「・・・我が身世にふるながめせし間に」 ある和歌の後半に、このような言葉があります。「世にふる」は「世に経る」で、時が経つという意味と、「世に古」と年を取ってしまったと言う意味がかけてあるのだと習った記憶があります。
5月も日一日と寒い風が冷たいと過ごしているうちに、もうすぐ6月になりそうなところまで来てしまいました。春はあっという間。たいして良い思い出のなかった青春に似て・・・。いや、もう止しましょう。
クラシックの指揮者、マエストロ小林研一郎の話を2010年10月11日に聞きました。とても面白い話でした。おしゃべりコンサートと言って、おしゃべりそのものがコンサートという意味だったのでしょう。オーケストラが来て演奏をしたわけではありません。
マエストロというのは、「1 芸術の大家。巨匠。2 大音楽家。名指揮者。人の名に冠して敬称としても用いる。」という意味です。おしゃべりコンサートの最後には「ふるさと」の歌を皆で合唱しました。彼の出身地は福島県いわき市なのですが、その5ヶ月後に大地震がありました。彼の出身地はあの被害を受けた原子力発電所のすぐ近くの町です。「ふるさと」は人為的大ミスのせいで滅茶苦茶になってしまいました。
近くのスーパーにある花屋さん。楽しい仕事ですね。癒やしになります。
そして、その隣りにあるクリーニング屋さんのカウンターで買われている沢ガニ。かわいくて、とても綺麗な蟹です。こういう蟹は私が子どもの炉には丘の麓の清水が湧き出しているあたりによくいました。
清水ってのは不思議なもので、地面の下からモリモリとわき出してきて小さなちいさな噴火口あるいはフジツボの形に似たように砂をほんの少し盛り上げます。手で崩してもあとからあとから水が湧いてきてすぐに同じような噴火口のような形をつくります。水を手なんかでは止めようがありません。
子どもの頃は、我が家の田んぼの近くに、この清水が湧き出すところがあったので、田んぼに行くと必ずそこに行っていつまでも見つめていました。ほんとうに不思議です。
やまいも。掘りやすいように雨樋の上に種芋を置きました。地中深く潜ることが出来ず、雨樋に沿って横に伸びますから、掘りやすいです。
やまいもと言っても種類がありますが、これはヤマトイモという物で、長芋のように深く長く伸びるものではないのですが、それでも結構深くなるものもあるので、雨樋を使って作ることにしました。