

前に読んだ詩集『雷がなっている』(朝倉裕子著・編集工房ノア刊)を再読している。
その巻頭詩に「おっ」と思う。
なぜかというと、
この詩に似てるから。 拙詩集『恒子抄』の巻頭詩「一日の始まり」。
ところが、その間にある詩篇に漂っている雰囲気は全く違う。
一冊の詩集とはおもしろいものだ。
それぞれに人生があるともいえる。
今村欣史の本。 『完本・コーヒーカップの耳』面白うてやがて哀しき喫茶店。 今なら本屋さんでも買えます。宮脇書店ダイエー西宮店(浜松原町)のノンフィクションのコーナーに有ります。
神戸の詩人、永井ますみさんからお贈りいただきました。
「現代詩神戸」287号です。
神戸で伝統のある詩誌。昔とはすっかりメンバーが代替わりしています。
ほぼわたしの知らない人たち。
その中で目に留まったのがこの作品。
もうベテランの詩人、渡辺信雄さんの「電磁的日常」。大いに共感します。
永井さん、ありがとうございました。
今村欣史の本。 『完本・コーヒーカップの耳』面白うてやがて哀しき喫茶店。 今なら本屋さんでも買えます。宮脇書店ダイエー西宮店(浜松原町)のノンフィクションのコーナーに有ります。
文芸同人誌『対角線』創刊号の合評会を「書斎・輪」で開催。
9人の同人ですが、5人が出席で(もう一人参加予定でしたが、駅での待合せの行き違いで欠席になってしまい、残念でした)。
4人が西から「輪」に向かって歩いて来られます。
この4人とわたしとの5人。
書斎の奥のスペースで。
約3時間半、熱心に勉強し、充実した時間を過ごしました。
こうした刺激的な時間は久しぶりでした。
今村欣史の本。 『完本・コーヒーカップの耳』面白うてやがて哀しき喫茶店。 今なら本屋さんでも買えます。宮脇書店ダイエー西宮店(浜松原町)のノンフィクションのコーナーに有ります。
今朝の神戸新聞に載った子どもの詩。
先日、偶然ちょっと似た詩のことを書きました。https://blog.goo.ne.jp/coffeecup0816/e/e72c28a63ecf8b69de1608d29d4879b1
杉山平一先生の「星」という詩。
清々しい朝に夜の詩です。
詩と散文の同人誌『リヴィエール』197号は神戸の詩人永井ますみさんからお贈りいただきました。
みなさん真面目に書いておられます。ふざけたような作品はありません。中に、散文を行分けしたもの、といった風なものもありますが、詩ごころがあればそれはもう詩ということで。わたしもそんなのいっぱい書いてますから。
このところずっと、このような遠い幼い日の思い出を綴っておられる。
方言を生かして活き活きと。その時代の貴重な証言でもあります。
言葉に過不足なく詩に昇華しておられるのは、さすがベテラン。
永井さん、ありがとうございました。
完本・コーヒーカップの耳』面白うてやがて哀しき喫茶店。 今なら本屋さんでも買えます。宮脇書店ダイエー西宮店(浜松原町)のノンフィクションのコーナーに有ります。
詩と散文の同人誌『多島海』46号を詩人の江口さんからお贈りいただいた。
A6版の静かなたたずまいの冊子です。
同人は4人だけ。いいですね、これぐらいの小さくて充実している同人誌は。
森原直子さんの「秋のかたち」の”窓のかたちして”という詩句が、何げなくていいですね。
彼末れい子さんの作品は、日常の現実を描きながら、知らぬ間に詩の世界へと誘われて行きます。ユニークな詩法を持った人。
松本衆司さんの「アポリネールのように その六」に感動。大阪文学学校のチューターの松本さんが、急死した生徒のことを情を込めて書いておられる。因みにわたしは、遠い昔に一度だけ大阪文学学校を覗いたことがある。当時の校長、小野十三郎さんの話を生で聞いたのだった。小野さんを直で見たのはその時一度だけ。
江口節さんの「島田陽子さんと出会って」。島田さんとは何度もお会いしている(ちょっとしてエピソードもある)がその”人„についてはそれほど知るところではなかった。この江口さんの文章で今まで知らなかった面を教えていただいた。
みなさんの他の読み物も充実していて、小さいながら楽しめました。江口さん、ありがとうございました。
服部誕さんの『失せもんめっけもん』(服部誕著・編集工房ノア刊)です。
表紙装画が面白いですね。尾柳佳枝さんの絵だそうです。
わたしは服部さんの短編小説が好きなのですが、これは詩集です。
読後の感想を書こうと思うのですが、表紙帯文にすべて書かれているような気がします。
「ことば」がテーマになってますが、背景はセピア色。
わたしが生きてきた昔の世界と重なります。
そして言葉の運び、リズム自体がセピア色と言っていいのかも。
だからわたしは懐かしさを伴って大いに共感します。
三点ご紹介しましょう。
「コトバ」という言葉に注目。
深読みかもしれませんが、皮肉がたっぷり。
全編こんな感じで24篇。
それぞれの「コトバ」について、読者それぞれが自分なりに楽しめばいいのかと。
著者も思いっきり面白がって書いておられるようだし、読む者もこの趣向を思白がればいいんですよね。
服部さん、楽しい詩集でした。ありがとうございました。
三田の詩人、今猿人さんからお贈りいただきました。
16ページと薄い冊子ですが、力量のある詩人が揃っておられて(7人)読みごたえがありました。
この発想に感心しました。《遺伝子に組み込まれたものは/取り外せないから/考えるだけ 無駄で》。この三行、「理屈」ではありますが、わたしには視点が新鮮でした。
発想の意外性といえばこの人、今猿人さん。
「最高の蛙」 最後の一行でちょっとずっこけそうになりましたが。
楽しませていただきました。今さんありがとうございます。
芦屋の詩人、山下徹さんからお贈りいただきました。
『芦屋芸術』二十一号です。
山下さんの個人誌ですが、200ページ近くもの重厚感のある本です。
今年、これが第三集目とのこと。精力的です。
主に詩が載っていますが、山下さんお一人の作品ではなく、寄稿者が何人かおられます。
今号は、山中従子、津田文子、牧田榮子、野間明子、鍋谷未久美、スミレ、榎本三知子の各位。
それで半分以上のページを割いてます。
山中さんは詩と散文でした。「ある古民家で」は散文。想像を加えた話ですが、リアルでした。
津田さん、庶民的な詩を書いて下さいます。特に「玉子焼き」は良かったです。
詩を6編寄稿しておられる牧田榮子さんに驚きました。
この人のこと、以前このブログに書いたことが何度かあります。
その最初。「牧田榮子さんという詩人」。
奇遇でした。「ア・テンポ」という同人誌でも読ませて頂いてますが、ここでお会い出来るとは。
わたしでも理解できる詩を書いて下さいます。
「投函」という詩の中にこんなことが、《出した筈の茶封筒が夕刊や広告紙に混じっている/「住所に見当たりません」/これ見よがし斜めに特大ハンコ/あらあら 宛名番地の数字がひとつ足りない》
これ、わたしも経験があります。広島の友人に出した年賀状の宛名番地が一番違いで戻ってきたことが。
野間さんの「夢の踵」の冒頭。《血の踵はどこまでもつづく//どういう意味だろう/遠いたれかから預かった言葉なのだが/ここだけ残して/滲んでしまった》
なにが始まるのか興味津々とさせられます。
鍋谷さんの「ぼた姫」が面白かったです。大阪弁の使い方が上手いもんです。田辺聖子さんを彷彿とさせました。
楽しい物語でした。
スミレさんの詩「もう一度 母に」の亡くなったお母さんに寄り添った詩、感動的でした。
榎本さんの散文「メイント・モリ」はお父さんへの想い。その臨終への立ち合い。よく描き切られました。
山下さんの「アルファさん 三十一夜」 「第二夜」《結局、誰にもわかってもらえないことがあるのだと思う。そして、それでいいのだと思う。自分ひとりだけのこと。》もの書く者の覚悟ですね。
「第二十六夜」《自分がエライと思って書いている文章なんて糞くらえ、》印象的!
山下さん、いつもありがとうございます。
『完本・コーヒーカップの耳』面白うてやがて哀しき喫茶店。 今なら宮脇書店ダイエー西宮店(浜松原町)でお買い求めできます。ノンフィクションのコーナーに有ります。