昔、わたし草野球をやってました。
米屋のチームで。
もう50年近くの昔です。
その時の監督さんが昨日来店。
前列左端がその監督の吉田さん。
この写真はもう50年近く昔のものです。
これパソコン画面で見せてあげると、「これ僕持ってない」と感動の声。で、プリントアウトしてあげて大喜びされました。
その吉田さんは、この米屋の野球が解散した後、西宮東高校の野球部の監督もされたことがあった。
米屋チームは当時高校野球経験者が多く、非常に強くてわたしは補欠だった。大量リードしたあとの勝利処理投手を務めていた。だからある大会の決勝戦で大量リードした終盤に投げさせてもらい優勝投手になったっことも。
懐かしい話に花が咲いた。
一緒に来ておられた人に、やはり野球大好きの内海さんという老人が。
やはり吉田さんと一緒で80歳代。
でも野球をしておられる。
昔は甲陽高校のエース。
夏の大会で県芦屋高校と兵庫県の決勝戦を闘い延長戦で敗れたと。
その県芦屋はその時の全国大会で優勝。
エースは後にプロ野球で活躍した植村投手。
同期に本屋敷選手もいた。
そんな時の野球少年二人が昨日はご来店だった。
ああ、懐かしかった。
・
あ、吉田さんは今もシニアチームで野球をしておられキャッチャーをしていると。お二人は同じチームなのだ。
「キャッチャー?うっそ~っ!腰掛けに座ってですか?」と聞くと、
「それはしない。膝は痛いけど、サポーターで固めてやってる。自分の足でできなくなったら野球をやめる」と。
世の中にはスゴイ人がいるもんだ。
昨日の焼印の堂本さんだが、話の中で「そっくい」という言葉が出て来た。
ご飯粒で作った糊のことだと。
わたしは方言かなと思ったが調べてみると「続飯」なのだと。
正しくは「そくいい」と読む。
なるほどだった。
昔の鍛冶屋さんは日常的に使ってたのかな?
今なら溶接で簡単なのだろうが。
用海町の堂本秀雄さんをお訪ねしました。
西宮文化協会理事の堀内陽光(はるみつ)さんとK新聞記者のI川さんとをご案内して。
堂本さん宅に伝わる、酒樽の菰の焼印を見学するため。
堂本さん、一生懸命に説明して下さいました。
時にはユーモアを交えて。
堂本さんはお祖父さんの代からの酒樽の焼印専門の鍛冶屋さん。
昭和13年まで操業していたと。
そのころ堂本さんはまだ小学生。
もっぱらフイゴ吹きの手伝いをさせられていたとおっしゃる。
でも、職人の仕事をそばで見ておられ、その手順を今も覚えておられる。
しかしまあ、よくこんなものを残しておられたものだ。
戦後間もなくの朝鮮動乱の時など、金属品は高く売れた。だから、
わたしが子どもの頃だが、焼け跡などから銅などの金属を拾って来て売って小遣いにしたものである。
いま、こんなのが残っているのが不思議。あの頃にお金に替えてしまっていてもおかしくない。
そんな話をすると堂本さん、「どうにもならん物は処分しましたけど、これだけは置いておきました」と。
”よくぞ”である。今となっては西宮の伝統産業、酒造りの文化遺産であろう。
お話し下さる堂本さん。↓
http://www.youtube.com/watch?v=g28QIMfoQ_s&feature=c4-overview&list=UUy-KubFsgxH4o3zejC9erFA。
いやあ、驚きました。
「ブログを見て」と言ってこられたお客様が、「うちに竹中郁さんの絵があるのですがどうしたものかと…」と。
ある日、お母さんがゴミステーションに出していたのをあわてて持ち帰ったのだとおっしゃる。
聞けば、お父上が経営なさっていた会社の経理補佐をなさっていた人に、竹中郁の弟さんで竹中サンジさんとおっしゃる方がいらっしゃって、何かの時に郁さんの絵を下さったのだと。しかし、お父上は、それでは悪いと、いくばくかの謝礼をされたらしい。30年ほど前の話だと。その後、飾ることもなく今日に至り、「竹中郁」で検索していてわたしのブログに行きついたということで。
わたし非常に興味がありますが、大枚をはたくほどの力がありません。
で、神戸ハンター坂の「ギャラリー島田」さんをお教えしました。そこの社長の島田誠さんなら、買い取って下さらないにしても何か考えて下さるでしょうと。落ち着くところを考えて下さるのでは?と。
ところで、竹中サンジさんだが、多分竹中さんの養子先での弟さんであろう。
足立巻一(けんいち)先生の『評伝・竹中郁』に竹中兄弟4人が写っている写真が載っており、その中に異母弟純一という子どもがいる。サンジさんは多分そのまた弟なのだろう。
ケータイに写っている絵の写真を見せてもらったが、「生のを見たい」と言うと家に取りに帰って持って来て下さった。
この署名も間違いありません。
6号ぐらいのいいスケッチ画です。しっかりと描かれています。さすが、お若い頃は画家を志したというだけのことがあります。
見たところ、大阪の南部のようだがどこでしょうか?どなたか分かる人お教え下さい。
電車、先頭車両に乗った。
なんかうれしかった。
もちろん特急ではありません。普通です。特急なら恐い。
着いた駅は武庫川駅。
その沿道がこんなことに。
ここの違法駐輪、半端じゃないけど、周辺に駐輪場がなければねえ…仕方ないか。
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今日の目的地はここです。
久しぶりに「てつがくのらいおんさん」こと、古書店「街の草」さん。
このたたずまいを見ると安心します。
今日は店の向かいの倉庫が開いてました。
「この中に入っていて地震が来たら死ぬ?」と言うと、らいおんさんは
「窒息死か圧死するでしょうね。けど僕は入ってますよ」と。
うん、確実に死ねる。
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「街の草」さんにはこれをお返しに行きました。
大きな分厚い本で重たかった。
「街の草」さんは貸本屋さんではありません。
でも親切なんです。お陰さまであることの確認が取れました。
重い本を持って行ったのですが、帰りにもっと重い物を持たせて下さいました。
「もう使わないので誰かに差し上げて下さい」という人があったのだと。
将棋盤、駒です。
うちのkohにと「丁度電話しょうと思っていたとこでした」と。
「重い」なんて言ってられません。ありがたく頂いてきました。
そして、せっかく本屋さんに行ったので、三冊。
kohとsatoへのお土産。
しかしこれはこの店で最も安い本です。
なんだか、らいおんさんに悪いなあ。