーのボードウォーク・ホール・アリーナに連続9回登場し、アメリカ全土で30戦を積み上げたボクサーのキャリアは終わることとなった。だがこれも違うのだ。

ヒューマン・ハイライト・フィルムのオープニングシーンは以下のようにして始まったのだ。

2002年5月18日。コネティカット州アンキャスヴィルのモヒガン・サン・カジノ。アルツロ・ガッティのミッキー・ウォードとの初戦の第9ラウンド。試合の勢いはそれまでの8ラウンドに何度も何度も両者の間を行ったり来たりしていた。このラウンドもそれまでと何一つ変わらないはずだった。

ウォードはスピードに乗って飛び出し、トレードマークである顔面から肝臓へとつなぐダブルの左フックをお見舞いし、ラウンド開始早々にガッティからダウンを奪う。苦痛に顔を歪めながらも、カウント9でガッティは右膝を上げ、立ち上がった。ウォードはこれで全部決めてやるとばかりにリング狭しとガッティを追いたてる。

しかしウォードはパンチをもらってしまう。ガッティはめり込むようなボディブロー、強烈な左フック、硬質なライトクロスで反撃する。今度はガッティがエネルギーを使い果たし、その間に回復を果たしたウォードは、よろめくようにロープに詰まり、全くパンチが出せなくなったガッティを攻め立てる。

HBOのボクシングアナウンサー、ジム・ランプリーはレフェリーのフランク・カプチーノに割って入り、試合を止めるよう要求する。だが、リング上の第3の男は2人の試合を続行させる。両腕でガードを固めるだけになったガッティはボクシング史上最高の試合の一つのボクシング史上最高のラウンドの一つをそこからダウンすることなく生き延びる。

数年前の記憶がフラッシュバックする。ガッティのキャリアは浮き沈みの激しいものだった。Sフェザー級トップ戦線への上昇と2年にわたる政権。3連敗。エンジェル・マンフレディに1敗、イヴァン・ロビンソンに2敗。4連勝でオスカー・デラホーヤ戦に辿り着くも、ガッティのコーナーはタオルを投入。10か月の戦線離脱。テロン・ミレットをTKOに下してガッティは蘇った。

ウォードとの歴史に残る3連戦は真のエンターテイナーとしてのガッティの地位を確固たるものにしただけでなく、キャリアの最終盤でも自分は正当な実力を保持したランカーなのだとボクシング界に証明することにもなった。

ガッティはSライト級で空位になっていた王座を獲得する。2度の防衛成功の後にメイウェザーに王座を明け渡すことになった。この敗北が終わりの始まりとなったのだ。ガッティは数年間にわたって減量に苦しんでいた。試合当日の夜には急激にリバウンドしていたが、それは同時に顔面を打たれた際の腫れやすさの代償でもあった。敗北に終わったメイウェザー戦はガッティを140lbで見る最後の機会となった。ウェルター級への転級は7ポンドの余裕をガッティにもたらした。

新しい階級でのガッティの初戦は当時無敗の34歳、全盛期を忠実なデンマークの観客の前で無為に過ごしたとも言えるトマス・ダムガードだった。ガッティはダムガードをTKOに仕留めた。彼の集客力に一目置いたカルロス・バルドミールは自身のウェルター級タイトルの初防衛にガッティを指名した。

ガッティはこれをもって勝ち星から見放された。

140lbまたはそれ以下では、ガッティはたいてい体格、スピード、パワー面のアドバンテージを使って欠けた部分を補うことができたが、一つ上げた階級は、特に目につくわけでもないKO率が重いパンチを持っていないことを必ずしも意味せず、自分よりも大きな選手相手にアゴの強さを試された経験がないわけでもないというナチュラルなウェルター級がひしめいていた。

ガッティはバルドミール相手には体格が足りず、ゴメス相手にも体格面で見劣りした。そしてリングの内外での生涯にわたる戦いで負った傷があまりにも多すぎた。バルドミール戦から356日のブランクを経て、ガッティの精神は若々しさを取り戻したと感じていたかもしれない。だが、彼の肉体はそうではなかった。

ゴメスは左フックを振るいながら、ガッティのジャブにカウンターの右を合わせてきた。ガッティは抗する術を持たず、358発のパンチを放ちながら命中は74発にとどまった。パワーパンチに至っては113発を放ちながら着弾はたった29発というお粗末な結果だった。7ラウンド最後の1分間で、ゴメスは右の拳をガッティの口腔にめり込ませるかのパンチを見舞い、ノックダウンを奪い、ガッティの唇を裂き、ガッティのハートを打ち砕いたのだ

レフェリーのランディ・ニューマンは傷だらけの戦士に必要以上の敬意を表したのかもしれない。ゴメスが試合開始から終了までガッティを打ちまくっていたにもかかわらず、カウントを数え上げた。だが、ニュージャージー州責任者のハザードがリングに上がり、試合を止めた。これについて多くのファンやオブザーバーが、残念ながらもそうせざるを得ない必要性があったことだと認めるしかなかった。

ガッティの長きにわたった伝説的なキャリアはここに終止符を打たれた。幾年もの間、カルト的なファンを持つ人物としての、ロックスターさながらの、流血と闘志の戦士としての、ファンがボクシングという甘美な科学を称賛する要素の実に多くを体現したボクサーの終焉であった。彼は達人の域に達したボクサーでもなければ、誰に対しても脅威となりうるようなプロボクサーでもなかった。だが、それにもかかわらず、彼はその資格ありとしてテレビ放送され、特集記事を組まれ、スポットライトを浴びたのだ。彼はロッキーだった。イタリアの種馬のロッキーだ。彼はどこにでもいるような平凡な男だったが、秘めたる力の全てを発揮した故に我々の喝采を勝ち得たのだ。

そう、ヒューマン・ハイライト・フィルムのエンドクレジットはこの部分を飛ばしては始まらないのだ。

2007年7月14日。アトランティックシティーのボードウォーク・ホール。ガッティは唇に貼られた絆創膏から血を滲ませながらも、HBOの最後のインタビューに答えるのだ。

「彼の方が強かったということさ」ガッティはインタビュアーのマックス・ケラーマンに答える。「彼はハングリーなボクサーで、若さもあった。俺は全力を尽くしたさ。アウトボクシングで十分さばけると思っていたが、自分よりでかい相手に追い詰められて、リングがどんどん狭くなっていった感じだった。Sライトとウェルターじゃ、全く違う自分になってしまう。苦しいね。140lbに落とせればいいんだが、もう無理なんだ。だからといってウェルター級で戦い続けるのにも無理がある。引退しようと思う。これ以上パンチを喰らい続けるのはいくらなんでも不可能さ」

同日の試合前、ケラーマンはガッティをダイ・ハードの主役、ブルース・ウィリス演じるジョン・マクレーンに喩えていたのだが、ガッティはカメラに向き直ると手を振って言った。その胸にはもう一人のアクションヒーローがいた。

「地獄で会おうぜ、ベイビー(Hasta la vista, baby)」

This Time, Boxing Has Adapted to Globalization

2009-06-21 15:50:50 | Translated Boxing News
原文は以下URLを参照のこと:http://www.boxingscene.com/?m=show&id=19549

ブレント・マテオ・アンダーソン氏の許可のもと、日本語版をお送りします。この記事もボクシングというスポーツが持つ歴史とその特殊性を分かりやすく、かつ刺激的に紹介しているという点で日本のボクシングファンにも読まれるべきだと判断しました。訳文中の誤記、語訳の類はすべて「涼しい木星」の文責に帰します。

“ボクシング、グローバリゼーションに順応す”

1950年代のリング・マガジンを取り出してパラパラとめくっていると、ボクシングというスポーツが滅びつつあるという趣旨の記事に出くわした。私が思うに、いつの時代でも同じことが囁かれているのだ。というのもボクシングの死は18世紀以来、定期的に予言されてきており、しかもそれはことごとく誤っていたからだ。表面的には負の面ばかりが目につくが、ボクシングは今後も変わらず存在し続けるだろう。

あなたがた読者がボクシングというスポーツについてどのような印象を抱いていようと、ボクシングは常に予想以上に社会のトレンドや変化に敏感だったのである。営利目的で制作された史上初の映像はボクシングの試合だったし、史上初のスポーツのラジオ放送もボクシングの試合だったし、メジャーなプロスポーツで史上初めて黒人アスリートとして世界の頂点に立ったのはジャック・ジョンソンだったのである。ここでUCLAの4大スポーツで代表入りし野球殿堂入りをも果たした名選手を貶めようとしているわけではないことをご了承頂きたいが、かのジャッキー・ロビンソンが大リーグでプレーできたのは1947年になってからで、これはジャック・ジョンソンの没後1年後のことなのである。

ことほどさようにボクシングが社会構造の変化に素早く対応できる理由の一つとして、ボクシング界には中心的な権威が存在しないことがあげられる。そこには官僚主義的機構がないので、変化を妨げる要因も必然的に少なくなる。アルファベット3文字承認団体やそれぞれ異なる体育協会が存在していても、ボクシングというスポーツの最も基本的な段階を本質的に構成するのは、報酬を得るためにパンチだけの戦闘に従事する2人のボクサーとそこから利益を上げようとする経済的支援者なのである。

今日のアメリカではボクシングはあまり健全な状態にあるとは言えない。だが、それでもボクシングは生き延び、繁栄し続けるだろう。ボクシング界における出来事は常により大きな規模で進行しつつある事象の縮図なのだ。ジョン・L・サリヴァンはプロスポーツの分野を切り開いたのと同時に社会的にもメディアの寵児として活躍した。ジャック・デンプシーは激動の1920年代を体現したし、モハメド・アリは1960年代という社会的動乱の時代を象徴していた。

ごく最近でもオスカー・デラホーヤの第一線への進出はヒスパニック系移民社会がアメリカ社会へ融和したことを象徴的に表していたし、このことはまたアメリカという国家の自己同一性の獲得過程が過去20年の間に劇的な変貌を遂げたことも物語っている。

ボクシングは女性の参加を許容していただけでなく積極的に奨励してきたという意味でもプロスポーツの新時代を開拓する最前線に立っていた。大衆はこの流れに乗って1996年に編成されたのサッカーとバスケットボールのチームをその好例だと称賛するが、同年にスポーツ・イラストレイテッドの表紙を飾り、タイソン×ブルーノIIの前座で猛々しい戦いを見せ、全世界数百万の視聴者に畏敬の念を起こさせたのはクリスティ・マーティンだったのである。

だが、考えてみればこれも当然だったのではないか?マーティンが披露した戦いは逆説だった。というのも、彼女の試合はその夜の全ての対戦カードの中で最も野性味に溢れており、それを目撃したファンに「女性が正々堂々のボクシングの試合でこれほどファンを魅了することができるのなら、他のスポーツでも女性が活躍できないはずはない」と思わせたからである。マーティンの祝賀パーティーの一ヶ月後にNBAはWNBAを一年後のシーズンから開始するための予備契約を交わしたのだが、これは蓋し当然の成り行きであった。

そして今日、ボクシングはまたも他のプロスポーツに一歩先駆けて今後の人類を永遠に変えるであろう新たな傾向に順応した。その傾向とはグローバリゼーションである。

1980年代後半と1990年代前半の大英帝国のミドル級がマイケル・ワトソン、ナイジェル・ベン、クリス・ユーバンクを擁して成功を収め、そこにレノックス・ルイスが加わることで英国は爆発的に復活し、ジョー・カルザゲとリッキー・ハットンの比類なき業績によってその人気はさらに沸騰している。

イギリスは近代ボクシング発祥の地であり、その人気が今も続いていることは驚くには値しない。驚くべきはその他の多くの国でボクシングの人気が高まっていることだ。

現在のドイツのボクシング人気は過去最高と言えるかもしれない。1988年の五輪金メダリスト、ヘンリー・マスケはベルリンの壁崩壊以降、国民の注目を集めた初めてのボクサーとなり、ドイツボクシングの黄金時代を切り開き、東西統一ドイツはボクシングのメッカの一つとして世界地図に刻みつけられることになった。

今日ではボクシング界最高の選手たちの中にも伝統的・慣習的とも言えるアメリカでの試合を拒み、ラインラントでボクサーとしての名声と富を得ようとしている者もいるのだ。

旧ソビエト連邦構成国だったスラヴ系国家は目を瞠るようなペースで世界レベルのヘビー級を輩出し、同階級を飲み込みつつある。ワルーエフ、クリチコ兄弟、イブラギモフ、ポベトキン、そして台頭しつつあるディミトレンコはいずれも世界の一線級のヘビー級ボクサーたちである。

フィリピンとインドネシアではマニー・パッキャオとクリス・ジョンがボクシングの地位を向上させ、それらの地域ではボクシングは今後も安泰であろうと思わせるほどの人気を確立した。ラテンアメリカでは、メキシコ、プエルトリコ、パナマで定期的に世界王者が誕生し、ボクシングの繁栄が続いている。

オーストラリアのボクシングでは悪漢アンソニー・マンディンと地に足のついたダニー・グリーンの活躍で会場への入場者数記録が次々に破られ、日本とタイでもボクシング人気は健在である。

アルツール・アブラハムやバネス・マルティロージャンのようなボクサーたちが成功を収めていることで、世界のアルメニア人コミュニティではボクシングは人気抜群のスポーツとなっている。

アメリカでのスポーツのファン層が転換あるいは減少しつつあり、リアリティTVジャンキーとiポッド中毒者世代によりボクシングも勢いを失いつつあるように見えるが、ボクシングはまたも粘り強さと時代への順応性の高さを見せ、地球規模での立場を明確にし、来るべき時代を支える全世界的なファン層を創出したのである。

Quit Complaining About Alphabets, Just Ignore Them

2009-05-21 18:45:31 | Translated Boxing News
かなり衝撃的な内容の記事です。
熱心なファンならすでに勘付いていたことでしょうけれども、
ここまであけすけに書かれてはこちらも認めざるを得なくなります。
ビッグネームによるメガマッチが主流のアメリカならでは、という気もしますが、
世界王座の権威を守るためという題目でIBFとWBOに加盟しようとしない
どこかの島国の方針は正しいのか、それとも間違っているのか。
それは個々人が判断すべきなのでしょう。

原文は以下のURLを参照ください。

http://www.boxingscene.com/?m=show&id=19592

アルファベット団体に文句を言うのはやめよう、無視すればいい
Quit Complaining About Alphabets, Just Ignore Them

By Jake Donovan
ジェイク・ドノヴァン氏による記事

いつもこうだ。承認団体がプロモーターの「これこれの試合にタイトルを懸けてほしい」という要求を
呑んだ瞬間に、マスコミの誰かがすぐにそれを嗅ぎつけ、アルファベット団体がどれだけ我々の愛する
このスポーツを駄目にしているかについて怒り心頭に発して書き立てるのだ。

プロモーター、ボクサー、マネージャー、PR担当はなぜかそういう記事では批判の対象とはならない。
少なくとも記者の怒りの焦点ではない。

最近の承認団体がタイトルに対して重要性を付与しているどうか疑わしいが、ともかくタイトルには意味があり、
それをもてはやし、プロモートしているという点では実際は上に挙げた者たち全員も等しく有罪なのだ。だが、
もしも銃殺が執行されるなら、照準はメジャー四団体のトップの頭部となろう。

理論的に言えば、人であふれかえる部屋にチンパンジーが発砲しても、責められるべきはチンパンジーではなく、
そもそもチンパンジーに銃火器を与えた人間ということになるのと同じことである。

承認されたイベントにおいてさえボクサーおよび陣営が犠牲者として描かれることが多いのは、こうした理由
による。

もしもメディアに書かれたあらゆる言葉を信じるならば、ボクサーの周辺がタイトルが懸けられるようにロビー
活動に精を出すのも、そのようなタイトル戦のために承認料を支払うのも、あるいは正当な世界王者という呼称
を得ても、それらは何ら責められるべきことではない。たとえ同一階級に複数の他団体の世界王者が存在
(最近では同一団体内で複数の世界王者がいるが)し、自分たちの方が上だという主張はしないまでも、
同じような世界王者という肩書を主張するにしても、だ。

全ての批難はそもそも承認団体なるものが存在することそれ自体の根底にあるのである。

ことほどさように承認団体にまつわる問題の根は深く、メディアのルーティンワークである試合後の総括も、
有害なAだかBだかCだかの団体の最新の動向に焦点が行ってしまい、試合の最も重要な面、つまりボクサー
自身に費やされる時間はこれに比して断然短いのだ。ユリオルキス・ガンボアがホセ・ロハスに勝利したが、
手に入れたのは張り子のタイトルに過ぎない、と繰り返し報じた記事は2、3かそれより少し多いぐらいしか
見かけなかった。真に焦点を当てるべきは、ガンボアがプロキャリアの中で本物のフェザー級エリートになる
ためまた一歩前進したということなのだ。

全て、とまではいかずともほとんどのアルファベット団体はモラルに欠けている。言うまでもないことだ。
だからここから先はそのことを指摘せずに論を進めていくことにしよう。

物書きならば様々な暫定ベルトやスーパー王者や正規王者についてへとへとになるまで書き続けることができる。
最近のボクサーが「正当な理由無し」にタイトルを剥奪されること、あるいは凡庸なボクサーが勝ち取ったわけ
でもないのに高すぎるランクを与えられることに立腹し不平不満をを述べる。

だが我々ジャーナリストの啓蒙対象は誰なのだ?

ボクサーたちは最近の傾向についてすでによく知っている。馬鹿馬鹿しい政治的な駆け引きに囚われた者も2、3
いないわけではないが、その数は少ない。どんなタイトルでも挑戦者決定戦でもいい、それらを戦ったことがある
者ならば誰でもファイトマネーから3%(統一戦ならもっと)引かれていることに気付いたことだろう。

お分かりいただけただろうか?彼らは今でも承認料を支払っているのだ。少なくとも陣営の関係者を集めて勘定を
しているというわけだ。彼らは文字通り支払うべき額を知っているし、夜の終わりに安物細工のベルトを頭上に
高々と掲げるチャンスが得られるならば、諾々と支払いに応じるのだ。

ファンも最近の傾向についてはよく知っている。わざわざ各種アルファベット団体の動向を追跡している好事家
ならずともランキング見直しのタイミングは知っているだろうし、一階級あたりに複数の王者が存在することも
周知の事実だ。

我々メディアは複数王者制と統一戦の少なさがボクシング界にダメージを与えているとの声を上げ続けている。
だが、このことを証明する材料はほとんどない。1990年代のウェルター級はタレントの宝庫で、多くの
ボクシングファンの関心を刺激した。しかし、実現した統一戦は一試合だけ。フェリックス・トリニダードが
僅差の、疑惑を呼ぶ判定勝ちでオスカー・デラホーヤを下した試合だけだった。

この試合はヘビー級ではないメインイベントの当時としての最高のペイパービューの購買件数記録を樹立した。
このイベントを購入した140万人のファン、そして友人宅やバーで、あるいは無料の再放送で観戦した数百万
の人々のうち、一体どれほどの人数が2つの世界タイトル(世界でなくとも)が懸かっていることにこだわった
ていたのだろうか。

同じ観客のうち、もうひとつの世界のベルトがどこかにあって、フェリックス・トリニダードはジェームズ・ペイジ
(当時のメジャー団体のベルト保持者)を倒して世界最高のウェルター級との認知されなくてはならない、と
考えたファンがはたしてどれだけいたのだろうか。

翻って現代、同じ観客のうち、疑問の残る採点や判定読み上げまでのアクションに乏しい12ラウンドに、いったい
どれだけの人間が気分を害されているのだろうか。

ああ、なんとなく話の結論が見えてきたようだ。

プロモーターも最近の傾向についてはよく知っている。彼らの二枚舌に騙されてはいけない。彼らは言葉巧みに
自分のところのボクサーがいつの日かABC・XYZ世界チャンピオンになると言い、その次の日にはリング・
マガジンのベルトこそが偉大さの真の基準で、唯一の価値ある王座だと言うからだ。彼らの言葉が気まぐれで、
そこには自らのプロモート業を推進する以外の目的などありはしないのだ。

信じられないと?両方のグループに直接関与している個人を例に挙げよう。

ネート・キャンベルがもはや135lbを作れないと決断した瞬間に、ペンディングとなっていたファン・マヌエル・
マルケスとファン・ディアスの試合は公式に地球上で最高の2人のライト級選手による試合となった。マルケスはすでに
リニアル(前海外記事の註参照)なライト級王者だったが、マルケスVSディアスの勝者はどう考えても疑問の余地なく
地球上で最凶(baddest)のライト級ボクサーとして認知されるはずだった。

この試合ではタイトルが懸けられる必要などなかった。ファンはすでにこのイベントをありのままに認識していた―
つまり、とても良い試合(a damn good fight)だと捉えていたからで、事実とても素晴らしい試合(a damn great fight)
になったわけで、現時点では2009年の最高試合だと言える。ファンの関心は最初から高く、テキサス州ヒューストン
のトヨタセンターには15000人を超えるファンが、すでに死んだと思われていたボクシング景気の最中に押し寄せた
のだ。

では何故ゴールデン・ボーイ・プロモーションはこの試合に一本ではなく二本のベルトが懸けられるように働きかける
必要があると感じたのか?

これは2007年の後半にリング・マガジンを買収したあの同じゴールデン・ボーイ・プロモーション、リング・マガジン
の製品をあらゆる興行で安売りし、ここ10年の最初の5年で再生し、改革された世界王者の認定方針を支えていくと主張
したあの同じゴールデン・ボーイ・プロモーションのなのである。

にもかかわらず、この特定のイベントでリング・マガジンは驚いたことにWBA、WBO、IBOに次ぐ4番目として
この夜のタイトル認定の列に名を連ねたのだ。

どういうわけか批判されたのは複数タイトルを懸けられるようにした承認団体に落ち着いた。なかにはゴールデン・ボーイも
乗り遅れまいとリング・マガジンを使って一枚かむべきではなかったという者もいた。

ゴールデン・ボーイも?端的に言ってあの会社こそが責められるべきだったのだ。彼らは手に帽子(と現金)を携え、対戦
者同士の名前だけでチケットが売れる試合に承認料を支払うことで喜々としてベルトをもう一本懸けたのだ。

ここでは何も一プロモーション会社だけを取り上げようとしているのではない。全てのプロモーターを批判の対象としている
のである。というのも、ある試合にベルトを懸けることで実際以上に偽装し、興行が売れるというのなら、空位のタイトルを
つかみ取りにいこうとしないプロモーターなど一人としていないからである。

良心の何たるかを知っているプロモーターを紹介してほしい。そうすれば、私は水面下でスクープを追跡しないマスコミを
紹介しよう。

プロモーターはしばしば密室で不特定の団体幹部に明細不明の現金を叩きつけているのだ。その狙いは自らのプロモートする
試合に何がしかの金物ベルトを懸けること。安手の装飾品がそこに手配されれば、後は広報担当、ボクサー、そして往々にして
プロモーター自身の口から世間に対して欺瞞が語られる。

ミートボールの早食い王者か何か程度としか思われない2人のコンテンダーの間で戦われる試合の、一対どこにセックスアピール
があるというのか?

単に手元にある資金を有効活用しているだけだと考えて彼らにゴーサインを出すのはやめよう。もしも承認団体が試合を
承認しなければ(彼らも良心をもって試合を承認しないこともある)、その時は紛い物の州タイトルが懸けられるのだ。

あるジャーナリストが2人の地方出身ボクサーによって争われたニューヨーク州タイトルマッチの舞台裏について語ったこと
がある。読者はそのようなタイトルがどのようにして懸けられるかご存知だろうか?文字通り自費でベルトを購入するのだ。
そうすればタイトルマッチの出来上がりというわけだ。わいろを贈る人間などいない。承認料が徴収されることもない。
買ってきたベルトを持っていけばそれで即席タイトルマッチが行えるのである。

なぜこのようなことがまかり通るのか?なぜなら2人のボクサーをリングに呼び込むにはこの方法しかない場合が多いからだ。

メディアは現行タイトルの削減と一階級一王者制度への回帰を推進し続けている。これを推進すること自体に間違いはない。
しかし業界のキーマンたち(ボクサー、マネージャー、プロモーター)がこれに着手する気がなければ、この推進運動は
労多くして実り少ないものとなる。

一方で、承認団体が旧来のやり方を踏襲するたびに警告を発するのは、業界における団体の存在そのものと影響力を認めることに
つながる行為である。団体の欠点ばかりをあげつらい、長所について目をつぶるばかりでは、言動に均衡を欠くとの誹りを
免れないだろう。

誰もがすでにこのような様々なアルファベット団体と不可分のナンセンスを知っているのだから、彼らのカネ集めに協力するのは
そろそろやめようではないか。自らの説くところを実践し、既存のベルトは正当なボクサーまたは試合によって証明されない限り、
無価値なものだという事実に目を向けようではないか。

そうすれば、真にして唯一の対象、つまりリングの中のアクションに我々の視点は回帰するはずだ。

*アルファベット団体:言わずと知れたメジャー四団体のWBA、WBC、IBF、WBO。
WBAを筆頭とする近年の無軌道ぶりにA、C、F、Oなどと区別せず、
単にアルファベットと表記することで四団体どれもたいして差はないと揶揄している。

Heavy Around the (Young) Middle

2009-05-16 20:40:19 | Translated Boxing News
以下はboxingscene.comの記者Cliff Rold氏の記事です。
個人的にボクシング界の現状と将来に関する示唆に富むと思われたので
氏の許可のもと翻訳しました。
原文はhttp://www.boxingscene.com/?m=show&id=19795にあります。
不自然に思われる表現や誤訳があれば、その文責は「涼しい木星」に帰します。

(若き)ミドル級周辺はヘビー級並みの盛り上がりだ
Heavy Around the (Young) Middle

最近ではあまり話題にのぼらなくなったが、ミドル級(純粋な160lbで親戚であるSミドル級は含まない)
関連の議論の種といえば大体は王者ケリー・パブリック(35勝1敗31KO)とIBFのタイトルホルダー、
アルツール・アブラハム(29勝無敗23KO)の一大対決の可能性だった。

先週末のパッキャオVSハットンの前座には少しばかりボニー・レイットらしさがあったかもしれない。
というのも現代のパウンド・フォー・パウンド論争の範囲をはみ出したところで話題を提供してくれたからだ。

前座の最初の3試合に登場した3人のミドル級周辺のボクサーたちが今後は168lbかそれ以上の階級で
戦っていくとするならば、両階級の若手層に不満があるにしても、ミドル級の将来のマーケットは投資に
値すると思われる。

前座を飾った3人のボクサーたちは元世界アマチュア選手権優勝者にしてキューバからの亡命者エリスランディ・
ララ(5勝無敗3KO)、世界アマチュア選手権優勝二度の実績を持つロシアのマット・コロボフ(5勝無敗5KO)、
そして元全米ゴールデングローブ大会二度の優勝を誇るダニエル・ジェイコブス(16勝無敗14KO)である。

ララとコロボフが昨年後半にプロ転向した一方で、ジェイコブスは2007年12月にプロとなっており、
今回はキャリアで最もタフな相手との対戦となり、3人の中では唯一判定勝利となった。

だが、彼らはまだ氷山の一角に過ぎないのである。

直近の数カ月の間にボクシングファンは2004年の五輪メダリストアンドレ・ウォード(金メダル獲得 18勝
無敗12KO)とアンドレ・ダーレル(銅メダル獲得 18勝無敗13KO)の二人がじっくりとした育成過程を
経て遂にその真価を発揮し始めたのを目の当たりにした。

メリーランドでは、元全米アマチュア選手権優勝者フェルナンド・ゲレロ(13勝無敗11KO)は将来性を
感じさせるスピードとパワー、そして最も重要な集客力を見せた。今週金曜日、スコットランドのクレイグ・
マックイーワン(14勝無敗9KO)は、相手の長所を消すのに長けたコンテンダー参加者ブライアン・ヴェラ
(16勝2敗10KO)とESPN2で打ち合い勝負に臨む。そしてヴェラが前戦で長所を消したアイルランド
のアンディ・リー(17勝1敗13KO)もまた戦線への名乗りを上げそうだ。

これら若手選手が秘めている才能を考えれば、少なくともこのうち2~3人がメジャー団体のタイトルを勝ち取る
という予感を抱くのは難しくない。残りの数名は壊されるかもしれないが。

それがボクシングの在り方なのだ。

重要なことは、しかし、こういった選手たちの存在がある時点でほぼ一斉に出現したということで、これは
近年のボクシングの力強い流れがすぐにでも弱まってしまうのではないかと恐れる必要はないということの
サインでもある。我々は今、この20年間で最高の若手ミドル級選手を収穫しつつあるのかもしれない。
彼らのほとんどは自分たちが20代半ばになった頃、どれほどの人生を享受しているのかを夢想している
段階にあるのだ。

現在は上述の期間で最高の収穫期だと述べたところで思い出されるのは、1988年、89年のミドル級が
どんなものだったかということだ。マイケル・ナン、ナイジェル・ベン、クリス・ユーバンク、スティーブ・
コリンズらを始めとする若くして自己を確立した若武者たちの群れに、プロになりたてのロイ・ジョーンズ、
バーナード・ホプキンス、そしてジェームズ・トニーが加わっていった時期だった。それから数年を経ずして
ジョー・カルザゲがそこに参戦し、彼らの時代が過ぎゆくなか、大勢の観客が動員され、名勝負が生まれ、
防衛記録が塗り替えられ、殿堂入り選手も誕生したのだ。

現代に戻ろう。現時点のラインナップに第二のジョーンズやホプキンスが存在するとは誰にも言えない。
そう判断するのは時期尚早だ。だがその可能性を探るのは時期尚早ではない。

この世代の選手たちは、生身の眼に映る何かを持っている。その点でウィリアム・ジョッピーやキース・ホームズが
ランキングを駆け上がっていった頃とは異なっている。ジョッピーやホームズに含むところがあるわけではない。
彼らは素晴らしいボクサーだった。しかし、彼らはテレビ画面から飛び出してくることはなかった。

今の若手の迫力はテレビ画面越しにも伝わってくる。

コロボフのパワー、ゲレロの閃光のごときスピード、ジェイコブスのパンチの多彩さと柔軟性・・・ これらは
ボクシングの無意識に「目をそらすな」と囁きかけるのだ。どこの階級でも普通、こういう囁きを生み出す若手
ボクサーは一人や二人は現れる。彼らが真の実力者なら、いつの日か自分の名前ひとつでメインを張れるか、
無二のライバルを生み出すかのどちらかにつながることだろう。

これは良いことだ。今という時代には複数のライバル関係とスリルあふれる試合が健全な期間にわたって提供される
だろうと予感させるだけの深みがある。

現在のスター選手たちの時代、パッキャオ時代、メイウェザー時代、マルケス時代が始まった日々を彷彿とさせる時代、
それが今なのだ。上に挙げた3人がボクシング界の頂上でこれまでに互いに対して積み上げてきた、そして今後
積み上げていくだろう様々な数字は考えただけで興奮を覚える。

同じぐらい興奮を覚えるのは、「死につつある」(2~3年前にはそう噂する人間も少しはいたのだ)ボクシングという
甘美な科学が、そのような噂を聞きながらもたくましい土台を築いていたのだと知った瞬間である。

クリフの覚え書き...

エドウィン・バレロ、フリオ・セサール・チャベスJr、シェーン・モズリー・・・ マニー・パッキャオに対戦を
要求する選手の名前を挙げていけばきりがない。だが、ここで重要なのはマネーなのだ。カウントダウンを聞きながら、
マルケスがひとつの時代を打ち壊せるかどうか見守るとしよう。チャド・ドーソンとアントニオ・ターバーの再戦に
興奮しているファンはいるのか?誰もいない?心配しないでいい。真の興奮がもたらされるのは数週間後に予定されて
いるルスラン・チャガエフとニコライ・ワルーエフの再戦なのだから・・・というのはもちろん冗談だ。ラファエル・
マルケスがP4Pリストから漏れたのなら、11位にはノニト・ドネアをエントリすべきだったか。USAトゥデイや
ESPN、LAタイムズ、スポーツ・イラストレーテッドのような媒体がパッキャオの4階級目のリニアル王座(*)
獲得を特集しているのを見るのは素晴らしいことだったな。現時点でなぜか沈黙を保ったままなのがリング・マガジンだ。
もし同誌がその観点からパッキャオを特集するなら、かつて同誌が無理やり空位にしたフライ級の歴史を認めざるを
得なくなることに億しているのか。

注)* リニアル王座:これにぴたりと当てはまる日本語の単語は
なかなか見当たらない。かいつまんで言えばメジャー・マイナーを問わず、
『その階級で最強と目されるボクサーに与えられる称号』のこと。
ハットンはSライト級最強と考えられていたが、
今はパッキャオがその地位にいるというわけだ。
いかにメジャー団体のベルトの権威が落ちているか、
このlineal championshipという概念から窺える。

シュトルムVS佐藤 海外記事

2009-04-25 18:20:05 | Translated Boxing News
以下はT・K・スチュワート氏によるフェリックス・シュトルムVS佐藤幸治の
世界タイトルマッチについてのboxingscene.comの記事の翻訳である。
原文についてはhttp://www.boxingscene.com/?m=show&id=19541を参照されたい。

一応追記を。
勝手にboxingscene.comの記事を日本語にしているわけでありません。
ちゃんと記者さんから許可を貰っていますので。

Felix Strum Defends Against a Hungry Koji Sato

T.K. Stewart

WBAミドル級タイトルホルダーのフェリックス・シュトルムと日本の佐藤幸治が、
2009年の世界戦線で最も忙しくなるであろう今週の土曜の夜、対戦する。

160lbで三度の戴冠を果たしているシュトルム(31勝2敗1分13KO)が、佐藤(14勝無敗13KO)
を迎え撃つのは自身の庭先であるドイツはクレーフェルトの地。シュトルム自身は前WBO
ミドル級のベルト保持者で、2004年のオスカー・デラホーヤ戦での不可解判定の犠牲者として
最もよく知られている。

シュトルムは2度目のWBA戴冠以降続いている防衛成功記録を6にまで伸ばすそうとしている。
対する28歳の佐藤は熱心なボクシングファンにとっても無名の男である。4年前にラスベガスで
プロデビューして以来、全ての試合を母国日本の地で戦ってきた。

この試合はアメリカではマスコミの注目を全く集めていない。だが、ボクシング熱の高いドイツでは
このカードの前売りチケットがすでに8000枚以上売れているという。

シュトルムVS佐藤はウニヴェルスム・プロモーションの"Champions Night(王者たちの夜)"と銘打たれた
興行のメインイベントで、前座では現WBOスーパーミドル級王者カロリー・バルザイと元WBAミドル級
ベルト保持者で現在42歳となったマセリノ・マソーとの激突も予定されている。

佐藤は先週末にドイツのテレビ番組に出演した際、1ラウンドでシュトルムをノックアウトする予定だと語り
物議を醸したが、月曜日の共同記者会見では佐藤は先のコメントを取り下げた。

「確かに1ラウンドKOを予告はしたが、チャンピオンへの敬意は忘れていない」と語る佐藤は、
タイトルマッチの開催を聞いたときに比べて、細く弱々しく見えた。

「この国では自分は余所者だということを意識していなかった。謝罪の意を表するとともに、
侮辱の意思はなかったことを明らかにしたい。ここドイツで試合ができるということは自分に
とっては大変な名誉。ドイツのファンに良いパフォーマンスを見せたいと思うし、シュトルムは
ドイツの素晴らしさを日本に印象付ける素晴らしい大使だ」

佐藤は身長約180cmで攻撃的で手数が多く、対戦相手に真っ直ぐ向かっていくタイプだが、
スピードはほとんどないボクサーだ。体の使い方についても変則なところは皆無の正統派である。
しかし、大きく振るってくるパンチにはかなりの威力があり、左フックでボディをえぐりにくる
傾向がある。このパンチはかなりの威力を秘めており、佐藤にとって鍵となるだろう。左のジャブ
も機能的だが、一発をしっかりと打ってくるタイプで、連打はしてこない。

経験で大きく優る30歳のシュトルムは、賭け率で圧倒的にリードしているように防衛成功が
予想されており、40ラウンド未満のプロ経験しかない佐藤に対して判定勝ちとの見方が
最有力だ。