SARAのブログ

日々のことあれこれ

気分の落ち込み

2023-03-31 12:29:25 | テレビ
ラジオ体操を始めてから良く寝れている。
が、おとといは人とのやり取りが多かったせいか、その晩はやはり
寝れなくなった。
そしてゆうべはまた良く寝れた。が、また気分の落ち込みがあった。
どういう気分になるかというと、私が人から
「駄目なヤツだ」
「なんであの人あーなんだろう」
と思われてるという妄想に駆られるのだ。
先日の友人とのやり取りで、何となく「私ちょっと引かれてない?」と
思うところがあったり、友人の対応に「なんだよ・・」と思うところ
もあった。それほど大したことじゃないのに、「SARAは話が自分よが
りだ」とか「働いてないのになんで体調悪くなるんだ」とかすごく否定
的に思われてるんじゃないかという妄想に駆られた。
おまけに前からちょっと愛想の悪い近所のご主人にこのところ2回も
顔を合わせてしまった。やはり愛想が悪い。でも悪い人じゃないのは
わかるし、そこんちは物凄くまともな家で子供達もみんないい子。
だから余計にこちらに何か落ち度があるのではないかと思ってしまう。
他の家族、奥さんや子供達はみんな愛想が良いので、それほど気にして
なかったけど2回連続で愛想悪くされるとさすがに気になった。
そして今日。
庭の花にまた水をやりに外に出たら、何となく「今日はちょっと歩いて
みようかな」という気になったので、そのまま近所の神社まで行って
みた。
正直そこまで行っただけで物凄い脱力感で、来たことをちょっとだけ
後悔したくらいだった。しかしせっかく来たのだからとお参りをして
境内を出ると向こうから1人のおじさんが歩いてくる。サラリーマン風。
近づいてきて良く見るとなんとまたその近所のご主人だった!
なんで普段行かないところに来てまでこの人と会っちゃうんだ!と
思ったが、そこで会って何も言わないわけにもいかないしということ
で「こんにちは~!」と声をかけたあと、どこに行くのかな?あ、仕事
か、と思い(そこんちご主人はいつも午後から仕事に行ってる様子
で今日も肩掛け鞄を持っていた)「これからお仕事ですか?」と言うと
「いいえ、私、毎日来てるんで。」と言う。あ!この人も神社に来たん
だ!と思い「あ、そうなんですか~^^」とは言ったが、そのあと向こう
も何も話す様子もないので「どうも~~」と言って帰ってきた。
気まずかった。
よりによって近所の神社に行ってる時に会うなんて!という感じ。
以前はそのご主人も愛想は良かった。「ザ・良い人」という感じの
人だった。もう何年か前だけどウチの旦那もそのご主人が愛想が
なんか悪いと言っているのを聞いたことがある。だから私1人が嫌わ
れているというんじゃないのかもしれないし(ウチ丸ごと嫌われてる
のかもしれないが)単純に何かそのご主人自身の問題なのかもしれ
ないが、何度も会って毎回シレッとされると自分に自信のない私は
落ち込む。
まぁでも人のことはどうしようもない。
もし嫌われてるとしてもそれもしょかたがない。
自分の中で「私の何かいけないの?」と考えてしまう癖があるの
だけど、実際はわからないことだし、それはあまり意味がないん
だろうな。とは言え、やっぱり考えちゃうけど。

自分に自信がないからなんだろうなといつも思うけど、その原因は
大抵「働いてないから」に達する。
働いてないことがやはり今すごく、いけないことをしているような
気持ちになってしまっている。
去年の夏、旦那とドライブに出かけた時は楽しくて「日頃から働いて
いたらきっと私のことだから疲れて吞気に遊びに行く気力もなかった
かもしれないけど、今は毎日家にいられて、旦那の休みの日はこんな
風に楽しく出かけられもして、なんて幸せなんだろう」と思っていた。
専業主婦最高だよ!と旦那にも言っていたのだ。
なのになんで今はこんな風に感じてしまうのだろう。
私自身が今の生活を楽しめていないからなのかな。
ここ最近旦那と遠出もしていないからなんだろうか。

そう言えば昨日くらいにふと思った。
「どこかに行ってしまいたい」と。
どこか遠くの町に行って泊まったりしたいな、と。
でもそれは前向きな「どこかに行きたい!」じゃなく「行ってしまいた
い」という半分ヤケクソな気持ち。
昨日は元気がなかったから、本当にどこかに泊まりに行こうと考えた訳
ではなかったけど、気持ちはそんな感じだった。
安いホテルでもいい。
豪華な食事がついてなくていい。
素泊まりでいい。
ただ、一晩違う町に泊まれればいいと思った。
2ヶ月くらい前にも「たまにはどこかに泊まってみたい」と思ってい
たけど、今我が家は経済的に切迫しているので、そんなところに数万
使ってる場合じゃないよなと思っていた。旦那にも「泊まりに行きたい
けど今は行けない」と話したら旦那は「安いところならたまにはいいん
じゃない?そんな良いところじゃなくても、たまにならいいじゃん」と
言った。「そうだね」とは思ったがやはり経済的なことを考えて、じゃあ
今に今すぐ行こうというのではなく、いつかなんかいろいろストレスが
溜った時、いろいろ嫌になっちゃった時にそれは取っておこうと思った
のだった。
はい、今その時です。
いろいろ嫌になっちゃいました。
気分転換がしたいです。
明日からちょうど旦那が連休です。
条件は揃いました。

しかーし!!

なんと明日は旦那の実家で用事があるーーー!!
なんでこんな時にーーー!!だ。
その用事は午前中には終わるのでどうしても行きたければ午後からでも
行ける。
でも午前中に義実家の用事を済ませて午後から旅行に出るまでのスタミナ
は今の私にはたぶんない。
はぁ・・・。
なんでこんな時義実家の用事がぶつかるかなという感じだ。
あ、でも、午後からもしかしてちょこっと近場にでも出かけることは
できるかも、とか泊まるとしたら他県のいつものお気に入りの町を
想像していたが、別に県内でもいいのか、とかいろいろ考えていたら
ちょっとだけ気分が上がった。
実際に行くかどうかはその時にならないとわからないけど(義実家行った
だけで案外もういいやってなるかもしれないし)このあとこういうところ
なら行けるかも、というのを考えてみるのもいいかもしれない。

ということで、今日もあんまり調子良くないですが、なんとか頑張り
ます。


憂鬱

2023-03-29 10:02:24 | テレビ
1個前の記事で病院に行くと言っていたが、結局病院に
は行かなかった。というより、行けなかった?いや、行った。
どっちなんだ(笑)。
正確に言うと行ったけど、診てもらえなかった。
病院に受付で症状を言うと「腹痛と吐き気があったということ
なんで外で待っててもらっていいですか?」と言われたので
外で待っていた。5分10分くらい経つと防護服を着た看護婦さん
が出てきて「あぁ、そういうことか」と思った。
熱をその場で測ると37.1分あった。家では平熱だったのに。
看護婦さんに再度症状を聞かれて説明する。
また一度「ちょっと待っててください」と言われ、待っていると
また看護婦さんが出てきて「この先に○○胃腸科という病院がある
んですよ。そちらに行ってもらえますか?」と言う。「は?」と
いう感じだった。
「今日は予約の患者さんでいっぱいで初診の方ですと3時間くらい
待つことになるんですね。恐らく胃腸から来る痛みだということ
なので、専門の病院で診てもらった方がいいとのことです。」と。
「それなら最初に3時間待ちだと言えよ」と思った。
それともそれはちょっと厄介だと判断されて厄介払いの為の口実
なのか・・。いずれにせよ、ここでは診てくれないということなの
で「わかりました」と退散した。
左胸の痛みだったので、心臓だと思い、緊急性を疑って病院に
来た。しかし症状を訴えて「胃腸科に行け」というなら、それほ
どの緊急性はないのだろうと思った。
言われた胃腸科ではなく、近くにもう一軒内科もあったが、3時間
しか寝ていないし、もう一軒行く気力がないので止めた。
帰ってきてからのその夜も続いたが、「心臓ではないなら・・」と
思っていた。が、次の日の朝になってもまだ痛みがあったので、
休みで家にいた旦那に言うと、旦那が何やらネットで調べて「こ
れじゃない?」と言う。
肋間神経痛というものだった。
ずっと痛みがあるわけではなく、大きく息を吸った時などに痛むと
いう症状も、片胸だけが痛くなるという症状も一致していた。
外傷などがなく原発性の場合の主な原因はストレスだと書いてあった。
youtubeでも肋間神経痛になった人の動画を見たら「疲れとストレスで
なった」と言っていた。

このところ、気力がまったくなかった。
特別なことをやろうというわけではなく、いつもの家事も正直キツ
かった。体がまったくついていかないのだ。
疲れてどうしようもないのに、どこか悪いわけではないしという
頭があり、かなり頑張ってこなしていた。
余計なことは一切したくなかった。
私は生理前になると自律神経の緊張がピークになるのか、胸が張った
り、普段から肩凝りはあるがそれ以上異常に凝ったり、不眠が出たり
する。それが今回はより酷く出たのだろう。
トイレで倒れた次の日に生理が来たので、あの時は直前も直前だった
ということになる。
肋間神経痛を予防するには日常的に運動をする、体を動かす、体を
冷やさない、きちんと栄養を取る、ストレスを溜めない、と書いて
あった。
確かにかなりの運動不足ではあった。
なので肋間神経痛だとわかったその日から、ストレッチをしたり、
ここ数日はラジオ体操もしている。
本当は外に散歩にでも行けば一番いいのだろうけど、近所のあまり
顔を合わせたくない家の人が休みだったり、天気が悪かったりで
出られなかったので、とりあえずラジオ体操を始めてみた。
すると、体に無意識に入っていた力がスッと抜けたようになり、
夜もグッスリ寝られるようになった。
しかしタイミング的にちょうど生理が来たこともあるので、それも
あるのだと思う。
が、とにかく良く眠れるのでこれからなるべく続けて行こうと思った。
しかし今度は眠くてしかたがない。
生理ももう終盤になったのに、朝も起きられないし、昼間も眠くて
しかたがない。夜もストンと寝てしまう。一日中眠気と闘っている
感じだ。
今日も本当はお米がないので買い物に行かなくてはと思っていたが
どうしても気が乗らないのでやめてしまった。
それどころか、気持ちまでネガティブになっている。
数日前にたまたまふと思いついたのだが、ウチは今度いつ自治会の
組長をやるのだろうと思った。7年前にやったきりだけど、そろそろ
回ってきてもおかしくないのではないか・・、もしかしたらこの4月
にやってくださいと来るのではないかと考えたら絶望的な気持ちに
なった。すると昨日、自治会の組長さんが領収書と報告著をポストに
入れて行ってくれていた。旦那に「こういうの(報告書)って、
たぶん組長になった人が自分で作っているんだよね。私できない。
今度回ってきたらどうしよう。」と言っていた。
そして今朝。
8時にアラームをかけていたがなかなか起きられず、8時半までベッド
でゴロゴロしていた。するとピンポーンとインターホンが鳴る。
そのまま居留守を使った。
荷物が届く予定があったのできっと郵便局の人だろうと最初は
思った。こんな朝からピンポン鳴らしてくるなんて珍しいなと。
そして9時前になってやっと起きて、玄関を見ると、回覧板が下が
っているのが見えた。その時思った。さっきピンポン鳴らしてき
たのは組長さんだったのではないか?いつもは回覧板を玄関に下げ
て行くだけなのに今日に限ってピンポンを鳴らしてきたということは
やっぱり次の組長はウチなのではないか・・?!と思ったら、いても
立ってもいられない心境になった。しかしパジャマだったし、そのまま
回覧板を取ることはできなかった。ドギマギした気持ちで、キッチンで
洗い物をしたあと「そうだ!本当に郵便局の人ではなかったのか、
確かめよう!」と思い、すぐに化粧をした。そして玄関を出た。
最初にポストを見たが郵便局の不在票は入ってなかった。
やっぱり郵便局じゃなかったんだ・・・!とガッカリした。
その次に回覧板を手に取るとズッシリと重い。
やっぱり次の組長はウチで、それに関する書類がギッシリ入っている
のではと思った。玄関の中に入り、すぐに回覧板の中身をチェックす
る。
重かったのは冊子状になっている自治会の報告書が世帯数分入っている
からだった。それは各世帯が1分づつ取るものだから問題ない。
あと毎年確か書いている会議の内容に異議はあるかないかを書く書類
がやはり世帯数分入っていたのですぐに書類を書いて挟んだ。
ウチが次の組長をやるような気配はなかった。
そして回覧板の回す順番の欄を見てみたら・・・
今までの組長さんの名前が消えていて、新しい次の組長さんの名前が
書いてあった。
あぁ・・!ウチじゃなかった・・!
とそれを見てやっとホッとできた。
こんなことで絶望的な気分になったり、そして違うとわかってホッとで
きても、買い物行く元気が湧かない。
これと言って何かがあったわけではないのに、なんでこんなにうつっぽ
くなっているんだ私は、という感じだ。
とりあえず洗濯だけは干さないとなぁ。

そうそう、もう一つあった。
今日用事があって何人かとメールを交わさなければならない。
それも憂鬱。
なんていうか、極端に言うと人と関わるのが異常に嫌なのだ。
1人でいる方が楽しいとまでは言わない。
が、人と会ったり接することで余計に嫌な気分になったりするのなら
1人でいる方が平和で楽という気持ちの方が強い。
もう誰も私の心を掻き乱さないでおくれ、みたいな。
とにかくそのやり取りも異常に面倒。
やっぱり私はうつっぽいのだろうか。

唯一楽しいと感じるのは、ゲームだ。
ゲームをやってる時だけ無心になれる。
でも今ハマっているゲームは隙間時間にやる放置系のゲームなので
それほどの時間は潰せないし、潰せたとしてもやはり一日中ゲームを
やるとなるとそれはそれで心身に悪そうだ。
どうすればこの憂鬱な気分から抜け出せるんだろう。

とりあえず洗濯物干してきます。


病院

2023-03-24 14:11:28 | テレビ
昨日、昼間に酷い眠気があったので昼寝した。
というかもう横になっていたら寝ていた。
夕方、旦那の帰りが遅いというので私だけ7時過ぎに1人で
夕飯を食べようと用意したけど、食べ始めてもなんだか食が
進まない。でもせっかく用意したんだからと頑張っておかずだけ
はと食べて、ご飯は半分以上残した。
体調も悪くなく、遅めに帰ってきた旦那とプロレスの動画を見て
楽しく過ごした。
ちょっと遅めだったけど、12時前には寝室へ移動した。
ここからはいつもの私の悪い癖。寝室でゲームをやったりネットを
見たりして過ごす。あっという間に1時過ぎた。
ところが少しも眠くならない。
やっぱ昼間寝たからなぁと思っていた。
「いいや、明日は買い物もないし、朝はゴミの日だから早く起きる
けど、また昼間眠かったら寝てればいいんだし」と思っていると、
段々腰のあたりが痛くなってきた。
痛みはどんどん酷くなり、真っ直ぐ寝ているのが辛いと思うほどに
なっていく。お腹も痛くなってきたのでトイレに行った。
大きい方が出た。
が、下痢はしていない。あくまで普通の排便。
しかし出たあとは少し痛みも弱くなったので「これで寝れるかなぁ」
と横になった。
が、またお腹が痛くなる。腰も痛い。おまけに胃も痛い。
なんだよ、これ・・と思いつつまたトイレに行く。
すると今度は完全な下痢をしていた。
しかし排便しているとどんどんと気持ちが悪くなっていき、吐き気
もする。「あぁ、駄目だ・・」と向きを変えて吐く体勢になったが、
吐き気は酷く吐いているのに胃液しか出ない。
そのうち気持ちが悪いやら吐けなくて苦しいやらで便器の前に倒れ
こんでしまった。辛うじてパンツは履いた。が、パジャマのズボンを
履いていないので寒い。寒いからズボン履かなきゃと思うのに体に
少しも力が入らない。しかたなくそのまましばらくトイレで倒れて
いた。
しばらくすると少し楽になったので寝室へ戻る。
しかしそのあともずっと、さきほどまでの痛みではなかったが、
胃の痛みや腰の痛みは続いた。吐くほどの気持ち悪さはなくなった
が、何となくの気持ち悪さもあった。
4時過ぎて旦那が起きる音がしたので電話をかける。
しかし力が入らず途中で切れてしまう。
しばらくすると旦那が寝室へ来てくれた。
症状を訴える。
旦那はかなり慌てていた。
「救急車呼ぶくらい?」
「どうしたらいい?」
「何か持ってくる?」
と慌ただしく言っていた。
私は「そこまでじゃない・・」「たぶん大丈夫・・」と言いながらも
時々来る胃のギュッとした痛みに「あ、やっぱ駄目だ」と耐えていた。
旦那もギリギリまでいてくれたが、会社に行くか迷っている感じが
伝わってきたので、「たぶん大丈夫だから、行って」と会社に行かせた。
その後6時過ぎまでは眠れなかった。
一度また大きな腹痛の波が来たのでトイレに行ったら、血が出た。
しかし病的な下血という感じではなく、生理の出血っぽかった。
腰の痛みは生理の痛みだったのか・・?
それにしては痛すぎたんだけど・・
そんなことを思っているうちにやっと寝れた。

目が覚めたのは9時半。
起きてからも多少の腰や胃の痛みがあった。
トイレに行くとやっぱり生理っぽい出血があった。
しかしベッドに再び戻ると痛みはかなり良くなっていた。
10時過ぎに一応旦那に連絡をする。
旦那は病院に行った方がいいんじゃない?と言ったが、良くなりそう
だったので様子を見ることにした。
3時間しか寝ていなかったし食欲もないので、とりあえず午前中は
そのままベッドで横になっていたが、眠れはしなかった。
ところがお昼前くらいになって起き上がろうとすると心臓のあたりに
キュッとした痛みが走る。
しかしすぐに止む。
またトイレに行って大きく息を吸い込んだ時にまたキュッと傷んだ。
何もしていないと何も痛くないのに大きく息を吸い込むと痛む。
「怖っ・・」と思った。
しばらく様子を見ていたが治らない。
旦那にまた連絡をする。
旦那は間髪あけずに「病院に行け」と言った。
そりゃそうだ。
ということで私はこれから病院に行く。
たぶん大事には至らないとは思う。
ただ、ゆうべのこともあるし、心臓あたりなので夜中に今度は心臓
発作のようなものを万が一起したら・・と考えたらちょっと怖くなっ
た。ので、大丈夫なのを確認しに行ってくるという感じ。

このところめまいというかふらつきのようなものも多かった。
一度真剣に脳外科とかに行った方がいいかなと思ったこともあって、
でも症状がなくなるとまた忘れてしまったり。
旦那にも、私がもう2年血液検査なども受けていないので一度
ちゃんと受けた方がいいと言われていた。
もちろん今日病院に行ったからと言って、体の全部を見てもらえる
わけではないけど、とりあえずある日突然何かの発作で死ぬというのは
避けたいので、今日は行ってみることにした。

嫌だなぁ。
このところ体の調子もイマイチで、旦那とも取り立てて楽しいお出かけ
もしていないのに、こんなことで外に出なきゃいけないなんて。

でもとりあえず行ってきます。



また義母の話

2023-03-19 15:36:11 | テレビ
今日はまた義実家に行ってきた。
ここ1,2ヶ月くらいだろうか、2週間に一度義実家へ行く
のは以前と変わらないのだけど、1,2ヶ月の、義実家へ
行った時に義母が「○○へ連れて行ってほしい」と言い出した
ので旦那と私で連れて行った。○○というのは義実家から車で
10分くらいのところにある大きなスーパーのこと。
それまで、というか今もなのかもしれないけど、義母は
1週間に一度義兄に買い物を頼んでいた。義母が欲しいものを
紙に書いてそれを近所のドラッグストアに義兄が買いに行って
くれていた。どうしてドラッグストアなのかというと、義実家
の周辺には以前はあったのだが今はもうスーパーがない。
なので義実家の近くにある、野菜もお肉も売っているドラッグ
ストアに義兄が行っていてくれていた。
しかしやはりスーパーよりは品揃えが悪く、お肉は売っている
がお魚はほとんど売っていない。少しだけ鯵の開きやしらす等
があるくらいだった。
数年前までは義母も1人でまだそのドラッグストアに歩いて
行けていた。しかし3年前くらいからは義兄に車に乗せてもら
って行くようになり、2年前くらいからは自分ではもう行かず、
義兄に買いに行ってもらうようになっていた。
「私もね、本当は自分で見て買いたいけど、歩けないからね。」
と数ヶ月前までは言っていた。
そういう義母を尻目に私は「本当に歩けないのかなぁ」と思って
いた。いや、変に疑うという意味ではなく、腰は曲がっているけ
ど家の中では移動はできるし、機能的にどこかが悪くて歩けない
というわけではない。気分的なものではないかと思っていた。
なので何かのきっかけがあって義母にはたまには外を散歩して
ほしいとずっと思っていた。義母は家の周りも1人で歩こうと
しなかった。
しかしどういう変化があったのか、2ヶ月前くらいに義母が
そのちょっと大きめのスーパーに連れて行ってほしいと言い出
したので私も旦那も驚いた。「歩けないから行けないって言って
たじゃん」と言いたかったがせっかくのチャンスなので、そんな
意地悪なことを言っている場合ではない。すぐに義母をそのスー
パーへ連れて行った。結構広めのスーパーを義母はカートを押し
ながら1周買い物できた。そしてやはり自分の目で実際に見て買う
ということを喜んでいた。お魚もたくさん買っていた。
その日義母はこう言った。「これから2週間に一回でいいから、
ここに連れてきてほしい」と。もちろん全然良かった。2週間に
一度義実家に顔を見に来ていたのは変わらないので、義母の
どうしようもないトークを聞いているよりはむしろ買い物だけで
終わった方が私達も楽だった。
恐らくだけど、義兄は買い物に行かなくて良くなったのではない
かと思う。それでもたまには買い足さなくてはならないものや
どうしても必要なものがあって買いに行くということはあるかも
しれないが、以前のように1週間に一度1週間分の義母の食材を
買う、ということはなくなったと思う。義兄も楽になった。私達
も楽になった。そして義母も喜んで満足してくれている。みんなが
楽になった。

義母のトークは自己中心的だ。
何でも自分が思いついたことだけを話してくる。
こちらが興味があるかどうかなんてことは少しも考えていない。
そして自分の考えがすべて正しいと思っている。
そんな人のトークに1時間から1時間半つきあうのだけでも大変
だった。普通にこちらが聞いているだけなのに突然「SARAちゃん
はこんな話興味ないでしょう!?」と言ったりする。
こちらにとって失礼な発言も連発する。
本当にこの人は人の気持ちがまったくわからない人なんだなと
いう人。
ということで、そのトーク時間が義母の買い物や時にはお墓に義
母を連れて行くという作業に変わったので私も旦那も「むしろこっ
ちの方がいいよね」と話していた。
ところが、やはり義母は手強い。
確かにギッシリ義実家でトークをするよりは楽にはなったが、ムカ
つくことがまったくなくなったかというとそうではない。
2週間前に義母とお墓に行った時のこと。
いつもお墓に行くと私と旦那でお花を入れる容器を持ってきて
洗ってお花を変えたり、お線香に火をつけたり、お墓を拭いたり
の作業を分担してやる。
その日はちょうど前の日に義兄がお花を変えてくれたということ
だったのでお水だけ替えれば良かった。ので、行ってすぐに私が
お花のお水を替えてまたお墓にセットした。そのあとお線香に火を
つけていた。旦那はお墓のゴミをちょうど捨てに来ていた。すると
その向こうにお花の入った容器を持った義母が水場に向かって
歩いてくるのが見えた。ので私が「お義母さん!お水替えたよー!
」と叫んだ。義母はそれを聞いてすぐに戻ると思った。しかし
義母は踵を返さずそのまま水場に向かっている。大きな声を出した
ので聞こえないはずはなかった。そんな義母を見て私と義母のちょ
うど真ん中の位置にいた旦那がもう一度義母に「水替えたって
言ってんじゃん!」と言った。それでも義母は戻らず「水が足り
ないから。」と言って水場に向かった。私はカチンと来た。旦那
もムッとしていた。そして水が足りないからと言っているのにも
関わらず、また私が替えた水を全部容器から出しているのを見て
旦那がたまらずに「水足せばいいべよ!!!」と怒鳴った。義母は
知らん顔だった。
そして今日。
今日はこんなことがあった。
スーパーで買い物している時に義母が「SARAちゃん、ドレッシング
持ってきてくれる?」と言った。義母はカートで1周はできるが、
それでも移動距離は最低限にしているのでちょっと遠くのものを
私に頼み、私は頼まれたものを持って来るというのをしている。
ドレッシングと言われてもいろんな種類があるのでわからない。
「何味?」と聞いた。
醤油ドレッシングなのか、イタリアンなのか、フレンチなのか、
義母が普段どんなドレッシングを使っているかなんて知らない。
しかし義母は「ドレッシングよ。野菜とかにかけるのあるでしょう。」
と、私がドレッシングというものを知らないのかという感じで
言ってくるので「うん、それはわかるけど、何味?」と再度聞く。
「何味って言われたってわからない。ドレッシングよ。野菜に
かけるヤツ。」と言う。「いろんな種類あるじゃない?どんな
味の使ってる?」と聞いても、「見ないとわからない」と言う。
旦那がドレッシング売り場を見つけたので「お義母さん、あっちに
売ってるって」と言ったがもうそこまでは戻りたくないらしく、
「じゃあ、いい!○○に頼むからもういい!」と言った。
私はカチンと来たので一時的に義母から離れた。
ドレッシング売り場ここにあるよーというジェスチャーをしていた
旦那に駆け寄る。
「○○に頼むからもういいってさ」と言うと旦那もムカついた表情
になり「そんなこと言うなら、じゃあそうしろ、でいいよ。」と
私に言った。
かと言って私が適当にドレッシングを持って行けば「これじゃない」
と義母はどうせ言うのだろう。

スーパーから出た時義母は併設しているホームセンターの土を
買ってほしいと言い出した。旦那が「じゃあ、俺買ってくるよ」
と言うので私はそのまま義母と車に向かった。
義母を車に乗せて、買ってきたものを車に入れたあと、旦那が
土を買って戻ってきた。その旦那に義母が言った。
「草刈り機買ってくれた?」と。
スーパーに来る車の中で義母は、ウチの電動草刈り機をまた貸して
ほしいという話をしていた。前にも貸したことがあったのだ。
「あれいいよね。ホームセンターで買ったの?」と聞くので「ネッ
トで買った」という話はしていた。いくらで買ったの?と言うので
3,500円だったと言った。「あぁ、そんなもんなの、じゃあいいね」
とは言っていた。義母はもしかしたらその時ホームセンターでも売
っているのかな、売っていたら買いたいなと思ったのかもしれない。
しかし旦那には土を買ってほしいとしか言っていないので草刈り機
なんてもちろん旦那は買っていない。しかし義母は普通に「草刈り
機も買ってくれた?」と唐突に言った。
旦那は声を荒げて「買うわけねーだろ!買ってきてなんて一言も言っ
てねーべよ!!」と言った。その時に私は耳の遠い義母には聞こえな
い声の大きさで「カチーンの連続(苦笑)」と言った。旦那は
私にもまた何か義母が言ったんだろうと「あとで聞く(笑)」と言
った。
義母はボケていてこんなことを言うのではない。
年のせいでもない。
自分が思っていることは他人にも伝わっていると思いこんでしまう
ようなところは今までにも、そして義母がもっともっと若い頃からも
あった。
そして相手の立場に立って物を言うということも義母はもっともっと
若い頃からできなかった。
なんでこんなにカチンと来ること、ムカつくことを言うんだろうと
25年間思い続けてきた。

義母に関してはもうどうにもならない。
例えば、義母に何でも言える旦那が今更「もっと人の気持ちを考えろ」
と怒っても恐らく義母は自分の何が悪いのかが理解できない。結婚当初
も私が酷く傷つき、それがあまりにもあまりにものことだったので旦那
が義母を怒ったが、自分がそう言ったことの何がいけないのかが理解で
きないという感じだった。ただ助かるのは悪いと思っていないだけにそ
の後私と会っても義母は何もなかったかのように、というより本当に頭
にないという感じで普通に接してくるので気まずくはならなかった。
今日も旦那が声を荒げて怒っても、義母は「自分が変なことを言っちゃ
ったのかなぁ」とかそんなことを気にする気配もなく、すぐに話題を変
えて普通にしゃべっていた。
いいんだか悪いんだか、という感じだ。

義母ももう高齢も高齢だし、生きてもあと数年だろうというのが
あるので嫁として最後まで務めようという気持ちしか私にはない。
カチンとも来るし、イライラもするし、ムカつくけど、もうどうしよ
うもないことだと諦めているし、もう仕事だと思っている。



ハヤブサさん

2023-03-13 16:08:38 | テレビ
珍しく連投。

実は最近ハマってしまった人がいる。
それはプロレスラーのハヤブサさんだ。
ハヤブサさんはFMWという団体にいた方で、FMWの試合は基本的
にはテレビ中継などはなかったようなので、一般的にはあまり知名
度はないかもしれない。
私も失礼ながら数年前まで知らなかった。

プロレス自体は子供の頃に一時期ハマって見ていた時期がある。
その時大好きだったのはタイガーマスク。
華麗な空中殺法が格好良くて毎週のプロレス中継を楽しみに見ていた。
その後、中学生になってから一時クラッシュギャルズが好きで良く見
ていた時期もある。クラッシュギャルズはアイドル的要素を持って見て
いた部分もあったが、プロレスの試合を見ること自体も当時から好き
だった。
そんな私だったが、おととし犬の介護をしていた時期、風間ルミさん
という女子プロレスラーの方の訃報のニュースを見た。
正直私は風間ルミさんのことも知らなかった。
どんな人だったんだろうとyoutubeで検索してみると近年の彼女が自身
のチャンネルを持っていて配信していたことがわかった。見てみると
とても女子プロレスラーだったとは思えない容姿で、でもそのあと現役
の頃の試合なども見て、「あぁ、この時はこんなに怖い顔をしてドスの
きいた声を張り上げて試合をしていたんだな」と。そんなのをあれこれ
見ていたらどんどん昔のクラッシュギャルズやタイガーマスクの試合なん
かも見たくなってしばしあれこれと見ていた。
その時たまたまおすすめに出てきたハヤブサさんの動画を見てその存在
を知った。
素敵だった。
その佇まいも衣装も仕草も全部素敵だった。
そして何よりフワッと浮き上がるような空中殺法が華麗だった。
しかしそれと同時にハヤブサさんが試合中に大きな怪我をして頸椎損傷を
負い、その後は車椅子生活だったことや既に亡くなっていることも
知ってショックを受けた。
その時は犬の介護中だったこともあり、激ハマりにまでは至らなかった
が、少し前にまた改めて見始めたら今度はドップリとハヤブサさんの沼に
ハマってしまった。

youtubeは本当にありがたい。
つい数年前までこんな人がいたんだということも知らなかったのに、
こんなにもいろいろな動画を通じて今でもハヤブサさんの勇姿を堪能でき
る。しかし同時に「生で見てみたかったなぁ」とか「会ってみたかった
なぁ」という思いも募る。

おととしに初めて見た時には見たことはなかったのだけど、今回は
初めてハヤブサさんの素顔を見た。
正直イメージしていた顔とは違った。
ネットのコメントでも良く「ハヤブサは素顔もイケメン」という声が
多いが、確かにイケメンはイケメンだと思うが、正直に言うと私の
タイプの顔ではない。^^;
が、今いろいろな動画や記事を見漁ってハヤブサさんの「ハヤブサ」と
しての自己プロデュース能力や仕草や動き、もっと言えばハヤブサさんの
生き方にも尊敬の念を持って見ているので、なんだかもう歴史上の人物の
顔を見るような気持ちで「こんなお顔立ちだったんだなぁ」という気持ち
で見ている。
ハヤブサさんは一時期「H」という名前で素顔を活動していた時期が
あり、その試合も何個も見たが、それを見てもなんだかあの「ハヤブサ」
と本当に同じ人物なのか・・?という気持ちにもなるくらい、ハヤブサ
としての彼と素顔のHとのギャップのようなものが私の中では大きい。
ハヤブサとしての試合中にマスクを剥がされてしまう場面も何度か
見たがそのたびに見てはいけないものを見たような気持ちにもなった。

最初はずっとハヤブサさんの試合だけを見ていたが、そのうちハヤブサ
さんのいろんな面も知りたくなって、たどり着いたのはハヤブサさんの
ブログだった。
このところはずっとハヤブサさんのブログばかりを見ている。
あんなに縦横無尽にリングを駆け巡っていた人がある日突然首から
下がまったく動かなくなる。
どれだけの絶望だっただろうか。
しかし必死のリハビリで、1人で立ち上がったり杖をついて数百メートル
歩くところまで回復していたようだ。
それでも不便だっただろう。かなり大変な毎日だったと思う。
それでもその体で15年生きた。
今でもハヤブサさんが生きていたとしたら、きっともっと回復していた
だろうなと思う。そしてできることは何でもしていただろうなと。それ
くらいブログでのハヤブサさんは精力的でパワーを感じた。
恐らくピアノも習ったこともない人が大人になってから作曲をすると
いうのにもビックリ。そしてライブも定期的にしていた。
動画のコメントで「復帰は無理でも生きていてほしかった」と言って
いた人がいたが本当にそうだなと思う。いや、復帰できるならして
ほしかったけど、ホント生きていて欲しかった。
今も生きていたら私はきっとそのライブにも行っていたと思う。
ずっとハヤブサさんの日常を追い、励まされ、応援もしたかった。
最近たくさん見るようになったばかりなのに昔からのファンのような
言い方だけど、同じ世界にいたかったなと思う。

今は当時よりももっといろんな人がyoutubeで発信もしているから、
生きていたらハヤブサさんも自身のチャンネルでいろいろ発信してく
れたかもしれない。
そんなことをあれこれ考えると本当に残念。
なのでそんな思いにちょっと切なくなりながらも、このところは毎日
youtubeでハヤブサさんの動画を見漁って、そしてブログもとてもまだ
全部は読み切れないけど、毎日少しづつ読んでいる。
そうしてハヤブサさんに触れていると「私も頑張りたい!頑張ろう!」
と思えてくる。
亡くなってしまったのは本当に本当に残念だし、ご本人もきっと無念
だっただろうけど、こうして亡くなってからも人を励ましたり元気に
させてくれる力があるって凄いこと。それくらいハヤブサさんの人生は
濃かったんだと思う。辛いことも多かっただろうけど、ハヤブサさんは
一つ一つ見事に乗り越えている。私もそんな風に生きていきたい。
でも決して彼のことを聖人だと美化しているわけでもない。
彼にもきっと悪い部分やどうしようもない面もあっただろうとも感じる。
人間だからね。

天国がもしあるとしたら、きっと今も毎日頑張ってるんだろうなと。
元の体に戻って、またリングにも立っているかも。
私もそちらに行ったら今度は試合見に行きます。