御託専科

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天皇・靖国・A級戦犯の日経スクープに思う

2006-07-20 17:39:23 | 時評・論評
本日の日経スクープには驚いた。また腹が立った。

もし報道のとおりだとすると、昭和天皇はいったい何を考えていたのだろう。仮にも大日本帝国の最高権力者であり、その意向には誰もがひれ伏すはずの存在であった。それが「管理責任」を問われず東京裁判という政治的リンチの対象ともならなかったのは誠心誠意忠実だったA級戦犯の人たちのおかげではないか。彼らが口をそろえて天皇の意向を汲んだ、あるいは天皇の無言の承認があったと言えば、天皇とて無事に済んだはずはない。占領政策のおかげで最終的にはそれはなかったにしても、いずれにせよ彼らはトカゲの尻尾として死なされたのだ。松岡が、白鳥が気に食わなければ首にするよう手配すればよいではないか。その権力があったのにそれを実行しなかったのだから天に唾する行為に違いない。死なされた彼らにとっては、天皇を守りとおしたこと、そのことを天皇が認めていることが13階段の上にある勲章であったに違いない。それを「合祀が不快だ」とは何たる言葉!! こんな天皇を戴いて死んでいった人たちが不憫で仕方がない。

以上は報道のとおりとすれば、という前提がつく。報道も奇妙だ。政治的に絶妙のタイミングで2003年に亡くなった人のメモが出てくるというのはどういうことなのか?意図はないのか? 日経の党派的立場を迂闊にも知らぬためこれ以上はわからぬが。

元に戻ると、もうそろそろ天皇を軸とした愛国から卒業して、大人の愛国を考えるべきときではないのだろうか。日本には天皇がいる、茶の湯がある、和の伝統がある武士道の精神がある。それは大いに結構だし、こうした愛着がお国自慢と同列とはいえ愛国心の源泉になることは間違いない。
しかし、それを含みつつもより普遍的な原理と正義からあるべき国の態度、また個人の国に対する態度を考えようではないか。それこそが大人の愛国というものである。この項は些か長くなるので別に書く。