今朝のNHKニュースで井上二郎アナウンサーの朗読で安水稔和先生の震災の詩「これは」が朗読されました。

今村欣史の本。 『完本・コーヒーカップの耳』面白うてやがて哀しき喫茶店。
今なら本屋さんで買えます。宮脇書店ダイエー西宮店(浜松原町)のノンフィクションのコーナーに有ります。
情報です。
明日、17日朝7時のNHKテレビ、ニュースの時間に、詩人、安水稔和先生の詩が放送されるかも、です。
安水氏はわたしの詩のお師匠さんだった人。 右、安水先生。
もしかしたら安水先生の生前のお姿や、明石公園に建つ詩碑も映るかも。
今日(16日)、安水先生の奥様からわたしに電話があり、少しお話ししました。お元気な声で安心しました。
情報です。
明後日、17日朝7時のNHKテレビ、ニュースの時間に、詩人、安水稔和先生の詩が放送されるかも、です。
安水氏はわたしの詩のお師匠さんだった人。 右、安水先生。
もしかしたら安水先生の生前のお姿や、明石公園に建つ詩碑も映るかも。
福音館書店から出ていた雑誌『母の友』がこの3月号で休刊とのこと。実質廃刊なのでしょうね。
残念です。といってもわたしは最近は購入していませんが。
購入したのはもう四十数年昔。長男が幼稚園の時です。
1980年一月号。
これにわたしが応募した口頭詩が掲載されているのです。
東君平さんが絵をつけて下さってます。わたしにとって記念碑的な本です。
もくじを見ると、執筆陣に有名詩人川崎洋など錚々たる名前が載ってます。
安野光雅、亀村五郎、長新太、川崎洋、永瀬清子、三木卓、丸木俊など。
今村欣史の本。 『完本・コーヒーカップの耳』面白うてやがて哀しき喫茶店。
今なら本屋さんで買えます。宮脇書店ダイエー西宮店(浜松原町)のノンフィクションのコーナーに有ります。
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用海地区団体協議会新年互礼会でした。
(写真の案内書に誤植が2字あります。こんなんが気になるんです。嫌な性格ですね。)
飲食を伴う互礼会は久しぶりです。
2019年を最後に5年間お休みでした。弁当を持ち帰るというのはありましたけど。
以前は夜でしたが今回はお昼。
色んな人とご挨拶しました。やっぱり出かけなくてはいけませんね。
タイミングよく石井市長がわたしの席のそばを通られたので、
「市長、ちょっとお話が」と声を掛けました。
「甲山からの眺望を昔のように戻して欲しい」とお願いしました。
「前にもこの互礼会でお話ししましたが」と。
昔、頂上に樹木は無かったので見事に下界が見晴らせたのです。今は雑木が生い茂っていて視界ゼロです。
すると市長は「意見が二分しています。7割から8割の市民が賛成すればいいのですが」とのこと。
そして「昔はどんなでした?」と尋ねられたので、
「仁川の競馬場から伊丹の飛行場、そして香櫨園浜まで、それは素晴らしい眺望でした。幼稚園の子でも、わたしのような老人でも登れる山です。西宮の街が眼下に見わたせるのです。それはそれは達成感があったものです。何年か前に孫を連れて上がりましたが、ガッカリしました」とお話しました。
話はちゃんと聞いて下さったので、頭の片隅には残るでしょう。
短歌誌『六甲』1月号(通巻第1057号)です。
新年号ですので表紙が変わりました。引き続き吉見敏治さんの絵です。
巻頭は「六甲」代表・選者の田岡弘子さんと、選者の牧野秀子さん。指導的なお二人です。
花終えて葉も蔓も枯れし朝顔のどうにかしてよとフェンスに絡まる 田岡弘子
在りし日の向田邦子に逢ひたくて「思い出トランプ」まためくるなり 牧野秀子
ほかの作品でわたしが気になったもの。巧拙はわたしには分りませんが。
中西浩さん。 我が釣針工場成型機八台並びて眠りおり不況いつまで続くのか
小西久代さん。 ルノアールの絵のような女乗ってきて華やぐ車内阪急神戸線
佐竹京子さん。 どんぐりを子どものように拾ってはその手触りを楽しんでおり
磯川典子さん。 池袋駅から五分のホテルまでやっと這い出た半時かかって
小田弥生さん。 予約する本書き出して日曜は本屋へ行こう加古川へ行こう
奥村幸子さん。 「そんなこと正之ちゃんにさせんかい」ゴミ出す吾に長老は言う
川端光世さん。 小学生か中学生が常連の楽しい短歌にふとほほ笑む
ほかにもいっぱいありますけどこれぐらいで。
殆ど出久根達郎さんの本からの引用ですが。
今村欣史の本。 『完本・コーヒーカップの耳』面白うてやがて哀しき喫茶店。
今なら本屋さんで買えます。宮脇書店ダイエー西宮店(浜松原町)のノンフィクションのコーナーに有ります。

今村欣史の本。 『完本・コーヒーカップの耳』面白うてやがて哀しき喫茶店。
今なら本屋さんで買えます。宮脇書店ダイエー西宮店(浜松原町)のノンフィクションのコーナーに有ります。




今村欣史の本。 『完本・コーヒーカップの耳』面白うてやがて哀しき喫茶店。
今なら本屋さんで買えます。宮脇書店ダイエー西宮店(浜松原町)のノンフィクションのコーナーに有ります。
今村欣史の本。 『完本・コーヒーカップの耳』面白うてやがて哀しき喫茶店。
今なら本屋さんでも買えます。宮脇書店ダイエー西宮店(浜松原町)のノンフィクションのコーナーに有ります。もうすぐ絶版になる可能性があります。
昨日の明石でのこと。
間抜けでした。
会場の「明石市立文化博物館」へ行く道である。
地図では明石小学校の北側にある。
なので明石駅を北に出て東へ歩き、信号を東へ渡って北へ向かった。そして明石小学校の北の道を東へと進んで歩道橋を渡ろうとしたのだ。
これが失敗だった。
この歩道橋への階段がものすごく高くて急だった。
心臓が悪い時だったら動けなくなっていただろう。
途中で上を見ると、天空へ登ってゆくような感じだった。
しかし下の道を渡ることはできないようになっていた。
そこを行くよりほかになかった。
頑張って昇って行った。
さて帰りだ。
博物館の西側に細い道があった。行けるのか?と思って通りすがりの人に尋ねてみた。
行けばエレベーターがあって降りられるとのこと。
なあんだ。来る時もこちらを来ればよかったんだ。
写真はエレベーター手前から南西方面。
こちらは東方面。
向こうに見える歩道橋を渡ったのだった。
エレベーターの扉が開いたら、中から自転車を押して学生さんが出てきた。
地元の人には便利に出来ているのだ。
あんな階段を登らなくてはならないのなら大変だ。
改めて地図を見てみると、ちゃんとエレベーターも記載されている。
しかし駅から向かって行ってこのエレベーターを利用しようとすれば、北へ行く道を最初から西側を行かねばならないのだ。東へ渡ったらダメなのだ。
道はガードレールがばっちりと封鎖していて途中では渡れないようになっている
地元の人は知ってるだろうが、初めての者にはよくわからない。
- 明石まで行ってきました。
電車で行きましたが6500歩。
向こうに明石天文台が見えます。そのもっと向こうに明石海峡大橋が。
明石市立文化博物館です。 小高い丘の上。下の道路からはエレベーターで上がって行けます。
チケット半券です。
偶然にも博物館内のエレベーターで翔雲師のご息女たちに出会いました。帰ろうとなさっているところでした。
寒波襲来であまりにも寒い日でしたので、会場には入場者は少ないと思っていたのに、いきなりこんな人たちと出会うとはびっくりでした。
図録をいただいてしまいました。 立派な図録です。六車明峰さんが解説文を書いておられます。ありがとうございます。
会場入り口。
この奥に広大な世界が広がっていました。しかし撮影禁止。
予想を大きく上回るスケールの展示でした。
よくぞここまで!と思いました。
翔雲師の世界にとっぷりと浸りました。
今日は一回目。
会期中にもう一度は行きます。
思わぬ人から思わぬものが贈られてきました。
創作曲集『へいわ・子どもたち』(千秋昌弘作詞・森二三作曲・2024年11月)、創作曲集『命と平和』(千秋昌弘作詞・森二三作曲・2022年1月)の二冊。
千秋昌弘さんからお贈りいただきました。
千秋さんは大阪府大東市の人。知り合いになったのはもう10年以上も前だったと思います。
当時、大東市の市会議員をなさっていて、そしてテノール歌手でもあった人。
歌手として、幻の詩人北山冬一郎の詩に團伊玖磨が曲をつけた「紫陽花」「ひぐらし」などを歌っておられたということだった。
その北山冬一郎のことを調べる過程でわたしのブログ「喫茶・輪」に行き当たり、連絡を取って来られたのだった。
そんな縁で千秋さんのコンサートに一度招待されて行ったことがありました。
広い会場は満員。その時の動画があります。「紫陽花」。
素晴らしいお声をなさってました。
今回送って下さった創作曲集ですが、これの表紙にビックリ!
なんと薬谷礼子さんの切り絵が使われているではありませんか!!
この薬谷さんは古くからのわたしの知り合い。
あの震災当時にわたしが三年間サラリーマン生活をした時、その近くの会社の社長夫人でした。
その事務室に所用で行った時、切り絵が飾ってあって、わたしが興味を示した縁で、後に「喫茶・輪」で彼女の切り絵個展を催したことがあったのです。
更に、彼女の娘さんはその後ソプラノ歌手として活躍する人になられて、わたし、兵庫県芸術センターで拝聴したことがありました。今も活躍なさっているはず。しかもしかも、わたしが拙著『触媒のうた』で「半どん文化賞」を頂いた時、その授賞式に彼女は音楽部門で「半どん賞」を受けられたのでした。その時、ご家族ともお会いして久しぶりのご挨拶をしたのでした。
その『触媒のうた』には、かの北山冬一朗のことを詳しく書いているのです。北山に関する論文は、これに優るものはないと自負しています。これまでにも日本各地からわたしに問い合わせがあったのです。
ということで、あまりにも不思議な縁が繋がっていたのです。恐いほどの。
あ、そうだ。薬谷さんが夙川近くのあるギャラリーで個展を開催された時には、娘さんがその場所でミニコンサートをされて花を添えられたこともありました。