だいぶ昔に聞いた話なので、本当かどうかは分かりませんが、人間の目はだいたい120度くらいが視野らしいです。しかし、普通はそんなに幅広くは見えません。見ていないですね。その時々の状況で30度だったり、もっと広かったりするわけです。
その120度くらいの所で何かが動いた気配がすると、あれっと思ってそちらに首を回して、確認することがありますね。ですので、見ているというより見えていることがあるんでしょうね。
昔、宮本武蔵は歩くときには、視野全体がが見えるようにして歩いたとか。たった一人で峠越えなんてときには、どこから矢が飛んでくるか槍が突き出てくるか分かりませんからね。命がけなわけでしょうね。が、その武蔵の話も単なる作られたエピソードであって、武蔵という剣豪の名をかりて、侍の心得の一つとして教えられたこのなのかも知れません。あるいは彼の書いた「五輪の書」にあったのかも知れません。一度読んだことがあったのですが、気づきませんでした。この話は別なルートで聞いたことです。
一度に多数の的から攻められたときには、同時といのは無い。必ず時間差があるはずだ。だから、その時間差を見極めそれに対して動けば良い。というのが彼の理屈のようです。すごく早いスピードが要求されますね。それを実行したんでしょうね。これは「五輪の書」に出ていたような気がします。
太極拳は、元は格闘技だったとか。戦う手段でしょうね。なので、それぞれの動きは、相手が攻めてきたときの対処法だそうです。それをゆっくりとやる健康体操にしてあるようです。この、ゆっくりが効果がありますね。ゆっくりと膝を曲げたりすると、かなりの負担になります。早くやれが、型は違いますが空手とか少林寺拳法の型のようでもあります。
初めてから3年目になりますが、一週間に一遍ではさっぱり覚えませんね。いま、自分一人でやってみろなどと言われると、途中まで行ってから「あれ? こうだっけ?」なんてことになります。それでも気にせずに気長にやっています。そういうのがあってもいいんじゃないの、なんていう調子ですね。
武蔵の話などは、一つのお話です。私が高校生とか20代で剣道とか居合道などをやっていたとすれば、心底信じて励んでいるかも知れませんね。いま私がやっている太極拳とは大違いですよ。いえ、太極拳が違うんではなくて、私の心構えのことです。