SARAのブログ

日々のことあれこれ

発達障害

2022-08-16 13:06:20 | 日記

私は結婚当初からずいぶん義母には泣かされてきた。

泣かされてというか、傷つけられてきた。

同じ嫁同士を義母という立場の人間が比べるということは良くない

こと、という概念がなく、とにかく義姉のことを褒める、良く言う。

「○○さん(義姉)は大学を出ているからね」

「○○さんは特別な資格を持っているからね」

一緒の写真に私も映っているのに義姉だけを差し、

「本当に綺麗~。若いよね~。」と言ったり。

あと良くあったのは、お正月に義実家にみんなが集まると必ず義姉の

洋服をもの凄く褒めるのだけど私の洋服は一度も褒められたことは

ない。だけど、正直に言うと義姉が特別お洒落なわけではなく、逆

に私からすると義姉はダサかった。途中からは義姉も多少はお洒落に

なってきたが、その前までは売れない演歌歌手のような格好でいつ

も正月の集まりに来ていた。しかし義母にしてみたらそっちの方が

お洒落に見えていたのか、とにかく義姉を褒めていた。

そう言うと「それは単純にあなた(私)が義母さんから嫌われてい

て義姉さんは義母さんから好かれていたのでしょう。」と思う人も

いるかもしれないが、これはたぶん間違いないと思えることは、義

母は決してそれを私へのあてつけや意地悪で言っているわけではない

ということだけはわかっていた。義姉に関することだけじゃなく、

他の事柄でもそういったことが多発していることもあったので、

私の中で義母は単純に

 

「酷く無神経な人」

 

という概念だった。

とにかく人への配慮がない。こういう立場の人にこういうことを

言ってはいけないとかそういう気まわしがまったくできない。

言いたい放題。

なので私もその義母の言葉にずいぶん傷ついてきた。

例えそれを他人に指摘され「相手はこういう人なんだからこうい

うことを言ったら駄目でしょう?」と言われても、自分の何が

悪いのかが理解できない。

そしてさきほども言ったとおり、悪意は毎回感じないのが、また

やっかいだった。

 

そんな義母との関係は義父が亡くなった4年前からもずっと続いて

いたが、今年に入って私はある事実に気がついた。

もう遅すぎるほど遅いのだけど。

義母が発達障害ではないかということだ。

義母は人の気持ちに寄り添えない。

なので人の話にもあまり興味がない。

とにかく自分が思ったこと、自分が話したいことだけを延々と話す

。まぁ、女の人はそういうところがあるはあるが、義母の場合は

その常軌を逸していた。

とにかく空気が読めない。

あと、もうずいぶん昔の話だが、私と旦那が結婚する前に、義母が

義父と一緒に初めて私の実家に挨拶に来てくれた時にこんなことが

あった。

ウチの両親が「(旦那の)お兄さんのおうちと(義実家)はどのく

らい離れているんですか?」と義母に聞いた時義母が言った。

義実家と義兄の家とは車で10分くらいの距離だが義母は

「そんなに遠くはないですよ。

 

○○○(このへんで言われている国道の通称)を行っちゃえばすぐで

すよ。」と。

 

他県に住む私の両親に「○○○」というローカルな通称を言っても

当然わからない。わからないだろうから普通の人はそういう言い方

はしない。他県の人でもわかるような言い方をする。さきほど私が

言ったように「車で10分くらいですかね」とか「○○○という国道が

あるんですけど、それを通ると早いんですよ」とか。

しかし義母はローカルな通称をそのまま使い、相手にはそれがわか

らないだろうというところまでは頭が回らない。

相手がどう思うのかが想像することができない。

ただただ自分が思ったことを言うだけ。

発達障害と言ってもいろいろあるので、これだろうというのは私は

専門家ではないのでわからないが、素人知識では軽度のアスペルガー

っぽい要素はあるかなと感じている。

そしてもう一つ、これも最近気がついたことなのだけど、うちの

旦那はもしかしたらというか、これはほぼ確定に近いのだけど、恐

らく「ADHD」だと思う。

目の前にあるのにそれを見つけられないということが昔から旦那に

はあった。すぐ目の前のハンガーにかかっている洋服が見つけられず、

私に「ない、ない」と言う。「そこにかかってるでしょう?」と言う

と「探したけどない」と言う。私が「えー本当に?」とあるはずの

場所を見に行くとすぐそこにかかっている。「ここにあるじゃん」

と言うと「あ、本当だ」と言う。こういうことが本当に多かった。

電話で仕事の帰りに買ってもらいたいものがあると頼むのだけど、

それがスーパーどこにあるのかが見つけられない。私の記憶で電話

で旦那を誘導し、「その棚!その真ん中くらいにあるでしょう?!」

と言っても「ない」と言う。なので、何度諦めたかわからない。

「店員さんに聞いて。そこに絶対にあるから。」と言ってもこれは

旦那の性格上の問題なのか、旦那は自分から作業している店員さん

に話しかけて聞いたりするのが苦手というのもあるし、そこにある

のに自分が見つけられないという事実を認めたくないのか、「本当

にない。」と言い張って絶対に店員さんに聞こうとしない。

あと、忘れ物が多い。そして仕事では集中しているのか、あまりミス

はないのに、プライベートで一緒に車で移動していると、行く道を

うっかり間違えたり通り過ぎてしまったりが非常に多い。

そういうところから旦那はほぼADHDで間違いないと思う。

あと、それに追随して考えてみると旦那のお兄さんも、知能は普通

だが(むしろ良い方だと思うが)、旦那のお兄さんはとにかく落ち

着きがない。とにかくジッとしていられない。義姉が良く言っていた

のは、休みの日も家にずっといるということができず、すぐに庭に出

て草むしりをしたりどこかに出かけてしまうと言っていたし、義実家

に来ていても食事をしている時は座っているが、終わってみんなでテ

レビを見ているともうすぐにどこかに行ってしまう。ウチに来てもそ

うだった。家の中をウロウロと歩き回り、いろんなものを見て回った

りしてとにかくジッとしていられない。

お義兄さんはADHDの多動の方の兆候が強いタイプで、旦那は

注意欠如の方が強いタイプだと思う。

 

それを持ってすると、旦那や義母に対して今まで感じてきたいろんな

ことも多少は優しい目で見られるようになった。これまでイライラや

怒り、理解できないことも多かったが。

しかしそれも結婚25年経ってやっとである。

 

もっと早く気づいていたらもっと楽だったかもしれない。

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お盆休み

2022-08-16 07:33:11 | 日記

お盆休み覚え書き。^^

この年のお盆休みはどんなだったかなぁという記録の為に書いて

おきます。^^

今年のお盆休みは8月の11日から昨日の15日までの5日間で

した。

 

8月11日

朝から調子悪し。でも親戚への贈り物を買いに行くというミッショ

ンがあった為に午前中旦那と外出。それを買いに行った場所がUNI

QLOの近くだったのでUNIQLOにも寄って帰宅。

お昼は買い物の帰りにたこ焼き屋でたこやきと焼きそばを買って

帰ってきてから食べた。おいしくなかった。

午後は私は寝室に籠もり、少し昼寝したり、1人スマホでyoutube

を見たりしていた。

夜は、前の日の夕飯の残りのドライカレーと野菜スープ。

 

8月12日

前の日と打って変わって、この日は元気だった。

午前中に掃除や洗濯をして、お昼は焼きうどん。

午後は録画してあったタクシー旅を2人で見た。

元気だったので昼寝もしなかった。

夜は買ってあったレトルトカレーとサラダ。

 

8月13日

台風の影響で朝から荒れ模様。酷い土砂降りの中義実家へ行った。

義実家に行く前の午前10時頃に義実家近くのスーパーで買い物

し、そのあと義実家へ。

昼前に義兄が来たが義姉は来なかった。

お昼は義母が「何か買ってきてみんなで食べよう」と言うので

近くのセブンイレブンでお弁当を買ってきてみんなで食べた。

1時半くらいまでいたと思う。

そのあとは、旦那とずっと行こうと言っていたカフェへ行った。

クリームソーダとポテトを食べて、そのあとスーパーに行き、買

い物をして、お花屋さんで犬にお供えするお花を買って帰宅。

夜はおそばでも茹でて食べようと思っていたが、おそばの在庫が

なかったので、結局旦那にコンビニに買いに行ってもらった。

おそばとアメリカンドッグを買ってきてもらったがおそばが異常

にまずくてほとんど食べられなかった。

 

8月14日

朝9時に義実家へ。義母とお墓参りに行った。義実家に帰ってき

たのが10時くらい。

そのあとは旦那と富士五湖方面にドライブに行った。

お昼は昔からあるような食堂で。でもそこで食べたラーメンが

まずかった。^^;

そのあと河口湖のお店でかき氷を買って食べた。

夕方帰宅。

夜は旦那がスーパーでお刺身とシュウマイを買ってきてくれた。

 

8月15日

午前中掃除と洗濯。

お昼はミートソース。

午後はもう眠くて眠くて寝室でガンガン寝てしまった。

夜は豚肉と豆腐と白滝と餃子とネギを鍋にして、ポン酢やキムチ

の素で食べた。おいしかった。

 

 

という、お盆休みだった。

私はたぶん今日もう生理の兆候が出ているので、ちょうど生理直

前のお盆休みだったのにも関わらず、義実家に2回、そしてドラ

イブにも行けてなかなか楽しめたお盆休みだったのではないかと

思う。(めちゃくちゃ疲れたけど^^;)

富士五湖方面には良くドライブに行くが、お盆休み中に行ったの

は初めてだねと旦那と話していた。いつもお盆休みは家の周辺を

ウロウロするくらいであまり遠出はしたことがない。

道はやはりそれなりには混んでいたが、あちら方面に行くのは好き

なので行けて良かったかなとは思った。しかしやはり体力はなく、

次の日が撃沈だったが。^^

 

13日に義実家に行ったが、私はその日でもう義実家に行くというミ

ッションは終えるつもりだった。早いとこ終えて、あとの2日間は

また旦那と楽しもう、と。

13日は天気も酷かったのでもし義母がお墓にまだ行ってなかったと

してもこの天気ではどっちにしても行けないしと思っていたけど、

私達が義実家に到着した直後に義母は「明日は○○(義兄)が来る

から、明日お墓に行ければいい。」みたいなことを私にボソッと言

っていたので、義兄が連れて行ってくれるなら良かったとホッとし

ていた。

ところが義実家にいる間に義母は旦那に「明日お墓に連れてって

ほしい」というようなことを言っていたと言う。途中2人でお昼を

買いに外に出た時に旦那が私に言った。私は「え?私にはお義兄

さんが明日来るから、お義兄さんと行くようなこと言ってたよ。」

と言ったが旦那は「いや、俺には2回くらい明日連れてって言って

たよ」と。なので2人で示しを合わせて、義母がどうしても明日

私達にお墓に連れて行ってということならしかたがないので朝一

番で連れて行こうということになった。

帰る時に義母がやはりそう言ったので旦那が「明日は○○(義兄)

が来るんだろ?○○に連れて行ってもらえばいいじゃん」と言った

が義母は「○○(義兄)はね、明日は○○(義姉の実家)に行く

んじゃないかな」と、もう私に言っていたこととは違う話になって

いて、要するにどういう理由かはわからないが、義兄ではなくて

お墓にはどうやら私達と一緒に行きたいということのようだったの

でしかたなく「じゃあ、朝来るから」ということでその日は帰った。

次の日の14日、朝9時に義実家へ行き、3人でお墓へ。

そしてお墓から帰ってきて車から降りる時に義母が「このあとは

どこかに出かけるの?」と聞いてきたので私はすぐに「うん」と

言った。そう聞いてきたのは義母はやはりそのまま私達にまだいて

ほしかったのだと思う。しかし私が出かけるということを言ったの

で少しでも引き留めようという気持ちが働いたのか、義母は駐車場

からなかなか家に入ろうとしなかった。駐車場から家に続く途中の

花を一つ一つ丁寧に説明し始めた。そして家の横を通る時も、置いて

あるゴミ箱のようなプラスチックの箱に水が溜るのは雨樋が壊れて

いるからではないかという話もしていて、やはりなかなか家の中に

入ろうとしない。

やっと玄関前に来ても義母は今度は義父が所有していた株の会社か

ら電話があったという話をし始めて、またそこでもなかなか家の中

に入ろうとしないので、私はそのまま義母の話に付き合っていたら

どんどん時間が経っちゃうと思い、「お義母さん、ちょっとおトイレ

貸してね~」と言いながら先陣を切るつもりで家の中に入った。

トイレから出てくると義母はやっと家の中に入っていたが、玄関に

座り込んでいた。旦那が玄関の中に入らずに義母の話を聞いていて、

いかにもそのままもう帰るよという態度だったので帰ってしまうの

を阻止するかのようにそこに座ったのだと思う。

私は旦那に「お線香上げよう」と言った。そうして旦那をとりあえず

家の中に入らせて、義母も家の中に入らせようとした。

しかし義母はそれでも玄関から中に入ろうとしない。

お線香を上げた私達がいよいよ帰ろうとすると義母は「ここもねぇ、

もうずっと掃除してないからねぇ、全部どかしてやってほしいんだ

けど・・」とブツブツと言っていた。ここというのは玄関のたたき

のことで、隅に傘立てや義母の押し車なんかが所狭しと置いてある。

前に義実家に来た時にも義母は旦那に植木の処理と玄関の窓の掃除

を頼んで、それは本当にそれをやってほしいというよりは私達を留

まらせる口実でもあるのだろうと旦那と私も気づいてはいた。その時

はすぐに旦那がやったので今回も掃除を頼めば旦那がやってくれて、

その間私は義母の話相手になり、とにかくそうして義母は私達を少し

でも長く引き留めたかったのだと思う。

しかし、前の日の13日は、いつもは1,2時間で帰っているところを

いつもより長く義実家にいて、一緒にお昼まで食べて、それでもう1

日潰れてしまったという感じで、しかもそれでもう用事は終わらせ

て14日と15日は遊ぼうというつもりが14日にまで一緒にお墓に行っ

てほしいと頼まれ、断れずに朝一で来ていたので、私達としてはかな

り義母にもう貢献しているつもりだったのでそれ以上はごめんねとい

う感じで、罪悪感はあったが、そこは心苦しくも義母を引き剥がして

私達は義実家をあとにしたのだった。

 

そのあと行ったドライブはなかなか楽しかった。

生理前で血糖値が下がりやすくなっている上、朝食も食べていなかっ

たのでなかなかお昼にありつけなかったのも疲れたし、帰りはほとん

ど渋滞にハマって、それもなかなかの疲労だったが、私の機嫌は良か

った。ただ夜は疲労なのか栄養不足なのか生理前の不調なのか、少し

ふらつきがあったり足に力が入らない感じがあった。お風呂に入った

あとに鏡で顔を見たら真っ白だったので貧血も出ていたのかもしれな

い。しかし、生理の直前というといつもは酷い時には夜は4,5時間し

か眠れない日々が続いたりもするのだが、お盆休み中は毎晩7時間く

らいは寝れていたので、それは良かった。その日も、夜は7時間くらい

寝れた。まぁ、その次の日の最終日の午後はほとんど寝ることになった

けど、今日もう生理の兆候が来ているのでそれはたぶん生理の直前の症

状だったのだと思う。

 

まぁ、総体的にはなかなか良いお盆休みだった。

去年はこんな吞気な連休は過ごせていなかった。

去年だけではなく、この先も旦那に何かあったら、そして義母に何か

あったら、こうして2人で吞気に出かけたり休みを楽しんだりはできな

いので、今そういう問題を何も抱えていないことがありがたい。

 

今、懸念しているのは、私の実家のことだ。

実家の父が少し前の検診で引っかかり、今月末再検査をすることにな

っている。もう年なので大きな病気が見つからなければいいなと思う。

父が何か深刻な病気になり、余命いくばくもないという状態になった

らやはり今のような精神状態で旦那との時間を楽しんだりもなかなか

できなくなるので。

どうか何もなければいいなと思っている。

 

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このままずっと

2022-08-10 09:12:51 | 日記

1年で一番暑い時期だ。

そして明日から旦那が夏休みに入る。

夏休み中の用事は2件。

旦那のお兄さんのプレゼントを買いに行くというのと、義実家に

行くことだ。

まぁ、圧倒的に義実家に行く方が嫌だけど。^^;

あとは、私が個人的にスキニーのパンツが1枚欲しいのでUNIQLO

には行きたいかな。

そのくらい。

この間の連休で、やらなきゃと思っていた換気扇の掃除を旦那が

ほぼやってくれたので家のことも大きな仕事はない。

あと、同じく連休で私の地元の方までドライブにも行ってきたので

どこかに無性に行きたいという感じではないけど、まぁ、その時の

気分や体調によっては出かけても良いかなという程度。

 

去年は、犬が悪いわけでは決してないのだけど、誰が悪いわけでも

ないのだけど、夫婦2人で気ままに出かけるということができなか

った。なので、こうして2人で出かけることができるというだけで

幸せだなと思う。そしてそれだっていつまで続くかわからないのだ。

旦那が元気でいてくれることがありがたい。

 

正直、義実家にも行かず、他に大した用事もない方が楽。

この夏休みに限ったことではなく。

でも2人だけで生きてきたわけではないから、そこはうんとこどっ

こいという感じで何とか頑張っているという感じ。

でも本当は、私はこのままずっと専業主婦で、ただただその日にこ

なさなければならない家のことをこなし、週末は旦那と遊ぶ、とい

うサイクルを続けていけたらそれが一番最高だなと思っている。

ただ後悔はある。

もっと早い段階から、いろんな所に出かけることや、家に手を掛ける

ことに注力してくれば良かった。要するに、もっともっと現実の生活

を楽しんでくれば良かったとは思う。

そのことだけが後悔。

でも、それでも私は幸せだ。

他の人に好かれなくたって、良く思われなくたって、旦那が元気で

長生きしてくれたらそれで良い。

旦那と楽しく遊んで年を取っていけたら私はもうそれで良いのだ。

それだけで良いとは言いすぎだけど、できたら周りの人とも仲良く

していきたいけど、それはおまけのようなもので、もしそうなれた

らなれたでいいけど、できなかったらできなくても良いよねという

くらい、旦那とこのまま仲良く年を取っていけたらそれで良いかな

と今は思う。

あ、もう一つだけ望むとしたら、健康はもちろんだけど、どうにかビ

ジュアルを保っていけないだろうかということだ。

今でも大したビジュアルではないが、何とかそれほど老け込まずに、

というかどうしたって老けるのだけど、そこをどうにか緩やかに保っ

ていけないだろうかとは思う。そこは抗って拘っていきたいかなと。

そんなことを最近思う。

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感謝の日々

2022-08-05 09:08:04 | 日記

今年は暑い。

異常に暑い。連日猛暑日。

いつもは暑くて33度くらいだったのが、今年は35度36度を

記録している。

しかし昨日一日雨が降り、一気に涼しくなった。

買い物にずっと行っていなかったので午前中のうちに行った。

今日は雨は降ってはいないが、昨日の名残なのかかなり涼しい。

ということで、朝ゴミを捨てに行ったついでに庭の草取りをした。

ほんの15分くらいだが。

まだ近所の人が仕事に出ていないので(会うとまた面倒なので)

近所の人が仕事に行ったらまた第2弾に出ようと思っている。

 

ここのところ、家のことが良く片付いている。

ずっと気になっていた寝室のカーテンも洗った。

ザッと10年くらいは洗っていなかったのではないかと思う。

あ、カーテンというのはレースのカーテンのこと。

寝室に厚手のカーテンは使っていない。

真っ白だったカーテンは薄らグレーになって、「臭い!」という

ほどの匂いではなかったが何となく匂っていた。

洗ったくらいじゃ汚れが取れそうになかったのでお風呂で数時間漂

白してから洗濯機で洗った。カーテンは全部の裾がほどけていたの

で洗い終わったあと、ミシンで全部縫った。

正直もっと真っ白になるかなと思っていたけど、それほどには

ならなかった。でもやっぱり今よりは全然綺麗になった。やはり

気分が違う。

こうして、やろうと思っていたことができるようになったのは、

屋根の問題が片付いたのと、今流行ってる「あれ」が旦那の会社

でもちらほら出ていて、旦那は接触者には入らないので休んでは

いないが、一応いつなってもおかしくない状態だからということ

で義実家に行くのを今は休んでいるからだ。

2月からずっと屋根のことが頭にあって、お金も怖くて使えなか

ったし、ずっと憂鬱で不安だったのがなくなり、義実家にも行か

なくて良いということになるとこんなに気分が楽なのかと思うほ

ど。

しかし前回ブログを書いたあと私は少し体調がおかしくなった。

肩が異常に痛くなり、下痢したかと思ったら次に数日間便秘をし、

昨日数日ぶりにやっと出た。と思ったらやっぱり少し緩め。

ちょっと自律神経系がやられているのだろうか。

それでも家事は普通にできているし、今日も草取りをこれからま

たやるつもりなのでそれほど元気がないわけではないのだけど。

でも無理はしないように草取りもほどほどにして、夏の間はや

はり時が経つのをジッと待つように、少しのんびり過ごそうかな

と思っている。

 

ずっと、「家にいる自分」が嫌だった。

働いている人は偉いと思っていたし、いや、偉いのだけど、働い

ていない自分は駄目な人だと思っていた。

しかし私は怠けていたわけでもないし、やれることは自分なりに

やってきた。

働いていないことは悪いことのように感じてきたけど、今は家に

いられることに幸せや感謝を感じている。

子供がいたら、働いていたら、きっともっと大変だった。

今は旦那と2人気楽な生活ができて、本当にありがたい。

家のことをやるのは好きだし、1人で過ごすことも好き。

人と話したいと思う時もあるけど、基本的にはやはりこうして家

にいられることに喜びを感じる。

義姉は家にいられない人なので私が毎日家にいて毎日1人で過ご

すことがよく平気だなと不思議に思っていることだろう。

でも私は好き。

でもまぁ、時々はやはりいつもと違ったものを食べたくなったり、

いつもと違う所に行きたくもなるので、そういう時は旦那の休み

で解消している。

そんな風に非常にバランスが良く取れている。

私はこの生活が好き。

働かないで今までこれたことは幸せだったと今は思う。

 

あと1ヶ月は続くだろうな、この暑さも。

9月に入れば朝晩はもう少し涼しくなるだろう。

何とか今年も夏を乗り切って、10月くらいからは日常的にもっと

外に出て歩きたい。

そしてもっともっと寒くなったらたまには焚き火がしたいかな。

そう思った時に、一緒にできる相手がいることがありがたい。

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8月1日

2022-08-02 08:50:23 | 日記

私の中で「夏と言えばこの年はキツかったなぁ」という年がある。

昨日ふと「あ、今日は8月1日かぁ、あれから11年経ったのかぁ」

と思い出した。

 

2011年の夏。

私はその年、6月くらいから体調がおかしかった。

当時アメーバのブログを書いていて、その流れで毎日アメーバピグ

というアバターを使って他の人とコミュニケーションが取れるゲー

ムで遊んでいた。それまでは1日に数回しかログインしなかったのだ

が、その年の5月?6月?くらいからそのピグ内に「ピグライフ」と

いうゲームが新しく始まったことをきっかけにしょっちゅうPCに張

り付くようになっていた。

自分の敷地に畑を作り、種を蒔き、作物を育てて収穫するゲームだ。

収穫した作物で料理をし、その料理が決められた数作れると、その

都度いろいろなアイテムが貰える。貰えると言っても実生活には何の

関係もあるわけがなく、ただゲーム内の生活が充実していくといった

もの。

当時、実生活に幸せを見いだせなかった私はピグの世界が楽しかった

、いや、他に喜びを見いだせなかったのだと思う。

収穫したり料理をしたりするのには限りがあり、時間が経つとその

エネルギーが溜っていってまたできるので、エネルギーが溜ってはま

たやって、というのを1日中ずっと繰り返していた。

そんなことをしていたある日。

PCの前に座っていてもなんだか落ち着かない。

ソワソワとするようになった。

ジッとしているのが辛い。でもピグはやめられず、PCの前に座りな

がら足をバタバタと動かしていたりした。

そのうち蕁麻疹が出るようになった。

蕁麻疹は、その3年くらい前に仕事をしていた時に生まれて初めて

出たのだが、その時も実は同じ症状が出ていた。

座る仕事をしていたのだけど、ジッと座っているのが辛い。

でも人が周りにいるので足を変に動かすこともできず、耐えていた。

でも気持ちは、今すぐにでも仕事場から飛び出し、全速力で走りた

い!という感じだった。

放っておくとそのうち蕁麻疹は治り、でも7月になってまた出て、そ

の7月に出た時がかなりの出方で、それまでは指先とかしか出なかっ

たのが、胴体部分に出るようになり、かなり広範囲で出ていたので

旦那に「それ、もうちょっと普通じゃないよ」と病院に行けを促す言

い方をされていたのだった。それを言われたのが週末だったので「来

週まで出ていたら病院行くよ」と言ったのを覚えている。

その週末私達は新しいPCを買った。そのやたら座っていられない、

やたらイライラする時期と平行して、PCが不具合を起すようになっ

ていて、それもイライラの原因の一つではないかと思っていた。

お金がないのにこんな高いものを買ってしまって良かったのだろうか

と陰鬱な気分になっていたのも良く覚えている。

PCはプロバイダーを替えたか何かの理由で、買ってから10日く

らい後の工事が終わってから使えることになっていた。

そしてちょうどその工事が行われる週の週明けの8月1日、朝起き

るとまた調子が絶好調に悪かった。体が異常にダルく、何もする気

が起きない。「いつまでこんな生活が続くんだよ!」と私は苛立っ

た。「もうこんな生活終わらせたい!」と。その時思いついたのが

当時癌の闘病中だった友達のことだった。5月から連絡を取ってい

なかったのだが、久しぶりに連絡を取ろうと思った。3ヶ月近く連

絡を取っていなかったのは連絡を取ると必ず「遊びに来てね」と言

われていたので、当時体調が異常に不安定だった私はまさか癌患者

に「体調が安定しない」とも言えなくて何と断ったら良いかわから

ず、接し方に迷いがあったからだった。

しかしその時は迷いはなかった。連絡して彼女が「遊びに来て」と

また言ってくれたら、体がダルかろうが何だろうが行こう!、もう

今日行ってもいい、そう思いメールを送った。

しかしいつもなら送って割とすぐに返ってくるメールが来ない。

嫌な予感がした。

その2時間くらい後に携帯が鳴る。

「誰?」と思って画面を見るとその友達からだった。

なんで電話・・?と思いながら出ると、かけてきたのは友達の旦那

さんだった。

 

「○○、亡くなっちゃったんですよ・・」

 

と電話の向こうで泣いていた。

もうビックリだった。

そのあと、私はまた別の友達に電話をし、話を聞いてもらった。

友達の旦那さんから電話を貰った時も、別の友達に電話をした時も

それぞれ別の1階の部屋に私はいたのを覚えているが、両方の部屋

とも、シャッターが開いていなくて中で電気をつけていたのも覚えて

いる。

その数日後にPC関係の工事が入ったが、心ここにあらず状態だっ

た。

その週の週末に私は友達のマンションに行くことになった。友達の

旦那さんが「まだお骨がお墓に入っていないので良かったら会いに

来て下さい」と言ってくれたのだ。

私は連絡を貰ってから1週間良く眠れないまま彼女のマンションに

初めて行くことになった。彼女はその半年前に引っ越していたばか

りのマンションだった。

当日も朝からお腹が下し、調子が悪かったのを覚えている。

でも彼女のお骨に会って、旦那さんとも話ができて、少し気持ちは

落ち着いた。

そしてその次の日からまた蕁麻疹が出始めた。

「いろいろあったからなぁ」と思っていたが、またその次の日にな

ると今度は顔がお岩のようになり、おまけにクリームパンのように

腫れあがった手が異常な痒さで、それに耐えきれず私は病院に行く

ことにした。薬を貰って飲んでもまったく引かず、5日目くらいに

なってやっと引いてきたが、次に病院に行くと薬は倍増され、「治

るには3ヶ月くらいかかると思います」と言われた。

倍増された薬のせいで、また別の意味の体のダルさがあり、旦那の

お盆休み中も私はほぼ半病人だった。

 

蕁麻疹が出て薬を飲んでからはしかたないにしても、その前の不調

は今思い出しても本当に酷かった。

ほぼ毎日体調が悪く、まったく体が思うように動かない。

運動不足もあっただろうが、それだけじゃないくらい体調が悪かっ

たのはコーヒーのせいではないかと思っている。

当時はしょっちゅう胃腸の調子も悪く、かなり頻繁に下痢もしてい

た。その不調がPCにかじりつくようになってより増してしまった

のだと思う。

 

犬が亡くなってからの今年に入って私達は良く昔のビデオを見るよ

うになったのだが、見ていると思うのが「とにかくいつも部屋が

汚い」ということだった。とにかく散らかっている。「こんなだっ

たんだ・・」と。

キッチンも旦那に言わせると「9割方、いつも汚かった」と言って

いる。

あと、良く義実家から来る大量のジャガイモやタマネギを玄関に

放置することが多くて、それが知らない間に腐って、玄関からいつ

も悪臭がしているということも良くあった。今思うと信じられない

ことだが、当時はそれでも片付ける気力がなかった。

コーヒーが自分には良くないということも薄らとわかってはいた。

しかし止めるに至らなかったのはそれだけ自制も効かなかった。

自制が効く状態ではなかったのだと思う。前向きに「よし!一度

コーヒーをスパッとやめてみるか!」という気持ちになれなかった

のだと思う。

当時友達を亡くしたことは辛く、今でもそのようなことがあったら

辛いとは思うが、もし当時、私がコーヒーを常飲していなくて、

家の中もいつもきちんと片付いていて、1階も毎日シャッターを開け

ているような生活をしていたとしたら、受けるダメージも最低限だ

ったかもしれないとも思う。

なので昨日「あ、8月1日か」と思った時、真っ先に思ったのは「

私もずいぶんまともな生活をするようになったな(笑)」というこ

とだった。

 

今も普通の人からしたら私は全然元気ではないとは思う。

でも当時のように毎日不調があるわけではなく、毎日普通に家事を

こなして、家の中も割といつも綺麗で、という生活ができるように

なったことは良かったなと思う。旦那にも少し前に「私、元気にな

った?」と聞いたが「あの蕁麻疹とか良く出てた頃に比べると全然

元気になった」と言ってくれた。そして「精神的にも浮き沈みが浅

くなった」と言っていた。それは私自身も感じる。

ただ、年齢的なものなのか、生理前の不調は前よりキツくなってい

る。あと排卵と思われる時期も体調が大きく崩れるようになった。

しかし生理前の不調も月によっては比較的軽い時もあるし、キツい

と言いながらも家事は普通にこなしていて、食事も旦那のお弁当も

毎日安定して作ってはいるので、そう考えるとやはり今はかなりま

ともである(笑)。

 

ちなみにだけど、友達の死を知らなかったの?連絡向こうから来な

かったの?と思われるかもしれないが、そのことは当時も私は実は

酷く落ち込んだ。しかしあとから聞いた話によるとその友達のお葬

式は完全な密葬で、本当に家族だけでやったという感じだったらし

いので、恐らく誰にも連絡はしなかったのだと思う。

彼女との関係や距離の取り方に悩んでいたこともあったので私だけ

呼ばれなかったのではないか、なんてことも思ったが、それなら

たぶん私のメールを見て無視まではしなくともメールで「亡くなり

ました」というだけのような気もするが、きちんと電話をわざわざ

かけてきてくれて泣いて報告をしてくれたし、良かったら会いに来て

下さいと言ってくれたのだから、当時の私はやはり悪い方にしか考え

が行かなかったなと思う。

 

ま、こうしてまた本格的な夏を迎え、そして8月1日を迎え、改めて

またいろんなことを思ったのだった。

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