SARAのブログ

日々のことあれこれ

メルカリ

2020-07-31 17:04:54 | つぶやき
やばい・・
久々に更新してみたら、次から次へと書きたくなって
しまった。^^;
ということで本日3度目の更新。^^;



今回はメルカリについて。

今年に入ってすぐの1月にメルカリに登録をした。
メルカリは去年からずっとやってみたかったことの一つだった。
家の不要なものを片付けたいという気持ちが常にあり、
売る価値のないものであれば躊躇なく捨てられるのだが、
メルカリの存在を知ってからは「もしかしたらこれ売れるんじゃないか?」
と思うものが出てくると
どうせゴミとして捨ててしまうくらいなら100円でも200円でもお金に
なった方がいいと思うようになったので始めてみることにした。

最初は売ることに慣れる為に本からスタートし、
だいたい流れに慣れてきたところで様々な雑貨の出品も
徐々にしていった。
1月に登録した、と言ったが
事実上は本格的に売り始めたのは6月下旬からで、
出品したのは7月下旬までの1ヶ月で20数点で、
そのうち17点ほどが売れた。
ただ、本など一つの単価が安いものが中心だったので
金額的には6000円ちょっとにしかならなかった。

が、やってみて良かったと思うことは意外にも多かった。

精神的なことでいうと、今日の最初の記事にも書いたが
私には根底に寂しさがあるのだと思うけど
単純にメルカリを通して人とのやり取りがあったことが嬉しかった。
出品していると、商品についての質問があったり、時には値下げの交渉が
あったり、そして売れた時にこちらからもメールをするが
買った側からもメールが来たりもする。
しかも私は自分が出品するだけじゃなく、
メルカリを始めてからメルカリで物を買うことも多くなったので
自分が買った先とのやり取りも入れると
連続で取引が入るとちょっと訳がわからなくなるほどメールのやり取りを
していた時もあった。
それはあくまで業務上のやり取りなので
仲の良い友達とメールのやり取りをすることとはまったく質の違うものなのだけど、
それがまた良かったというか、余計なことはそれほど気にせずに
やり取りをするということがまた新鮮でもあった。
あくまで業務上の事務的なやと取りの中にもちょっとした言葉遣いで
相手の気遣いなんかも時には感じることもあり、それもまた心地が良かった。

他にも、
さきほどもメルカリで物を買うようになったと言ったが、
これも特に無駄遣いをしているわけではなく、
生活必需品も、メルカリで買った方がお得なものがたくさんあった。
例えば、最近洗い流さないトリートメントをメルカリで買った。
と言っても商品そのものではなく、試供品を買った。
ウチに、その商品の試供品が1点だけあり、それをたまたま使ってみたところ、
とても髪の調子が良くなったので、近くのドラッグストアで買おうと思っていたのだけど、
たまたまメルカリで検索してみたところ、
その試供品の14点セットというのが売られており、
g数と価格を計算してもドラッグストアで買うよりも全然お得だったので
それを買った。量で言うと商品で買う半額くらいの値段で買えた。
あとずっと欲しかった中古のDVDもamazonの半分の値段で
買えた。
お得な買い物ができた!という満足感がたまらなくあった。

あとは妄想的なことで言うと
「自分のお店を持ったような気持ちになるということ」
もっと言うと
「自分が社長になったような気持ちになるということ」だ。
ある日家から出てきたものを売れるかどうかマーケティングし、
売れそうだったら価格を設定する。その商品を入れる箱を私は出品する前から
準備するのが自分なりの手順なのだが、その箱の大きさから送料を計算し、
最終的な儲けがいくらになるかで価格を決める。
写真撮影をし、紹介文を書き、出品へ。
それらを誰に相談することなく、全部自分で決める。
多少高めに設定してしまったかなという商品が意外にもそのまま売れたり、
これはすぐに売れてしまうそうだなと思ったものが売れずに価格を
下げたらすぐに売れた時もあり、そういう駆け引き的なところも
面白かった。
メルカリやってみたいけど、自分にできるだろうかと思ったこともあったけど
こうして無事にこなせていることで少し自分の自信にもなった。

あとはやはり出品したものが売れるとこれは単純に嬉しい。
それが例え100円200円の儲けであっても
「やった!」という気持ちになる。
お金じゃないというところもあるが、
今までは家事をやろうがどこを片付けようが
それが直接お金になったことがなかったので
例え6000円でもちゃんと自分の労力で不要なものをお金に換えられたというのも
嬉しかった。
以前は出品してもなかなか売れないものが残っていると
「何故売れないのか・・?」と悩んだが、気にしないで放っておくと
だいぶ日にちが経って忘れた頃になってポッと売れたりもするので
それはもう気にしないようになった。


今年に入ってからもいろいろなことはあったのだけど
メルカリを始めたことは私の中ではかなり大きな出来事だったと
言っていいと思う。
最近になり、他の用事も増えてきたので今はちょっとペースダウンしているが
細々と続け、
いずれかは家に「もうこれ以上売る物はない」という日も来るかもしれないけど、
そしたら今度はハンドメイド品でも売ってみようかしら、なんてことも少し頭に
ある。
とは言え、基本的には日々の家事をして、イレギュラーな用事をこなし、
あとはyoutube見たり好きな映画やドラマなんかを見ているだけで
充分一日が埋まってしまっているので
メルカリで売る物がなくなったらどうしようというほど依存しているわけではないが
単純にやっていると楽しいので
ボチボチ続けていけたらいいなと思うことの一つにはなった。
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湊かなえさんの「境遇」

2020-07-31 12:44:26 | つぶやき
えぇ、久々に吐き出しついでではありますが、
もう一件、更新。^^;


最近よく読書をしている。
寝る前に布団に入ってからスマホを見るという癖がどうしても抜けず、
2週間ほど前から、それを本を読むことに無理矢理切り替えたのだ。
最初は無理矢理だったが、久々に読んでみると本も楽しいなと思えた。
いや、というよりその最初に読んだ小説にかなりのめりこんで、
夢中になり、寝る前の読書タイムがかなり楽しみになったくらいだった。

その、最初に読み始めた本は、
湊かなえさんの「豆の上で眠る」という小説だった。
実はこの小説はamazonのレビューなんかを見るとあまり評判は良くない。^^;
だけど、私は楽しめた。
実はこの本は一度読んでいて、最後の結末も知っているはずだった。
だけど、数年前に読んだものだからなのか特に印象が残らなかったのか
どうしても最後の結末だけは思い出せないまま読み始めたので
「どうなるの?どうなるの?」という気持ちのまま読めた。
最後まで読んでみるとレビューにもたくさんあったように
結末に多少腑に落ちない部分はあったが、それでもそれまでの「どうなるの?これーー!!」って
いう期待感のまま読み進められたことの方が楽しく、大方満足できた。
なので、さてそれじゃあ次の本をとなった時に困ったくらいだ。
ミステリーが読みたい。
しかし本はそこそこ持っているのだけど、自己啓発本のようなものが多いので
寝る前にはあまり向かない。
というか、読んだらいろいろ考えてしまいそうなので
やはり小説が読みたいと思った。
なので、奥田英朗さんの「我が家の秘密」という小説を次に読んだ。
面白かったし温かい気持ちになれる短編集だが、ドキドキ感はやはりない。
ということで先週末、新たに本を仕入れにブックオフに行ってきた。
目星をつけていた本が4冊、全部100円で買うことができた。
そのうちの1冊はまた湊かなえさんの本だったので
また湊かなえさんの本から読み始めてしまった。^^;
そしてその本をゆうべついに読み終えた。
「境遇」という小説だ。
この本を買いに行く前に、確かamazonのレビューは見たはずで
評判もそこそこいい記憶があったのに、
これは正直言うとあまり面白くなかった。
(以下、多少ネタばれあります)
主要人物の子供が誘拐されてしまうあたりから「いよいよ話が動き出したぞ-」という
わくわく感があり、そのうち誰が犯人なんだという推理をしながら読み進めてきたが
最後に近づいてきたあたりで
「もしかしてこの人が犯人なんじゃない?」という目星がついてしまった。
でも確かレビューで最後にどんでん返しがあるようなことを見た気がしたので
たぶん違うのだろうと思っていたら、なんとそのまま当たってしまった。
最後に逆転する、というのは題名の「境遇」が逆転するということで
それもそれほどの衝撃でもなかったな、みたいな。
もっともっと「そうだったのかーーー!!なるほどーーーー!!」みたいな
ラストを期待していただけにかなり残念だった。
しかも昨日は、一個前の記事に書いたように義母からの電話のことで
少しモヤモヤがあり、いつもだったら読書は0時前には切り上げるようにしているのだけど
ゆうべは何となく切り上げたくなくて、読んでいるうちに「ええい!!もう最後まで読んでしまえ!!」
みたいな気持ちになってかなり夜更かししたにも関わらずこんな結末・・?、みたいな。^^;
いやぁ、なんとも残念だった。
そしてずっと見ないようにしていた寝る前のスマホもその勢いで昨日だけは解禁してしまい、
その本のレビューをもう一度見てみたら、評判の良いレビューも確かにあったが
読んでいくと評判の悪いレビューが次から次へと出てきて、悪い方が多かったんじゃんという
くらい出てきたのでそれにも「なーんだ」という気持ちになった。
しかしレビューを細かく読むとやはり自分と同じような感想を持った人も多く、
そこはちょっと満足した。

睡眠の質を上げようと寝る前のスマホをやめてたのにそれも結局は昨日解禁してしまい、
本を最後まで読んでしまった為、今日は完全な寝不足である。^^;
しかし私はめげない。(←物語の主人公風?)
今日からまた新しい本を読むぞ!!

そうそう、そのブックオフで買ってきた4冊とは別に、
ちょっと高価な本も最近1冊買ってしまった。
喜多川泰さんという人の「運転者」という本だ。
これは少し前にyoutubeで心理カウンセラーの人がとても薦めていた本で
「これを読むと人生が変わりますよ」的な感じで言っていたので
ちょっと興味があった。
でもその動画を見た当時は寝る前の読書タイムもしてなかったし、
本もあまり読んでいない時期だったので、実際に本を頼んだりには至らなかったのだが
最近読書を始めたこともあり、思い出して買ってみたのだ。
メルカリで買って実はまだ手元には届いていない。
数日中には来ると思う。
どんな本なのか内容はほとんどチェックしていない。
でもこちらは私の見落としでも何でもなく、amazonのレビューは恐ろしいくらいどれも評価が
高い。
本当にそんな良い本なのか・・?
まぁ、手元に届くのを楽しみにしている。

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義母と私の孤独と寂しさ

2020-07-31 11:41:26 | つぶやき
久々の投稿になります^^;


昨日、義母から電話があった。
「毎日何してるの?」と。
子なしの専業主婦の私はこの質問をされるのが前から一番嫌い。
その質問の裏には「やることないでしょう。そんな生活してて楽しいの?」
と、こちらの生活を責めるような意味が込められているんじゃないかと
思ってしまうからだ。
しかしそう思ってしまうのは、やはりどこか私自身が今の生活に
多少後ろめたさのようなものを感じているからなのだと思う。
もちろん純粋な質問の場合もあると思う。
純粋に「いつも家で何してるんだろう」という疑問。
昨日の義母も恐らくはそうだと思う。

義母は2年前に義父を亡くしてから一人暮らしになった。
とは言え、お義兄さんが義実家のすぐ裏で働いているので毎日朝晩に
顔を出してくれている。
義母は私と会うと自分の話ばかりをするのだが、
その話の中にも近所の人の話・・・誰々がこんなことを言っていた、
誰々にこの間あってこんな話をした、誰々はたまに家に来るけど
家には絶対に上がらない・・この間親戚から電話があって・・などなど・・。
要するに私なんかより全然人と接している。日常に会話もある。
それでも私に会うたびに「毎日やることがない」「つまらない」と言う。
昨日もそうだった。
特に用事はなく電話をかけてきた。
開口一番「SARAちゃんは毎日何をしてるの?」と聞かれた。
冒頭私が言っていたような意味ではなく、純粋な質問だったのだと思う。
もしくは私が家事以外で何か楽しいことをやっているのであれば、
それを丸々真似しようと思うかはわからないが
参考程度に聞きたいというような意味合いだったのだと思う。
しかしこの質問は単純に嫌いというのもあるが、
もう一つ、非常に返答に困るという点もある。
小さな作業の連続で「これをやってる」と簡潔には答えられないからだ。
これという趣味がないことに引け目を感じているわけではない。
単純に答えにくいのだ。
昨日の夜、旦那にこの話をしたら「自分がやってることをそのまま話せば
いいんじゃないの?」と言われた。
でもやってることなんて毎日違う。
一日、家にいてほぼyoutubeを見ていた、なんて日もあれば
午前中いっぱい庭の掃除に明け暮れてドロドロに汗をかき、
午後からは昼寝していた、なんて日もあれば
何件も用事をこなしに外に出てた日もあれば、
午前中いっぱいは小さな家事を休み休みずっとしていて午後からは
映画を見ていた、なんて日もある。
じゃあ、今ここに書いたような↑このまんまを言えばいいのかもしれないが、
それを言ったら言ったで
何か文句?を言われそうな?、何か思われそうな?、
はたまた話したところでやっぱり「そんなことしていてつまんなくないの?」と
思われそうなのが本当は嫌なのかもしれない。

本音を言うと今の生活がまったく寂しくないかと言われたら嘘だ。
根底には寂しさはいつもあると思う。
じゃあ、何故人とつきあおうとしないかというと、
もしくはどうしても避けてしまうかというと
人と話していて相手が言ったことや態度態度を不快に感じたり、傷ついたり、
今日のように相手が言ったことに対してあれこれと考え込んでしまうことが多い為、
とても負担になることが多い。
要するに、人と会わないことは寂しくもあり、会ってない方が楽でもあるのだ。
話をしていてとても心地よい人も中にはいる。
じゃあ、その人たちと何故会わないのかというとそれは単純に、
「あー今日は無性に人と話がしたい~~~!!」と思う日に、もしくは思ったその時に
その人たちとタイミング良く話ができればいいのだが、普通はそうはいかない。
人と会うにはまず連絡をして、その人が私と会ってもいいくらい心身共に余裕が
あるかどうかをまず確かめ、余裕がありそうなら会う約束をし、
約束をした日まで何を着て行こうとか前の日に寝れなくなったら
どうしようとか相手の家に行く場合は何を手土産に持っていこうなど、
いろんなことをあれこれ考えてしまい、それもそこそこ負担になるので
こちらにも心身共にかなり余裕のある時でないとできない。
しかしこんな私にも「今週は美容院に行かなくては」とか
「(定期的に行っている」犬の病院に行かなくては」とか
「いい加減伸び放題になってしまった庭を今週中になんとかしなくては」と
それなりにやることがあり、
そうこううちにいつも時が経ってしまうので、
この人と会って話がしたいなと思う時もたまにはあっても思うだけで終わってしまうことが
多いし、
生理前の一週間は特に体調が不安定になってしまうので日々の家事だけで
精一杯になってしまう。

そんなこんなで、私は日々の家事をこなし、イレギュラーな用事をこなし、
少し余裕ができるとメルカリに出品したり、映画やドラマを見たりしていると
もうそれでギッシリと時間が埋まってしまうので
正直、義母の言う「毎日やることがない」が頭ではそうなんだなと思っても
今ひとつピンと来ないというのもある。「やることなんていくらでもあるじゃない」と。

しかし今の私のそんな生活も、自然とそんな風にできあがっていったというよりは
寂しさや孤独などのストレスは散々あったけど
「こんな風にしていくとまだ楽かも」とか
「こういう時はこんなことをするよりもこういうことをした方がいいんだな」とか
私なりに工夫や努力をしてきたというのも、実はある。
いや、自分はそうやって頑張ってきたという気持ちはむしろ私の中では
とても大きい。
だから今義母が、
毎日息子が出入りし、私よりもずっといろんな人とのつきあいがあるにも関わらず、
それでも寂しさや孤独に耐えられなくて、電話をかけてきたり、
毎回のように「やることがない、やることがない」と愚痴を言うのを聞いていると
ちょっと甘えているなと思ってしまう。
もちろん義母と私では年齢も違くて体の不自由さも義母はあるし、
義父を亡くした寂しさは私には想像はできても
実際その立場にならないとわからないのかもしれないが、
それを差し引いても、
私だって一時期は今の半分以上も動けなくて(たぶん軽うつだったと思われる)
親との不仲から死にたくなっちゃうような絶望的な気持ちに何度も落ちたこともあるし、
寂しいなんて言葉では片付けられないくらいの時なんて散々あったけど
義母のように「やることがない(本当はやることがないというよりは寂しいんだと思う)」と
誰かに電話をして愚痴を言ったことなんてほとんどないので、
寂しい時に寂しい(実際はやることがないだが)と正直に言ってくる義母に
羨ましさのような感情を持ちつつも、
「でも私は一人で頑張ってきたよ!!??」というちょっと腹立たしい気持ちも
持ってしまうのだった。
そういえばもう一つ思い出したことがある。
確かこのブログにも以前書いたことがあることだ。
私が、いろんなストレスが重なり、1週間ほとんど眠れなくなってしまった時期があり、
その時に生まれて初めて心療内科に行った時のこと。
そのちょうど次の日に義母からたまたま電話があったのだ。
何かを取りに来てほしいという内容だったので
「ごめんなさいお義母さん、私今これこれこういう状態で昨日心療内科にも
行ってきて・・」と簡単に自分の状況を話した。
すると義母は
「寝れないの?」
「運動してないでしょ。運動しないと寝れないよ!?」
「○○(旦那)のご飯はちゃんと作ってるの?ちゃんと作ってね、○○が病気に
なっちゃうから」と言われたのだった。
私は心の中で憤慨した。
大きなストレスで今まったく寝れてない、病院に行った、という嫁に
自分の息子が病気になるといけないからご飯はちゃんと作ってねと言うなんて、と。
その電話を切ったあと私は病院でもらってきた安定剤をすぐに飲んだのだった。
これは今たまたま思いついた話だけど、義母の思わぬ言葉に傷つき憤慨したことなんて
数え切れないくらいある。
今、義母は夜眠れないと言って毎日睡眠薬を飲んでいる。
それは義父が亡くなったこととは関係なく、もう7,8年前から義母がしていることだ。
「やることがない」「眠れない」と毎回のように言う義母に
私は「少し外に出て体を動かせばいいのに」と思う。
数年前にあなたが私にそう言ったでしょう、と。
いや、義母に言われたからというだけじゃなく、
私もどうしようもない気持ちに襲われた時に、
どんなに気が向かなくても少し家の周辺を歩いて外の空気を吸うだけでだいぶ気持ちが
楽になったことがたくさんある。
「お散歩とかはしないの?」とやんわり言ったこともある。
しかし義母は外に出ること自体も億劫というのもあるみたいだが
「一人で歩いたってつまんない」と言う。
こちらの提案はほとんど聞かない。
そうそう、義母に「動かないとね、どんどん動けなくなっちゃうよ!!」と
厳しく言われたこともあった。
その言葉そっくりそのまま返してやりたい。


ちなみに今の私の生活のことを話すと、
先ほど言ったように寂しくないと言ったら嘘になる。
かと言って毎日のように意識的に「寂しいよー、寂しいよ-」と
思っているかというとそれも違う。
子供もおらず仕事もしていないのでさぞかし暇なのだろうと思われがちだが、
これは強がりで言っているわけではなく、
本当に時間を持て余すということがほとんどない。
youtubeは良く見るがそれでも一日中見ているわけでもない。
(先ほども言ったが月に一度くらいはそんな日もあるかもしれないが)
作業と作業の合間に休憩がてら見ていることが多いが
見ていると次から次へと見てしまい、
「あ!もうこんな時間!もうご飯の支度しないと!」みたいな感じで
時間なんてあっという間に過ぎてしまう。
もちろんそれはyoutubeだけじゃなく、何か考え事をしている時もあるし
ネットで何かを真剣に調べている時もあるし、家計簿をつけていてお金の
ことを考えいることもあるし、何か事件があった時に誰かのことに思いを馳せている
時もあるし、いろいろなのだが。(最近でいうと三浦春馬くんのこととか)
なので、根底には寂しさはあるのだと思うけど
意識的に毎日すごく寂しくてそれが差し迫ってものすごくストレスというまでの
感覚はほとんどない。
なんと言っても気楽だというのが今の生活の一番のメリットだ。
わずらわしい人間関係に巻き込まれることもなく、一日の大半を自分の思うように
気ままに過ごしている。


義母について、もう一つ思うことは
義母は人への共感力が非常に低い。
だからこれを言ったら相手が嫌な気持ちになるだろうとか
何も考えずに言葉を発することが多い。
義母は良く「テレビを見ていてもつまらない」と言う。
もちろん昼間やっているワイドショーなんかを毎日見るのは
今のご時世なら特につまらないかもしれない。
だけど、何かのドキュメンタリーだったり、ドラマだったり、
バラエティだったり、旅番組だったり、特に夜はいろんな番組もあるので
選べばまだ義母の年齢でも楽しめる番組もありそうだが、
「夜も、面白いテレビなんかまったくやってないじゃない?」
「見るものがない」
と良く言っている。
それはそうかもしれないとも思う。
ドラマなんか特にそうだが人への共感力がなければそれはつまらないだろうなと
思うからだ。
私はテレビをリアルタイムで見ることはほとんどない。
だけど決まってこれだけは見るというバラエティや情報番組はいくつかある。
それはそのMCをやっている人が好きだから、毎回その人の言うことに興味があると
いうのもあるし、ゲストの人も全部の人に思うことではないが素の部分が見れて
「こういう人なんだ~」とちょっと嬉しくなったりもする面白さがあるのだけど
義母には恐らくそういう感覚はない。
人の気持ちに感情移入もできないのであれば、ドラマや映画なんてそりゃあ
見ていてもつまらないだろうな、とも。

それでももしかしたらそんな義母でも見ていれば中には興味を持って見れる
ドラマやバラエティも本当はあるのかもしれない。
でも、これも私の生活と重ねて考えたことだが
私は生理前の1週間くらいになると普段は楽しめることもその時ばかりは楽しめなく
なったりする。自律神経が乱れてちょっとプチうつくらいの状態にはなっているのかもしれない。
しかしそんな時こそ、やはり運動は大事で、少し体を動かすのも動かさないのとでは雲泥の差という
くらいコンディションが違う。
最低限の家事くらいはやるが、あとはほとんど外に出ず、テレビを見てもつまらないという
気持ちで毎日家にいたら、それは楽しめるものも楽しめなくなるのではないかと思った。
運動と言ってもそんなハードなことをしろというのではなく、
本当に家の周り一周歩いてくるだけでもいいし、
家の中で簡単な体操程度のものでもいい。
毎朝ラジオ体操を自分なりに簡単にアレンジしたものをやるでもいいし。
そうして体を動かしているうちに、たまたまテレビで見た家で楽しめる手芸的なものを知り、
それをやってみようという気にもなるかもしれない。誰かが紹介していた本を読んでみようと
いう気になるかもしれない。
しかしほとんど体を動かさず「つまらない」と言いながらも毎日ワイドショーを見て過ごして
いたらそれは悪循環に陥るだろうなと思うのだ。
この話は昨日旦那にも話した。
動きたくないと言っている義母に嫁の私が言うとかなり厳しいことを言っているかのように
なるので、息子である旦那が言ってみてはどうだろうとも思ったからだ。
旦那は「SARAの言ってることは正しいと思うよ。」と言ってくれた。
「最初はちょっと億劫でもちょっとづつ体を動かしているうちに元気が出てくると
いうのは、本当にあると思う。だけどもう腰も曲がって伸ばすのが痛いって言ってるし、
本人も気も向かないのに、それをやれと言っても難しいんじゃないかな」と。
「俺らだってあるじゃん、筋トレとかしたら体にいいのはわかってるけど、でもできないことって
あるじゃん。」と。
私は「いや、それは私にももちろんあるよ。やったらいいんだけどねってことってあるけどなかなかできない。
でもお義母さんの場合、やったらいいんだけどねっていうより、それだけもう差し迫って
心身共に参っちゃってるなら、尚更ちょっとづつからでもやった方がいいんじゃないかなって。
運動って言ったってそんなに無理な、
ハードなことをいきなりしろって言うんじゃないよ?本当に徐々に徐々にだよ?」
旦那「わかってるよ。それでもどうかな、やっぱり本人がそう思えないとなかなかできないかもしれないね」と。
それは確かにそうだ。
私は「そういう時はこうするといい」という体験があるが、義母にはない。
しかし私が過去にどうしようもない状態に陥ってる時に、
自分から「きっとそういう風にすればいい方向に向かうかもしれない」と思うより前に、
人から「体を動かせばいいのに」と言われても「そんな簡単にはいかないのだよ」と思ったかもしれない。
実際に当時、体調が毎日のように悪く、体を動かすどころか家事を回すことすらしんどかった。
義母は今その状態なのだ。
それでも毎日少しづつ少しづつ家事に始まり徐々に徐々に体を動かしているとだいぶ変わるのだが。
ただでさえしんどいのに更にしんどいことをしろと言ってもなかなか聞けるものではないのかもしれない。



久しぶりの更新で、いきなりこんな内容。^^;
ほぼ私の愚痴のようなものですね。
話す人もいないので久々にここに吐き出してみました。
吐き出しついでにもう一件思っていることがあるので
またもう少しあとにも来るかもしれません。

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