お風呂から上がり、髪を乾かしたあとに、急に心臓が痛く
なった。
キューっという感じが断続的に続いた。
こういうのは実は初めてではない。
生理前の時期になるとたまに出たりする。毎回ではないが。
でもいつのもそれとのハッキリした違いなどはわからなかったが、
今日のはなんかちょっと不安になったので、リビングに戻り旦那に
言った。「心臓が痛い・・」と。
私はショーツ1枚履いていただけで、あとはバスタオルを巻いただけの
格好だった。リビングでyoutubeを見ていた旦那のすぐ横に座り、心臓を
抑えていた。
旦那は「大丈夫?」という感じで私を見ていたが、物凄く慌てる感じも
なくただただ私を見ていたという感じだった。
すると、そのうち旦那の口から
「片乳出てるよ」
という言葉が出て来た。
私は瞬時に怒りが湧いた。
こっちは心臓が痛いと言っている。
いつもはイチイチ旦那には言わない。
でもなんかいつもと違う感じがしたのか、なんかあったら怖いなと
不安だったから旦那に言った。
不安を共有してもらいたかった。
それなのに「片乳出てるよ~」と冗談っぽく旦那が言った。
こちらはそれどころじゃないのに。
実は実家のことも私はまだ引きずっている。
今日も昼間や夜、そしてそう言えばさきほどお風呂から出てドライヤーを
かけている時にも父の言葉を反芻していた。
そして嫌な気分になっていた。
旦那にも日曜日に散々愚痴ったので、私がどれだけ傷ついて、今
どれだけ病んでいるのか知っているはず。
しかし昨日今日と、平日になってからは、実家の話は旦那には一切して
いないので、旦那はいまだに私が黒い気持ちになっているとは思って
なかったのかもしれない。
それでも2日前には深刻に落ち込んでいたのだから、そういう時くらい
もうちょっと優しくしてくれてもいいんじゃない?という気持ちにも
なった。
しかしそこまで気の利く男でないことは私も重々知っている。
でもそう訴えたくなり、訴えた。
あなたまで私に優しくしてくれないの?と。
旦那はずっと平謝りだったが、私にしてみればどこまで悪いと思って
るんだかという感じだった。
こっちが結構深刻になっているのに旦那にはイマイチその深刻さが
伝わらないということが多い。
ここまで言わないとわからないの?と思うくらい伝わらない。
言わなくてもわかるでしょうという場面も本当に多くあった。
いや、今はそういうことが問題ではないのかもしれない。
「心臓が痛い」と言ったら、大袈裟なくらい心配してくれて、
こっちが「大丈夫だと思う」と言っても過保護なくらいに心配
してもらいたかったんだと思う。
あぁ、実家の家族は私には冷たいけど私にはこんなに親身になって
くれる旦那がいる、それでいいじゃない、と。
要するに、それくらい実家での出来事は自分の想像以上にダメージ
が大きかった。
10年前に初めて「ウチの親は普通じゃなかったんだ」と気づいてか
ら数年間は本当に悩んだ、「私は自分の実の親に愛されてなかった
んだ」と。しかしその後実家と音信不通の時期を経て、私は自分の生活を
もっと充実させることに頭が向いていった。コロナで2年半くらい
実家には帰ってなかったけど、特別それほど寂しいとは感じてなか
った。
しかしどういうわけか、今年の正月に実家に帰った時、母と姉の言葉に
悪意を感じた。
なのでその後は当分帰りたくないなと思い、GWも帰らなかった。
あまりにも帰らないとそれはそれで文句を言うのでGW明けに姉と
連絡を取った時に「ここのところちょっと体調を悪くしていた」と
いうようなことを言った。足を痛めていたり、その他もちょこちょこ
した不調はあったのでまったくの嘘ではなかったが、実家に帰れない
ほどの不調でもなかったし、不調だからと言って実家の家族に甘えたい
だとか、心配してもらいたいという気持ちもなかった。
「もう実家のことで悩まなくもなったし、どちらかと言えば自分の
生活のことで頭がいっぱいだし、特別心配してもらいたいとも思わなく
なったし、私もずいぶん大人になったよな」とちょっと思っていたの
だ。今回実家に帰るまでは。
しかし物凄く強烈な言葉を言われたわけではないのに、何故か今回
もまた酷く落ち込み傷ついて帰ってきた。
自分には旦那以外味方はいないんだなと寂しい気持ちにもなった。
というのも、最近特に自分の老後の不安を感じるようになっていた。
家の修繕や家電の買い換えなど、自分1人で対応したことがない。
電球の取り替えでさえ。
元気ならまだいいが、病気になったら手術するとなったら怪我をして
動けなくなったら・・と次から次へと不安が浮かぶ。
老後の不安が増したのは義母の姿を見ているというのも大きいと
思う。
正直義母が今のようになるとは思っていなかった。
「とーちゃんが死んだら、私はここをこうするから」とかまるで
それを楽しみにするような言い方を義母は良くしていた。
甘えているのはお義父さんの方でお義母さんは姉さん女房だった
こともあり、1人になっても義母ならしっかりやっていけると思って
いたが、まさか義母がここまで弱るとは思わなかった。
身体的にというより、とにかく寂しくて1人でいられないという感じ。
「何も楽しみがない」
「生きていてもしょうがない」
「やることが何もない」
そんなことを会うたび言われている。
そんな姿を見ていると私は一体義母と同じくらいの年になったら
どうなるのだろうと不安しか見えてこなくなった。
そんな昨日、私は思いつきで「老人 電球取り替え」とネットで
検索をかけた。
すると、高齢者向けの何でも相談室みたいなサイトが引っかかり、
高齢者の人が「1人暮らしなのだけど電球が取り替えられません。
こういう作業はどこに頼んだらいいのでしょうか?」と質問して
いた。
するとそれに対して複数の回答が寄せられていて「街の電気屋さん
が近所にあるなら、頼めばやってくれると思いますよ」だとか
「自治体や市の高齢者サービスでそういうことをやってくれるところ
もあるので役所に聞いてみては?」とか何件が回答されていた。
それを見たら何となく「そうか、年寄り向けのサービスとかも
今はいろいろあるんだな」とも思ったし、まずそうやって1人暮らし
の人が実際に電球を変えられなくて困って質問を寄せていたというだけで
困っている人は(私は将来的にという意味だが)私だけじゃないん
だ、というような気持ちにもなれた。
そのことを旦那にも今日の夕方に話したばかり。
実家の愚痴に合わせて老後の不安の話も旦那にはしていたので
「(そのネットのサイトを見たら)ちょっと安心できた」と
言っていた。
どこかが痛いと訴えても大抵は次の日になると良くなっていると
いうことも多い私なので旦那も大したことはないかなと思ったの
だと思う。
片乳出てるよと言って、私がプッと笑ったらそれで「まぁ、大丈夫
かな」となるだろうと思っていたのだと思う。
でも私は自分の片乳が出ていることにも気づかないくらい、(片乳
片乳と書いているとなんだかちょっと笑えてくるが^^;)不安
になっていたのに、そのこちらの深刻さも知らずにそんなことを言う
なんて!!と激怒した。
まぁ、他人にこんな話をしたら、ただの痴話げんかくらいにしか
思ってもらえないくらいの話なのかもしれないが、それに激情して
しまったのも、やはりこのところの精神状態が不安定だからだと
思う。
もうちょっと空気の読める旦那なら、「たぶん大したことはないんだ
ろうな」とは思っても、まぁこういう時だからと、ちょっと過保護に
対応するくらいのことはあるのかもしれないが、まずウチの旦那は
完全に空気の読めない人なのでそれは無理だったのだろう。
犬が亡くなってから私は辛い時「あの介護生活に比べたらまだいい
かも」と思うようになった。
それは本当のことで、もしかしたら今まで生きてきた中で一番辛い
1年だったかもしれない。
犬の命がもうあとわずかだと言われたことはもちろん、その辛い
状況の中で、ちょっとでも気分が明るくなる為の気分転換がまったく
できなかったということが一番辛かった。
ただただ24時間、いつ死んじゃうかもわからない我が子を見守る
毎日。たまにはどこかに出たい、でも出かけている間にこの子が死ん
じゃったら私は一生後悔するだろうなと思うとどこにも行けなかった。
外に出たのは1週間に一度たった40分間の買い物と、2週間に一度の
犬の病院だけだった。
正直病んでいた。
今は出かけようと思えばどこでも出かけられる。
こういう時はちょっと日常を離れて、旅行にでも行けばいいのかも
しれないが、ちょっと贅沢を言えば、去年の屋根の工事がなければ、
旅行ももっと余裕を持って行けた。
もっと言うとこのあと浄化槽の工事も控えているのでそれもいくら
かかるかわからないのがちょっと怖いというのもあり、「もうどっか
行っちゃおうか!」とイマイチ思い切れないのもちょっと辛い。
あぁ、なんか憂鬱な気分にまたなってしまった。
今日寝れるかな。
寝れないかも。