子ども時代の想い出の第5回目。
想い出はどうしても隣のお地蔵さんがらみになる。
古いものを触っていたらこんなのが出て来た。 きれいな字が書いてありますねえ。どなたの字だろう。この近所で達筆といえば多分、瀬川典さんかな?もう亡くなられて久しい。
戦災に遭って焼失したお堂の再建のための記録である。
昭和25年というから62年前だ。
世話人の名が並んでいる。懐かしい名前だ。もちろん全て亡くなっておられる。
今村武夫はわたしの父である。
しかし、字が間違っている。武男が正しい。ということでこの字は父の字でないことはたしか。
父もいい字を書いたが少々癖が強かった。この記録簿の中にも見える。
で、こうして集めた浄財が、計30151円也とある。
いくら物価の安い頃だとしてもこれで立派なお堂が建つわけがない。
取りあえずの仮普請である。屋根はトタン葺き。
当時の写真はないが、昭和62年、取り壊す直前のものがある。わたしが撮った写真だ。
取り壊すための足場が組まれている。右端に写っているご婦人は今は亡き田淵さん。
この人には多くの想い出が有る。またいつか書いておかなくてはならない。
どうですか、貧相なお堂でしょう。
ここで、どれほど遊んだか!雨ふりの時の子どもの恰好の遊び場でもあった。
ベッタン、ビー玉などして夢中で遊んだものだ。
ちょっと見えるかな?お堂の両脇に斜めに補強の柱があるのが。
これに関する記述が、この記録簿にある。
建ちあがったあとのことだ。
「ジェーン台風修理代」として270円。その材料木材費として980円。
ジェーン台風は死者不明者500名以上を出した台風。昭和25年9月3日に阪神間を襲った強力台風だった。
8月24日の地蔵盆に間に合わせて、せっかく建てたお堂が歪んでしまったのだった。
それで修理して、さらに補強したのが写真に見える斜めの柱だった。
この台風は子ども心に恐かった。私どもは学校に避難した。近所の子どもたちも一緒に同じ教室に。あたり一帯は高潮で浸水。瓦も吹き飛んで壊れて道に散乱していた。
あ、そうだ。寄付金だが、大体、一軒あたり100円ぐらいだが、下は20円からある。
そして最高額が「山一商会」櫻田喜一さんの3000円。酒の樽か箱を製作しておられたと思うのだが…。このお地蔵さんに縁が深かったのだろう。そして「日本盛」が2500円とお酒6本だ。
ずうーっと名前を見ていると、うちの父親の関連の人の名前が多い。昭和25年はまだ若いころだ。でも頑張ったのだ。
そうして建ったお堂だが、このお地蔵さん、仮住まいのまま昭和62年まで過ごされることになる。
この帳簿の中に面白い物が挟まっていた。「帝国在郷軍人會」
バックの絵が戦闘機、鉄兜、銃、戦艦、そして西宮市章。
昭和25年にまだこんな物が残ってたんですねえ。
つづく
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