モーツアルト:ピアノソナタ第15番/ロンド イ短調/ピアノソナタ第18番
ピアノ:内田光子
CD:西独フィリップス 412-122
内田光子は12歳でウィーンに渡り、1968年ウィーン音楽大学を最優秀で卒業した。1966年ミュンヘン国際コンクール第2位、1969年ウィーン国際コンクール第1位、1970年ショパン・コンクール第2位、1975年リーズ国際コンクール第2位と華々しいコンクール歴を持つ。05年には文化功労者受賞。現在は英国に在住している。日本人のクラシック音楽家は、徹底的に西欧に同化して成果を挙げるケースとクラシック音楽を日本の精神で再構築して成果を挙げるケースの2通りある。内田光子は典型的な前者の例であろう。ヨーロッパでの名声が日本に逆輸入され、日本でようやく内田光子を評価する機運が盛り上がってきたといった流れではなかったかと思う。
内田光子の演奏するこのモーツアルトのCDを聴くと、完璧なほどなその構成美に圧倒される思いがする。これをみても、ちょっと普通の日本人の感覚を超えているということがいえるのではないか。ちょうど西欧の彫刻を音で表現しているかのようだ。これならヨーロッパで内田光子が高い評価を受けたことに合点がいく。聴き進むとなんだかギーゼキングのピアノの響きがする。絶対にリーリー・クラウスでもないし、ピリスでもない。ギーゼキングは新即物主義の旗手として見られていた。これは主観をなるべく排除し、楽譜に忠実に演奏するといった意味であろう。内田光子のモーツアルトを聴くとギーゼキング以上の新即物主義の演奏家ではないか、との思いを抱かざるを得ない。いずれにせよ、その完成度の高い演奏の質は特筆に価する。
ある意味で内田光子の演奏は、これからのクラシック音楽の日本人演奏家のあり方について、考えさせられる要素を内包している。日本人はクラシック音楽をどう解釈して、どう演奏すべきなのか。私は日本の風土に根ざしたクラシック音楽を創造すべきだと思う。ある時期、米国の美術界はヨーロッパの亜流と見られていたが、ポップな観点の新しい美術を生み出したことによって、世界の美術界の中での地位を確立できた。日本のクラシック音楽界も、日本人の精神に基づいた新たな観点のクラシック音楽を創造することができるのか、もっと議論が沸き起こってもいい。日本の民話や神話に基づいたオペラだけがすべてではないはずだ。(蔵 志津久)