SARAのブログ

日々のことあれこれ

映画「幸せなひとりぼっち」

2021-10-02 16:40:44 | テレビ
前回の記事で「寂しい」「誰かとしゃべりたい」と言っていたが、
とても不思議なのだけど、その次の日の昨日、運命的な映画との出会いが
あった。

「幸せなひとちぼっち」

というスウェーデンの映画だ。
一言で言うと本当に、とにかく素晴らしかった。

主人公は奥さんを亡くして一人暮らしをしている老人。
映画の冒頭はとにかくこの老人の偏屈さのオンパレードだ。
しかしすぐに思った。
これは私だ、と。
私の将来、ではない。
今もう既に私はこの人と同じだと思った。
私は実際にはこの老人のように、近所の住人を脅かすような言動はしては
いない。しかし実際にはしてはいないというだけで心は同じだと思った。
寂しいのに周りの人とうまく関われない。
いや、違うな、私は一応少しは関わってはいるのだけど、心を許していない
し、相手を信じてもいない。そして自分を見せていない。人に会ったらこうし
なくてはという演技をしているだけだ。
その心のモヤモヤやイライラがこの映画の主人公はそのまま態度に出ている
が、私はそれを隠してやり過ごしているだけ。
この主人公の方がよっぽど感じが悪いがよっぽど真実がある。
しかしそんな偏屈な老人の隣に越してきた家族が、日本人の感覚で言うと
少々図図しくもあるのだが、この老人に関わりを持とうとしてくる。
というか、この家族にしてみたら関わりを持とうという自覚もなくただただ
自然な人との関わりだったのだろうと思う。
最初は拒絶的な態度だった老人が次第に次第にその家族に心を開いていく。
そして他の住人ともひょんな出来事の連続から、徐々に徐々に関わりを持って
いく。
最後は孤独だった老人のお葬式にたくさんの人が参列する。

こういう映画を見て、以前の私だったら真似をしようとしたと思う。
この老人のようになろう、と。
そしてまた近所の人に無理して笑顔で接し、好きでもない人と付き合おうと
したかもしれない。そうしなければ、と。
しかし今の私はそんな風には思っていない。
それは真実ではないから。
だって私は近所の人のことが好きではないから。
表面だけいい顔をしようと思ったらいくらでもできる。
いい人を装い、一時的に仲良くしようものならいくらでもできる。
しかしそれでは意味がない。
心から打ち解けて心からその人のことが好きで心から信頼できる人でないと
意味がないのだということは、この間加藤諦三さんの本を読んで良くわかっ
た。
私はその場だけ感じの良い人を取り繕って、人を接待していた。
しかしそんなことをして人に好かれても意味がないのだということは良く
わかった。

私はみんなのことが好きなのではなくて、みんなから好かれたかった。
もっと言うと愛情が欲しかった。
良く考えると変な話だ。
他人から愛情を得ようとするなんて。
しかし冷静に考えればおかしなことを私は普通に求めていた。

だからと言って映画の主人公のように偏屈そのものでいつもいつも人に
接していても実際はやはり同じ結果だろうとは思う。
現実はやはり映画のようにはいかない。
そして無理に映画のように自分の現実を取り繕うことはもっとやってはいけ
ないことだと気付いた。


あまりにも素晴らしい映画だったので、旦那にもその話をした。
そして良かったら冒頭だけでも一緒に見て欲しいと言った。
嫌がるかなと思ったけど案外旦那は一緒に見てくれた。
「こんな感じの映画だよ」
とただちょっと紹介するくらいの気持ちだったが、意外にも旦那は結局最後
まで寝ずに見てくれた。実際にも「全然飽きずに見れた」と言っていた。
そして「良い映画だった」と。
終盤旦那は泣いていた。
ほぼ号泣していた。
私は最初に一人で見た時も正直泣かなかった。
「良い映画だったーーー」としみじみ思ったが、でも泣かなかった。
でも旦那は泣いた。
それも意外だった。
「SARA、良い映画見つけたね」と言っていた。
なんだか嬉しかった。
そして私にはこうして良い映画だと思ったらすぐに「一緒に見て!」と言える
人がいて、実際に一緒に見てくれる人がいて、一緒に感動してくれる人が
いるのだということはやはり幸せだと思った。


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