小林久隆さんのお父さん、久盛さんの著書です。

『死んだら何ももって往かれへん』(小林久盛著 2001年)。

この本は、久盛先生が西宮市教育長をしておられた時に、西宮の教育に貢献された渋谷財団の渋谷晴爾夫妻のことを主に書かれたもの。
この本の終わりの方に、久隆さんの名前がチラッと出てきます。
《今、息子が請われてアメリカ国立衛生研究所(NIH)に旅立とうとしている…(略)「翔べ!」と妻と二人で心に念じながら…。》
《(久盛さんの母親、久隆さんの祖母が)「久隆は元気で学校いっとるかいな」と孫を案じて、「田舎の畑や海でとれたものを送るからなあ」と》
久盛先生は山陰、美方郡浜坂の出身。
英語の授業中に、話がそれて、その浜辺での戦時中のエピソードを聞いたことがある。
この浜坂のお母さんが偉かったのですね。それが久隆さんにつながっている。
『完本・コーヒーカップの耳』

『死んだら何ももって往かれへん』(小林久盛著 2001年)。

この本は、久盛先生が西宮市教育長をしておられた時に、西宮の教育に貢献された渋谷財団の渋谷晴爾夫妻のことを主に書かれたもの。
この本の終わりの方に、久隆さんの名前がチラッと出てきます。
《今、息子が請われてアメリカ国立衛生研究所(NIH)に旅立とうとしている…(略)「翔べ!」と妻と二人で心に念じながら…。》
《(久盛さんの母親、久隆さんの祖母が)「久隆は元気で学校いっとるかいな」と孫を案じて、「田舎の畑や海でとれたものを送るからなあ」と》
久盛先生は山陰、美方郡浜坂の出身。
英語の授業中に、話がそれて、その浜辺での戦時中のエピソードを聞いたことがある。
この浜坂のお母さんが偉かったのですね。それが久隆さんにつながっている。
『完本・コーヒーカップの耳』