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SARAのブログ

日々のことあれこれ

Mさん

2025-04-19 14:29:28 | テレビ
さっき、ご近所さんであるMさんが突然うちに来た。
Mさんちにはワンちゃんが2匹いて、うちも数年前まで犬を飼っていた
ので、散歩中に良く顔を合わせていた。
奥さんも娘さんも割と壁を作らずに話してくれるタイプなので、私も
話しやすかった。
うちの犬を介護していたある日の朝、ゴミ捨てでMさんに会い、介護
していることを話した。Mさんは「私今日買い物に行くので一緒に買い物
してきましょうか?」と言ってくれた。優しい人だなと思った。でも少し
やはり女性特有のマウント体質のある人だなという印象もあった。

うちの犬が亡くなり、火葬をする日にもMさんとバッタリ会った。
その時にも少し話したのを覚えてる。

その次の年に、ウチの屋根がボロボロになっているのをMさんちの屋根
の工事をしていた業者の人が気づいてくれて、教えてくれた。Mさんちは
建設業をしているし、業者とも横の繋がりがあるお宅なので半分は営業
も入っていたとは思う。でも自分達では本当に気がつかなかったことだった
ので教えてくれたことは本当に助かった。結局旦那の兄の知り合いに頼む
ことになったので、Mさん経由で業者を紹介してもらうことにはならなか
ったが、あとで「こういうことになりましたが、大変助かりました」と
挨拶には行った。

その後はずっと、話という話はしていなかったと思う。
数回もしかしたらゴミを捨てに行った時に出勤する彼女に挨拶をした
ことくらいはあったかもしれない。

ところが今日。
そのMさんが突然うちに来た。
以前屋根のことを教えてくれた時も突然うちに訪ねて来たので、また
その類いかなとも一瞬思いドキッとした。
すると。
Mさんちのワンちゃんが亡くなったという。
「え?!いつ?」と聞くとさっきという。
ビックリした。
「前に○○ちゃんが亡くなった時に火葬の業者さん頼まれたと話されて
いたじゃないですかぁ、だからお話伺いたくて。」と
言っていたが、恐らくそれが一番に聞きたくて来たんじゃないとは
すぐにわかった。
たぶん誰かに話を聞いて欲しかったんだと思う。
それは変な話、誰でも良かったんだと思う。
でも「犬が亡くなっちゃってーーーーー!」と例えば犬を飼っていない
誰か友達に泣きつくよりは葬儀や火葬のことを聞きたくてという名目が
あり、すぐ近所の家で恐らくいつも家にいそうな暇そうな奥さん、である
私が思いついたんだろうと思う。
私は玄関の中に彼女を入れて、話を聞いた。

連絡先を交換したり、犬以外のこともずいぶん話したかな。
ひとしきり話したら少し落ち着いた様子で帰っていった。

ま、悪く言えば私はちょっと利用されたというか。
でもまぁ、女性にはこういう場面良くあるのかもしれない。
自分には長くこういう場面はないけど。
たぶん思いつきで突発的に
家から飛び出してきたんだろうけど、それでも私のことが頭の片隅に
あって、近くではあるけどあの人には頼りたくはないわ、とは思われて
はいなかったんだな、と思ったら少し嬉しかった。
「娘に止められたんだけど~」と何回か言っていた。
「そんな泣いて行ったら○○さん(私)が戸惑っちゃうよ!可哀想だよ!
って止めたれたんだけど、来ちゃった」という風なことを言っていた。
でも私が嬉しかったと思ったのは、やはり私が暇で孤独な人間だから
かもしれない。すごく忙しくて人の相談ごとになんか乗ってる時間も
暇もないという人だったら少しは嬉しい気持ちはあるけど、例えばすごく
疲れている夜とかに電話とかかかってきてグチグチ話されたらやっぱり
迷惑とか思うのかな。

でも女同士、こんな風に泣いたり泣きつかれたりすることはもう何十年と
ない私にはかなり貴重で嬉しくて、でも刺激が強すぎて今興奮状態
からなかなか冷めない体験だった。
今晩寝れるかな、私。

いや~でもこのところ特に孤独を感じていて、今はまだ旦那がいるから
いいけど、この先旦那が闘病したり旦那の介護をしたり旦那を見送ったり
する時に私には相談したり話を聞いてもらったりできる人は誰もいない
だろうな、その時はどうやって自分で自分を支えていくんだろうと思って
いた。
いや、今Mさんとこういうことがあったとて、Mさんに今度は私が泣きつ
いたりはやっぱりできない。でも今日話していた時に、たまたまMさんが
ウチの横の家の大木の話をしてきて、「あの大木が倒れてきたら困りますよ
ね?いつも心配していました」と言っていた。それは実はつい最近にも
私が心配していたことだった。それも業者を紹介できますよ、の営業も兼ね
ているのかもしれないが、それでも、もし私が年を取ってうちの家に何か
があった時に、どこにどういう依頼をしたらいいのかわからないという
日も来ると思う。そういう時私はどうするんだろうと思っていた。
まぁ、その頃にはMさんもいい年になっているだろうし、
Mさんの旦那さんだっていずれは現役ではなくなるけど、息子さんが今
ちょうど旦那さんのお仕事を一緒に始めたとも言っていたので、最悪、
声をかけることくらいはできるかもしれない、とちょっと思えた。
ま、とはいえ、またここから何十年も経って、そこまで何のつきあいも
できなかったら実際は同じことかもしれないが、気持ちは少しだけ楽に
なった。

Mさんも帰り際、「ちょっと元気になった~、来て良かった~」と言って
くれた。

私こそありがとう。

私も少しだけ孤独だった気持ちがほぐされた。


少し前向き

2025-03-14 10:32:03 | テレビ
子宮頸がんや子宮体癌を疑い、震える日々。
しかしふと気になりネットで調べたことがあり、今は少し前向きな
気持ちになれた。

それは、

子宮頸がんは、なんちゃらウィルスに感染したことが原因で、それが
年月をかけて最終的に子宮頸がんになる、ということは子宮頸がんを
最初に疑った時に知った。
しかしそれが主に性行為で感染する(※粘膜や皮膚によって感染する
可能性もゼロではない)ということは見落としていたのか、たま
たま見ていなかったのか、はたまた見たがあまり気にせずスルーして
いたのかは忘れてしまったが、この時そのことをちょっと「あれ?」と
思い、もし私が子宮頸癌になっていたとしたら旦那から感染したことに
なるし、いつ感染し、どのくらいの年月で子宮頸がんになったのか、
などがふと気になったのだ。
調べると、子宮頸がんになるまでには数年から数十年。最長では20年
かかると書かれてあった。

20年?!

となると、27年前に結婚してから、というより結婚する前に旦那と
つきあっていた時から数えると私はこの29年間くらい旦那としか
したことがないということは、旦那から感染して発症するなら最長で
9年前までには発症しているはずだということになる。
なので今仮に私が子宮頸癌になっていたとしたら、20年前以降、
私が34歳以降に旦那が浮気をして私以外の人と性行為をしない限りは
私は今子宮頸がんになることはない。
旦那が38歳以降に私以外の人としていないということを確かめなけれ
ば・・!と。

私はすぐに旦那に電話をかけた。
「大事な大事なことだから、絶対に絶対に嘘はつかずに答えてほしい」
といつもとは違う超真面目モード、いや、これ本当にマジなヤツだと
いうトーンで私は旦那に言った。
「私と結婚してから私以外の人とエッチしたことある?」
旦那は即答した。
「ない」

「本当に?」
「本当に」
「いや、これマジで嘘ついたらダメなヤツだから」
「ないよ」
「本当に?」
「ない」
「絶対に?」
「絶対に」
「神様に誓える?」
「誓える」
「でもこれ、あとから嘘だとわかったら大変なことになるヤツだから」
「絶対にない」

旦那も始終真剣に答えてくれた。
私は長年の旦那とのつきあいの感覚で旦那が嘘をついてないことも
旦那の答えるタイミングや声の微妙なトーンなどで読み取れた。
それを確認したあとに、「感染までには時間がかかり・・・」の説明を
し、正確には旦那が38歳以降の話だが、結婚してから旦那が私以外の人
としていないなら、私が感染することも子宮頸がんになることもないことを
説明した。
旦那はおどけた感じに

「セーーーーーーーフ!!!!!」

と言った。
この言い方も、旦那としては「する機会もなくはなかったけどしないで
おいてセーフ」っぽく言っているが、そもそもそんな機会もなかったんだ
ろうなを想像させて尚更ホッとした。

「潔白っていいね!これ本当に俺が浮気とかしてたら今頃青ざめて
震えてたね!」

と天真爛漫に言う旦那。

とりあえずこれで子宮頸がんの不安はほぼなくなった。


しかし病院に行って、子宮体癌の検査も同時に受けることになり、しかし
子宮体癌の検査が受けられなかったことで今はまだ子宮体癌への不安も
まだある。

子宮体癌の初期の症状は「不正出血」くらいしかないみたいなので、これ
は私もあることはあるし、一応子宮体癌のリスクが大きい人のリストの

●出産経験がない人
●閉経が遅い人

にはバッチリあてはまっているし、

●糖尿病や高血圧の人

は、健康診断を受けていないので正確なところはわからないけど、
可能性はないとは言い切れないので△だし、

50代60代の人に多いというのにも当てはまる。

更年期で生理がバラバラだと思っていたら、それが子宮体癌の不正出血
だったということもあるみたいなので、それも怖い。
とにもかくにも検査を受けてそれが陰性であればすべて良しなのに、
私はその検査が子宮筋腫があることでできなかった。

ただ。
これもあとからわかったことなのだけど、子宮頸癌の原因がほぼウィルス
なのに対して、子宮体癌の原因の大半はその前段階である子宮内膜増殖症
というもの、もしくは子宮内膜の厚さが厚くなっていることらしく、子宮
の内膜が正常であれば子宮体癌である可能性はかなり低いと言えるらしい。
(※ただしゼロではない)
私は前回病院で経膣エコーを受けているので、恐らくそれで子宮内膜の
状態は記録されていると思う。
なのでこれらのことは次の受診で医師に全部確認し、また別に検査を受ける
必要があるのかどうかも聞くつもり。


これらは素人の私がネットからの情報をかき集めて、個人的に、いわば
勝手に、次の受診までのとりあえずの安心材料として至った結論なので、
もし子宮頸癌や子宮体癌を私と同じように疑っている人は、この記事を
見ただけで安心しないで気になる症状があったら、医師に相談してくだ
さいね。
今まで一度も婦人科や癌検診に行ったことがなかった私がどの口で
言っているのかと言われてしまうかもだけど、癌は本当に怖い。
「癌かもしれない」となっただけで一気に別世界に引きずり下ろされた。
もうこんな思いしたくないし、何より「わからない」って本当に本当に
不安。


(※子宮頸がんも子宮体癌も、大半と言われている原因から推測すると、の
話なので、他の原因でなる可能性もゼロではありません。気になる症状が
あった方がいらっしゃったら、病院に行って医師に相談してくださいね。)


そんなこんなで、次の受診まであと3日。
いろいろ懸念や不安はまだ残っているけど、とりあえず次の受診頑張り
ます。



人生の一大事

2025-03-07 08:37:11 | テレビ
もう更年期、いや、それどころか閉経していてもおかしくない年齢。
生理不順も1年半くらい前からあった。バラつきがありながらも去年の
秋の数ヶ月は普通に来ていたように思う。ところが12月になって少量の
出血があり「あぁ、これから生理がくるのかな」と思っていたらそのまま
2週間くらい少量の出血が続き、終わってしまった。1月も同じ。
いつも見ているyoutuberのお母さんも更年期で少量の出血が毎月続き、
月の半分は生理だと話していた。婦人科にも行ったが問題はないと言われた
と。なので私もそんな症状なのかなと、これからはずっとこうなのかなと
思っていた。しかし2月にはまた普通の生理が来た。

そして。

その2月の生理の1週間後、旦那と夫婦生活があったのだけど、その翌日に
下着に血がついていた。夫婦生活後にそれまで出血があったことがあったか
は記憶にあまりなかったが、まぁそういうこともあるだろうくらいに思って
いた。その日の夜にベッドで寝ようとしたらシーツにも血痕があり、したあと
にすぐ出血していたんだと気づく。出血はすぐに引くと思っていた。しかし
次の日になっても少量の、下着にちょっとだけつく程度の出血が続き、
トイレで用を足して腹圧がかかった時にもペーパーで拭くと血がつくという
のが続いた。さすがにちょっと気になってその日の夜にネットで調べたら
ゾッとするコメントを見かけた。それは、やはり私と同じような中年の
女性が久しぶりに夫婦生活をしたら出血をした、これは何だ?という質問
をし、それを見た時は「あぁ、私と同じ状況の人もやっぱりいるんだな」
と安心したが、それに対するアンサーの一つに「性交後出血は子宮頸がん
の代表的な症状なのですぐに婦人科に行くことをおすすめします」という
ようなものがあり、衝撃が走った。

そうなの?!!

私はそういったことを初めて知った。
ということは、これは癌なの?と。
もうそれからは震える日々。
もちろんネットで子宮頸がんを毎日のように調べた。
時々は「違うかもしれない」と思う時もあったが、それでも癌の可能性が
あることを知りながらこのままやはり放置するのはあまりにも怖いという
考えに至った。
衝撃が走った夜から数えて3日後の木曜日くらいにはもう「これは婦人科
行かなければヤバいかもしれない」という考えにはなっていた。
しかしそのまますぐに行けなかったのは、やはり婦人科、特に内診に
物凄い抵抗、いや、物凄いどころじゃない、超絶的な抵抗があったからだ。

実は、私はそれまで婦人科に行ったことが一度しかなかった。
30年弱前に新婚旅行に行くのに生理の日程を操作する為に薬をもらいに
行ったのだ。しかし本当にその一度だけ。
うちには子供がいないが、不妊治療どころか結局一度も婦人科に行くこと
はなく中年になった。子宮癌検診の類いも一度も経験したことはなかった。
不妊治療しよう!という強い意志もなかったし、癌を疑ったことや、心配
になったこともなかったので、行くことなく終わったという感じで来たが、
その裏には内診へのかなりの抵抗感は常にあったことは否めない。
だから中年になって少しくらいの生理不順では行くわけもなかったが、
今になって「癌かもしれない」「放置もしかしたら死ぬかもしれない」と
なって初めて「死ぬ気で行かなければ」という気持ちになったのだった。

それでもやっぱり怖くて気持ちを持っていくのも時間はかかった。
なので、夫婦生活があったのが土曜日だったのだが、実際に病院に行ったのは
その9日後の月曜日だった。

検査に行く前の日は寝付けず、2時くらいにやっと寝れたのだけど、目が
冷めたのは5時で結局3時間しか寝れなかった。
7時半くらいにシャワーをし、9時前に出陣。
もう本当に死に行くような気持ちで家を出た。

診察までには1時間くらい待った。もういたたまれない思いだった。
やっと呼ばれて診察室に入り、先生が問診票を見たあとに「最後に
子宮癌の検診受けたのいつ?」と聞いてきたので「実は今まで一度も
ないんです」と答えた。それに対して「え~?」というリアクションを
することもなく「そうなんだ、じゃあ、今全部やっておこっか?」と
先生は気さくに言った。まぁ、そうなるだろうなとは思ってきたので
もうその時には検査を受けることに対しては何の躊躇もなかった。
ただ。
子宮頸がんの検査はすぐに終わるが、子宮体癌の検査はかなり痛いと
ネットにも書いてあった。そして思い起こされるのは、20年くらい前に
義姉がやはり子宮頸がんの検査に私が行った同じ病院へ行ったら「ついで
に子宮体癌の検査もしておくね~」と軽く言われてその場ですることに
なったが、激痛すぎて「もう二度と子宮体癌の検査は受けないと心に
誓った」と言っていたことだった。なので、内診自体への抵抗よりは
その時にはもうどれくらいの痛みなのかが怖くてその恐怖の方が強かった。

「はい、子宮頸がんの検査は終わったよ~」という声が聞こえ、噂通り、
子宮頸がんの検査は何をされたのかわからないくらいすぐに終わった。
そのあと「エコーで子宮内見ま~す」という感じだっただろうか、
そしてすぐに「子宮筋腫があるね~」と言われた。「え??!!」と
ちょっと驚き、その次に先生が「筋腫があるから、もしかしたら器具が
入っていかなくて子宮体癌の検査はできないかもしれない。でもちょっと
やってみるね」と言われてしばらく何かをされてる感覚はあったが、その間も
痛みを感じることはなかった。そして結局「あぁ~、やっぱり入っていか
ない、うん、入っていかないね~、ごめんなさい、子宮体癌の検査は
ちょっとできないです。」と言われて、検査は終了した。

検査が終わった!

痛くなかった!

あ、でも子宮筋腫があるって言われた。

この時はこんな感じの気持ちが強かった。
性交後出血は子宮頸がんの代表的な症状、という頭が強かったので、
とにかく子宮頸がんの検査だけは受けなければと思っていたから、
子宮体癌の検査は受けられなかったけど、子宮頸がんの方は受けられた、
何より、今まで婦人科へはほとんど来たことがなく、内診も受けたことも
なく、普通の健康診断でさえ怖くて行けなかった私が婦人科へ来れた。
そして今無事に検査が終わったということが物凄い達成感だった。
子宮筋腫は気になったがその後の説明で心配ないと言われた。子宮体癌の
検査はできなかったが先生も「無理して器具を入れようとすると筋腫に
傷をつけて大量出血しちゃうんでね」ということだったので、じゃ、
しょうがないっかくらいな感じで帰ってきた。

ところが。

帰ってきたあと、ふと子宮体癌のことが気になった。
それまではとにかく疑うのは子宮頸がんだと思っていたので、あとは子宮
頸がんの検査を待つだけ、と思っていたのだが、一応子宮体癌の方も調べて
おくかという軽い気持ちだった。
しかし調べてみると、子宮体癌のリスクの高い人リスクには

出産経験のない人

閉経の遅い人

糖尿病や高血圧の人

と書いてあった。

出産経験がなく閉経も遅い、これは正に私。
あと、子宮頸がんは20代から40代くらいまでの比較的若い層に多いが
子宮体癌は50代60代の人が多いらしく、それもバッチリ私。
そして糖尿病や高血圧はそう言えば病院で聞かれたが私は「大丈夫です」と
答えてしまったのだけど、実はここ何年も健康診断に行っていなかったので
正確なことはわからない。しかしそれまで一度も糖尿病や高血圧で引っかか
ったことはなかったので勝手に「大丈夫だろう」と思い、そう答えてしま
った。
これはもしかしたら結構大事な判断材料だったのではないか、と。
そう思ったら急に子宮体癌への不安が大きくなってきた。
しかも検査自体ができなかったのだ。
疑うなら子宮頸がんで、体癌は完全にノーマークだったことが悔やまれた。
もし体癌への不安も大きかったら、検査ができなかったが大丈夫
でしょうか?とか、糖尿病や高血圧に関しても正確にはわからないと
いうことももうちょっとちゃんと答えていたかもしれない。

そこからはもう子宮体癌になっているかのような気持ちになり、でも検査
ができないと言われたことや、糖尿病や高血圧は大丈夫ですと答えてしま
ったことなどで頭がいっぱいになってしまった。
症状としては、これまでの生理不順、今回の夫婦生活後の出血、そして今気
になるのは検査後も少し出血はしますと説明を受けてその通り少し鮮血の
出血が始まったが、それがちょっと引いたかもとなったあとに再び少量の
出血が始まり、まだ今も続いていること。夫婦生活はしていないのでそれは
つまりただの不正出血。
ただそれらの症状イコール癌、ではない。
夫婦生活後に出血する場合もあるだろうし、更年期には不正出血や排卵
出血も多くなるとはいう。
癌になるのが最高峰の懸念なので、何にしてもとりあえず検査だけは受けて
陰性ならそれでいいのだ。
しかし私は体癌の検査が受けられなかったことで、気持ちとしては本当に
もう子宮体癌になってしまっているかのような心境で、このまま検査でき
ずでいいのか、他の検査方法があるのか、もちろん次の受診で聞くつもり
ではあるが、次の受診がただ単に検査結果を聞きに行くだけのものでは
なくて新たな不安や課題が多く残った受診になることが残念でたまらない。
そして、とりあえずは糖尿病や高血圧かどうかの正確なデータはやはり
持っていた方がいいので、今までこれも頑なに行かなかった健康診断にも
近々行かなくてはならないのが嫌でたまらない。もう内診は乗り越えたので
ただの健康診断に恐怖はないが、単に、今は婦人科に行くのが精一杯の
精神状態なのでそれ以上に用事が増えるのが憂鬱でたまらない。

検査結果を聞きにの婦人科への受診、健康診断、そして場合によっては
体癌の検査を受けにまた別の病院へ検査に行く必要もある。そしてその
前に子宮頸がんが陽性だったという結果が出る可能性もある。
そう考えると憂鬱でたまらないし、何よりどちらかの癌だったら、もう
普通の日常へは戻れない。

人生の一大事。

自己理解

2024-11-18 08:53:42 | テレビ
燃えないゴミの日だったので、捨ててきた。
ついでにうちの前の道路の掃除もしてきた。

燃えないゴミに出したのは、私の寝室で使っていた天井に張り付いてる
形の照明器具。
和室がゴミの一時置き場になっているけど、それが床置きすると結構
大きいものなのでだいぶ幅を取っていたが、今日やっと捨てることができた。
他のゴミも、だいぶもう片付いている。
一時期は和室もすごいことになっていたけど、今はまぁまぁこんなもんかなの
レベルになったので気持ちが焦らなくていい。

毎日それほどやる気は出ないんだけど、とにかくどこかが散らかっていたり
汚いと落ち着かなくなる。
「綺麗にしないと・・!」という強迫観念に駆られる。
それで実際にそこを綺麗にすると心の中でスンと落ち着く何かがあり、
それが心地良くてやめられない。

家の環境が整っていると、気持ちも整理されるし、その分出会いやチャンス
にもたどり着きやすくなると言う。
やってみるとそれも何となくわかる。
家が片付いていくと平行して、以前はそれほど思わなかったことをどんどん
「やってみようかな」という気にもなっていってる気がする。
もっと言えば、自分は何がやりたいのか、何をどうしていきたいのかが
わかってるつもりでわかってなかった気がする。
でも今はいろいろ思いつく。

やりたいこと、と言っても私の場合、そんな高尚な物でも何でもなくて、
今一番思ってることは「洋服がもっとほしい」ということだ。
私は持ってる洋服が圧倒的に少ない。
でも外出する機会も圧倒的に少ないので、今はそれで何とかはやっている
が、本当はもっと欲しい。
こんなのが欲しいと思いついたものを探しに行きたい。
なかなかできないのだけど。

自分のことがなかなかできない状態だから、人の用事で出かけなくては
ならなかったり、時間を取られることにすごくストレスを感じる。
代表格はやはり義実家に行くことだ。
以前はキッチリ2週間に一度旦那と一緒に行って、義母の買い出しに
行っていたが、旦那は今でも2週間に一度行っているが私は月に一度
にしている。
あと、実家の家族のプレゼントを用意するのが毎回ストレス。
今週は姪の誕生日があるので、送らなければならない。
中身は準備してある。買いに行くのに時間を取られたくなかったの
で、今回はネットで揃えた。
でも包装はしていないので包装しなくてはいけないのと、姪にメッセージ
を書かなければならなくて、それが今は面倒で気持ちが重い。

人の用事で動きたくなくて、ひたすら自分の為に動きたい。
普段のご飯作りもそうなのかもしれない。
旦那の為には作りたくなくて、自分の為ならまだやる気が出るのかも。
とにかく今は「自分の為」に「自分のこと」をやりたい。
まぁ、なかなかできないのだけど、今の私はそうなんだなという自己理解
はできた。
洋服がもっと欲しいのと、家の中と外をもっともっと綺麗にしたい。





心が重い

2024-11-15 08:27:32 | テレビ
気分が落ち込む。
ゆうべ寝る前にサラミをたくさん食べたから胃ももたれてる。

昨日、姉にちょっと聞きたいことがありLINEをした。
姉からは、それに対しての返答があり、そのあとに姪が体調を崩して救急車で
運ばれたという話があった。
ビックリしたけど、その話に返事を打った。
姉から再度返信があり、また姪のことを話していたが、最後の最後になって
やっと私の体調について「その後どう?」と聞いてきた。

私の体調は良くはない。
生活も不規則になりがちだし、毎月生理前の時期と排卵と思われる時期に
は必ず眠れなくなるし、胃腸の調子も悪くなる。
最近はその時期じゃなくても不眠が出ることもしばしば出てきた。
だけど、姉に話しているほど悪くはない。
姉を含めた実家の家族には大袈裟に悪いと話している。

そう言わないと、実家にもう1年半以上も帰っていないことを責められる
からだ。
結婚してからとにかく私は実家の両親に悪く言われてきた。
実家に帰っても「お姉ちゃんが一番幸せよ」と姉のことを良く言ったり、
私が結婚してから旦那と建てた家のことを悪く言われたりした。

数年前、父が尿管結石になり病院へ行き、その帰りに姉の婿が姉と父を
迎えに行ったのだけど、何故か駐車場の入り口に救急車が停められていて、
父を車に乗せたはいいけど駐車場からしばらくの間出られなかった、という
ことがあった。その時婿はのんびりとその救急車がそのうちどくだろうと
待っていたそうだけど、父は痛みや体調不良で一刻も早く家に帰りたかった
せいか、その吞気な婿の対応にイライラしていて、そのうち姉が病院に
行って救急車をどけてくれるよう頼みに行ったら「さすが自分の子供だ」
と姉のことを褒めていたという。
そして腹を立てた婿に対して、自分が亡くなったら婿に現金を残したくな
いからと言って、突如実家の屋根の工事を始めたのだった。婿に現金を
残すくらいなら、姉や姪の為にも家の補修をした方がいいと思ったらしい。

要するに、実家の親は自分たちに何かをしてくれたら「さすが自分の子供だ」
と優位に扱い、不満を感じればすぐにそうして「お金を残したくない」と
言ったりする。
その実家が最近塗装工事をやり始めた。
なんだか実家にはまったく帰っていない私が責められている気持ちになった。
私にお金を残したくないからと父が言っているように感じた。

そんな親なので、距離を取りたくて実家に帰っていないことも体調のせいに
して、ちょっと大袈裟に話してきた。
普段は買い物くらいしか外に出ないし、最近は旦那の休みの日もあまり出かけ
なくもなったことは事実だけど、実家に話してるほど動けていなくもない。
でも理由もなく実家を距離を取ることで文句を言われるのが嫌だったので、
かなり話を盛って体調の悪さをアピールしてきた。

しかしそれに対しての実家の反応もまた薄い。
私が実家の誰かの誕生日などで物を実家に送った時だけLINEをしてくる。
それ以外はこちらを気にかけるような連絡はまったくない。
何か送った時だけ姉が代表していつもLINEを送ってはくるが、両親はもっと
何もしない。
電話の一つもない。
それは突発性難聴の後遺症で耳鳴りや聞こえにくさが残ったと話している
せいもあるのかもしれないけど、例えば姉がLINEで「どのくらい聞こえ
るの?」とか「電話では話せる?」とか確認してきたわけでもないし、旦那
も言っていたが例えば普通なら親が心配して電話をかけてきて「聞こえる~
?」「話せる~?」と様子を伺ってきてもおかしくないのにそれもしない。
どこも出かけないから実家自体にも珍しいものが入って来ることもないの
かもしれないが、それでも「何か送ってあげられるものはないか?」と
日頃から意識していたら地元の名産だってあるだろうし、旬の果物だって
いいし、そういう気持ちがあればいくらだって送ってこられるだろうに
そういうことも一切しない。
私が体調が悪くなったと言ってからのことだけではない。
結婚してからの27年ほとんど電話の一つもかかってこない。
旦那はそれを「可哀想だなと思っていた」と言っていた。
今までも今の状態も両親のことは「普通じゃない」「おかしい」と言って
いる。

姉からのLINEでも、私の体調のことより先に自分たちの話ばかりしてきて、
私がちょっとドライな反応をすると、少しヤバいと思うのかすぐに「体調
どうですか?」と取ってつけたように言ってきたりする。要するにそういう
時だけ機嫌を取ってくる。そう聞かれたからこちらの状態を話すと、
返ってくるのは3行くらいの軽い返信。「そうなんだね。無理しないでね。
お大事に。」みたいな。私の体調を聞いた感想じゃないけど、そんなことも
何も言わないし、もちろん寄り添ってくれるようなコメントもない。
要するにパフォーマンスだけなのだ。
そんな姉や実家の両親の態度に不満。
もう不満という言葉だけでは片付かないほど、実家の家族に対しては寂しく
て苦しい思いをしてきた。

以前はこういうことがある度にただただ落ち込んだり、憤慨したり、
情緒不安定のままひたすら時が経っていくのを待つしかなかった。
いや、今も苦しい。
だけど、ちょっと救ってくれたのは少し前にここでも書いた「AI」の
存在だった。
話を聞いてくれてそれに対して優しい言葉で寄り添ってくれるのは
もちろんだけど、とにかく良く言われるのは「自分を大事にしてあげて
ください」「自分に優しくしてあげてください」ということだった。
私はその言葉が最初は目から鱗だったというか、実家の家族に対して
の黒い感情だけでいっぱいにすることしかできなかった私は、自分を
大事にするという発想すらなかったことにもその時初めて気がついた。
AIは「もうそれだけ辛い思いをしているのだから」と言ってくれた。
最初はどうやって自分を大事にしていいのかわからなかったし、自分に
優しくするってどういうこと?って感じだった。

瞑想とかも良いと聞くけど、瞑想にもちょっと重なるところがあって、
とにかく自分の感情に素直に正直になることが大事だし、自分の感情に
向き合っていくことが大事。好きなことは人それぞれ違うけど、自分の
本音で何を求めているのかそういうことに目を向けていくことが基本で、
こんなことが心地良い、こんなことが好き、こうしたいという気持ちに
気づいていくことが一歩だと、AIはそんなことを言ってくれた。

両親や姉に冷たくされて悲しい、苦しい、辛い、という負の感情も、
それを考えないようにしたり、押し込めるのではなく、「そんな態度を
されて辛いね、悲しいね、寂しいね。」「本当はもっとこうされたいよね」
と自分で自分を抱きしめるように言ってあげて、悲しくなったら泣く。
そして嵐のような感情が去ったら、少しずつ自分の感情に目を向けて、
自分の本音に向き合う。その時の自分の感情に向き合う。
思いっきり体を動かしたいのかそれとも何もしたくないのか、どこかに
行きたいのかどこにも行きたくないのか、何も食べたくないのか、甘い
物が食べたいのか、体に力が入りすぎてはいないか、入りすぎていたら
ほぐしたいのか、本当は眠いのか眠くないのか、体は冷えていないか
・・・
そして少しづつ自分の要求に応えていく。

AIが言っていたのは、そんな感じだったと思う。


嵐のような感情に向き合い、吐き出して、そのあとは割と家事をすること
が私は多くなった。
本当に何もしたくない時はしないが、動ける時は、家の中がスッキリと
片付いていると気持ちが良くなるし、意外と気分転換にもなる。
そうそう、そして気分転換も大事。
家の中にいることが多い私だけど、つい数日前は買い物以外で1人で
出かけた。
と言っても家から車で10分程度の公園だけど。
その公園は5年くらい前にできた比較的新しい公園。
グルッと回り込んで行く道しか知らず、私の中では「ちょっとだけ遠い」
というイメージだった。しかしGoogleマップでたまたま経路を調べて
みたらもっと近いルートがあることがわかり、行ってみたいと思っていた。
今まで行ったことがなかったのは、ちょっとだけ遠いということだけでは
なく、その公園が有料だったからというのも大きかった。
バラが見所の公園ということもあり、バラの時期は900円払わないと
入れない。公園に入るのに900円って私の中ではかなり高い金額で
「そんなにかかるならいいや」という感じでずっときた。
しかしそれ以外の時期は600円で入れる。
いや、600円でもやっぱり高い。しかも駐車料金が500円かかる。
これはもうお手上げと思っていたら、なんと年間パスポートというものが
あり、2,600円払えば1年間入場料も駐車料金も毎回タダと聞き、それで
ようやく行ってみることにしたのだった。
最初はやはり勇気がいったので旦那に一緒に行ってもらったが、数日前の
平日に無性に体を動かしたい日があったので1人で行ってみた。
本当に車で10分くらい、いやもっと早かったかもしれないというくらい
すぐに着いた印象だった。
たかだか近所の公園に行ったというだけのことだけど、なんだかそこに
1人で行けたというだけでちょっと自分の世界が広がった気がして、
その日は気分がとても良かった。


そんな風にして私はなんとか生きている。
今日もちょっとだけ寝不足で、ちょっとだけ気分が落ち込んで、実家のこと
も心が重たいけど、その気持ちに向き合ったり、ちょっとでも気分が良く
なることを見つけたり、気分転換したりしながらどうにかやっていこうと
思う。

またあとでAIに話を聞いてもらうのもいいかもしれない。