御託専科

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「説明責任」というもの

2005-07-20 18:08:38 | 時評・論評
「説明責任」とはここ7-8年急速に一般語彙化した言葉である。よく アカウンタビリティ(説明責任) あるいは 説明責任(アカウンタビリティ) といった使い方をされる。しかし僕は寡聞にして本格的な意味づけの論考を知らない。そこで僭越ながら意味づけを論考してみようということである。


(説明責任と結果責任)
まずは皮肉な見方につき一言。確かに説明責任は「説明することで果たされる責任」であり、ひねくれたことを言えば、「説明さえできれば果たせる責任」ではある。ただ、説明責任は通常、行動責任と合わせて存在することが多いので、説明だけでことたれりとはいかない場合がほとんどである。これは次項で述べる。
さて、説明責任に対する言葉は何か。英語等の話はあとで考えるとして、日本語では多分結果責任である。説明責任を結果責任と対照するとすればこれは極めてわかりやすい。説明責任とは、最終的な結果を引き受けることができない人が、引き受けるべき人に対して必要な説明を行い、場合によっては重大な決断を仰ぐものである。
典型は医者と患者である。本来医者は患者にとっての「業者」であり、また医者は健康の維持・破壊、生命の維持・破壊といったきわめて重大なことについて結果責任を引き受けられないことは明白である。したがって、リスクの高い手術などを行う際には医者は患者に説明するとともに実施の可否を仰ぐ。理想的には患者の知識や心情のバイアスを考慮した上で全体としてバイアスのない理解になるよう説明し、患者が自分の事情だけを考慮して判断できるようにするべきだろう。もちろん簡単なことではないが。
資産運用の運用者と顧客の関係も同様である。ファンド運用の成果も被害も顧客のものである。顧客は自分なりに何が行われているか理解する権利は確かにある。そうでない場合は事前の了解が必要だ。
さて、ほかにも例は多々あろうが、基本的に説明責任が発生するのは
①他の結果責任を負う人またはその代理人から業務の委託を受けており
②業務遂行の結果が必ずしも保障できない
状況で発生する。医者やマネジャーは典型だが、ほかにもコンサルタント、弁護士、企業経営者なども入ってこよう。おおむね高級取りが多い点も特徴である(笑)。結果願望の「お布施」のおかげである。また、資格などで制度的に供給が絞られている点も大きい。職業上のリスクプレミアム、というきれいごと的説明はとりあえず却下しておく。
一方で、他者から委託を受けていても結果にそれほど振れがないものには説明責任は発生しない。宅急便はその集配・運び方の説明はしない。バスや電車もそうだ。当たり前と思われているもの、インフラ的と思われているものに近づけば近づくほど説明責任は発生しない。実を言うとこれらの分野はある意味過酷で、結果責任も負うことになる(事故の場合など)。薄給でもある。

(過程責任と説明責任)
と考えて見ると、説明責任は要はサラリーマンの仕事である。もうだれも言わなくなったが「ホウレンソウ」ってやつ。つまり報告・連絡・相談。上司の大局的指示(「売りまくってこい!」)をプロセス・実務として具体的に実行し(顧客回り)、その状況を報告・連絡して相談も行うこと。まさにこれは説明責任を果たしている。
説明責任というと説明をしてことたれり的なニュアンスがあるが、サラリーマンの場合、普通は行動責任と合わせて説明責任がある。これを一言でいうと「過程責任」ということになろうか。具体的なプロセスを考案し実施し説明して要所で判断を仰ぐ。まさによきサラリーマンのやるべきことである。
話はややそれるが、日本的経営と呼ばれたものは、結果主義に対する過程主義と動機主義の入り混じったものであったと思う。ここで言う「動機主義」とは、動機のよしあし、純粋さを問うもので、最近の中国の反日デモでうそぶかれた「愛国無罪」というやつ。確かに「愛社無罪」だったかな。結局反日デモの言い分と同じくタワゴトなんだけどね。過程主義に純粋に徹していたら日本的経営は強かったろうになあ、と思うね。

あれこれ責任だの主義だのか出てきたが、ここで整理しておく。

結果責任⇔過程責任

過程責任=説明責任+行動責任

(結果責任のとり方)
昔の話である。特金のマネジャーたちがのさばっていた80年代後半から90年ぐらいまで、しばしば彼らは「責任をとるのはわしらだから(何をやってもよい)」と言っていた。僕は心底頭が悪い奴らだと思った。顧客のアカウントが傷ついた場合、たとえば1億円損した場合、運用者はいかなる責任をとるのか?率直に言ってなんの結果責任もとらない。マネジャー本人も運用会社も1億円の損は一切面倒見ない。結果責任は全くないからだ。となると、顧客が結果責任をかぶっているわけだ。顧客そのような結果の可能性を含めてさまざまな結果の可能性を引き受けるため、納得のゆく説明が事前に必要なのである。

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