初心者のクラシック

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「楽聖」ベートーヴェン(第4話)

2007年04月20日 | 作曲家の生涯
たまには、作曲家の生涯にふれてみてはいかがですか?

今日は「楽聖」ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(第4話)です。

≪作曲家の肖像≫
不滅の恋~シネマ・ベートーヴェン
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団, ベートーヴェン, ショルティ(サー・ゲオルク), シカゴ交響楽団, アシュケナージ(ウラジミール)
ユニバーサルクラシック

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【Ludwig van Beethoven】

演奏旅行からウィーンへ戻ったベートーヴェン。今日はそのつづきからです。

(第4話)【名作・恋愛、そして苦悩…】
ウィーンへ戻ったベートーヴェンは、この頃から数々の作品を生み出していきます。ピアノソナタやヴァイオリンソナタを作曲し、1798年には初期の代表作とも言えるピアノソナタ第8番「悲愴」を完成させます。

作曲活動に勢いが付いてきたこの頃、演奏旅行先で知り合ったハンガリーの貴族の娘テレーゼとヨゼフィーネがウィーンを訪れた際にベートーヴェンは二人にピアノレッスンをほどこし、その後も親交が続くようになります。この時期にはこの二人だけではなくベートーヴェンの実力を認めた貴族たちが、彼のレッスンを希望する人が増えてきたようです。

そして、1800年には遂に交響曲第1番を完成させます。この年には現在でもピアノ教則本でおなじみのツェルニーがベートーヴェンに弟子入りします。
そして同年4月には、交響曲第1番を含めた演奏会を行います。それまでとは違い、初のベートーヴェン主催による演奏会で自らが指揮を振り、ピアノも演奏したこの演奏会は大成功を収め、いよいよ交響曲を含めた本格的な作曲家としての活動が始ることになります。

交響曲の作曲から更に勢いをつけると、1801年にはヴァイオリンソナタ第5番「春」、そして、ピアノソナタ第14番「月光」を完成させます。こ「月光」は当時ウィーンに引っ越してきた17歳の少女ジュリエッタ・グィチャルディに献呈しています。ピアノの教え子だったジュリエッタの事を、友人に宛てた手紙の中で「この少女を愛している」と打ち明けていたようです。「月光」のロマンチックなメロディは彼女の事をイメージして作曲していたのでしょうか?しかし、「月光」の悲しくも儚いメロディのように、「叶わぬ恋」として終わってしまいます。伯爵令嬢であるジュリエッタは間もなく別人と婚約してしまうのでした。

更に、友人の依頼でバレエ音楽「プロメテウスの創造」を完成させ、初演が行われると、これも人気を集めていきます。こうして、現在でも名曲と呼ばれる作品を次々に生み出していくのでした。

しかし、名曲を完成させる一方でこの頃からベートーヴェンにとっては正に運命的とも言える「難聴」に悩まされるようになっていたのでした。
聴力を失いつつあるベートーヴェンは1802年5月になるとウィーン郊外のハイリゲンシュタットにこもり、作曲に専念するのでした。

ここでは、弟に宛てた有名な手紙「ハイリゲンシュタットの遺書」を残しています。この手紙の中で、作曲家としては致命的な耳が聴こえない事の苦悩、そしてそれを決して他人には悟られまいとするベートーヴェンの悲痛の叫びとも取れる嘆き、悩んだ挙句、自殺をほのめかすような記述・・・。しかし、それを強く思い留まらせるのは唯一音楽だけであるとして、この本望を遂げるまでは死んでも死にきれない・・・として失いつつある音をたぐりよせるような苦悩の日々を綴ったこの記述は、結局、生前には誰にも読まれる事はなく、ベートーヴェンの死後、遺品の中から発見されたという。

しかし、この遺書に綴られたように音楽を「生きる糧」として選んだ、正に不屈の精神がその後の名作を生み出す原動力となっていくのでした。


名作を生み出していく矢先に耳の病と向き合う事になってしまったベートーヴェン。人知れず「遺書」までしたためますが、その想いを音楽へぶつけていきます。このつづきはまた明日。(ガンバレ!ベートーヴェン!!)


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