加古川の詩人、徳田隆一さんからお贈りいただきました。
『別嬢』120号です。
これまでは高橋夏男さんから届けられていたのですが、今号から代ったみたいです。
夏男さんが編集などを若い人たちに託されたようで。
同人の顔ぶれも昔とは大いに変わりました。
淋しいことですが、時の流れ、致し方ありません。
高橋夏男さんの作品を紹介します。
ベテランの味があり、安心して読めます。
imamuraさんの本。 『完本・コーヒーカップの耳』面白うてやがて哀しき喫茶店。




詩誌二冊、神戸の詩人永井ますみさんからお贈りいただきました。
双方とも長く続いている詩の雑誌です。
特に「現代詩神戸」は昔からお贈りいただいているのですが、感慨深いものがあります。
書き手がすっかりと変わってしまいました。鬼籍に入られた方が多いのです。
あるいは老齢で筆を折った方とか。そんな人たちのお顔が懐かしく思い出されます。そしてその作品も。
さて、この二冊。どちらも気を衒ったような作品はほぼないので、わたしでも安心して読めます。
「現代詩神戸」の中の横井司さんの「尼崎」が面白かったです。作者の横井さんとは面識がありませんが、わたしと同年代でしょうか。
同じく「現代詩神戸」の「あとがき」が興味深かったです。今 猿人さんの「推敲」に関する記述。
前置き(主旨の理由)があるのですが、それは略して、
《あなたは書き終えた詩作品について、十分に推敲されますか?私?私はそんなのしないでいいなら、しないで済ましたい方ですねえ。(略)そもそも読み手の為に詩を書いている訳でもないので、どうしてもそうなるのです。それとも、もしかしてあなたは、他の人に読まれる事を意識して書いておられます?(略)》
刺激的な文章ですね。考え方は人それぞれでしょうが、少なくともわたしはちょっと考えが違います。
興味のある人は『現代詩神戸』288号を入手して全文をお読みください。
芦屋の詩人山下徹さんからお贈りいただきました。
『芦屋芸術』22号です。
個人誌ですが、180ページもある立派な本。
しかし、よく出されますねえ。ここ二年、年に三回も出しておられます。
今号には8人もの客員が原稿を寄せておられます。
そのうちの牧田榮子さんはお会いしたことがある詩人。その詩も馴染めます。https://blog.goo.ne.jp/coffeecup0816/e/67717603386781e871d2e3378ac15f99
今号には震災詩を7篇。そのうちのこれは「黒いオーバー」です。
わたし、難しい詩は苦手ですが、こんなのは何となくわかります。津田文子さんの「置いた駱駝と私」。
主宰者の山下さんの作品はわたしには少々難しいのですが、詩の言葉でしか表せない心象の世界を描いておられて刺激的です。
後半には日記的な分かりやすい詩も並んでいて、安心しました。
山下さん、ありがとうございました。
『以倉紘平全詩集』を読了しました。724ページ。
編集工房ノア刊。9000円+税。高いと思われるかもしれませんが、これはそれだけの、いや、それ以上の値打ちがある本です。
1ページあたり、12円43銭(+税)です。
編集工房ノアさんの電話番号を記しておきます。 06-6373-3641
伊藤桂一が以倉さんのことをこんな風に言っています。
「どこまでもやさしい潤いに満ちた、しかも包容力を持った人柄と思える。自身に向けては、おそらくその逆の性向がある、といえるかもしれない。象徴的な文字を使えば、彼には「寂しい修行者」といった趣がないわけではない。」
その上でわたしは、「しみじみした人格者」だと思います。
以倉さんとそれほど話したわけではないですが、全面的に信頼できる人だと思います。
分厚い本に付箋がいっぱいつきました。
その中から一篇紹介します。全詩集の最後から二つ目に置かれた詩。
亡くなられた娘さんのことを書かれた詩です。なにも解説はしないでおきます。







以倉紘平さんが主宰する詩誌『アリゼ』225号が届きました。
これに、頼まれて朝倉裕子さんの詩集『雷がなっている』の書評を書かせていただきました。
美しい雑誌『アリゼ』に載せて頂いてありがたいことでした。
その主宰者、以倉さんの詩です。
「嵯峨さんの最後の言葉」です。
いいですねえ。以倉さんの詩はわたしの心にしっくりと沿います。
今、合間合間に読ませてもらっている『以倉紘平全詩集』(編集工房ノア刊)が素晴らしいです。
今、五分の三ほど読んだところですが、慌てずにゆっくりと読んでます。
今朝の神戸新聞「読者文芸」の特選詩です。
神戸新聞さん、遠山さん、記事拝借お許しを。
遠山耕二さんの「おばちゃん」ですが、いいですねえ。
ちっとも詩人ぶらずに平明な言葉で書かれています。
それでいて、無駄な言葉がなく、読む者の胸にじんわりと伝わります。
この詩を特選に推してくださった選者の時里さんに感謝です。
妻にも読み語ってやりました。
新聞の投稿欄はやはりこういった生活詩が主役にならないといけないと思うのです。
難しい詩人語が多用されるような詩は多少優れていてもこの欄にはそぐわないと思うのです。
もちろん、優秀な詩を落とす必要はないと思いますが。
昔、選者をしておられた足立巻一先生は、この欄で「優れた詩を落としたことはない」と言っておられました。
でも足立先生は、わたしが思うに生活詩を優先しておられたように思います。
