森友学園問題は、依然としてくすぶり続けていて、片やうその証言だとののしられ、他方は反論する 証拠書類を隠すがごとき言い訳だと追及され、ジャッジしたい我々は問題の本質がさっぱりわからない。 ところが最近の政府の動きを見ていると、政府や自民党の我田引水的な発言は、あながち森友の教育 姿勢を批判できないのではないかと思うのである。
園児たちに時代錯誤も甚だしい明治の「教育勅語」を暗唱させ、安倍氏を礼賛させている。今、一見両 者が対立しているような様相だが、突き詰めてみると、両者は同じ教育観を持っているのである。要する に同じ穴のムジナということになるだろう。話題を振りまく首相夫人は「家庭内野党」と自賛し、夫と違った いかにも大衆の味方のような印象を与えているが、その一方で森友の旧国家主義的教育が素晴らしいと 礼賛し、名誉絵校長まで引き受ける言動はいささかっ無節操にさえ思える。
両者は極右組織「日本会議」のメンバーであり、首相はこの会の顧問であり、森友の籠池氏は大阪のメ ンバーだ。この組織には麻生氏、稲田氏も下村氏も入っている。さらに多くの閣僚や自民党の中枢などが 所属している。この組織は新興宗教・生長の家が発端らしいが、明治にできた「教育勅語」を底流に持ち、 天皇を神格化し、靖国神社参拝派である。
教育勅語は天皇が万世一系であり、国民は天皇の赤子であり、臣民と謳っている。臣民は国家に奉仕し、 国家に忠実であることを強いてきた。一旦緩急あれば自分の身を国家に捧げることを強要している。 その結果若者は戦争に駆り出された。今なお、生々しい体験をした人々は精神的に責務を負っている。
国民に多くの犠牲を強いたのが教育勅語だった。だから戦後の国会は消滅を決議したのだ。 にもかかわらず、最近、自民党の中に、さらに文科大臣をはじめ、多くの閣僚が教育勅語は憲法に抵触し なければ活用してもよい、と公言するようになった。国や郷土を愛し、家族を大切にする、事は悪くはない から現場でいかせ、ということだろうか。こんないい加減な発想と発言が将来に影響を与えることを知って おきたい。それにしても見識を疑う。
また中学校の保健体育の中に銃剣道も導入されるらしい。銃のような形をした棒を相手に突いて勝敗を 決めるというものだ。礼儀を重んじる武道の一つだと押し付けることは教育を窮屈にしてしまう。 道徳教育が教科は子どもの自由を束縛し、善悪の判断を押し付けることになりはしないか。そんなことで 「いじめ」や「虐待」がなくなるわけでもあるまい。天下りの発覚事件を平気でおこす文科省のだらしのなさ こそ、襟を正して子供たちに範を示べきことで、大人の再教育が必要だ。
いずれにしても権力を持つものがあれこれ差配するような事態が目立ち始めてくると危険のサインであ ることを知っておきたい。
やさしいタイガー