たまには、作曲家の生涯にふれてみてはいかがですか?
今日は「楽聖」ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(第8話)です。
≪作曲家の肖像≫
【Ludwig van Beethoven】
失恋したベートーヴェンには、もう音楽しか残されていないのでしょうか?今日はその続きからです。
(第8話)【出会い】
テレーゼとの恋に破れてしまったベートーヴェンでしたが、その後すぐに新しい出会いがあったようです。
ベートーヴェンはゲーテの詩を題材にして歌曲を作曲していたようですが、そのゲーテと親交のあったベッティーナ・ブレンターノという女性がベートーヴェンの元を訪れます。
彼女とは親しく付き合っていたようですが、ある日、彼女の兄フランツ夫妻がウィーンを訪れます。フランツの妻アントーニエの父が亡くなったため、夫妻は遺産の整理のためウィーンへ来ていたのでした。
ベートーヴェンはフランツ夫妻と親しく交際をするようになりますが、父を亡くしたアントーニエのショックは大きく、病床に臥せる日々が続いていたようです。はじめのうちベートーヴェンは、気に病んだアントーニエを元気付けるために、話を聞いたり、ピアノを弾いたりしていたようですが・・・、熱心に彼女を励ますうちに、それはやがて愛情に変わってしまうのでした。
そんな中、1811年頃にはピアノ三重奏曲「大公」を完成させます。更にそれまでに作曲していた作品のを出版するため忙しい日々を送っていたようです。しかし、あまりに忙しかったせいなのか?アントーニエへの想いからくる悩みからなのか?ベートーヴェンは体調を崩してしまいます。主治医の勧めでボヘミア地方へ湯治のために出かける事になります。
ボヘミア地方の都市テープリッツで養生し、体調を回復させると秋にはウィーンへ戻り、交響曲第7番の作曲に取り掛かります。
1812年にはフランツ皇帝が建設させていた国立劇場が完成し、のこ劇場のけら落としの曲をベートーヴェンに依頼します。このイベントのためにベートーヴェンは「アテネの廃墟」「シュテファン王」の2曲を作曲します。
国立劇場のこけら落としでこれらの曲が演奏されると見事に成功を収めていたようです。
こけら落しが無事に終わると7月には再び保養地テープリッツへ向かいます。テープリッツでは、かねてからベッティーナを通して、手紙のやりとりのあった文豪ゲーテが、この地を訪ね、二人の会見が成立します。
二人は芸術論についてお互いの意見を戦わせ、またベートーヴェンがピアノを弾いてゲーテに聴かせるという有意義な時間を過ごしていたようです。ゲーテはこのときのベートーヴェンに会ったときの感想を「音楽の才能には驚くばかりだが、その正確は社交性には問題がある」と、手紙にしたためていたようです。
そしてベートーヴェンもこの頃、ある女性に宛てた手紙を書くのでした…。
新たな出会いと、文豪ゲーテとの出会い。有意義な出会いの時期を迎えるベートーヴェンですが、ここでベートーヴェンは誰かに手紙を書いていますが、これは一体誰に宛てて書かれた手紙なんでしょう?このつづきはまた明日。
【その他の作曲家の生涯はこちら】
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ベートーヴェン : ピアノ三重奏曲第5番 「幽霊」&第7番 「大公」ビルスマ(アンナー), インマゼール(ジョス・ファン), ベス(ヴェラ), ベートーヴェンソニーミュージックエンタテインメントこのアイテムの詳細を見る |
失恋したベートーヴェンには、もう音楽しか残されていないのでしょうか?今日はその続きからです。
(第8話)【出会い】
テレーゼとの恋に破れてしまったベートーヴェンでしたが、その後すぐに新しい出会いがあったようです。
ベートーヴェンはゲーテの詩を題材にして歌曲を作曲していたようですが、そのゲーテと親交のあったベッティーナ・ブレンターノという女性がベートーヴェンの元を訪れます。
彼女とは親しく付き合っていたようですが、ある日、彼女の兄フランツ夫妻がウィーンを訪れます。フランツの妻アントーニエの父が亡くなったため、夫妻は遺産の整理のためウィーンへ来ていたのでした。
ベートーヴェンはフランツ夫妻と親しく交際をするようになりますが、父を亡くしたアントーニエのショックは大きく、病床に臥せる日々が続いていたようです。はじめのうちベートーヴェンは、気に病んだアントーニエを元気付けるために、話を聞いたり、ピアノを弾いたりしていたようですが・・・、熱心に彼女を励ますうちに、それはやがて愛情に変わってしまうのでした。
そんな中、1811年頃にはピアノ三重奏曲「大公」を完成させます。更にそれまでに作曲していた作品のを出版するため忙しい日々を送っていたようです。しかし、あまりに忙しかったせいなのか?アントーニエへの想いからくる悩みからなのか?ベートーヴェンは体調を崩してしまいます。主治医の勧めでボヘミア地方へ湯治のために出かける事になります。
ボヘミア地方の都市テープリッツで養生し、体調を回復させると秋にはウィーンへ戻り、交響曲第7番の作曲に取り掛かります。
1812年にはフランツ皇帝が建設させていた国立劇場が完成し、のこ劇場のけら落としの曲をベートーヴェンに依頼します。このイベントのためにベートーヴェンは「アテネの廃墟」「シュテファン王」の2曲を作曲します。
国立劇場のこけら落としでこれらの曲が演奏されると見事に成功を収めていたようです。
こけら落しが無事に終わると7月には再び保養地テープリッツへ向かいます。テープリッツでは、かねてからベッティーナを通して、手紙のやりとりのあった文豪ゲーテが、この地を訪ね、二人の会見が成立します。
二人は芸術論についてお互いの意見を戦わせ、またベートーヴェンがピアノを弾いてゲーテに聴かせるという有意義な時間を過ごしていたようです。ゲーテはこのときのベートーヴェンに会ったときの感想を「音楽の才能には驚くばかりだが、その正確は社交性には問題がある」と、手紙にしたためていたようです。
そしてベートーヴェンもこの頃、ある女性に宛てた手紙を書くのでした…。
新たな出会いと、文豪ゲーテとの出会い。有意義な出会いの時期を迎えるベートーヴェンですが、ここでベートーヴェンは誰かに手紙を書いていますが、これは一体誰に宛てて書かれた手紙なんでしょう?このつづきはまた明日。
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